「共に来い」part.8

 今となっては懐かしい空気が鼻をつく。埃、燃焼した火薬、そして微かに漂う鉄錆の臭い。


「これは、どういうことだ?」


 ゆっくりと、低い声でタケキが尋ねた。白衣の女は黙ってこちらを見つめている。


「行こう、ホトミ」

「うん」


 それ以上の追求はせず、ホトミと共に出入口へと向かった。階段を切り裂いたとはいえ、時間の余裕は多くはない。女は黙ったまま二人の後に追従した。


『タケキ、これ』

『ああ』


 豪奢に飾られていた壁や天井には蜘蛛の巣のようにひびが走っている。ここに来た際にリザが見つめていた彫刻の首が、足元に転がっていた。

 瓦礫が通路を塞ぎ、回り道を余儀なくされた。カムイの刃で切り開くことも考えたが、別の崩落を招きかねないと考え断念した。建物の構造はあらかじめ記憶しているため、迷うことはなさそうだ。突然の攻撃に右往左往する軍人や職員は、タケキ達を気に止めることはなかった。


 迂回に迂回を重ねて、出入口のある公共施設区画への扉が見えた。何度かリザの力を使った探知を仕掛けたが、追っ手が迫るにはまだ時間があるようだった。しかし、油断はできない。タケキは焦りつつ扉を開けた。


 そこは阿鼻叫喚を具現化したような惨状だった。天井はほぼ崩れ落ち、隙間からは青空が覗いている。

 瓦礫に体の半分を押し潰された老人、千切れた左腕を必死に体に押し付けている男、事切れた母親にすがり付く男児。見渡す限り全てが悲劇だった。濃密な血生臭さが漂う空間は、タケキの体を硬直させた。


「うっ」


 タケキの後方から呻き声と同時に水音が聞こえた。白衣の女が嘔吐したのだろう。


 それは、タケキにとっては馴染みの風景だった。数え切れないくらいに、多くの人を切り裂いてきた。血と死は日常だった。

 違うのは、それから離れて十年経ち、タケキの日常が変化したこと。そして、目の前で死の渦の中にいるのが、本来そこにいるべきでない人々ということだ。

 自分達が人を殺したのは、ここにいるような人達が傷つかないようにするためではなかったのだろうか。タケキの頭が真っ白になる。


「酷い」


 ホトミの声にタケキは我に返った。そうだ、呆けている場合ではない。


『リザ、頼む』

『いいよ』


 タケキは刃を形成する。細く長い、鞭のような刃だ。それと同時に探知で周囲の状況を把握する。


 事態は見た目以上に深刻だった。その場にいた半数以上が絶命しているか、助かりはしない致命傷。命を拾った者も、重傷者が多い。

 動ける者は既に脱出したのだろう、探知できるほぼ全員が、瓦礫に体が挟まれている。

 この状況下では外部からの救助も絶望的だろう。


 タケキはその刃で瓦礫を細かく切り刻んだ。小石程度の大きさになった瓦礫を、次いで形成した薄い盾で押し退ける。

 ただ、それをするのは、助かる見込みがある者の上にある物だけだ。全ての瓦礫を切り刻んでしまえば、崩落の危険性がある。それに、見えない方が幸せなこともある。


「すまない」


 タケキにできるのはこの程度のことである。リザの力を使い、強大なカムイを行使することはできる。ただし、怪我を治療することも、失った命を取り戻すこともできない。

 詳しい理由はわからないが、この惨劇を招いた要因のひとつが自分であることは自覚できている。しかし、タケキには責任の取り方が思い付かなかった。小さく詫びを口にするのが精一杯だった。


「必ず説明させるからな」


 タケキの言葉に、白衣の女は青白くなった顔を上下に振った。


 先ほどと同様にして出入口までの道を空けた。間を置かずに、救急隊と思わしき集団が建物内になだれ込んでくる。後は彼等の様な専門家に任せるべきだろう。

 それらを受け流しつつ逆行し、タケキ達は出入口を通過した。


 外の光景も、人の死が直接目に入らないだけで惨状であることに変わりはなかった。

 緊急車両が飛び散った瓦礫を縫うように走り、救急隊や軍人が走り回っている。彼等からは四回目の砲撃に怯えつつも、人命を救おうとする強い意思が見えた。


「あれです」


 女が口元を押さえながら、一台の軍用車両を指差した。ここに来る際に、タケキ達を迎えに来たものと同じ車両だ。

 運転手も同じで、軍帽から金髪を覗かせる若い男だった。

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