「私だって」part.9

 二日目の夜は前日ほどの騒ぎにはならなかった。リザがホトミの背中を流したいと言った事を除いては。

 リザの掌が干渉した物の感覚の一部はタケキにも伝わる。それを知った上での提案だ。ホトミと入浴したかったというのが最大の理由ではあるが、浴室の前で悶々とするタケキを感じるのも面白かった。

 タケキ達の就寝後はまた夜の街を眺め、三日目の朝を迎えた。


『あー、あー、にゃー』

「いやいや、カムイで直接伝えるんじゃなくて音を出せよ」

『タケキは難しいこと言うよね』


 声を出す事は容易ではなかった。空気という見えない物を動かすという感覚は、なかなか掴める事ではない。


「難しそう?」


 ホトミが朝食を用意している。なんて甲斐甲斐しく素敵な女性なんだ、とリザは思う。タケキが朴念仁でないことは感じ取れるのだが、お互いに一線を引いているように見える。昨夜は二人の絶妙な関係性を荒らしてしまったかと心配にもなってきた。


 リザには力を使う度にタケキの感情が部分的に伝わってくる。そこには確かに暖かい想いがあった。ただ、その奥にある冷たい泥のような感情にも気づいてしまった。

 廃工場でタケキの過去を垣間見てしまったからこそ、この釣り合いは壊してはいけないものだとリザは理解していた。


「空気の振動って意識が難しいよな」

『じゃーあーどーうするのよー』


 精一杯声を出そうとするが、カムイでの意思伝達にしかならなかった。空気を振動させるという感覚がどうしても理解できない。


「――が――さざ――」

「リザちゃんから音が出てる!」


 結局、三日目は雑音のような音を出すのが精一杯だった。

 ただ、平行して進めていた探知の運用は進展があった。範囲、精度、速度、負担などの調和が取れ、実用的になってきている。リザとの意思疎通が万全になり次第、治安維持局への探知を実行することに決まった。


 前日同様、入浴にまつわる話でタケキを困らせてみるが、多少は慣れたようだった。


『ホトミ姉さんって柔らかい上に締まってて素敵だよ』

「うるせぇ」


 そして、四日目の午後。


「――ケ――タケキ――」


 タケキとホトミの耳に、明確な意味を持ったリザの言葉が届いた。雑音の混ざる掠れたような声だった。


「リザちゃん凄い! 聞こえるよ」

「本当にできるもんなんだな」


 ホトミが丸い目を細めて手を叩いた。それを見たリザまで頬が緩む。タケキも小さく笑っているように見える。リザ一人ではできなかったことが、三人ならできてしまう。その事実が嬉しかった。


 感覚さえ掴めば後は簡単だった。ゆっくりと発していた単語は徐々に文となり、会話となる。違和感のあった掠れも落ち着き、少し低めのよく通る少女そのものの声となった。


「ホトミ姉さんのアドバイスのおかげだよー」

「もー、姉さんって照れる」


 リザとタケキでは暗礁に乗り上げていた時、そもそも空気を振動させると考えるのが間違いではないかと、ホトミが提案した。単に音であればその通りなのだが、声となれば話は違うと。リザとタケキはそんな助言に従い、カムイに声を伝える意思を乗せた。


「そしたら声が出ましたー」

「やったねー」

「これで通訳がいらなくなるな」


 自分の事で人が喜んでいるのを見るのはいつぶりだろうか。記憶を辿るが思い出せない。共和国軍の施設で過ごした以前の記憶が特に曖昧だ。故郷の寒い冬も虚構のように感じる。だからこそ、この二人の前では明るく在りたいと思う。

 こんな自分を受け入れてくれる二人。利害の一致があるとは言え、優しさと暖かさを持って接してくれる。この優しさを得るまでにどれ程の絶望があったのかリザには計り知れない。ただ、この心地いい関係をもう暫くは続けさせてほしい。

 消えなければならない存在の自分だけど、せめてそれくらいは許してほしい。

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