番外編 マージニアのお父様観察日記



「誰にでも慕われて、本当に素晴らしい王様だわ。」



子どもの頃から、そんな言葉を幾度どなく聞いてきた。僕がまだまだ小さくて政治のことなんかよく分からない時でも、父がいつも国民のことを考えて動いていることはよく分かった。



「お、お父様?」

「なんだい、マージニア。」



それに父は王という地位にいながら、いつでも礼儀正しく低姿勢だった。記憶の中にいるおじい様はいつも、ドカンと椅子に座っていて態度も大きく、孫の僕でも怖かった印象がある。親子なのに真逆なことがとても不思議で、ある日僕は父に質問をした。



「お、王様なのに、頭を、下げるの?」

「マージニア。」



その質問を聞いて、父はとても穏やかに笑った。すごく臆病で人の話を目を見て聞くことも出来ない僕も、穏やかに笑う父とだけはちゃんと話が出来た気がする。



「いいか。ただ上に立って押さえつけるだけの関係は、簡単に壊れるんだ。」



当時確か6歳か7歳くらいだった僕には、半分以上意味が分からなかった。きっと父も僕が理解をしていないことくらい分かっていただろうけど、それでも話を止めようとはしなかった。



「基盤を作るんだ。まずは信頼という厚い基盤を。王になって最初の仕事は、それなんだ。」

「き、ばん…。」






それから30年以上の時が経って、あの時の父の言葉もよく理解できるようになった。ただ理解をすればするほど、それが簡単ではないことも分かり始めた。



「王様は本当に素晴らしいわ。」



子どもの頃はその言葉を聞くことが、本当に誇らしかった。自分たちのお父さんは本当にすごい人なんだって、胸を張って聞いていた。でも30年以上何度も何度も聞いてきたその言葉は、僕の中で大きな重りみたいなものに変わっていた。


いつか自分も上の立場に立つようになれば、あんな風にならなくてはいけない。自分も父のように素晴らしい人に、ならなくてはいけない。


そう思っているうちに僕の臆病はどんどん育っていって、人前に立つことが本当に苦手になった。



「お前はいつもおどおどして…。しっかりできないのか。情けない。」




そしてそれと対照的に、兄の態度はどんどん大きくなっていった。使用人の皆さんや部下に対する態度も横暴で、見ていられなかった。



「す、すみま、せん…っ。」



でも僕にはなんとなく、兄も自分と同じ気持ちを抱えていることは分かっていた。

その気持ちが態度に真逆の形で出ているだけで、きっと僕たちは同じ悩みを抱えている同志だってこと分かっていた。



それでも僕は兄さんに、寄り添う事すら出来ない臆病者だった。




「王様はあんなに素晴らしいのに、王子さまたちはねぇ…。」

「大丈夫なのかしら。」



そんな噂を耳にするようになったのはいつからだろう。でも何度その言葉を聞いたところで、僕は特に落ち込んだりしなかった。



――――だって自分が一番、そう思っているから。




分かっていたところで何もできない自分が、一番情けない。自分でもどうしたらいいのかひたすら途方に暮れて、ただ当てのない暗闇を歩いているような気持ちだった。






「それでね、聞いてよ。」



そんなある日のこと。父さんの部屋に任されていた仕事の報告をしに行こうとすると、部屋の中から何やら楽し気な声が聞こえた。ノックをして入って行けばいいと思ったけど、なんとなく入れなくて、少しだけ裏口のドアを開けて部屋の中を覗いてみた。



「ママったらね、男の子に喧嘩を売るなって怒るのよ。」



部屋の中にいたのは、アリア・サンチェス様だった。アリア様は小さい頃からとても 賢くて、父さんは何度も彼女の助けを受けてきたと言っていた。僕も何度か会議でお会いしているけど、僕とは違って堂々とした方だといつも思う。



「そりゃそうだろう。」

「なぜ?ダメなことはダメってはっきり言わなくちゃ。」



たまにアリア様がここに来て、父と話をしていることは知っていた。でも実際に二人が二人っきりで話しているのを見るのは初めてで、僕はしばらくアリア様と話す父の顔に見入ってしまった。



「心配なんだよ、アシュリーは。」



アリア様と話す父は、見たこともないほど穏やかな顔をしていた。幼少時代に僕にも向けてくれていたような、見ているだけで幸せになるような穏やかな顔を。



「だけどさ~。だからと言って黙っていられないの。」



そしてアリア様も、まるで本物のおじい様にお話をするように、何のためらいもなく父に雑談をしていた。何気ない話を聞いているだけで、二人が心底"信頼"しあっているという事が伝わってきた。



「まあ、それはそうだね。」

「でしょ?!だから私考えたのよ。」

「何をだい?」

「平和的、解決方法。」



子どもの頃は何も考えることなく父に話しかけることが出来たけど、存在の偉大さを実感するたびに、最近では普通に話す事すらできなくなった。それなのに自分の子どもくらいの年齢のアリア様は、自分の国の王様を前に、あんなに砕けた話をしていた。



「男の子たちがまた子どもたちの遊び場を奪ってたらね、彼らのお母様を呼んで来ようと思って。言いつけるのよ、ママに。」

「なるほど。でもそれは平和的、とは言えない気がするけど。」

「何言ってるの、じぃじ。超平和的よ!私の中の最大の譲歩よ!本当はジルにぃを連れて行こうかって案もあったんだから。」

「確かに。それは穏やかではないね。」



そんな風に父さんに接することが出来るアリア様が、純粋にうらやましくなった。自分もあんな風に父に信頼されたかったと思った。

たまに兄がアリア様の悪口を言っているのを聞くけど、きっと兄も同じようにアリア様がうらやましいんだと思う。僕たちがなれなかった姿に若くしてたどり着いているアリア様に、すごく嫉妬しているんだと思う。



「それでなんだっけ。テムライムのことだっけ。」

「そうそう。テムライムから依頼が来ててな…。」



アリア様はまるでついでみたいにして、父の政治的なことの手伝いを始めた。僕は父に何か頼みごとをされるたびにどうしたらいいかと戸惑うのに、アリア様は父の話をワッフルせんべい片手に聞いていた。


本当に肝が据わった、すごい人だと思った。





はじめて話す二人の姿を見たあの日から、僕はアリア様を"尊敬"の目で見るようになった。そしてアリア様と話す穏やかな父の顔が見たくて、たまにのぞき見をするようになった。いつだって二人は雑談をしながら、大切な話もしていた。



「う~ん、それはいいと思うけど、そうするとノール地方の方たちが…。」



話を聞いているうちに分かった。二人はいつも同じ方向を見ているんだと。どこまでも国民の幸せを考えて、行動しているんだってこと。本当は僕たちがそうならなくちゃいけなかったのに、代わりに僕たちの役割を果たしてくれていたのはリア様だった。

リア様が王城に出入りすることをよく思っていない方の話もたまに聞いたけど、僕は心の中でいつも思っていた。リア様がいてくれるから、父だって自信を持って王でいられるんだと。






それから数年後、父さんが小さな風邪をこじらせて死んだ。

父さんが死んでからというもの、リオレッドにはたくさんの変化があった。まず当然だけど、兄さんが王様になった。そして父さんは僕に政治の実権を渡すという遺言を残してくれていたから、僕も"王様"と同等の決定権を持つことになった。



そして僕の中でとても大きかったのが、リア様がテムライムに行ってしまったことだった。何か困ったことがあったらリア様に相談しようとどこかで思っていたのに、相談できる人はいなくなってしまった。



「に、兄様それは…。」

「うるさい。お前は黙ってろ。」



そして兄さんは、僕の意見なんて通そうともしなかった。政治的なことは僕に決定権があるはずなのに、それを決して許さなかった。兄さんは今まで父さんが作り上げてくれたものなんか無視して、自分本位の政治を進めて行った。

そんなことではいつか大変なことになると、意見したかった。何度も止めようと思った。でも出来なかった。



その度に最後に"頼むぞ"と言って笑った父の顔が頭に浮かんで、苦しくて悲しくて申し訳なかった。




そして案の定、テムライムとの間で貿易の大きなトラブルが起こった。

テムライムとの関係は父さんが何よりも大切にしてきたものだから何とかして守りたかったのに、やっぱり僕は何も出来ないまま、結局アレク様にまで来てもらわなければいけないことになった。



「でも最終的にお互いが同じ金額を支払えるよう、調整しよう。対等にな。」



アレク様は本当に、素晴らしい王様だと思う。

今のリオレッドの状況を全て理解したように、兄さんを刺激しないようなお互いのためになる解決法を提案してくれた。


アレク様のお父様も、素晴らしい王様だったと父さんはよく言っていた。僕たちと同じように大きな重荷を背負っているはずの彼は、自分の足でしっかりと立って国のために動いていた。



「今日だって大事な会議だというのに…。お前はめかしこんできてるが、舞踏会か何かだと思っているのか?これだから女は…。」



リア様のことを知っている人であれば、この提案がリア様によって考えられていることくらい、すぐにわかる。そしてリア様がリオレッドのことを今でも大切に想っていてくださっていることも、よく分かった。


それなのに兄さんは、よりにもよってリア様にそんなことを言った。さげすんだ目で彼女を見て、馬鹿にしたように笑った。




許せなかった。我慢できなかった。それでも声を出せない自分が、一番許せなかった。



「イグニア。」



するとアレク様は、とても穏やかな声で兄を呼んだ。毛羽立っていた心がスッと落ち着くような、安心する声だった。



「いずれ女性も持っている能力を発揮して、働く時代がきっと来る。性別や年齢、身分の違いなんてものは、ただの"肩書"でしかないんだ。」


僕は産まれた頃からずっと、"王様の息子"だった。身の回りのことは当たり前のように使用人さんがしてくれて、当たり前のように、いつか上に立つ人間になることが決まっていた。


そしていつか当たり前のように、兄は国民のことが考えられる王様になって、僕はそれをサポートするんだと思っていた。でもその"当たり前"はいつになっても来なくて、僕たちはただ"肩書"だけ持った空っぽの存在になった。



「この子をみていると、私はそう思うんだ。」



でもアリア様は違った。

彼女は商家の娘に産まれながら、いつも国のことを考えてくれた。そして父はリア様の意見を、ためらいなく取り入れていた。それが国をよくする意見なんだとわかったら、誰の言葉だって聞くのが"当たり前だ"って父は思っていたんだと思う。



この席に座ってさえいればいつか"当たり前"のように父さんのみたいになれるなんて、大間違いだ。このままではいけないと、どこかで分かっていた。でもどうしていいか分からなくて、結局何も出来なかった。



「ぼ、僕も…。僕も、そう思います。」



目の前に座っているアレク様やリア様を見ていたら、死ぬ前に笑った父さんの顔を思い出した。


きっと僕たちは父さんのようにはなれない。何もしないまま当たり前のように慕われる王様になることなんて、絶対にできない。でも出来ないことを悔やんでそればかりを考えていては、いつまでたっても僕たちは王様という名前の付けられたただの"人形"だ。



"あとは、頼む"



父さんのいう事は、きっと何一つ守れなかった。

でも最後のその言葉くらい、守れる自分になりたい。



「マージニア。お前…」

「兄さんは黙っててください!!!!!」



産まれて初めて、兄さんの言葉を遮った。兄さんはとても怖い顔をして僕を見ていたけど、不思議と怖いという感情もあまり沸いていなかった。

大きな声を出してみたら、モヤが少しだけ晴れた感覚があった。僕がいつも難しく考えていることは、実は単純で簡単なことなのかもしれないと、ちょっとだけ思えた。

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