番外編 レイラの観察日記
「行ってらっしゃい。」
「ああ。」
騎士の家の嫁になるというのは、すなわち"待つ"ことを仕事にすることなんだと、姑から何度も言われた。
その言葉通り、これから夫や息子が危険と隣り合わせの仕事に行と分かっていても、私には待つことしか出来ない。
だからせめていつも去っていく背中に、"どうか無事で帰ってこられますように"というお祈りをすることだけは、欠かさないようにしている。
「おかえりなさい。」
「ああ、ただいま。」
昔は戦争に送り出したことだってあったけど、最近は隣国との争いも少なくなって、最近は心配して待つこともすごく減った気がする。唯一の心配事と言えば息子がいい年になっても女性に興味をあまり示さないことくらいで、それ以外はとても穏やかな日々を過ごしていた。
「結婚したい人がいるんだ。」
そんな息子がある日、珍しく夫にはっきりとした口調で言った。その相手が誰なのか、私は薄々感づいていた。
「誰だ?」
「リオレッドの、運送王の娘さん。」
夫は話したことはないだろうけど、私は彼女がテムライムに初めて来た時、試着会で一度お話させてもらっている。美しく控えめな見た目からは想像できないほど、はっきりとお話をする子だった。
「私はそのリオレッド王から、返しきれない恩を受けています。その王が恩を受けた国に、私が貢献しない理由がありません。」
それに彼女は、王妃様を目の前にして堂々とそう言った。自分より立場が上の、しかも隣国の王妃様目の前にして、こんな風に胸を張っていられるなんて、本当にすごいと感心したのを覚えている。
「アリア、様か…。」
息子が結婚したがっている相手のことを聞いて、夫は少しの間黙った。
もしかして彼女のことをあまりしらない夫は、別の国の女の子と結婚をすることを、よく思わないのかもしれない。
本当は口をはさみたかった。すごくいい子だよと、教えたかった。でも私は彼の言葉を待った。
――――だって騎士の嫁の仕事は、
"待つ"ことなんだから。
「もちろん、歓迎するよ。」
でも私の予想に反して、夫は優しく笑って言った。そして許しをもらった息子は、見たこともないくらい幸せそうな顔で「ありがとう」と言った。
なんだかこれから予想も出来ないことが起こりそうな予感が、どこからか湧いてくる感じがした。
「試着会ではお世話になりました。」
「お、お、お、お母さんだったんですか?!?!?」
エバンとリアの結婚が決まってから、私は彼女が来てくれるのを本当に心待ちにしていた。正直なところ、数人の奥様からリオレッドの商人の娘と、しかも一度ルミエラスの王との結婚が破談になった子の結婚なんて許していいのかと、言われたこともある。
「息子の、決断を信じます。」
でもテムライムのために自分の身を削ってくれた彼女が、エバンをあんな表情にさせる彼女が、ディミトロフ家にとってマイナスになるはずがないと思った。だからそんなの余計なお世話だと思って、何か言われるたびに私は毎回そう答えていた。
☆
そして騎士の妻になったリアも、自動的に待つことが仕事になったと思っていた。
昔は本当に耳が痛くなるくらい言葉にしてそれが仕事だと言われてきたけど、私はあえてリアに言わなかった。多分言わなくたって、実感できることだから。
「レイラ様。それでは行って参ります。」
「ええ、行ってらっしゃい。気を付けてね。」
でも、リアは"待つ"ことだけを仕事にすることなんてなかった。
さすがに結婚後初めての遠征の時は大人しくしていたけど、その後はまるで檻から解き放たれた鳥のように、自由に飛び回っていた。
それに家でただ待っていた時、リアは体調を崩した。妊娠していたからっていうのもあったんだろうけど、でも精神的なものだってきっと大きかったんだと思う。
「子どもたちのこと、よろしくお願いします。」
「心配しないで。マリエッタもいてくれるから。」
「はい。お任せあれ。」
リアはある程度外に出ていた方が元気だ。
ある日マリエッタにそう言われた時、私も妙に納得してしまった。今日も元気に出て行くリアの後姿を見ていると、やっぱりその背中に羽が生えているようにすら見えた。
☆
「リアが…、誘拐…されたらしい。」
そんなリアが久しぶりの帰省を楽しんでいたはずのある日、今にも泣きそうな顔で夫が言った。夫がこんな風に弱気になっているのは初めてのことだった。よくよく聞いてみると犯人はテムライムの人間らしく、きっと自分のでせいでとでも思っているんだろう。
"あなたのせいじゃない"
そう言うのは簡単だ。
でもきっと何を言ったって、彼の気持ちが軽くなるわけではない。私はそっと彼の横に座って、ただ寄り添って気持ちが少しでも回復するのを"待つ"ことにした。
それから数日後、顔に大きなあざを作ったリアが帰国した。
夫はやっぱり悲しい顔でリアや子どもたちを出迎えていて、私にはその背中が泣いているように見えた。
それでもリアは笑っていた。そして自分は勝手な約束をしてきたからお互い様だなんて言葉を、夫にかけていた。その言葉を聞いた彼はもっと悲しそうに笑ったけど、やっぱり私に出来るのはみんなが出す結論を待つことくらいだった。
「明日、リアと遠征に行ってくる。」
「え?!リアと…ですか?!」
リアが帰国して数日後。彼の口から聞いた言葉に耳を疑った。
リアは多少外に出た方が元気だという事は分かっている。でもさすがに自分を襲った相手のところに行くなんて、そんなの大丈夫なのか。
リアと夫が出発するまで、その疑問と不安はずっと消えなかった。なのに遠征に出発していくリアの背中は、やっぱり羽が生えているみたいに自由に見えた。そして誰よりもたくましく、大きくも見えた。
「リアは本当に強い子だ。だからこそ俺たちが守らなきゃいけないんだ。」
遠征から帰ってきた夫は、少し自信を取り戻した顔で言った。その顔を見ていたら、リアは自分だけじゃない、人の背中にも羽を与えられるような存在なのではないかと思うようになった。
「それでは、行って参ります。」
そしてそれからしばらくして、リアはリオレッドへと交渉へ向かうことになった。
あまり詳しくは聞けていないけど、今回リアは自分のお父さんやお世話になった人と交渉をしなくてはいけないらしい。
「大丈夫、かい?」
珍しく、出発していくリアに夫がそんな風に聞いた。するとリアは笑顔で力強く、「はい」とうなずいた。
「すべて元通りにして帰ってきます。」
リアらしい、とても強い宣言だった。その言葉には決意のようなものも込められているように思えた。
「いってらっしゃい。」
リアが嫁に来ると聞いた時、リアはきっとこちら側で一緒に"いってらっしゃい"を言ってくれるんだと思っていた。でもその予想に反して私たちはこうやって向かい合っていて、私は一緒に"待つ"はずの彼女に「いってらっしゃい」を伝えている。
きっと姑が生きていたら、この状況に激怒していただろう。リアが外に行くことだって許さず、ずっと檻に閉じ込めたままだったんだと思う。
「大丈夫…だろうか。」
私達もリアを檻から出さなかったら、こんなことになっていなかったのかもしれないと思わないこともない。現に今リアの背中に生えている羽には元気がなくて、強い言葉とは反対にとても弱々しい雰囲気をまとっている。
「大丈夫です、きっと。」
でもその代わりに、隣に立っているエバンの背中には、たくましくて大きな羽がついている。私は息子のあんなたくましい背中を、今まで見たことがない。
「支え合うから、夫婦なんです。」
リアを檻から出さなかったら、きっとエバンはあんなふうに堂々と歩けなかっただろう。それにリアだって、もっともっと弱っていたに違いない。
「待ちましょう。」
私は夫の言葉を待たずに、自分の言葉を紡いだ。
いつしかリアの手で、私の"待つことが仕事だ"という固定概念も崩されていたらしい。夫や息子だけじゃなく、私もリアに影響されていることを、初めてそこで自覚した。
「そうだな。」
今回は隣で一緒に待ってくれる夫が、私の肩を優しく抱きながら言った。
固定概念が崩されたとはいえ、数十年待つことだけを仕事にしてきた私には、やっぱり今更別のことが出来るわけもない。
だからせめてリアの羽が元気になって帰ってきますようにと、いつも通り丁寧にお祈りをしておいた。
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