伍の4

 鋼鉄製で出来た左腕の義手を器用に動かして煙草を口に運ぶと、少女がすっと横から歩み寄りライターで火を点ける。紫煙が口元からふわりと上がり、鼻から勢いよく煙を吹き出す。不敵に口角をあげて品定めしているようだった。

 老人とは四半世紀ぶりに顔を合わせたが、その頃は「カゲカツ」と名乗っていた気がする。曖昧な記憶だが、なんせ大昔の話だ。確か、ジジイに連れられて初めて紹介されたときは若頭の立場だったと思う。

 ただ、やがて長として上に立つような気はしていた。だからこそ、ジジイもカゲカツに直接会わせたのだろう。人を見る目に関してだけはひいでていたジジイにとっても、カゲカツは「鶏群の一鶴」に映ったのかもしれない。

 過去にも青海の再開発を巡り、独狼一派と揉めることはあったが、本人が自ら出てきたことはなかった。その具合からしても、今回の一件は寝耳に水だったに違いない。強襲もいいところ。しかも、昨日今日の出来事だ。相手もあの〝魔女〟となっては、さぞかし肝を冷やしていることだろう。

 老人は訝しげな表情をして、士師の視線の動きから何かを読み取ろうとしている。しかしながら、この手の交渉や駆け引きは慣れたもの。数々の修羅場を掻い潜り、悟らせない為の心理術も心得ている。そうして、直ぐに時間の無駄だと判断したのか、老人はようやく口を開いたのだった。

「……これはな、姪の娘だ。本来なら、姪が同席するはずだったんだが、明日にでも三人目が産まれそうなもんでね。いやはや、悪いことは重なるってこった」

「冗談はやめてくれ。他にも仲間がいるだろう? 何処に隠れてる?」

「ああん?」

 散弾銃を手にしたまま、士師は背後を気にしながら警戒をより強めた。

 加えて、老人の横にいる少女も未だ帯刀しているのも気になる。居合斬りを仕掛けるなら、十分な間合いだ。少し油断させてから襲ってくるパターンも考えられただけに、十二分に用心しないとならなかった。

 ──ところが、カゲカツは狐につままれたような顔をしているではないか。

 ほんとうに、何も知らなかったのか? とでも、云いたそうな顔している。雰囲気から察して嘘ではなさそうだ。士師も、調子を狂わされた感じで目を合わせるしかなかった。

「まあ、掛けろや」と、カゲカツは仕切り直すかのように義手で席に促す。

 どうやら、自分の見知らぬところで、面倒なトラブルに見舞われていたらしい……。魔女からの情報が皆無だったのを想像するに、彼女らも把握してない可能性が高かった。偶然にしては出来過ぎていると勘繰るのも無理はないだろう。

「……やはり、西の件か?」

「さすがに耳が早いな。今更、隠してもしょうがねえ。主要な連中は西にずっと出張っていてご覧の有様だよ。やれやれだわ」

 皮肉めいたように腕を軽く広げ、老人はお手上げだとも表現したいのだろうか。陳腐な物言いではあるが、大凡の事情は飲み込めた。西での件は、風の噂で聞いていたが争いの火種になりつつある。西と云えば『女狐』の支配する区域。勢力を徐々に拡大しているところを伺うに、天狗の抑えつけさえも効かなくなっている惨状なのだろう。

 士師は椅子に座りながら、弾薬を抜いて銃を膝の上に置く。いざという時の為に装填はしておいたが、どうやらその必要は無さそうだった。老人が子供を横に置くのは、荒事には発展せたくはないという意思表示のひとつでもある。

「……と、いうことでな」と、老人は少し間を空けてから怠そうに椅子にもたれてから、ちらりと横の少女に目を配った。何かの合図なのだろうか。

「我らの要求は至って単純明快だ。速やかに〝いち華〟から手を引け。今後、一切関わるな。いずれあの子は、村を率いるかもしれん。だが、昔のよしみだ。素直に従えば、今回の一件は水に流してやってもいい……」

 不意に、少女の表情が僅かに曇った。微かな感情の揺らぎが読み取れるものだ。多分、老人の発言に動揺させる要素があったということ。思うに、独狼の跡目争いに準ずる事柄に違いない。士師は少女といち華の関係性を考慮し、数ある選択肢の中から、ある言葉を選んだ。

「悪いな。生憎だが、すぐに返すつもりはない」

「……カラス、てめえ立場がわかってんのか?」

 機械仕掛けの義手をキリキリと唸らせ、殺気を孕んだ空気が老人から一気に放たれた。脅しではない。臨戦態勢だ。凄むほどに強烈な重圧をかけてくる。

 いくら年老いたとはいえ、殺し屋を統べる頭領だ。危険なのは重々理解している。だが、冷静さをいちいち事欠いてはすぐ争い事になってしまう。ゆえに、まだまだ話を聴く余力は残しているだろう。

「待て待て待て、そういきり立つなっ!」と、士師は片手で制すと、先程送られてきたエリスといち華が写っている画像をスマホで手早く表示させた。「あのな、いち華は魔女の子供だったんだよ。西園寺エリスも間違いないと認めている」

「はぁ!? な、なんだってっ!?」

「母親は魔女のマリア。通称『リッチ・マリア』と呼ばれている。あんたも名前ぐらいは聞いたことあるだろ」

 皺だらけの重い瞼を見開き、老人は信じられないという様子で首を振る。「あ、あのイカれた女の娘だって云うのか……」

「だから、魔女に一旦は預けろ。あの子は、あんたらの手には余るし、今回ばかりは魔女たちも本気でくるぞ」

「……ったくよ! 村田の野郎は魔女に寝返るし、次から次へと厄介ごとを持ち込んでくれるわな」

 苛々としながら、口から煙をふっと吐き出し、老人は力任せに煙草の火を捻り消す。灰皿から、幾ばくかの余煙が立ち込め、カゲカツの不満が指から漏れているようでもあった。その口ぶりからして『リッチ・マリア』とは顔見知りだったのだろう。

 だが、独狼と魔女の繋がりを一言で表現するには困難を要す。

 不可侵の条約を結んでいたとはいえ、先代のカラスでもあるジジイを通して細かい部分では協調関係にあったからだ。持たず持たれず、付かず離れず、互いに利益を享受していた面がある。ただ、水面下で行われていた秘密裏な工作でもあり、この事実を知る者は少なかった。

 朱に交われば赤くなり、偉人の言葉を借りるのであれば、智に働けば角が立つ情にさおさせば流される、と云ったところだろうか。おそらく、この三十年の間に独狼はかなり衰退しているはず。西の件にしかり、北海道では若い衆が三人も亡くなったとも……。時代の変化も伴い、その凋落ぶりもあちこちで耳にしていた。

「とりあえず、話を聴いてくれないか。耳寄りな情報と提案もある」

「情報だ? 一体、何の情報だ?」

 不機嫌な態度は崩さぬままだが、長老は満更でもなさそうだ。一応、話を聴くつもりではあるらしい。二十年前なら、問答無用で斬り殺されていてもおかしくない状況だったが、これでも随分と丸くなった方だのだろう。

 これも全て、ジジイが生前に培ってくれた信頼関係の賜物でもある。

 仕切り直すように襟元を正し、士師は額に浮いた汗を慎重に拭う。白く伸びた顎髭を徐に触り、老人はは早く喋れと催促してるようでもあった。


 ──「あんたの息子でもある、長男の〝一護いちご〟のことさ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る