二幕 涙腺黒バット怪散 2

 黒い背景に並ぶ怖い字体の赤い文と、奈々は見つめ合う。いかにも心霊ものが好きな誰かが、個人で作った感じがする無骨な安っぽいウェブサイト、と印象を改めて受けさせた。

 親指でスクロールしていき、ゆびきりによる死の回避の方法まで読み進め、奈々はつい溜息をついた。これ以上読み進める気が失せ、液晶画面から目を離し、今自分はどの辺りにいるのかが気になって、肩を押し当てる窓から外の様子を伺う。

 薄暗い夜になっていた。彼女を乗せるハイエースワゴンは、のんびりとした速度を変えることなく走っている。都会的でない、下町とも印象を受ける街中を通る車道にまだいる。

 街に生きるものたちはまだ眠りについておらず、生きる営みを繰り広げている。今は、八月十四日の午後九時になったばかりの頃。すれ違う電柱には、この街で行われるのか、終えたのか予定を読み取れない夏祭のチラシが貼られる。

 都心ではない、このような平凡な街にいる人々は、このハイエースをどのような目で見るのだろう、と奈々は思う。普通のワゴン車ではない。黒光る車体の真横に落書きみたいな蝙蝠の絵が描かれた、十四人も乗せれる車だ。非常に目立つ車。いかにも変な人たちが乗っていそうとわたしなら見るだろう。

 こんな車の中にいるわたしも変な人の一員とされるわけだ、と奈々は非常に恥ずかしくなり、この車が恨めしくなる。「こんな車である必要があったわけ?」と愚痴りたい。

 十四人分の席があるのに、空席が目立つ。奈々を含めて五人が乗る。二席横並びの座席の、その窓際の一席に奈々が腰を掛ける。彼女の座席前にある運転席にひとり、彼女の隣にひとり、彼女の背後にある横並ぶ二席を跨いだ最後尾座席の横並びの三席にふたりいる。

 ずばり、普通の乗用車で事が足りる、と奈々は断言できる。

 碑田利町二丁目と記された標識と横切り、まだまだ目的地へ辿りつかないのだと奈々は理解し、肩を落とした。

「なぁ。全部読んだのかよ?」

 隣からの呼びかけに、奈々は気だるく向く。隣の席で胡座をかく桃太から、黄ばんだ歯を見せられ、にやつかれ、鳥肌がたった。彼に初めて鳥肌がたってしまったことに、少し衝撃であった。そして彼にまた軽蔑したくなる。

 奈々は桃太に携帯電話を突っ返した。

 うん。全部読んだよ、と奈々は法螺を吹く。「すごいねぇ。怖いね。こんな怖い幽霊が今から行く場所にいるの?」

 奈々は馬鹿にして、わざとらしい興味津々とする小芝居をしてやった。けれど桃太はご満足といった風な顔をしてきて、何度も頷き、目を輝かした。

「いるんだよ! 今から行く廃墟におかめっぐ君がさぁあ。やっべぇよ。本当に胸がわくわくしてくるわぁ」

 相変わらず、幽霊といった怪談話が好きなのだ、と奈々は理解して、親近感を取り戻しそうになる。すかさず桃太の真っ赤な頭髪と、輝く銀色の鼻ピアスを眺め、歯止めをかける。

(わたしは彼と同族ではない。かつても同族とはいえないけれど……)

 そうだね、と奈々は頷く。桃太は猿の玩具みたいに手を叩き、はしゃぐ。

「そのサイトで読んでわかる通りに、おかめっぐ君はやばい悪霊なんだ」

 さっきまで見ていたサイトを、奈々は思い返す。あの安っぽいオカルトサイトに、おかめっぐ君という悪霊について書かれる記事は、出だしからこどもだましな怪談風に書かれていた。いかにも嘘っぽく、小学生くらいの年齢層を怖がらせるために仕上げた感じ。——そう。いんちきくさい、作り話としか思えない。

 ご丁寧にも桃太から、読んだ出だしを奈々は聞かされる。つい、昔の癖で相づちを打ってやってしまう。本当は打ちたくもないのに。

「全身大興奮。もしもおかめっぐ君に出会ったら、ゆびきりしなくちゃいけないよなぁ。ていうか、俺はおかめっぐ君と出会ってゆびきりしたい、で抱きしめたい」

 桃太は幼いこどもみたいに、はしゃいでそういった。彼の想像する悪霊か、何かを抱擁しても見せる。

 この千理桃太は元々こどもっぽい、と奈々は知ってはいる。彼女の目には、自分と同じで今年二十を迎えたにしては、大学生にしては、あまりにもこどもっぽい、こども過ぎて嘲笑に値する成れの果てにうつる。恥ずかしく、情けない。

 奈々が桃太と最後に出会ったのは約一年前だ。最後に出会った時は、彼女からして、ごく普通の経済学を学ぶ私大生だった。一年ぶりに今日こうして再会をしてみれば、『涙腺黒バット』というふざけた名のビジュアル系バンドのギターリストと化したこのざま。

 できることなら、できるだけ遠く離れてほしい、と奈々は願いたくなる。

 緑色のコンタクトレンズが覆われた彼の瞳を一瞥してから、奈々は彼から思いっきり顔を背けてやる。同族でないのだ、と態度を示してみせた。

「一年ぶりの再会なのに、奈々は相変わらず素っ気ないなぁ」

 相変わらずって、と奈々は不愉快に思う。

 ――相変わらずだなんて、わたしのことをよく知っているという風な言葉を気安く使うな。

「ぼくらはおかしくなるぅ。遠い山辺をこえてぇ」

 運転をする若い男が突然と声高らかに歌いだした。無意味に、また街に迷惑にも、クラクションを連打して鳴らした。


 続

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る