思い込んだら成りきる美千子、さすが女のド根性

朝倉亜空

第1話

「おーい、ミッチ」

 放課後、友達の真由美と一緒に下校している途中、後ろから自分を呼ぶ声に大西美千子ことミッチは振り向いた。野球部の田崎が小走りに寄ってきていた。

「明日の試合、出川がケガして出られなくなったんだ。ミッチ、代わりに出てくれるよな」

「うん、全然いいよ。ユニホームとか、ちゃんと用意しといてね」

 ミッチは答えた。

「よっしゃ、ミッチがいれば百人力。これで明日も勝てるぞー!」

 田崎は右の拳をグッ、と握りしめた。後でメール送っとくからと言って、田崎は練習に戻っていった。

「でも、ミッチってすごいな。この間はサッカー部の助太刀に行ってなかったっけ。スポーツは何でもこなしちゃうのね。しかも、男子顔負けで上手だし」

 歩きながら、真由美が言った。「どうしてそんなに上手くできるの?」

 うふふ、とミッチは少し笑い、話し始めた。

「あのね、例えばサッカーだったら、世界的プレーヤーのマッシュって人がいるんだけど、頭の中で自分はマッシュなんだ、マッシュになりたいって、強く思うの。念じるっていうのかな、そんな感じ。するとね、立ち居振る舞いや小さなクセ、仕草までもそっくりに真似できて、本当にマッシュみたいに動けちゃうのよ」

「へーぇ、それって誰にでもできることじゃない、ちょっとした超能力並みね」

 真由美は感心して言った。

「だから明日は町上選手になりたいって念じてみようかな」

「ああ、三冠王の町神様って呼ばれてる人ね」

「うん」

「ヒット一杯打ってきてね」

「まかしといて。何せ、バッターボックスに立つのは天才バッターの町神様なんだから。フフ……」

 二人はそのまま仲良しトークを交わしながら、帰宅していった。

 翌日、市民球場にて開催された中学生野球の公式戦、そのグラウンド上にミッチの姿はあった。ミッチは四番でセンターだ。試合は六回の表に入り、ミッチに打順が回ってきた。得点は五対五の同点、ツーアウト、ランナー一、三塁だ。ここまでミッチは二打数二安打、うち一本に走者一掃のツーベースヒットを放ち、三打点という上々の活躍だった。

 ミッチは軽く屈伸をし、立ち上がるとバッターボックスに入っていった。バットを持つ手を大きくぐるーりと回して見せる。町上がいつもやる仕草そのままだ。

「ミッチ、また一発頼むぞー!」 

 田崎がベンチから叫んで言った。無言でミッチはニッ、と笑い、Vサインを送り返した。

「ターイム。ピッチャー交代」

 その時、相手チームの監督が選手交代を告げた。

 先発に代わり、中継ぎエースがマウンドに上がった。

「あら、……」

 スラリとした長身で、キリッと引き締まった端正な顔立ちの相手投手を見た時、ミッチは思わず小さな声を出した。

 彼が投球練習をしている間、ミッチはその姿をじいっと見つめていた。次第にミッチの瞳が微かに潤み、頬はほんのり紅潮している。

「プレイ再開!」

 球審の掛け声とともに中断していた試合は始まった。

 一球目、ど真ん中のストライク。なんでもない球をミッチは見逃す。

 二球目、外角低めへ落ちるカーブ。見逃せばボールになる球を、ミッチは気の無いスイングで空振り。

「おいミッチ、真面目にやってんのかぁ!」

 田崎が大声を上げるも、ミッチは無反応だ。バッターボックス内で腑抜けた様に構えている。

 三球目。またもやど真ん中のストレート。

「よっしゃ! いただき!」

 田崎が確信して叫んだ。

 ミッチがバットを振った。ズバーンと良い音を立てて、ボールがキャッチャーミットに吸い込まれた後に。

「バッターアウト! チェーンジ!」

 球審が叫んだ。

「一体どうしたんだよ、ミッチ。全然、町神様らしくなかったぜ」

 ベンチに戻ってきたヨッコに田崎は言った。

「……う、うん。ごめんごめん。ちょっと、ね」

 はにかんだような笑みを浮かべ、ミッチは言った。

「おいおい、なんだよ、相手ピッチャーがイケメンだからって見とれてたのか。次の打席はホントしっかり頼むぜ」

 呆れたように田崎は言い、そのまま二人は守備についていった。

 六回裏を自軍のエースが無失点で終え、ミッチたちはベンチに戻ってきた。

「逆点だ! さあ、いくぞー!」

 田崎は部員たちを鼓舞して言った。「ミッチも応援頼むぜ」

「ゴメン。あたし、ちょっと行かなくっちゃ」

 ミッチはグラブを長椅子に置くと、ベンチを飛び出して行った。

「え? 行くってどこへ。トイレかー」

 田崎は言ったが、ミッチは聞いていないようだった。

 ミッチはなかなか帰ってこない。

 ところが、暫くすると、チームの誰かから、「あッ、相手キャッチャーが!」という驚きの声が聞こえた。

 田崎はキャッチャーに目を向けると、なんとそれはミッチだった。プロテクター、レガースを装着し、キャッチャーミットを左手にはめ、投球練習の球を一球、二球と受けている。

「しまっていこーぜー!」

 ミッチは叫び、キャッチャーマスクを被った。完全に相手チームのキャッチャーに、いや、相手ピッチャーの女房役になりきっている。

「んな、バカな……、あ、い、つ……、ミッチのやつ、あのイケメン野郎に本気の一目惚れしやがったなー。それで、あいつと結婚したい、恋女房になりたいって思い込みやがったんだ。ちぇっ」

 田崎は忌々しく言った。


 野球において女房役、恋女房とは、バッテリーを夫婦に例えた場合の、亭主役であるピッチャーに対して、キャッチャーを表す言葉であるのは言うまでもない。

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思い込んだら成りきる美千子、さすが女のド根性 朝倉亜空 @detteiu_com

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