12 手紙
「何か病気にかかってるんじゃないかな」
夜、いつもなら全員が眠っている時間だが、ポルックスの部屋には彼とネル、ルードの三人が集まっていた。
今日荒野で見た、ロッヒの変化について三人は話していた。最初ネルがポルックスの絵を見にやってきて、そこへルードが洗濯ものを持ってきて、いつの間にか話をする場が出来上がっていた。ちなみにアレクはとっくに寝てしまっていて、たまにいびきが聞こえてくる。この部屋の隣なのだ。
「目の病気かな? ロッヒが穴を探せなくなったら、一大事だな」
そう話すポルックスは、水の入ったコップを持って椅子に座っている。彼の前には下書きがされたキャンバス。ルードとネルは椅子が無いので木箱を代わりにしている。
ポルックスの話を聞いて、ネルはロッヒと初めてまともに会った時を思い出そうとしたが、ロッヒのかすれ声の印象ばかりが強くて、よく思い出す事が出来なかった。
「皮膚病かもしれないよ。伯父様が前、酷い皮膚病になって、まぶたまで広がったの」
「だったら薬を運ばないといけないな。パウエルに頼むか」
ルードは思案顔でひげを撫でている。ポルックスはコップを置くと、筆を持って絵に色をつけ始めた。
「……なんだか嫌な感じがするね。気持ちの悪い感覚がする」
ポルックスがつぶやく。
「私も同じだ。嫌な予感がする」 ルードも同意する。
「こうざわざわした気持ちだと、絵でも描いてないと落ち着かないな」
二人が言うのと似た感覚を、ネルもまた抱いていた。
穴埋め人ではないネルであっても気づくほどの変化。全員が気づいていた。今、荒野に漂っているのは、乾燥した砂の亡霊ではない。不穏な何かがゆっくりとうごめいているような感覚があった。
時も流れる事をためらうような、無言。黙りこくる一同に、隣の部屋からひときわ大きないびきが聞こえてきた。
真剣に考えているところを邪魔されて、怒るというより呆れたルードが、
「全くあいつは、家の事も手伝わずにさっさと寝て……」
と、まるで母親のような事を言った。
「ルードってお母様みたいね! あ、ごめんなさい。お父様の方がいいかしら」
「別にどうでも構わないが……本当に子どものいる奴より、私は親らしいのか」
「あれっ、……それって?」
「娘だったかな。あいつには子どもがいるぞ」
当然のようにルードが言うので、ネルは思わず視線を泳がせる。
「アレクが、父親なんだ……」
「ネル。人は、見た目じゃないぞ」
「だってアレクって、とても若いから……。それに、私にひどい事ばかり言うもの。聞いてるでしょう? 父親っていうものは、もっと落ち着いて、威厳のある話し方をするものよ」
「口が悪いのは性分であって、別にこれとは関係ないと思うぞ」
「あとアレクは実際若いからね、いくつだったか忘れちゃったけど」
ポルックスまでが援護し始めたので、ネルは仕方なくその件については置いておく事にした。その代わり、頭にあの宝箱の事が思い浮かんだ。
「それなら、手紙はもしかして家族なのかな……」
そう呟いてから、ネルは硬直した。
果てしなく長く思われる時間が流れた。
やがて静かに、ルードが言った。
「見たのか、アレクの宝箱を」
どうしたらいいかわからなかった。ただ小さく頷くしかなかった。
たまたま鍵が開いていたとはいえ、蓋を開けたのはネル自身だ。叱られると思い、下を向いて黙っていた。
が、黙り込んだのはネルだけでない。ルードもまた何かを考え込むように唇を引き結んでいる。
沈黙を破ったのは、その間も筆を動かし続けていたポルックスだった。
「喋りなよ。今喋らなかったら、本人に聞いちゃいそうだし」
絵筆を走らせながら何気ない調子を装って言う。それでもルードはまだ吹っ切れない様子で、けどな、と呟く。
「ネル、あれはね、アレクの奥さんと子どもからの手紙だよ」
「奥さん? 奥さんがいるの?」
ポルックスは片時も絵から目を離さない。ネルの元へ届くのは言葉だけだ。
「そりゃあ、子どもがいるんだから。結婚してるよ。家族は『時計塔の街』で暮らしているよ」
「アレクは……」
「暴力だ。あいつは暴力を使った」
ネルは驚いた。ルードが言葉を発したからだ。普段と変わりない丁寧な口調ではあるが、どうしてだがその言葉には、深い悲しみが含まれているようであった。
「あいつは小さな会社のリーダーだった。将来の有望な会社だったらしい。しかしある大組織が汚い手を使って、あいつから大きな仕事を奪った。それに気づいて、あいつが相手の組織長に直に会いに行った時、一方的に相手に暴力を振ってしまったらしい。相手は何とか命は助かったそうだが、何せ組織の規模が違った。様々な手を使って、アレクをここへ送り込む事に成功した結果が、今だ」
ルードは力なく頭を振った。馬鹿げている、と言いたげな様子だった。
「たったそれだけだ。何が罪だ、罰だ。どう考えてもおかしいんだ。こんなところにあいつを無理やり送り込む方が、よっぽど罪深い行いじゃないか」
ここまで感情を露わにするルードを見るのは初めてだった。彼はふと我に返って、落ち着こうとして深く息を吐いた。
「……いや、何を言ってももう仕方ない。ただ、残された家族はどうなる。あいつには家族がいたんだぞ」
「だから、手紙の事を皆、黙認してるんじゃないか」
ポルックスがこともなげに言った。
どうやらあの宝箱の中の手紙は、三人の間ではあくまで秘密の扱いであるようだ。
そしてネルは、きっとパウエルも絡んでいるだろうとすぐ考えた。
ここへの荷物を全て扱っているのはパウエルだ。この前パウエルが来た時に、穴埋め以外では何かと怠けているアレクが進んで作業に来ていたのも、それが原因なのではないか。あの老人は決まりに厳しいように見えて、意外と穴埋め人達には寛容らしい。
けれど単なる手紙のやり取りなのに、どうして皆は知らないふりをしているのだろう。中身まで目を通しているわけではないはずだ。
「皆、知らないふりをしているの? なんで?」
不思議に思ったネルの質問には、二人とも言いよどんだ。
「何て言えば良いんだろうね……。関わったところで、だからどうなるんだ、ってところもあるし……」
「確かにそうだな」
ルードはそう言って、ぽつりとこう呟いた。
「暗闇に残しておかなければいけない穴、というのもあるんだろうな」
隣の部屋から再び、気持ちの良さそうな寝言が聞こえた。
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