8 宝箱
ネルが初めて荒野に行った翌日。
目を覚まして部屋を出ると、やはり早起きのルードがテーブルに皿を並べていて、彼はネルに気づくなり言った。
「おはよう。今日は休みだよ」
「休みって……穴は?」
「無かった。青い旗が上がっていた。だから今日はここに全員いる」
「穴が出来ない日もあるんだね」
水の入ったコップを受け取りながらネルは呟く。何気なく言った事であるが、それが本来なら当然であるという事に後から気づいて、妙な気持ちになった。これが正しい事なのだ。この荒野で無ければ地面に穴など開いたりするものか。それとも、この場所以外に病気にかかった土地があるのだろうか。
「しばらくこんな日が続く事もある。連日大穴の開く事もある。まちまちだな」
ルードが言って、ネルは病気の事を尋ねようとしたが、ポルックスがちょうどやってきたので、訊くタイミングを逃してしまう。
「おはよう。アレクは寝坊?」
「今日は休みだぞ」
「やった! 何だか久々な気がするね。そうじゃない?」
「そうだな、最近、多いからな。それに今日は、パウエルが来るはずだ」
「ああ、じゃあ」 と言ってポルックスはネルの方を見た。
今日が、二日目。ネルを森から解放する馬車がやってくる日である。たった二日なのに、もうずっと前からここにいるような気がする。
何と言うべきなのか、ネルには言葉が見当たらなかった。
感じる事は色々だ。この不気味な場所を脱出して街へ行ける事への喜び。文句を言いつつ何かと世話を焼いてくれるルードやポルックス、アレク達と離れてしまう哀しさ。そして、もっとこの場所や、不思議な番人、ロッヒについて知りたいという好奇心。どれが正解なのか選べない。
うつむくばかりで何も言わないネルを、強制的に街へ帰される事にふてくされていると受け止めたらしい。ルードは言う。
「仕方がないんだ。お前のいるべき場所ではないんだから。好奇心で命を落とすような真似を子どもにさせたら、私達が救われないんだ。……車は午後に来るだろう。それまでは色々手伝ってくれ」
「僕も全面的に、ルードに賛成だな。まあ、とりあえず朝食食べて」
重くなった空気を見かねて、ポルックスがそんな事を言ったが、全員揃っていないので食事を始められない。
「……アレクはまだなのか?」
「休みの日ぐらい、寝かせておいてあげたら?」
「いや駄目だ。ぐうたら癖が付く。ネル、起こしてきてくれ。お前の部屋の向かいだ」
「うん」
考えてもどうにもならない。ネルはとにかく、帰る事は一度忘れておこうと思った。
廊下を通ってアレクの部屋に向かい、ノックする。返事が無い。
そっとドアを押して中へ入った。部屋の奥にベッドがあり、アレクはそこに寝っ転がっていた。軽いいびきを立てている。寝相が悪く、毛布と服がめくれて、腹が丸見えになっている。
ネルは起こそうと近寄って、しかしすぐには声をかけなかった。
気になるものを見つけたのだ。
それは低い棚の上に置かれた、箱である。
金属製で、蓋にはレリーフのようなものが刻まれている。ネルが昔読んだ物語の挿絵に、このような宝箱が描かれていたのを思い出した。生活に必要なものしかない部屋の中で、宝箱は異質な存在感を放っている。
宝箱の鍵は開いていた。今、蓋を開ければ、誰にも知られず中を見る事ができる。
ネルは、アレクがまだ寝ている事を確認してから、そうっと蓋を持ち上げてみた。
そして、蓋を押し上げたまま動けなくなった。
宝箱の中身は、ぎっしりと詰まった、手紙であった。
一番上の封筒を慎重に取ってみる。まだ新しい、茶色の封筒。差出人も何も書かれていない。宝箱の下の方ほど封筒は古びている。数えきれないほどの手紙の束が、この箱の宝であった。
突然、これは見てはいけなかったのだと直感した。掌の手紙がずしりと重く感じられた。音を立てないようなるべく急いで箱に戻し、元のように蓋を閉じる。
アレクが一度、うーんと呻いた。ネルは深く息を吐いてから、アレクの肩を揺すった。
「起きて、ルードが怒ってるよ!」
アレクはまた呻いてから目を開けた。そしてネルを見て、飛び起きた。
「お前、何勝手に入ってきてるんだよ!」
「えっ? だって、ノックしたけど返事が無かったから……」
「呼べばいいんだよ、部屋の外から。勝手に入るんじゃねえよ」
一昨日、ネルがポルックスの部屋に入った時、何も言われなかった事を思い出した。あの時と同じように入ってしまったが、アレクは部屋に入られるのが嫌なのだ。
「ごめんなさい」
「いや、俺が悪いな。寝起きはどうもいらいらするんだ。許してくれよ。で、今日は穴は?」
もう気にしていない、という様子でアレクが言って、ベッドから降りた。
「無かったよ。お休みだって、ルードが」
「やった! じゃあ、飯に行くか」
ネルはアレクより先に部屋を出ようとした。ドアに手をかけた時、後ろから物音がした。かちゃり、と、鍵をかけるような軽い音だった。
何にも気づいていないようなそぶりで、ネルはドアを開けた。
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