6 荒野の番人

 荷馬車はまだ走り続ける。

 荒野と一言に言っても、色々な場所があるようだ。小屋ほどもある大きな岩がごろごろしている岩場。乾ききった砂の広がるところは「砂漠」と呼ばれるのだと、ネルはポルックスに教えてもらった。共通しているのは、水と草がどこにも見当たらないという事であった。風がいつも吹いていて、生き物の気配がしない代わりに、風の音だけは強くなったり弱くなったりしながら、聞こえ続けている。


 そのうちに、前方の空に見えてきたのは、見張り台である。森にあるものとそっくりだ。それは巨大な岩の上にあった。平たいテーブルのような岩の上には、見張り台だけではなく、土ぼこりを被った木造の家もある。


「あそこが、ロッヒの家だよ。あの岩のところだけは穴が開いた事が無いんだ。ここらで安全なのはあの岩の場所ぐらいだね」


 やはりポルックスがそう教えてくれた。ネルにあれこれ話しかけてくるのはポルックスだけである。ルードは荒野に出てきていっそう寡黙であるし、アレクはこちらを振り返りもしない。二人がそうだからこそ、ポルックスはネルを不安にさせないために、気を配ってくれているのだと思った。


 大岩の前には、何台か他の荷馬車が停まっていた。

 その周りに、大人の男達がぽつりぽつりと立っている。皆、ルードやアレク達と似た簡素な布地の服装なので、他の場所に暮らす『穴埋め人』であるとわかる。がっしりとしていかめしい男達ばかりだ。

 当然、荷馬車を降りたネルに、穴埋め人達の視線は面白いように集まった。


「何で子どもがいるんだよ!」

「どこからさらってきたんだ! この罰当たりが!」

「うるせえよ、誰がさらってくるかこんなガキ!」


 冗談なのか本気でそう思っているのかはわからないが、男達は次々に話しかけて来て、それをアレクが全力で反論して追い払う。ネルはどうしたらいいのかさっぱりで、うろたえていたら、ルードが近くに引っ張り寄せてくれたので、その長身の影に隠れていた。そんなネルを見てポルックスがくすくす笑うので、一度睨むと、うわあ怖い、と余計笑われた。

 しかし穴埋め人達はあっさりしていて、しつこくネルに付きまとう者はいなかった。アレクとルードがひたすらに睨みを利かせていたためかもしれない。とりあえずネルは胸をなでおろした。

 と同時に、自分が酷く恐ろしくなった。あの人達は犯罪者なのだから、何をされるかわからない、という恐怖を、無意識に感じていた事に気づいたのである。

 それは今頼りにしている三人の穴埋め人達であっても同じ事なのに。


「どうした?」


 ルードが何か察したようで、話しかけてきたが、何でもないと言ってネルはごまかした。

 穴埋め人達はそれぞれ座っていたり雑談したりしていたが、急に話をやめてある方向を向いた。


 岩場を削って造られた階段を下りてくる人の姿。

 自分の存在をひた隠しにするような、大きな帽子と、マントに似た古びた服。

 ネルには見覚えがあった。あの時はよく見る事が出来なかったけれど、今ならわかる。その男の顔は、深い皺こそあるものの老人とは思えず、歳が限定出来ない。焦点が合っていないように見える目は細められ、帽子の下からこちらへと向けられる。


 その灰色の目がネルを捉えた時、かすかに男は目を見開いたように思えた。


「会ったのって、あいつだろ」 こそこそとアレクが尋ねる。

「うん、間違いない」

「じゃあやっぱりな。あいつがロッヒだ」


 ロッヒの目はすぐにネルから離れた。ネルが存在しなかったようにどこかを見つめる目。そしてロッヒは、静かになった穴埋め人達の前に立って口を開いた。


「今日は南に二つだ。大小二つ。二手に分かれろ。オッブズとクラトが小さな方、残りはもう一方だ。行け」


 ネルが初めて聞いた時と同じ、岩に入った亀裂のように歪な声。ロッヒの指示は荒野に響き渡り、穴埋め人達はそれぞれ了解してグループごとに移動を始める。

 あっ、とネルは声を上げた。ロッヒが身を翻して去ろうとしたからである。

 何か話しかけたい。けれど向こうはこちらに無関心そのものであった。


「行こう、ネル。私達も働かないといけない」 ルードが言った。

「でも……」

「お前、変に何か言ったら、追い返されるかもしれないぜ。黙ってるって事はいても良いって事だろ」


 アレクの言う事は正しいように思われた。

 後でまた機会があるかもしれない。ネルはロッヒの姿を追うのをやめてルード達に従った。

 荷馬車で少し南に行った先で、ロッヒの言った通り、地面にぽっかり広がる穴が見つかった。一昨日見たものよりは一回り小さい。かといってその威圧感が劣る訳ではなく、口を開けて獲物を待つ大魚のような不気味さだ。周りを見渡すと、そこまで離れていない場所にもう一つ穴があるのが確認できた。そちらにも荷馬車が二台、向かっていた。

 十数人の男達の手によって、穴を埋めていく作業が始められる。


 穴の周辺で土を集め、運んで穴に流し込む。

 集める、運ぶ、埋める。

 それが基本であり、全てであった。


 穴埋め人達の働きは全て手馴れていた。大きな石を見つけては投げ込んだり、ある程度埋まってきたら、中へ降りて土の偏りを直したりもする。全員が真面目に働いているが、しかし没頭している訳でもない。ほとんど単純作業の繰り返しであるから、動いている間に個々の人間という感覚が薄らいでいって、ひとつの生き物を構成する部分としてつながっているような、不思議な意識にとらわれる。言葉は必要とされない。彼らは、手として、足として、穴を塞ごうと地道に働く生き物となる。

 巨人みたいだ、とネルは思う。荷馬車に座って、ただじっと穴埋め人達の作業を見ていると、巨人を思い出したのだ。巨人とは、ネルが昔読んだ物語の中に出てくる生き物で、人間と同じ姿かたちをしているが、人間よりずっと大きく力も強い。それが今、自然と思い起こされたのである。


 穴を埋めるために人が作り出す巨人の幻影。実際、穴は少しずつだが確実に埋まっていく。ただひたすらに土を運ぶ巨人の身体がネルには見えるようであった。

 いつの間にか日は昇って、見上げると首が痛くなるような高さである。日差しを遮るような木も障害物も無いため、日差しの雨を浴びて荒野はひたすら暑くなる。


 荒野に働く巨人は、ルードのかけた一声によって動きを止める。


「そろそろ休みにするか」

「よっしゃ!」


 がすん、とスコップを地面に突き立ててアレクが吠えた。

 ネルは自分から申し出て休憩の用意を手伝った。穴埋めを手伝えない分、出来る手伝いはしようと森を出た時から決めていたのだった。食料や飲み物を配ると、男達は辺りに転がる岩の上に座ったり、荷馬車に集まって木材と布で日よけを組み立てたり、思い思いに休み始める。休憩も手馴れていた。


「どうだ、退屈で錆びちまいそうだろ」

「そうでもないよ。アレクこそ汗だくで錆びるよ。これ使って」

「おう、ありがと」


 アレクに布切れを渡すと、暑い暑いと言いながらさっさと汗を拭った。アレクは男達の中では明らかに小柄であったが、率先して力仕事に取り組み、巨人の腕として申し分ない働きをしていた。

 ネルと三人の男達は日よけの下でパンとチーズの食事を分けた。働いていた男達は少し疲れているが、まだそう大した事はない様子である。


「毎日、こうやって穴を埋めてるんだね」

「慣れればそこまでしんどくないけどね。単純だし、物凄く急かされる訳でもないし」


 ポルックスが言った。彼はあまり重労働が得意でないらしく、土を運んだりと補助的な立場で働いていた。

 ネルはふと、皆は一体いつからここに、と訊きたくなったが、今ここで口にする話題ではないと感じ取って何も言わなかった。


「この間はびびったけどな! 馬鹿でかい穴開きやがって。しかも一日で三つだぜ。ふざけんじゃねえよ、穴のやつ」

「やめときなって。ここで悪口言うと穴がへそ曲げるよ」

「穴のへそ見てから言えよ、ポルックス」


 忌々しげにアレクが言う。そして、ルードが神妙な顔で呟く。


「どうもこの頃、穴がよくできる気がするな」

「そうなの?」

「ルードの勘だろ。まあ、俺も似た事は思うけどな」


 ネルが振り返るとそこには埋めかけの穴が見える。地面が突然抜け落ちてしまったような穴。気まぐれに出現して我がもの顔で荒野に居座る穴。


 すると、その近くに、こちらへ歩いてくる人影を見つけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る