黒幕

 数人の森人エルフ達と一緒に遅めの朝食を取った俺達は、世界樹へと戻る前に大蜘蛛の亡骸がある集落へ向かっていた。あれをけしかけた黒幕に繋がる何かが見つかるかもしれないからだ。その道すがら、念のためにルウシアに不審な者はいなかったかを訊く。


「申し訳ありません。そういった者についての情報は聞いておりませんわ」

「いや、いい。念のために訊いておこうと思っただけだ」


 そんなやり取りを交えながらも目的地に着くが、肝心の大蜘蛛の死体はどこにも無かった。二階建ての住居と同等の体躯を誇るあれの死体を持ち出そうとするにはここにいる数人では魔法が使えるとは云え不可能に近い。その上持ち出すことについてのメリットも無い。となると、霧のように消えたと考えるのが妥当だろう。


 顎に手を当てて考え込む俺に声がかかる。大蜘蛛に襲われそうになっていた親子からの呼び掛けだった。


「魔王様、先ほどは本当にありがとうございました。娘がどうしてもお礼がしたいと申しておりまして」


 父親は穏やかな顔で隣にいる娘を見る。当の本人は少し緊張しながらも俺に礼を言ってきた。


「魔王様、助けて頂きありがとうございました。あの時すぐにお礼を申し上げられなかったこと、申し訳ありませんでした」


 彼女は頭を下げてそう言い切るも、その肩は微かに震えていた。その肩を軽く掴み、彼女を諭す。


「君が謝る必要はない。俺が同じ境遇だったら動揺してすぐには礼を言えないはずだからな。だから顔を上げてくれ」


 俺の言葉を受けて上げた顔は安堵半分、緊張半分と言ったところだった。そこで俺は大蜘蛛についての話を切り出すことにした。


「ところで、先程切った蜘蛛の死体が無いようだが、二人は何か知ってるか?」


 俺の問いに父親が「それでしたら」と付け加えて話す。


「ついさっきのことですが、黒く変色したかと思いきやグズグズと溶けて跡形もなく消えてしまったのです。残ったのはこの宝石のような物だけです」


 彼が差し出した掌の上には、王冠に付いているものと同じ、菱形の紅晶ルビーがあった。それが指し示す事実は一つ。


 大蜘蛛は運命の女神が俺に向けて差し向けた刺客だということだった。


 後ろにいるレリフに見つからないように、俺は彼の掌からそれを受けとると直ちに力強く握りしめた。


 ――――――――


 世界樹に戻った俺達は、事の次第をアルテーに報告した。大蜘蛛を討伐したこと、今日襲われた集落には怪我人もいなかったこと、最初の襲撃があった集落にも赴き、レリフのお陰で全員の治療が行えたこと。


 最後に、俺が使える魔法は自身を対象にした物だけだということも包み隠さず言った。すると、アルテーの顔は驚きから疑問に変わる。


「何故、陛下は自身の弱点を打ち明けるのでしょうか?これからのことを考えたら隠しておいた方がよろしいのでは?」

「今回は隠していたせいでルウシアに誤解させてしまったしな。それに、報酬の『魔法の上手な唱え方』を教わるには言っておかないと困るだろ?」


 その言葉を聞いたアルテーは口許を手で隠し、くすくすと笑う。纏っている雰囲気からか、その上品さを窺わせる仕草は様になっていた。


「最初は何の冗談かと思っておりましたが本当に魔法の唱え方を報酬にされるとは、陛下も面白いお方ですわ」


 そこまで言うと彼女の表情は楽しげなものから申し訳なさそうなそれに変わる。


「ですが、陛下のお話を聞く限りでは私たちに出来ることは無さそうです……。ご期待に沿えず申し訳ありません」

「いいんだ。もう報酬なら貰った」


 過去との決別と、理想とする未来の提示。この二つだけでも大きな収穫だ。これ以上何か貰うのはこちらの気が引ける位だった。だが、そんな俺の考えをよそに話はあらぬ方向に逸れていく。


「お主な、それではアルテーの顔が立たんじゃろ。何か貰ってゆけ」


 レリフのその言葉に、アルテーが何かを思い出したのか、ある提案をしてきた。


「そうですわ!レリフ様が戴冠なされた際に交わした約束を今果たしましょう。ルウシア、いいですね?」

「はい、お母様。陛下とならば私からも異議はありません」


 そう答えるルウシアの顔は軽く紅潮しており、何やらそわそわしている様子だった。事態をいまいち飲み込めない俺はレリフに問う。


「なぁレリフ。交わした約束ってなんだ?」


 彼女が戴冠したときにはルウシアはまだ生まれていない。それなのに今の雰囲気から察するにその約束にはルウシアも関わっているのだろう。

 だが、当のレリフ本人もその内容を忘れているようだった。


「待てアルテー。我はそなたと約束を交わした覚えはないのじゃが……」

「覚えていらっしゃらないのですか?あのとき確かに、『我の後継が男子おのこじゃったらルウシアを嫁として頂こう』と仰られてたではないですか」

「いや、我はそんなこと……もしや酒の席での話か?あれはそれこそ冗談というものであってな…」


 そういうことかよ―――


「レリフ、冗談でもそう言うことは軽々しく口にするのは止せ。ましてや本人が生まれる前から人生を決めるなんてもっての他だ。罰として――」


 初めて魔王としての命令権を使うときが来た。……なんとも締まらない理由ではあるが。


『今後一切の飲酒を禁ずる』


 その言葉を聞いた途端、レリフは泣きながら懇願してきた。


「後生じゃぁあああ!それだけは!それだけはぁぁぁあああ!!」


 泣きわめくお子様…もといレリフをよそに、ルウシアに向けて自分の意思で決めてくれと告げる。

 彼女からの回答は、満面の笑みを湛えながらの一言だけだった。


「不束ものですが、どうかよろしくお願いいたしますわ」


何はともあれ、森人エルフ達が住む都への訪問はこうして幕を閉じた。

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