第13話
「ハァ~。これから何しよっかな…」
三日月に頼まれて家を出たはいいが、ここといって向かうところの当てもない。目的もなくとぼとぼと昼の街を歩くのも自販機で缶コーヒーを購入し、ベンチに腰掛けた。
コーヒーを一口飲んで前に向き直ると、その光景は初めて見たもののように思えた。
街中で忙しそうにすたすたと動いているの中で自分だけが世界から切り離されたような妙な感覚だった。
彼も数週間前までは完全に向こう側の人間だった。そこから三日月のおかげで抜け出すことができた。それについてはとても感謝をしているが、今のようにふとした瞬間に向こう側に疎外感や寂しさを感じた。
彼はちらっと腕時計に目をやった。思ったよりも時間は過ぎていなかった。向こう側の人間と違って彼の時間はゆっくりと過ぎていく。
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缶コーヒーの中身がなくなってきたころで彼は見覚えのある人物に気が付いた。
「あのー、先輩、俺ですよ。覚えてますか?」
彼は後ろからかつての会社の先輩を発見し、その肩を叩いて声を掛けた。
先輩は振り向くとすぐにかつての後輩のことを分かったようだった。
「あれ?後輩君だよね?あれからいきなり会社辞めて行ったからびっくりしたよ。」
振り返った先輩は彼が会社勤めをしていたころとは印象が全く違っていて、目の下の大きなクマを付けて、よれよれの服を着て限界まで働いていた先輩ではなく、きちっと女性用のスーツを着こなし、化粧もしっかりとしているような凄腕のキャリアウーマンといった感じだった。
「後輩君は会社辞めて今何をやっているの?てかこんな時間にこの場所でその格好って、ちゃんと働いているの?」
先輩は彼の私服を指さして言った。
先輩がそう思うのは必然であった。こんな昼間に部屋着の延長のような格好で外を歩いている姿から誰でもそのように連想するだろう。
「今はその…働いてなくてですね。つまりは無職ですね。ははは…」
彼は乾いた笑みを浮かべて答えた。
「それはいいとして、先輩はどうしたんですか?そんなにきちっとした格好して、僕と一緒に働いていた時はそんな恰好はしなかったのに。」
彼は自分が現在無職であることを言及されるのを避けるために話題をそらした。
「私ね、あの会社辞めたの。あなたが会社を辞めて冷静になったわ。なんで私あんなところに勤めてるんだろうってね。別に働かなくても生きていくことはできるのに。」
「え?そうなんですか?」
「今のは忘れて頂戴。それで私はもう一度就職活動をやり直そうかと思ってね。だからきちっとした格好をしてるのよ。」
「そうなんですね。」
「それでなんだけどね、今日はもうやることも終わったしさ、私の家に来ない?私も君に会えて嬉しいしさ。」
「俺は良いですよ。先輩の家ってどこの辺なんですか?」
「ここから結構近いよ。歩いて数分程度ね。」
「俺も暇なんでお邪魔しますね。」
先輩に連れられて彼は先輩の家へと向かった。
「ここが私の家よ。入って頂戴。」
先輩の家は意外なことに彼が以前住んでいたアパートの隣のアパートだった。
「お邪魔しますね。」
先輩の部屋は片付いているというよりもがらんとしていて女性の部屋というイメージから少しかけ離れたものだった。
「その辺に座って待っててね。なんか持ってくるからね。」
言われた通りに地べたに座って待っていると、先輩がせんべいと紅茶を持ってきた。
「なんかごめんね。こっちが誘っておいてろくなものも出さなくて。」
「いえいえ、大丈夫ですよ。俺は紅茶もせんべいも好きですよ。」
「それならよかった。」
出された紅茶を一口飲んでみる。社交辞令を言ったものの彼はコーヒー党であり、あまり紅茶の苦みは好みではなかった。
「ところで先輩、今は何してるんですか?先輩もあんな時間にあんな場所でいたってことは会社を辞めたんですか?」
「ん?私は今ね~、就職活動してるんだよ~。仕事をやめちゃったからね。最近はなかなかいい仕事がなくてさぁ…数日間で就活してもせいかなs……」
彼は突然軽いめまいを感じた。そしてそれから先輩が話していることが頭の中をぐるぐるし始め、そのころにはめまいが激しくなり普通に座っていることすらできなくなった。
「後輩君どうしたの?急に倒れこんじゃってさ…」
先輩が彼を心配して彼を抱き寄せたが、彼のめまいはどんどん強くなっていくばかりだった。
強くなっていくめまいの中で彼はとうとう自分の意識さえも保っていることが難しくなりついに彼は意識を失った。
彼が意識を失う直前に見たものはゆがんでいく視界のなかで満足そうに笑う先輩の顔だった。
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