第3話
中学生になって、バスケをやめてバレー部に入った。
だけどまた、”大人”の言葉にぶつかった。
夏休み、部活に行くと顧問に呼ばれた。顧問が生活指導の先生をしていたことから「何かやらかしたかな?」と思いながらついていった。
プレイルームみたいな場所で話をしていると、ある疑いがかけられていることがわかった。
それはその日の前日、私が友達数人と公園で遊んでいた時に起こったことだった。
1人の女の子が転んでしまった現場に居合わせたのだ。
それを見ていた私たちは「大丈夫かな?」と心配していたが、女の子の家が近所だったことから、「大丈夫そうだね」と話し夕暮れの時間だったこともあり、私たちは解散した。
だけど、その時近くにいた男の子2人が、私たち中学生が女の子を押したと嘘をついた。
なぜそんな嘘をついたののかはいまだにわからないが、後々その男の子たちとすれ違ったときに「怒られたー?」と笑いながら言われたことで、はめられたことに気づいた。
タイミングも最悪だった。女の子の親が外に出てきた時に私たちが帰っていったから”逃げた”と思われ、学校に電話がかかってきたという。
当然ながら、何もしていない私たちはやっていないことと、その時の状況を事細かに説明した。
「わかった。信じる。だけど、そんなことする人はうちの部にはいらない」
”わかった”
”信じる”
”だけどいらない”
いや信じてないじゃん。
私は部活をやめた。
やめる必要はなかったと思う。
やっていないなら堂々としていればいい。
だけどそこまで言われて続ける理由もなかった。
バレーより、バスケが好きだった。
癖の強い同級生の中でやって行く自信がなかったからバスケ部には入らなかった。
同級生がって言っているけど、結局その中に飛び込む勇気がなかっただけ。
その中でレギュラーを取って試合に出る自信がなかっただけ。
変なプライドで逃げただけだって、今ならそう思う。
バレーも続けていれば変わっていたかもしれない。
バスケよりも、好きになっていたかもしれない。
わからないけど、ここから”人の目”をもっと気にするようになったのは間違いない。
やめてからは平凡な毎日だった。
高校も特に何をするでもなく、家にいる日々を過ごした。
1つだけ、平凡な毎日の中で”人の優しさ”に触れ、”人への優しさ”を見失っていた時があった。きっとたくさん友達を傷つけた。
高校生の時、日本ではまた大きな災害が起きた。
”東日本大震災”
地震だけではなく、津波にも襲われた東北各地。
連日ニュースで現地の状況が報道されていた。
忘れられない映像がある。
おじいさんとおばあさんの夫婦が津波に襲われる街に取り残され、家の屋根に避難していた。水かさは増えていく中、おじいさんがおばあさんをもっと上へと避難させていた。救助隊が来て、おばあさんが救助された直後、おじいさんが流されてしまった。
衝撃だった。
そのあとどうなったのかはわからない。
自然災害の前では人は無力。
命は簡単に失われてしまう。
”生きる”ということ、それがどれだけ簡単で難しいのか。
その時、日本中の人が思い知ったことだろう。
数年後、北海道でも地震が起き、停電が続く事態に見舞われ、場所によっては土砂が崩れて下敷きになってしまった人もいた。
電気が消え真っ暗の中、上を見上げれば満天の星空が広がっていた。
のんきだなって不謹慎かなって思ったけど、同時に”生きてるんだ”と感じることができた。
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