バイト帰りに魔女見習い拾いました

Mitchy

000 プロローグ ー聖なる夜ー

 「オフィーリア、今日は一日ありがとな。ほんと助かったよ」


 店長からそう声がかかったのは、ちょうど私が聖樹にまばゆく輝いていた無数の灯りを消した直後だった。


 静まり返った空っぽのレストランを見渡して世の中が変わったな、としみじみ感じる。二、三十年前の聖夜と言えば、町中、いや国中の店は全て閉まり、家族揃ってテーブルを囲み七面鳥を食べていた。今や普段のディナー価格の六倍はするクリスマス特別ディナーを食べにやって来る裕福層のために、休まず営業する店も少なくない。


 ……一緒に過ごす家族のいない私にとって、こんな日でも働かせてもらえるのは有り難いんだけど。


 「家族」という言葉を頭に浮かべると、いまだに心が疼く私は、一年前の出来事からまだ完全に立ち直れていないことを実感する。


 私の両親は去年、二人揃って突然この世を去った。弁護士だった二人はかつて扱った裁判で遺族側から恨みを買ったようで、仕事で裁判所から出てきた所を待ち伏せされ刺殺されたのだ。当時はエリート弁護士夫婦襲撃事件として連日メディアを騒がせていたが、それも数日間だけのことで、私の不幸は瞬く間にきれいさっぱり世間から忘れ去られた。


 今の私には老人ホームで暮らしている祖母だけが唯一の肉親だが、その祖母も病気を患っている。遠くない未来、私は本当に独りぼっちになってしまうのだろうと思うと自分の心が凍結するかのように張りつめる。


 「店長こそクリスマスにお店に出てきて良かったんですか?」

 「まだ一週間ちょっとだからな。嫁さんは今年は何にもクリスマスらしいこと出来ないから逆にこっちの方がいいんだってよ」


 店長には一週間ほど前に赤ちゃんが生まれたばかりだ。だから今年はクリスマスに店を開けないとばかり思っていたが、まだ産後の体の回復と、慣れない新生児の世話に忙しい奥さんにとって、今はクリスマスどころではないに違いない。店長の言葉に妙に納得してうんうんと頷く。


 「女の子でしたよね。名前決まったんですか」

 「ああ、キャサリン=ローズにしたよ。そういえば、オフィーリアの名前はやっぱりシェイクスピアの『ハムレット』から来てるのか?」


 私は「実は知らないんですよ」と言いながら、店長夫妻が考えに考えてつけた愛らしいキャサリン=ローズという名前に目尻が少しだけ下がる。


 私は自分の名前がどのようにつけられたのか知らない。由来を訊いたこともない気がする。両親がシェイクスピアの本を読んでいる姿は一度も見たことがないし、そんな話をしているのも聞いたことがないので、シェイクスピアファンではなさそうだけど、実は隠れファンだったのだろうか? 二人揃っていなくなってしまった今となっては知る由もない。


 一人で名前について思いを巡らせていると、店長が思い出したように目を大きく開いた。


 「名前と言えば。ついこの前、久々に町の美術館ふらっと入ってみたんだけど、なかなか楽しめたぞ。そこの『罪』っていう絵画を描いた画家がオフィリウスって名前だったんだよ。あの名前はオフィーリアって名前の男バージョンなのかな? 変わった名前だよなあ」


 絵画なんて全く興味がないせいか、町のみんなが知らずに通りすぎるような小さな美術館に興味を持ったことすらなかった。私に似た名前の画家の絵も、こんな小さな町の廃墟のように寂れた美術館にあるぐらいだから有名なはずがない。最悪、アマチュア画家の可能性だってある。そもそも名前がオフィリウスって……ギリシャ神話の神か。


 「その……オフィリウスの作品、素敵な絵だったんですか?」

 「いやあ……見る人が見れば芸術的に優れているのかなあ。俺には、子供がキャンバスにオレンジ色を塗りたくったような絵にしか見えなかったけど」


 ……やっぱりな。


 へへへ、と大きく肩を揺らしながら豪快に笑い、頭をポリポリ掻きながら「芸術はさっぱりだ」という店長につられて私も笑った。私も同感だ。芸術なんてさっぱりわからない。


 「ふぅ……今年ももう終わりか」


 何歳になっても年の瀬はしみじみそう感じる。今年はどんな一年だったか、世間ではどんなニュースが起こり、どんな流行りが生まれたか。年が開けるだけで、新たな歴史の一ページが開くような気が毎年するのは私だけだろうか。勿論、歴史はいつも明るいとは限らないけれど。


 「オフィーリア、大学はどうするつもりだ?」

 「夏で辞めることにしました。もう退学届けは取り寄せたし、あとは手続きだけです。夏までの授業料は返金してもらえないそうなので、一応夏までは形だけ在学していることになるそうです。行ってないから、在学だろうが休学だろうが幽霊生徒だろうが退学だろうがあまり違いはありません。もう手続き以外であそこへ行くことはありませんから……」


 私の家族は先祖代々、弁護士や検事、裁判官として活躍してきた司法一家で、自分もその道を志すのだと小さい頃から自然に思い込んでいた。だから大学進学を考えた時に何の迷いも躊躇いもなく、ただ自然に法学部を選び司法の道を志した。家のリビングに飾ってあった正義の天秤は、まさに私の一家を、血統を、生き方を象徴していると思っていたのだ。


 けど両親を亡くした今、私は自分の生きる道を完全に見失っていた。


 「それで、その後どうする? 何か考えてるのか?」

 「いいえ。ゆっくり自分の生き方を考えようかな、と……」


 私は言葉を濁した。両親を亡くしてから司法の道を完全に諦めた私は何もかもがどうでもよくなっていた。学歴もキャリアもどうでもいい。生きていくお金さえあれば何だっていい。私はどうせ独りぼっちなんだから。


 「そうか……。この店でよければ、ずっといてくれよ。オフィーリアなら大歓迎だ」


 店長はいい人だ。大学に入学直後から働く私をいつも気にかけてくれ、まるで家族のように大切にしてくれる。私は少しだけ口角をあげてお礼を言った後、温かい言葉に少ししんみりした自分の気持ちを紛らわせようと窓の外に目を遣った。


 「あ、雨……」

 「天気予報通りだな。ホワイトクリスマスどころか大荒れクリスマスだ。オフィーリアも早めに帰った方が良さそうだな」


 外はいつの間にか雨が降り始めていた。朝の予報では夜から雷雨の嵐模様だった。これは本降りになるなる前に家に帰った方が良さそうだ。私は黒の腰巻きエプロンをとると、その上からジャケットを羽織り、頭にフードを被せた。店の出口へと進むと後ろから慌てた店長の声が「そうだ、忘れるところだった」と私を呼び止めた。


 「これ、残りもんだけど持って帰って食べなよ。どうせ一人だろ?少しぐらいクリスマスらしい物食べてよ」


 差し出された白いビニール袋には、中身を覗かなくてもいくつかタッパーが入っているのがわかった。七面鳥のローストにグレービーソース、野菜のローストにスタッフィングやハム、ソーセージ、クリスマスプディングも入っているだろうか。まだ温かいせいかタッパーが湯気で曇り、水滴になっているのが袋の外からでも見える。


 「有り難うございます、店長。……けど、これ一人暮らしには多すぎますよ」

 「余れば明日も温めて食べたらいい。明日ぐらいは自炊せず、ゆっくりしなよ。せっかくのクリスマスなんだし。ウチも今年はこれがクリスマスディナーさ。レトルト食品よりはマシなはずだ」

 「店長……本当に、有り難うございます。素敵なクリスマスを」


 私はまだほんのり温かさが伝わってくるビニール袋を受け取り店を出た。その頃には雨は既に本降りになっていて、雷遠が遠くに響いていた。

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