第213話~乙女の涙~

*****



 ど、どうしよう……。私は勢い余って空の部屋をノックしたは良いけど、まさか部屋に上げられるとは思ってなかった。


 空の部屋に訪れたことを後悔し、電気が消えていることを確認した私はそれを逃げる口実にして去るつもりだったのに……。でも、断れなかった私も、同罪か。


 でも本当にどうしよう? ……足が空の部屋に向かったように、私も心に思った事をそのまま告げれば良いの? ……でも、怖い。


 空はどんな顔をするだろう? あからさまな嫌な顔はしないと、思う。でも……もし、嫌われたら? 今の関係が壊れたら?


 そう考えるだけで、言葉が上手く出ない。……あれ、怖い? そうだ、今1番怖いのは空のはずだ。明日にはS級迷宮に潜ろうとしている再発現者。


 が、頑張れ私……! 空が頑張ってS級を攻略する予定なのに、この程度で私が怖がってちゃダメっ!



「……そ、空はさ。その……怖くないの?」


「S級迷宮攻略が?」



 言いたいことはまだ固まってない。勢いで口を開いたからだろうか、さっきまでの思考と似たような質問から始めてしまった。



「ん……。だって、空は元々F級。体は強くなっても……心は、変わらない」


「あー、そう言う……」



 そう、私だってA級に発現した時も引きこもった。空もS級に再発現しなければ、S級迷宮に行くこともなかっただろう。


 なんで貴方は、S級迷宮に行こうと思えたの? 怖くないの……? 私だったら、怖いよ……。

 


「そりゃ怖いよ。一香さんも亡くなったんだし」


「え……?」


「でも俺と仲の良い人が、知り合いが、肉親が……大切な人が死ぬかもしれない。俺にとってはそっちの方が怖いんだ」



 空が手のひらを見せてくる。微かに震えていた。その手をギュッと握りしめ、無理やり震えを止める。



「……」


「元々F級の時から死は覚悟してたからね。自分と迷宮の強さがS級に変わった所で、その気持ちは変わらないよ。……それにね、俺はもっともっと強くなりたい。……強くならなきゃいけない。だからS級迷宮如きでつまづいてなんていられないんだ」



 もう十分強いよ、空は。多分、もっと強くなりたいと言うのはS級上位の迷宮……エルフの里で起こったことが原因かな。きっと空は、またあそこに戻りたいんだと思う。


 私は言葉が通じなかったけど、サリオンさんはすごく強かった。日本のS級で対抗できそうなのは、平塚さんぐらいかな? ううん、贔屓目で見たら今の空でも、もしかしたら……。


 そんな彼でも、空を逃がすために死んだ。空がサリオンさんを囮にしてゲート前に来た時の顔は、今でも忘れられない。あの時の目を腫らした絶望の顔が……頭にこびりついて離れない。


 それでも空は行くんだ。二度とあんな思いをしないために、強くなるために……皆を守るために。



「……空」


「何?」


「えっと……好き」



 私の言葉で静寂が訪れる。…………あれ? 私今何言った? 好きって言った気がする。え、待って、違う! 合ってるけど違うっ! い、今言うことじゃなかった!?



「ぁ、ち、が……」



 慌てて否定しようと声を出す。チラリと空の顔を見た。驚いている……口が半開きになって、呼吸も止まってそう。



「その、えっと……あの」


「あ~、氷花さん。ごめん、さっき何言ったのか聞いてなかったよ。何て言ったの?」



 間違えた。主にタイミングとかを。否定しようとすればするほど焦って言葉が出ない。明らかにその様子がハッキリと分かったからだろうか?


 空は先程の発言を無かったことにするような言葉を出してきた。多分、私が変に言い間違えて慌ててると思い、助け舟を出したつもりなんだと思う。


 だからここでもう一度、先程の間違った言葉じゃなく、ちゃんと本来伝えるはずだった言葉を引き出そうとしていた。


 その言動で私は確信する。あぁ、ここで動かないと私は二度と空に思いを伝えられない。何より腹が立つ。コミュ障の自分にも、思わずとは言え私の告白を無かったことにしようとする空にも……だから。



「えっと、ごめん、空。ちゃんと、言い直すから」


「あ、うん。だよね」


「スゥ~……! 私は、空が好き、です」



 ハッキリと言ってやった。直前に私が言い直す宣言していたこともあって、驚きようは先程の比じゃなさそう。



「え?」


「好き」


「ちょ──」


「好き」


「待っ──」


「好き」


「ストォォォップッッッ!!!」


「大好きっ。ねぇ、何回、言わせるの?」


「それこっちのセリフだよっ!?」



 息を荒くした空が私の言葉を無理やりに遮る。……まぁ、私も空の言葉を遮って告げてたし、おあいこよね?


 私はそのまま顔を空に近づける。困惑した表情を見せる空に構わず、私はその勢いで口付けをした。する瞬間に目は瞑っていた。


 空の嫌がる感情が目から分かっちゃったら嫌だもん。1秒程度かな? そのくらい短めの口付け。ここまでしたんだもん。今更私の思いは異性としてじゃなく友達としての好きだなんて、絶対にさせないから……。




「へ、返事はいらない。……ごめん、なさい。明日、大事な日なのに……その、変なこと、しちゃって」



 頬を紅色に染め上げた空が問いかけてくる。私は肯定し、返事は貰わないようにした。



「いや、返事は待たせない。……氷花さん、俺は君と付き合うことはできない。他に好きな人がいるんだ。……ごめん」



 空はそう言って、私の瞳をじっと見つめながら答えを出した。その答えを聞いた瞬間、握った拳に爪が食い込む。



「っ…………そう」



 あ、やばい。思った以上に心にくる。ポッカリ胸に穴が空いたような感覚。泣くな私……まだ泣いちゃダメ。



「帰る、ね……」


「……夜も遅いし送ってくよ」


「良い……今は、1人にさせて」



 私が顔を見ずに断る。思わず空が差し伸べた手を弾いてしまった。一瞬遅れて罪悪感が生まれ顔を上げると、そこには空が泣きそうな顔で私を見ていた。



「なに、その顔……?」


「え? 変、かな? ……ごめん」



 私が指摘すると、空は頬をつねって必死に無理やり笑顔を作ろうとしていた。すごい、不器用……。


 でも、少しだけ胸が軽くなった気がする。私の気持ちに答えなくて、モヤモヤしてくれてるんだから……。



「空の好きな人って……やっぱり、琴香?」


「うん……」


「そっ。なら、両思い、だね。……さようなら」



 私は空に背を向けて部屋の扉に向かう。まだ、泣いちゃダメ。部屋を出て、できれば自分の部屋に戻るまでは……。



「氷花さん!」


「っ……なぁに?」


「その……俺たちの関係って、これで絶縁とかしないよね? 俺は嫌だよ、そんなことになるの」



 空が喉まで出かかった言葉をついに放つ。あぁ、空が泣きそうだった理由はこれか。……知り合いを失うかもしれない恐怖があったんだ。


 私のこと、好意的には思ってくれてたんだ。振られたのに、嬉しい。でも、そんなこと言われたら諦められないじゃん。ズルいよ、空……。



「うん。明日になったら……また、元通り。友達で、同門。訓練をしたり、楽しく話したり……普段と、一緒。……空、私に、人を好きになる気持ちを、恋を教えてくれて……ありがとう」


「こ、こっちも……俺を好きになって、告白もしてくれて……すっげぇ嬉しかったから!」


「ん……じゃ」



 私は最後に頭を下げて空の部屋から退出する。ガチャン、と扉の閉まる音が聞こえると、先程までよく響いた空の言葉や心臓の鼓動が途端に静かになった。


 そのままおぼつかない足取りで自室へ歩みを進める。あぁ、悲しいなぁ……まだ、泣いちゃ……ダメ、なのに……!



「ふっ、くっ……あぁ……」



 廊下のマットにポタポタと染みを作ったことが、廊下の薄暗い明かりでもハッキリと分かった。目線を下に落とす。自然と膝から崩れ落ちた。


 ボーッとしてた。数秒かな? 数分かな? もしくはそれ以上かも……分からない。拭っても拭っても涙は止まらない。嗚咽おえつだけは何とか漏らさないようにしてるけど、それも限界……。



「……そんな、簡単になんて、無理だよぉ……」



 明日から元通り。空にはそう言ったけど、涙がこぼれ落ちる度に、そう告げた時の勇気も流れていく。



「だって……好きなんだもんっ。振られても、それでもやっぱり、好きなんだもん……」



 ズキズキと胸が痛む。それでも空への思いを吐き出している時だけは、その痛みが忘れられた。



「……ん?」



 ふと、目元に布切れが……ハンカチかな? が当てられる。丁寧に涙を後を拭いてくれた。もしかして空、なのかな? ……私がこうなると予測して、念の為に見に来た、とか……?



「あ、りがと……でも、もう大丈夫」



 恥ずかしくて、顔は見れなかった。さっきは気丈に振舞ったのに、自分が情けない。私はゆっくりと立ち上がる。壁に手を付けながらだけど、ちゃんと足は使えた。



「部屋、戻っていいから……ありがとう、空」



 私はお礼を告げてまた歩き出した。うん、ちゃんと帰れるくらいには回復したかも。……明日は、ちゃんと顔合わせられるかな……?



*****



「うおぉぉおぉぉおぉぇぇっっ……!」



 俺は氷花さんが部屋を出た直後、洗面台に向かった。それはもう酷い顔だ。俺が振った氷花さんに指摘されるのも当然だろうって顔色をしている。


 それを見た瞬間に吐き気が出てきて、自室のトイレでそれはもう盛大に吐いた。今日、皆で食べた豪華な食事も全て吐き出した。


 胃液まみれの細かくなって溶けた残骸がトイレの水とゲロの海に渦巻いている。洗面台で口元を洗い、タオルで口を拭った。


 吐いた理由は明確だ。氷花さんの告白を断ったからに他ならない。だって……俺を、俺なんかを好きになってくれた人の好意を踏みにじったのだから。彼女の心を傷つけてしまったのだから。


 人を好きになれることは素晴らしいことだ。人から好きだと思われるのも素晴らしいことだ。俺はそれを3年ほど否定していたから良く分かる。


 誰かからの好意は人を問わず大事にしたい。なのに俺はその中でも最大級に大きな思いを自ら拒絶した。半端ないストレスが掛かり、胃にダメージを与えている。



「……氷花さん、1人で大丈夫かなぁ? おえぇぇえぇっ」



 彼女のことが心配になったが、口にした途端に口内から酸っぱい唾が出てきて再び吐き出し始めた。



「……明日、ちゃんと顔合わせられるかな?」



 俺は小さく呟いた。

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