第135話~父さんの背中~
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始まった……5年前に起こった迷宮崩壊だ。この時はB級迷宮の迷宮崩壊だったな。当然だが、眠っていた間の事を俺は知らない。だからここから目覚めるまでの出来事は、俺も初見となる。
まず、この迷宮崩壊によって発生した衝撃波で僕、水葉、母さんは意識を失い、父さんが1人で車から脱出した。
俺はその先の過去を思い出しながら、ストレスによる急激な腹部の痛みを感じ取る。腹部、無いけど……。
父さんが車から、一番近くにいた母さんを引っ張り出す。多数の擦り傷、それと腹部から血も出ていた。
慌てる父さんだったが、服を脱ぎ抑えて止血する。次に後部座席にいた事でより傷の浅い空たち2人を運び出した。
特に水葉は空がとっさに覆いかぶさるように抱きしめたせいか、気絶だけで済んでいた。そういれば俺も当時は数箇所打撲とかしていたな。
車はボコボコに凹んでおり、その衝撃が凄まじいものであることを物語っている。
「良かった……。まだ全員生きてる。何が起こったのかは知らないが、一刻も早く3人を連れて病院に──」
父さんの言葉がそこで止まる。
「なんで、ここに……モンスターがいるんだっ!?」
父さんが悲痛な叫び声を上げる。そこに居たのは体長2mはあるだろうサソリのモンスターだった。父さんは意識のない母さんや空たち3人を手を広げて守ろうとする。
「くっ!」
ハサミの部分をカチカチと鳴らし、キシャーーッ! と変な叫び声を上げるサソリ型のモンスターが、父さんに向けてしっぽの針を弾丸のように放つ。
「はぁっ!」
父さんはとっさにジャンプしてそれをかわした。動きは点で素人だけど、本当にB級ぐらいはありそうだ。そのまま強烈なパンチをお見舞いする。
だが、サソリの厚く硬い甲殻が衝撃を抑える。しかし甲殻には大きなヒビが入った。父さんの顔が多少の余裕が生まれたような表情になる。だが……。
「ぐあっ! あぁぁぁっ!?!?」
父さんの腕をサソリのハサミが掴んだ。そのまま腕を押し潰し、断ち切るほどの力だ。父さんが蹴りやパンチを放ち、なんとかその驚異から逃れることに成功する。
「あ、ぐっ……ふっ」
それでも腕から血は流れ、骨はへし折れてもう使えない状態になっていた。高等級の回復系探索者がいたなら、少しの時間で治っただろうが……今の父さんには味方はいない。いるのは……守るべき対象だけだった。
「痛く……ない。見殺しにして、子供たちを失う痛みに比べたら、こんなもの……! ……来なさい、モンスター。自分よりも大切な宝物を守る、親の意地を見せてあげますよ!」
父さんなら、逃げられることは出来たはずだ。それでもそんな啖呵を切ってまで、空たちを守ろうとした。
……知ってる。父さんなら、そうすることぐらい……生まれてからずっと、見てきたから……。そして……。
「がっ……勝っ、た」
サソリ型のモンスターを倒した父さんだったが、父さんの負傷も大きかった。片手片足は潰れ、脇腹も小さく削れ、血が漏れ出ていた。
サソリの針を掠めた結果だ。毒も動くほどに体の中を駆け巡っただろう。父さんはフラフラと、思い足取りで空たちの方へと戻った。
「あな、た……」
するといつの間にか目覚めていた母さんが、目を薄く開けながら父さんのことを呼んだ。
「……済まない。俺は……生き残れそうにないや」
膝をつき、母さんの隣で笑いながら父さんは呟いた。地面に着いた腕が痙攣し始める。
「あなた、嘘でしょ? 孫を見る約束、したでしょ……? ダメよ、まだ逝っちゃ……!」
「悪い、な」
母さんが瞳から涙を流しながら、小刻みに首を横に振る。父さんはふっ、微笑して、空たちの方へ地面を這いながら向かう。もう、足に力が入らないのだろう。
「……空、水葉……」
手が届くまで近くに寄った父さんが、ゆっくりと手を伸ばし、空たち2人の名前を呼ぶ。
「生きててくれて、ありがとうな。ちゃんと仲良くするように。あと、これからはお前が家族を守れよ、空……」
水葉の頭を撫で、空の肩をしっかりと握りしめてお願いするように頼み込む。何も言わない眠る空たちの顔を見て頬を緩めた父さんは、母さんの元へと戻る。
「おまえも、こんな俺と一緒にいてくれて、ありがとう」
父さんが最後の力を振り絞り、母さんと手を繋ぐ。お互いの指を、指の隙間に入れる恋人繋ぎだった。
「ごめんな……先に、逝く……から……」
「……うん。待っててね……」
父さんは歯を見せて笑いながら、力尽きるまで……いや、力尽きても、その手は離さなかった。母さんは少しの間、父さんの亡骸を眺めていた。
とてつもない喪失感を味わっているのだろう。そして無気力ながらも、起き上がろうとして、コテっと倒れた。
「……あぁ、ごめんなさいあなた。……そっちに行くの、少し早くなりそうだわ……」
母さんは少し寂しげで残念そうに呟く。母さんの視線の先には、先程父さんが止血箇所から、再び血が溢れ出した。
それを確認した母さんは、何事も無かったかのように動き出す。空と水葉の傍へと向かう。
「空ちゃん……起きて、ねぇ……空ちゃんは、兄さんなんでしょ?」
いつもの優しいトーンで、母さんは空の意識を覚醒させようとした。そして微かな吐息を漏らし、空の意識が覚醒しようとする。
俺はその間ずっと、今まで知らなかった父さんの最期を見て泣いていた。肉体とか、そんな物が今の俺に存在しているかは分からない。それでも……心が、泣いていた……。
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