第136話~母さんの抱擁~

*****



「んっ……いっ、た……?」



 ゆっくりと意識が覚醒する。体のあちこちが痛い。床も硬いな……いや、これ地面だ。どこだ、ここ…? たしか僕たちは買い物の帰り道で…そうだ、衝撃が来て、意識を飛ばしたのか……。


 それにしても痛い。打撲かな? もしかしたら折れたりヒビが入ってる可能性もあるかも……。


 重たい体を起こす気になれず、辺りを見渡した。目の前には全壊した車に、倒れる父さんに……え? ……父さんが、倒れていた。その光景を見た瞬間、脳が激しく働き出す。



「いっつ……!」



 咄嗟に立ち上がろうとして、痛みでガクンと再び尻もちを着いた。それがきっかけとなり、隣に横たわる水葉を発見する。今の僕と同じように、地面におしりを付けて座った姿勢だ。



「み、水葉……!?」



 慌てながらも急いで手を伸ばし、心臓の鼓動を確かめる。トクン……トクン、と鼓動の音が手のひらに響いてくる。はぁ……良かった、生きてる……っ!



「空、ちゃん……」



 安堵すると同時に、今にも消えそうな母さんの声が耳に届く。声のした方向を見ると、母さんが横腹から血を流して倒れていた。



「あ、母、さん……父さんが、倒れて──」


「父さんはね……先に、逝ったの……」


「──え?」



 母さんが微笑しながらそう告げてくる。けれどその瞳は悲しみに染まっていた。僕はその言葉が理解出来ず、一瞬固まってしまう。



「いや、だって父さんは……父さんだよ? ほら、だってさっき、B級になったって……言ったじゃん」


「父さんは……私たちを、守るためにモンスターとね、戦ったの……最後まで、格好よかったわ。さすが、私が好きになって、結婚した人よっ……」



 母さんは父さんの、誇らしげになれる最期を見届けたのだろう。まるで自分が行った事のように誇らしげな表情を浮かべてそう言い切る。



「空ちゃん、父さんは……あなたにこう言ったわ。これからは、空ちゃんが家族を守るように……って」



 僕はすぐに父さんの亡骸の方へ振り返る。力尽きて倒れた姿の父さんだったが、近づいてみると満足気な表情を浮かべていた。


 視線が移り、元々居た僕たちの方へと伸びていた父さんの手を掴む。昔からよく繋いでいた、ゴツゴツと大きな手だ。しかし、いつも感じていた温もりが、今ではほとんど感じられず冷たくなっている。



「っ……」



 母さんの言葉は真実だと悟る。明らかに生きていない人の体温だ。それを手のひらで感じとる事で、僕は決意を固めることになった。



「ぁ……ゔん。分かった……こ、これから、父さんの分も、僕が頑張るから……! 水葉も、母さんも、僕が守るから……!」



 僕は声を震わせつつも、堂々と言い切る。少し泣きそうになっていたが、父さんから託された役目を果たすために、涙を見せるような真似はしなかった。


 最期まで僕たち家族を守り抜いた父さんからの役目を引き継いだ瞬間なんだ。その最初から、泣いてなんていられない。


 決意を胸に秘めて涙を目尻で抑える。でも、母さんは僕の言葉を聞いて寂しそうな表情を見せた。



「そっ、か……母さん、空ちゃんがちゃんと兄さんをやってくれるって言葉、すっごく嬉しいわ……。でも、ごめんね……母さんはそれを後ろから見ること、出来ないと思うの……」


「ぇ……ぁっ!?」



 僕は母さんが血を流していた事を思い出す。それと少し前の発言から、母さんの命を長くはないことを感じとった。



「ごめん、ねぇ……」


「待って……嘘、でしょ?」



 つい、ほんの少し前の父さんとの誓いが、早速崩れ掛けていた。母さんの表情が、どんどんと青白くなっていくのが分かる。それに比例して、我慢していた涙がついに一雫、溢れ出した。



「水葉ちゃんが起きたら、空ちゃんが代わりに謝っておいて。先に逝って、ごめんなさい。大好きだよ……って、伝えておいて……」


「い、嫌だ。……自分の口から、伝えてくれよ……!」


「空ちゃん……母さんからの、最期のお願い」


「ぁ……くっ……ゔん」



 まるで幼子を諭すような優しい声音で、母さんはお願いしてきた。僕は何かを反論しようとしたが声が出ず、素直に肯定することしか出来なかった。



「ふふっ……空ちゃん。こっちに、おいで……?」



 母さんは僕の返答を聞き、普段から見せる笑顔で僕を呼び寄せる。僕は何も言わず、体の痛みに耐えて傍にまで寄り添った。



「……あぁ、空、ちゃん……」



 ゆっくりと伸びた手が、僕の頬へと向かう。名前を呼びながら、優しく撫でられた。



「私の、最初の子供……。お腹を痛めて産んだ……大事な、大事な宝物……」



 母さんが僕の方へ、両手を伸ばして体の体重を預けるように抱きしめてきた。いつもは避けていた抱擁に、僕は自分から向かっていく。



「まだ、こんなに小さいのに……先に逝っちゃって、ごめんね……。もう、こんな風に抱きしめることも、出来ないのね~……」



 いつもの激しい抱擁ではなく、触れるか触れないかのギリギリのハグ。母さんの方に力がもう残っていないのだろう。


 その分はこちらから、強く激しく抱き締め返した。暖かな温もりを、最期の親の愛情と温もりを、一生覚えておけるように、体全身で感じ取ろうと懸命に……。



「こんな母さんの元に、生まれてきてくれて……ありがとう。ずっと……ずっと……大好き、だよ……愛、して……る……」



 その言葉を最期に、母さんは一言も話さなくなった。少しして、母さんの体重が少し重くなる。



「母、さん……?」



 名前を呼んでも少しも動かない母さんを、僕は再び抱き返した。



「あれ? ねぇ、母さん? 起きて……母さんっ? なん、で……? ほら、いつもみたいに、抱きしめてよ」



 視界がボヤけ、頬を冷たい何かが流れ落ちるのも気にせず、僕は母さんの亡骸を小さく揺さぶりお願いする。



「母さん? ごめん、今度は、今度からは絶対に避けないから。嫌がらないからさ……抱きしめてよっ……母さんっ……!」



 僕がそう言っても、母さんは何も言わなかった。体に力が入らない。唇が震えだす。歯もカチカチと鳴り出し、両手も痙攣しだした。



「いや、だ……嫌だ……やだ、いやだっ、いやだっ!」



 口に手を当てて、不規則な呼吸を感じ取る。首が無意識に横に振り始めた。



「ぁ、っ……あ……あぁ、あぁっ」



 手が母さんから離れ、自分の頭へと向かっていく。そのまま押え付けるように頭を抱えた。



「あああぁぁぁっっっ!!!!! うわぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!!」



 僕の叫び声が辺りに響き渡る。しかし……いつもなら僕が少しでも変ならすぐに駆けつけてけれた、心配そうに名前を呼んでくれた、必要なら頭を撫でてくれた、抱きしめて温もりを感じさせた……そんな母さんは、ピクリとも動かなかった。

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