終章
第34話 ――僕はいやだ
――あれから。
何事かをしていると時間経過をあまり感じないものらしい。いつの間にか夏は過ぎ、いぶきと再会した季節に、僕は“再会”した。暑さは変わらず、もう残暑なんて言葉は遠からず実質的な意味を無くしてゆくのだろう。
もちろんクーラーの恩恵を受けることに躊躇しない僕であるし、忙しいとはいっても基本的には在宅で行えるものばかり。今もネットを伝わってやって来る原稿に目を通していた。
クリックでめくることができる、重さのない原稿から風を感じてしまうのは、窓の外の
確認している原稿は「続編」関係である事は言うまでも無いだろう。
ただそうなると、単純に原稿描くだけじゃ収まらない。単行本作業という仕事が増える。
そもそも僕にそんな気は無かったわけだけど、いぶきはそれも計画の内だったらしくて、単行本に合わせて著者コメントなんてものが用意してあると聞かされた。それなら僕に先に見せてくれても良いのに、小谷さんが頑なにそれを拒んだ。そうするように、いぶきが仕組んでいたらしい。
つまりはコメントに何か仕掛けが施されているのだろう。
だけど、どっちにしても“著者校”ってものがあるわけで、僕は完成前にそれを確認しなくちゃならない。
当たり前だけど、僕がやるしか無いわけだから。
で、そうなると僕もコメントをするしかないわけで。だから自分の適当なコメントにダメ出しを入れられて――当時の制作状況と僕の立場を明かすことを要求された――コメントについての校正を済ませた気になる。
著者校なんてものは、正しさを追求するものじゃなくて、何処で諦める事が出来るか? が大事な心得だと思うからな。
そうやって自分のコメントを確認した上で、満を持していぶきのコメントを確認。
まず目に付くのは署名。ペンネームじゃ無くて、普通に自分の名前か。そこはサイン……ああ、そういうことか。
次いで、内容にもザッと目を通す。
私は、今更宣言するまでもないですが素人です。ですが縁あって、や
すはら先生の背中を押すことが出来ました。色々、あるでしょうがこ
れで一区切り。だだ我々は容赦しない! 変わらず、背を押して、両
手を引いて、次回作に繋げて見せます。
いぶき
文字列は文字列だ。しかしその文字列を見た瞬間、僕はいぶきの表情を覗き見したような気持ちになってしまう。
赤ら顔なのだろうか。それとも、そっぽを向いているのか。一番馴染んだ僕に食ってかかかる――それだけは無いか。
なにしろ、まったく似合わないことをしてるからな。
まったく、いぶきらしくない。
だから僕は、いつもと同じように、いつもと同じ言葉を返そう。
「――僕はいやだ」
体重を、そして心を預けた背もたれが、ギィと泣く。
いぶきはコメントを作りながら、僕がどんな表情をするか想像したのだろうか?
それを伝えてくる、いぶきの声が聞こえてくることはもう……ない。
だからこそ僕は寂しさを知るのだろう。
――いつの間にか、机の上から零れていた右手を僕は握りしめる。
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