第22話 餃子の薬味、麻婆豆腐の辛さ

 「五輪堂」の餃子は普通に想像する餃子とはたれが違っている。つまり酢醤油では無い。おそらくは辛子味噌……のようなものを付けて食べる。餃子自体が小ぶりになっているから、一口餃子に近いのでは無いだろうか。

 そして母さんが改めてそれを注文した理由は、長い間居座っているから罪滅ぼしに、というわけではなさそうだ――何しろいきなり、

「これはね。私がなかなか驚いたことなんだけど」

 母さんがこう切り出したからだ。それも何故かいぶきに向かって。

「美味しさにですか?」

「そこは信頼してるから。そうじゃなくて、朋葉がこの辛子味噌で食べることをよ」

 テーブルにやって来た餃子に味噌を付けながら、母さんがそんな事を言いだした。そう言われて、僕には思い当たることがあるんだけど、当然いぶきにはわからない。首を捻っている。

 母さんは、そんないぶきの様子を見て説明を続けた。

「――餃子といえば酢醤油でしょ?」

「まぁ……そうですね」

「ということは、朋葉はそれを受け入れたら、冒険はしないのよ。正直、未だにこの店だけ朋葉がお味噌で食べてるのかが、よくわからない」

「そこまで!?」

 いぶきがドン引きレベルの反応をする。しかしこれは、当たり前に母さんの疑問の方が僕には受け入れやすい。何しろ僕だってよくわかってないのだから。

 最初は……何だったかな。とりあえず全メニュー制覇の過程で、この店の餃子を注文して、その時に辛子味噌で食べて、

「味噌で食べた方が旨い」

 という、結論に達したはずだ。

 つまり「五輪堂」が、ここまで家に近くなければ確かに僕は冒険しないままで……いや餃子をどう食べるかを「冒険」とか言ってしまう段階で、確かに僕は……ええと「保守的」で良いのかな?

「いぶきさんもさっき聞いたでしょ? 醤油ラーメンとかき揚げ丼。同じメニューばっかり。これは美味しい、となったら朋葉はずっとそれを食べ続けるの。確かにご飯作る身としてはありがたい部分もあるけどねぇ」

 母さんは苦笑を浮かべながら、餃子を頬張った。僕は何故かいたたまれない心境になって、ご相伴にあずかった。

「朋葉さん……本当に……ああ!」

 いきなり、いぶきが声を上げた。何なら、半分立ち上がりそうになっている。僕は驚いて、いぶきを見つめることしか出来なかったが、母さんはもっともらしく頷いていた。

「そうなのよ。『アンドレア』って多分そういう人だと思うのよ。朋葉がモデルなんだから、当たり前なんだろうけど」

「わかります。頑固で譲らなくて……それに真っ正面から行ってもダメなのよ! ええと、つまり……」

「さっきも話に出てたけど、ラザニアって各家庭で、結構アレンジするみたいなのよ。でも、アンドレアは決まったメニューばっかり食べてると思うのよね。でも、ええと……」

「ルッコラ」

 母さんの話の行き着く先を、半ば予想しながらフォローする。いや、フォローされたのはこの場合、どっちなんだろう?

「そう、そのルッコラと食事になるわけでしょ? そこでアンドレアは、ルッコラのアレンジというか家庭の味に興味を覚えて――」

「いや、それじゃダメだ」

 僕はすぐさま、それにダメ出しする。

「ちょっと! 朋葉さん!」

 すぐさま、いぶきが声を上げるがここで簡単に折れるようでは「アンドレア」ではない。僕はいぶきを落ち着かせると、母さんに確認した。

「母さん。多分だけど、そのアレンジって、ハーブ使ったりとか、そういう感じ?」

「ええと……うん確かそんな感じ。それこそ電話で調べなさいよ」

 電話で調べる――いや、まぁ、その言い方はどうでも良いか。

「そういうものだと仮定しよう。で、ルッコラがその辺りの蘊蓄を並べる。全然脱線しているように思えるけど、その時初めて『アンドレア』の視界が広がるんだ」

「視界?」

 いぶきがオウム返しに尋ねてくるが、それに構わず僕は説明を続ける。

「その時まで。アンドレアの目に映ってたのは、叔父と遠くにいるファビオだった。でも、ルッコラを通じて、自分の足下を見る切っ掛けになった。多分だけど、そのアレンジの仕方が……そのちょっと節約の知恵的な部分があるんだよ。でもそれが旨い。そこにアンドレアは感激……までは行かないな。でも、そういう一般の人の生活水準を知る」

「おお~……って、何かひどくありません? アンドレア」

 いぶきの敬語の割合が増えている。どうやら仕事モードに入ったらしい。

「ひどいんだよ。アンドレアは。そんな認識でも何とかなるような環境だったんだから。貴族だし。でも、ルッコラとケンカすることで、やっとイタリアという国について考える事が出来るようになった」

「何か極端なような……」

「ネームでやっちゃあダメだよ、そりゃ。そういう変化になるという方向性、というか選択肢が増えたんだよ。でも、アンドレアはアンドレアだから……」

「否定するんですね。選択肢を否定しないという前提を確定しておいて、自分のやるべき事や、出来る事を見定めて、現実的な方法を探る、と」

 何故、いぶきに“先回られる”のか。

 そこに何か理不尽さを感じるけど、概ねそんな感じだ。

 そしてこういった認識のズレは将軍も持っていたに違いない。あの将軍、なんというか……結局負けないから、その辺のズレが周りから指摘されることがなかったんだと思う。

 そこに、否定ばっかりのアンドレアが現れて――そうか、結局対峙することになるのか。

 農村では男手が取られっぱなしな事も問題になるわけだから、肉親の情、では動かないアンドレアも理解するに違いない。つまり、これ以上の戦いは疲弊させるだけだとアンドレアが理解すれば――

 いぶきが何だか凄い形相で僕を見ている。

 そうだろうとも。一刻も早く、ネームを切りたいよな。

「今日はもうダメよ。いぶきさんは旅の疲れもあるんだし。許可できません」

 そんな僕たちを母さんは見透かしていた。

 いぶきが、今度は訴えるような眼差しで母さんを見つめるが、これはもう無理だろうな。母さんに、道理もあるわけだし。となれば――

「実はいぶき。ここの店のプリンがまた絶品でな」

「プリン! え? でもラーメン屋……」

「ここの店長なら出来る。その情報が、ネットには転がっていたはずだけど」

 そう。ここの店長の前歴はフレンチシェフ。それを、いぶきも思い出したようだ。

「そんなわけで、まだ入るなら……」

「入る!」

「……持ち帰りで買っていって、プリンを食べて今日は寝よう。そしてお互いに眠りながら、ネームについてもう少し考えよう。今思い浮かべているプランは、雑である事も間違いないんだし」

「この方向で、良いのよね?」

「採用するかどうかは――」

「二人ともちゃんと寝なさい」

 また始まりそうになったところで、コップを傾けながら母さんから再び声が上がった。

 うん。

 これに逆らうと、マズいことになりそうだ。

 僕は自分の部屋でこっそりやろうかと考えていたが――やはり見送った方が良いんだろうな。

 いぶきも同意見のようで、今度は熱心に首を縦に振っている。

 そこでようやく僕たちは腰を上げて、プリンを持ち帰りように注文して「五輪堂」から撤退した。

 大体一時間ほどだったから、それほど迷惑な客にはならなかったはずだ。入れ違いで、十名以上の団体とすれ違うことにもなったし、タイミングも絶妙。

 絶妙というなら――この日の「五輪堂」で起きた出来事は全て「絶妙」なんだろうな。



 

 そんな感じで「観光」はどこへやら。僕といぶきは外に出ないで――近くのスーパーに買い物は行ったけど――ネームを切りまくった。何なら、最終的には除夜の鐘が聞こえる時分まで。

 その甲斐あってネームは大きく進行し、それと同時に僕は安原家が大きく変わったことも感じ取ることが出来た。何しろ久しぶりに、母さんの麻婆豆腐を食べることが出たのだから。


 ……いぶきは何だか微妙な表情だったけど。

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