第20話 偏屈の極み

 五輪堂の店内は広い。

 ……もしかしたら、他のラーメン店が狭すぎる疑いは確かにあるが。「幸運丸」とかはトータルで考えれば普通ぐらいの広さはあるかも知れないが、まず形が個性的だし。

 その点「五輪堂」は、ほぼほぼ長方形で、右手側に調理場とカウンター席。左手側にテーブル席が三つ。その上、スペースに余裕がある。すれ違うのも余裕だ。

 店内は木目調の拵えで統一されていて、間接照明――なのだろう――も雰囲気たっぷり。ラーメンのみならず「外食する」というちょっと豪華な気分にもなれる。

 テーブル席はもとより、カウンターのテーブルも一枚板でもしかしてとんでもなく豪華なのでは? と気付いたのは十回以上、この店に訪れた後だった。

 この店の店長が元はフランス料理出身だと知って、それも関係してるのだろうと「はっ!」となったのは一年以上経過してからだ。それほどにここのラーメンは繊細なのだ。じっくり味わうために、知らぬ間に全神経を集中させてしまうというべきか。

「お、おお……」

 いぶきが何か叫び声を上げそうになったところで、尻すぼみに声量を抑えていった。何処かで理性を回復させたのか、今までのラーメン店との違いに圧倒されたのか。

「らっしゃい!」

 お、今日は店長がいる日か。黒のTシャツに多少厳つく見える職人風。別に調べたわけではないけど、店長は今、二号店と交互に行ってるんじゃ無いのかな? 僕は軽く会釈して、普段は選ばないテーブル席に向かった。奥にいぶきを案内して――一応、客だし――その隣に荷物をまとめる。容積の半分ぐらいがいぶきのダッフルコートだし。

 僕と母さんは、その向かいに並んで座った。僕たちはそもそも、手荷物が少ない、というか僕は手ぶらだ。

「あ、久しぶりにミネストローネいただこうかしら」

 横の母さんが、そんな声を上げる。どれを頼もうか迷うのも醍醐味だね。僕はこの店ではその楽しみ方は……新作にめぐりあったときだな。

「ここ、塩ラーメンがお薦めなんですよね。熟玉で……」

 さすがに、いぶきも下調べをしているらしい。母さんの「ミネストローネ」という発言にも戸惑ったところが見られない。その結果、塩ラーメンを選んだわけか。

「朋葉さん、お薦めは?」

「餃子で良いんじゃないか? 旨い」

 他に説明はいらないだろう。だが、いぶきは僕に何か不審感を覚えたらしい。訝しそうに眉根を寄せて、こう尋ねてきた。

「……今日のローテではどのラーメンなんですか? 朋葉さんは?」

 果たしてそれが倒置法まで使って尋ねることなんだろうか? それにしても、よく「幸運丸」で僕が使ったローテーションなんて言葉覚えてるな。

「何? ローテーションって?」

 そこに母さんが参入してきた。いぶきは何の躊躇いも見せずに「幸運丸」での僕の発言を披露した。

「へぇ、朋葉そんな事してるんだ。でも、このお店じゃあねぇ」

 母さんは、困ったように眉を下げながらいぶきの注文をまとめる。母さんも「五輪堂」は常連だしなぁ。こんな事になるだろうとは思っていたけど。

 いぶきの「ローテーション」発言があまりにイレギュラーすぎた。僕は手を上げて、店員さんを呼ぶ。そして母さんがまとめた二人の注文と併せて、

「醤油ラーメンとチャーシューかき揚げ丼ミニ」

 と、いつものメニューを注文する。

 ……「いつもの?」なんて尋ねてこない辺りも僕は気に入っている。






 僕は「五輪堂」全メニューを制覇している。コレは間違いない。実は「五輪堂」は新メニューの開発も頻繁に行ってくれ、本当に良心的な店なのだが……醤油ラーメンが群を抜けて旨すぎるんだよね。

 僕が「五輪堂」で注文するメニューは、必ず「醤油ラーメン」。月に三回ほど行くことになるけれど、席に着くやいなや注文する時も、少し思い立ってメニューを眺めた後にも、注文するのは「醤油ラーメン」になってしまう。

 そしてラーメンを食べるのに冒険の必要はあるのか? と何故か哲学的を言い訳を心の中で呟きながらスープをレンゲで啜り、澄んだスープが五臓六腑に染み渡るのを感じて、ホッと息をつく。

 ここまでが僕のルーティーン。

 チャーシューかき揚げ丼ミニは、ボリュームの問題。何だか、脂ぎっしゅ過ぎるなんて意見がネットに書かれていたが、まったくわかっていない。そういう需要を満たすためのメニューなのだから……恐らく。

 ちなみに「ミニ」なんて言われているが、まったく「ミニ」じゃない。

 それでいて、これで千円ちょっとというリーズナブルさも、ハッキリ言って凄いと思う。さらに五の付く日に配られるサービス券を使えば熟玉トッピングも可能だという無敵さ。

 このように、色んな理由が複合して僕は「五輪堂」ではローテーションは行わずに「醤油ラーメン」をひたすら注文しているというわけだ。






「……本当に、朋葉さんってアレよね」

「アレって何だ?」

 僕の説明を聞いたいぶきが、心底疲れたように塩ラーメンの麺を持ち上げていた。

「偏屈で、人の言うこと聞かないで、自分がこうと決めたら全然動こうとしないでしょ」

 そのままそっくり言葉を返させて貰おうか。

 僕はかき上げを箸で適当に砕きながら、その反論を飲み込んだ。どう考えても、泥仕合になるし「アレ」の響きが、今にも「アンドレア」とか言いそうな気配を感じたからだ。

 「アンドレア」の評価は大体そんな風になるだろうし、今ネームが滞っているのは、確実に「アンドレア」のせいだろう。

 だからといって、それで僕が折れるかというと、そんな事は無いんだけど。

「いぶきさん。朋葉のそういう部分は慎重というか、ちょっと臆病な部分があるからだとおもうのよ」

 レンゲでミネストローネラーメンのスープをすくい上げていた母さんが、僕のフォローに入ってくれた。

 ……フォローだよな。

 母さんは、そのまま言葉を継いだ。

「それはね本当に頼りになるのよ」

「はぁ」

 いぶきが熟玉を箸先で、弄びながら応じる。単純に掴めないだけかも知れないが。

「ただね。それが上手く行ったからって、そこから動くことが出来ないのは、直すべきだと思う」

 母さんが……何だ?

 思わず僕は“原因”を探して、いぶきの顔を見つめてしまった。だけどいぶきはすぐさま首を横に振った。何度も。慌てたように。

 何か母さんに話したのか? と思ったんだが、本人は否認の構えか。

 だが、母さんの雰囲気は確かに――

「だから朋葉。母さん、もう大丈夫だから。もう心配掛ける事は無いから」


 ――え?


 どこからどうなって、こんな話になったんだ?

 いや、確かに「五輪堂」での僕の注文の仕方が偏っているのは認めるけど。

 僕はこの時点で相当に焦っていた。とにかくわけがわからなすぎる。

 いつかこんな時が来るんじゃないかと、そう予感していなかったと言えば嘘になるけれど。それに第一、こんな風な母さんの言葉が聞けたならそれは喜ばしいことで――それが何故「五輪堂」で始まる?

 だが母さんがもたらした驚きは、これで終わりでは無かった。

 何せ続けて放たれた母さんは……


「いぶきさんと描いてるらしい漫画の調子はどうなの?」

 

 いぶきが漏らした……わけでは無いみたいだな。やっぱり。一生懸命に首振ってるし。

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