第14話 一蓮托生

 だんだん気温が下がって行く、というか急激に下がって行く感覚。

 日本からは秋が消失したに違いない。夏から冬へとダイレクトパスのホットラインはすでに構築済みだ。テーブルに並べられる豆腐料理も、少し前までは「冷や奴」だった気もする。

 そして現在いまは湯豆腐。

 何か理不尽さを感じてしまうな、今の日本の気候に。

「ゴメンね。用意してみたら、ちょっとボリュームが足りない感じで。そうだコロッケ、チンしようか?」

 母さんが、そんな事を確認してくるが……湯豆腐だろ。キュウリとタコとワカメの酢の物だろ。たぶんアジの刺身だろ。で、ご飯。

 言われてみれば、確かにボリュームは少ない気もする。だが作ってくれた物について量でも味でも文句を言うほどでも無いし、母さん必殺の冷凍牛肉コロッケがあるなら、その問題も解消されるに違いない。

「朋葉、ちょっと痩せてきてる?」

 続けてそんな事を尋ねられたが、僕にはいちいち体重計に乗るような習慣はない。この家に体重計があるかどうかすら定かではない。

「……痩せてるなら、痩せてるで良いんじゃないか? 太り気味だったし」

「そう言われれば、そうなんだけどね」

 ――実は痩せてしまった理由に心当たりがある。

 言わずもがな「続編」制作が、無事暗礁に乗り上げているからだ。というか、いぶきが暗礁を破壊しそうな勢いを保持したままなのが、最大の問題なんだけど。

 本当に折れないな、あの子は……いや折れないのは僕も同じか。

 だが、今喫緊の問題は母さんに漫画描いてることを――もっと限定すれば「海と風の王国」の続きを描いている事を悟らせてはいけないって事だ。漫画に携わっていることは、もう知られているわけだし。

 やはり、こういう時は逆にこっちから攻撃するべきだな。

 攻撃という言葉の選択はどうかと思うけど、実際問題、ちょっと母さんがおかしいような気がする。かと言って、ふさぎ込む感じでは無いんだけど。

(何かに困ってる? ……いや困らされてる?)

 なんて、随分勝手な妄想が突っ走りそうになるけど、とにかく母さんに尋ねてからだな。一石二鳥でもあることだし。

「母さんも、風邪でも引いてるんじゃ無いのか? いきなり寒くなったし」

「それは朋葉だって――」

「僕はほら。外に出ないから」

 何か墓穴を全力で掘っているような錯覚を覚えてしまうけど、ここで重ねて誤魔化すと、話がおかしくなる。別に引き籠もって漫画を描くぐらいは、おかしな話じゃないし。

「わたしも大丈夫よ。何? どこか変だった?」

「具体的な事は言えないけど。まぁ、勘かな?」

「勘で人を病人にしないでよ」

 そう言って、微笑む母さん。

 ……とりあえずは……大丈夫……かな?






『やっぱり納得行かない』

 ディスプレイの向こう側にいて、物理的には影響が無いはずのいぶきの相手をする方が、よほど大丈夫ではない。

 例の脚本家の師匠のように、何故ボツなのかいぶきに説明しなかったわけではない。というかすぐに気付いてくれると思ったんだけど。それに稲部さんと導き出した父さんが考えていたと思われるラスト。これにも賛成であるなら、ボツになる理由は明らかだと思う。

 問題は、父さんがもう居ない、という一点だ。それだけだが、それが全てでもある。

 順番に考えると、あの残されたネームから続きを考えてみたときに、実にわかりやすい問題の箇所が浮かび上がるだろう。

 どんな風にネームを転がしても、ファビオは将軍と対峙しなければならない。その時の台詞が、どうしたって「偽物」になってしまう。僕たちから出てくる台詞は「ファビオの真似」にしかならない。

 そこから逆算していくと、あの後のネームでファビオを動かすことの困難さにも気付く。いや、気付くべきだ。父さんが居ない状態でファビオを動かそうとするのは……なんというか“不遜”だ。

 アンドレアが僕の分身であるなら、ファビオもまた父さんの分身である事に変わりはないのだから。

 それを、いぶきが理解していないという事は無いだろう。

 彼女はただ単に、推測されたラストシーンにこだわっているだけなのかもしれない。

 もちろん――自分たちで導き出しておいてなんだが――稲部さんも僕も「皆が島に帰る」というラストは気に入っている。だがそれだけに、安易にそこを目指してはいけないと思う。


 ――父さんはもう居ないのだから。


 そんな状態で「皆が島に帰る」というラストシーンはどうやっても選べそうにない。

 もっと端的に言うと、僕はイヤなんだ。そんな幸せそうなラストシーンを描くことが。

 あまりにも――虚しい。

 いぶきに唆されて、こうして「続編」を制作することになってしまったが、譲れないモノは確かにある。

 ただ、これを明け透けにいぶきに伝えることも……イヤだった。

 この感覚的な理由を、どうやって伝えれば、いぶきが納得するかもよくわからない。

 結果として、いぶきには随分な説明不足になってしまったわけだけど――わかれよ!

 ……と、逆ギレして怒鳴るたくなる気持ちも確かにある。

 さすがに、それはやらないけど。

「話が元に戻るけど、そっちの方向に行ったら、どうにもおかしな具合になるぞ。納得行かないというか――せっかく描き始めたのに、そんな結果で終わるのはイヤだ」

『それはそれで、問題無いというか……あのラストに行き着くわけだし』

 どうも話が噛み合わない。

 このやり取りはいったい何度目なんだろう。

 もちろん、その間にも各キャラのリファイン――練習とも言う――に資料集め。それに二人のネームを繋げ合わせたりの作業は行っている。別に全ボツの必要は無いし。使える部分は使おう、というのは当たり前の手法だ。

 そうやって外堀は埋められていってる気もするのだが、さっぱり本丸にたどり着けない。

 このままじゃ話が先に進まないことは明白だ。こうなったら、今までは避けていた部分に踏み込むしかない。

「……いぶき」

『何ですか? いきなり改まって』

「僕は苦労を避けるつもりはないんだ。そりゃあ、父さんのネームで描く方が楽なんだろうけど」

 ディスプレイの向こうで、いぶきが訝しげに眉を潜めた。

 あれ?

 これは……痛いところを突かれた、という感じの反応じゃ無いな。いぶきのラストシーンへのこだわりには、そこまでの道筋が見えているから「海と風の王国」を安全に目指せるというになり……あれ?

 何か、考え違いをしてるのか僕は。

『楽? あのラストシーンを選んだ方が楽ですって!?』

 そして、いぶきも何か考え違いをしていたらしい。どういう考え違いをしていたのかはわからないが、少なくとも楽だからという理由で、元のネームにこだわっていてわけではないみたいだ。

『……それじゃ困るのよ。じゃあ、あのネームを使わないならどうなるの?』

 素直に受け止めると、いぶきは僕に苦労させたかった――ということになるんだが。

 やはり、いぶきは根本的に「危険人物」なのではないだろうか? 正確に言うなら「危険思想の持ち主」か、あるいは「異常嗜好の持ち主」とか。

 だがこれで話が先に進む……のだろうか? とりあえずはいぶきの質問に答えないと。

「まず、ファビオには退場して貰う事になる。その理由はわかると思うけど」

『…………』

 いぶきが、何とも表現しがたい笑みを浮かべているけど――もしかしたら引きつっているのか?

 もちろん、ここで引いたり、あるいはいぶきの反応を気遣っていては本末転倒だ。

「その前提が絶対だとすると、実はさっぱり先が見えてはいないんだ。これが苦労の大部分。ファビオを失ったアンドレアは、まず自分から動き出すことはない。その動機の創造に手こずることになりそうなんだけど……」

『けど?』

 実は、ここまでのやり取りで思いついたことがある。

 “思いついてしまった事”の方が正確かも知れないけど。

「いぶき、君も苦労をすべきだと思う」

『はい~?』

 語尾を急角度に持ち上げて、いぶきが応じる。

『そりゃ、苦労は覚悟の上だけど』

 そして続けて胸を張ると堂々と宣言した。

 だけど、僕がこれから言うことは予想外に違いない。何しろ思いついた僕自身が、まったくの予想外だからだ。

 即ち――


「――君の分身を『海と風の王国』に登場させるんだ。その分身にアンドレアを動かして貰う」

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