第13話 その先にレールはない

『このネームはボツ。誰が主役なのかわかりゃしない』

「あ、それは僕が言わなくちゃいけないのに」

『ボツ!? え、朋葉さんも? 稲部先生!! どういうことですか? 朋葉さんは褒めてくれましたよ!』

 ディスプレイの向こうで、いぶきが吠え猛っている。

 幸いなことに、部屋に差し込んでくる陽の光のおかげで、ろくに見えやしない。

 ……声だけで十分だという考え方もあるが。




 稲部さんに連絡を取ってみたところ“二つ返事”のレベルで快諾されてしまった。

 もっともモニター内で鼎談の形をとることを要求されてしまったわけだけど。話なら僕がいれば十分なはずなんだが、別にいぶきが居ても良いか、とその条件を受け入れることにした。

 いぶきがネタになるかどうか? という稲部さんの本音はわかりきっていたけど、この段階では僕もいぶきも仮初めとは言え“同業者”だ。ネタにされるのも覚悟……というか予定調和かも知れない。

 逆に同業者だからこそ、ネタは提供しない、という考え方もあるだろうが。

 もう一つは、至極真っ当な要求だった。

 稲部さんのスタジオが稼働する前にしか時間が取れない、とのことで、

『え? 午後? お昼の十二時半?』

「仕事始めるのが、二時か三時だから……まぁ、普通だな」

 漫画家にとっては常識的な時間だと思うが、世間一般の常識とは当然違ってくるだろう。

「それで僕はどうとでもなるが、君はどうだ?」

『だ、大丈夫。えっと……講義はサボれば良いわけだし』

 良い、ということはないだろうが大学の講義とはその程度の軽さだ。

 いぶきの都合がつかなければ、稲部さんの仕事が一段落つくまで待つ方法もあるにはあるが、それはいぶきが避けたいのだろう。

 となれば優先順位は自ずから明らかだ。

 その上で、僕の仕事分として話を聞く前に、一体何を聞きたいのか? をちゃんと稲部さんに伝えておく。インタビューでは当たり前の手順だし、サプライズを仕掛ける意味も理由も無いからな。

 それで稲部さんも父さんのネームを改めて確認したいとのことだったので、出来るようにしておく。で、そのついでに僕といぶきのネームまで見せることになったが――別に見せる必要は無いな。

 しかしそれはもう後の祭りだし、特に問題は無いだろう。多分。


 さて、父さんは「海と風の王国」にどんなラストを思い描いていたのか――?





 ……という有意義な話がいきなり始まるわけもなく。

 最初は探り合いになるよな、当然。

 それを見越して、稲部さんはネームを見せるように要求した――という可能性もあるかも知れないが、単純にいぶきのネームの力を確認したいという気持ちもあったのだろう。

 その結果、いきなり「ボツ」から始まった二人のやり取りになったわけだが、少なくとも打ち解けてはくれたようだ。

「実はそういう予定だった。確かに単体で見れば褒めるしかないんだけど、トータルで見ると、その伝令兵に何かあるのか? って読んでる人が深読みする。それほどこのネームには力がある。だけど、それが作品全体に有意義に働くかと言われると、それは否定するしかない」

 そのやり取りにとどめを刺すために、僕は意識して言葉を多めにした。

 漫画で考えると、ネームで溢れそうな吹き出しでいぶきを圧倒する感じ。

『それな~俺も先生によく言われた。つまりは全体的な演出の問題なんだよ。それが見えてないとなぁ~』

 僕が思うに、稲部さんはもっとその辺りを意識した方が良いと思う。

『……う、うう。それはわかったということにしておきます』

 そして、いぶきが納得してくれたようだ。

 ――いや、ここは本題じゃ無い。

「それで稲部さん。父さんの構想わかりますか?」

『それこそまず朋葉君だろ? 先生から話聞いてないのかい?』

「多分ですけど、父さんは意識的に伏せていた気もするんですよ。アンドレアがどう動くのか? ってところが僕の担当だったでしょ? となると未来を知ってたらおかしくないですか?」

『でも史実があるじゃ無いですか』

 いぶきが物怖じせずに、加わってくれた。

 それに有り難さを感じてしまうけど、これにも反論できる。

「世界史は選択してないんだ」

『でも資料が……』

「そんな意図があるのに、父さんが僕が調べることを歓迎すると思う? そりゃ、描く内に自然と覚えるし、ネットでも調べることが出来るよ。でも僕も父さんの意図はわかるから……」

 そこで、いぶきは黙り込んでしまう。

 連載中断になってから、ネットを彷徨っている内に知ってしまったけれど、ぶっちゃけて言えば、最初僕は半分は架空の物語だと思っていたくらいだ。実は割と史実に即しているのだけど。

『先生は確実に、それは意識してたと思うよ。朋葉君のリアクションを大事にしてたし。俺もそうだけど、勢いに任せて話進めることが多いから』

 そういう扱いだったのか。

 モニターの向こうで、いぶきが熱心に頷いている。少なくとも父さんの意図が有効に働きまくってるファンは一人確認出来た。

 では、その意図は最終的にどうするつもりだったのか。

『どうも先生はこの後、ファビオとアンドレアの交換、みたいな事を考えてたと思う』

 出し抜けに、稲部さんが求めていた“答え”を口にした。それは……

『それはどういうことですか?!』

 いぶきの反応速度が上回ったようだ。ありえないのに、何だか今にもモニターがガタガタ言い出しそうな勢いだ。

『ええと、いぶきさん? これから史実ではどうなるか知ってるのかな?』

 その勢いに圧されたのか、腰が引けた状態で稲部さんがいぶきに確認する。

『はい、それは。将軍は兵を引きますよね。で、政治家の叔父さんが死んじゃう』

 いぶきの理解が大ざっぱだけど、概ね正しい。

 将軍は、そこで自分の支配地域を差し出す形になって、それによって現在のイタリアに近い状態まで国が出来上がる。で、ほとんどその直後辺りに政治家は死んでしまう。暗殺とかではなく病没で。

 自分のやるべき事をなし終えた、といわんばかりに。

 それほどに、この辺りのイタリアの歴史はまるで図ったようにドラマチックで俄には信じられないぐらいだ。日本ではあまり知られてないけど、この辺り研究はされているのだろう。

 そして父さんは「海と風の王国」で、どういう答えを出そうとしていたのか? 

 問い掛け自体が変化してしまった気もするが、本質は変わらない。

 父さんは、このイタリア統一までの流れにどういう解釈を持ち込もうと考えていたのか――

『この辺り、将軍がイタリア統一のために兵を引いた、という話もあるし、逆に政治家の前で将軍はぞんざいに扱われた、みたいな話もある』

 僕は、その稲部さんの説明に頷いた。見ればいぶきも同じ反応だ。

『多分、先生はこの時の将軍の変化に違和感を覚えていたんじゃないかな? そこで将軍の勢いを象徴していたファビオをここで一端、動けなくする。そしてそれは……』

「そうか。友人が大怪我をして動けない。それでも将軍が戦いを止めない、となれば……」

 アンドレアは動く。

 担当の僕がそう考えるのだから、これは確実と考えても良いだろう。

 「動のファビオと静のアンドレア」という風に設計されていたキャラクターの行動が、ここで入れ替わるわけか。

 確かにこの展開なら。ラストのクライマックスとしては十分だろう。

『……この場合、先生は……将軍に……』

 言いにくそうに、いぶきが指摘するが、この推測が正しいとするなら自ずから答えは明らかだ。

「批判的だったんだろう。それが『海と風の王国』における将軍へのアプローチなんだろうな」

 それでいて、自分は将軍を慕い連戦に身を投じていたファビオを担当していたのだから、この辺は父さんのプロとしての技術だな。ファビオ担当を受け継ごうとしていたいぶきが衝撃を受けているのも……わからないでも無いな。うん。

『ああ、それでか。先生、島の背景を見開きで使うから、象徴的な遺跡を細かく描写してくれって……もしかしたらラストシーンだったのかも』

 突然に稲部さんが声を上げた。

「どういうことですか?」

 いぶきはまだ呆然としているのか、今度は僕が勝った。

『今までの推測が当たってるなら、最後二人は生まれ故郷の島に帰るんじゃないかな? と思ったんだよ。傷が何とか癒えたファビオとアンドレアが海と風の王国に帰ってくる――』

『良い! 良いですよ、それ! なるほど、そういうラストは良いですね!!』

 ファンから合格印が押されてしまった。

 だけど、これはなぁ……


『でも、この展開は使えないな。つまりボツ』


 ――また稲部さんに先に言わせてしまった。 

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