第5話 開戦

「続きを描いてください!」

 いぶきさんから、そんな風な理不尽な欲求が突きつけられた。

 “続き”とは考えるまでもなく「海と風の王国」の“続き”と言うことなのだろう。

 いきなり僕に色紙を差し出した時と、同じような表情になっている。

 けれど、あの時と今では状況が何もかも違う。

 まず、当たり前に漫画を描くのとサインを書くのは、作業量もやり方も、とにかく何もかもが違う。それに何より作者の父さんが死んでしまっているのだ。どう考えても無理なのに……

「小谷さん……」

 僕は救いを求めるように、小谷さんの名前を呼ぶ。

 それに対して、小谷さんは心得たと言わんばかりに、笑って頷いた。


「いぶき。そうじゃないだろ? 一緒に描いてください、だろ?」


 …………なんだって?

 小谷さんが紡ぎ出したのは、僕が思っていた台詞じゃ無かった。

 いや、むしろその逆。

 描く?

 それだけでも随分おかしいのに、いぶきさんも?

「改めて説明を――」

 そんな混乱のさなか、小谷さんが建設的な行動に移ろうとしていた。

 だが僕は……別に建設したくは無かった。

 どうか放っておいて欲しい。

 「海と風の王国」については、もう触れたくは無い。

 もちろん二次創作したいのなら、勝手にやってくれれば良い――僕は見ないけど。

 本物の担当編集が、そのバックについていても別に構いはしない。

 だけど、僕を巻き込むのは全然違うだろ?

「アンドレアは先生のキャラクターですよね」

 ところがそんな風に考えて逃げだそうとする僕に、いぶきさんが“まった”を掛けてきた。

 流石に担当編集が身内にいる人は事情通だ。

 実は「海と風の王国」は、そういった配置ポジションで描かれている。

 ファビオは父さんが描いて、アンドレアを描いていたのは僕。

 それは単純に“絵”としてのアンドレアを描いたわけでは無く、キャラ造形も含めて僕がアンドレアを創造していたという事でもある。

 父さんとしては「共著」みたいな形をとりたかったらしいけど商業誌に載る以上、父さんの名前だけで発表するべきだ、となったのも当然の流れだろう。

 何せ僕はその時、高校生だからね。

 ……今思い出しても、かなり無茶だと思う。

 さらにややこしくなったのは――単行本のおまけページって、あるよね?

 そこで、父さんが「協力者がいます」なんてことをしっかり書いてしまったわけだ。

 スルーしちゃう碧心社もどうかと思うけど。

 それで「海と風の王国」の読者の間で、ちょっと盛り上がったのも確か。

 なにしろ筆致が違うから、最初から「別の人がいる」なんてことは指摘されていたわけだし。

 何故そんな体制になったのかは、僕自身よくわかってない。

 ただ覚えている父さんの言葉があって、


「俺は貧乏だった。その点、朋葉は結構恵まれてると思う。この辺りが丁度良い」


 ……今考えてみても、息子に言うべき言葉なのかは議論が分かれるところだと思う。

 とにかく、そんな事情で僕は「海と風の王国」の制作に携わっていた。

 父さんは元々かなり仕事が早い。それにチーフアシの稲部さんと僕がいれば月刊誌掲載のペースは守れていたというわけだ。

 参考になるのかわからないけど父さんは、カケアミが好きで好きで。

 放っておいたら、一日中カケアミしていたぐらいだからね。

 あれはあれで、ストーリーの構想を練る時間だった気もする。

「先生!」

「先生は止めてくれ」

 父さんの言い分を思い出していたら、いぶきさんが、とんでもない“単語”を口に出した。僕はすぐに“まった”を掛ける。

 慌てたせいか、初対面に近いのに敬語を使うのを忘れてしまったけど。

 そもそも初対面の時って、いぶきさんキッパリと子供だったし、僕も十代だからな。

 昔の事を思い出したせいか、敬語を使わない方針に勝手に入れ替わってしまったようだ。

 そして、それはいぶきさんも同じだったようで――

「じゃあ、何て呼べばいいの?」

 いきなりなれなれしい。

 だが、それに対する答えは決まっている。

「好きなように呼んで下さい。どのみち、もう会うことは無いんですから」

 今度は意識して、丁寧に敬語を使った。

 いわゆる“慇懃無礼”になることを意識して。

「え?」

「ちょっと待ってくれ、朋葉くん。確かにいきなりだったことは認めるけど、この話はどうしたって“いきなり”になるだろう?」

 小谷さんの言い分はもっともらしく聞こえるけど、本質はそこじゃ無い。

 僕は、すぐに立てるようにアイスコーヒーを一気に吸い上げて、伝票を手元に寄せる。

「この話がどう転んでも、最終的には僕がいぶきさんに協力するか、しないか。そこに集約されるでしょう? そして僕の答えは決まっている。ただ一言――いやだ、と」

 僕は、これも一気に並べた。

 アイスコーヒーを一気に飲み干すように。

 小谷さんは何とか僕に反論しようとしているみたいだけど、そんな便利な言葉がすぐにひねり出せるわけが無い。

 何しろ僕は順番に行われるべき向こうの説得――多分、そんな言葉で表現される行動――に先回りをして、結論を突きつけたのだから。

 向こうとしては説得を積み重ねた上で、僕の言質を取るぐらいの算段があったのかも知れない。

 だが僕がいきなり結論から否定したので、とっかかりが無くなってしまったのだ。

 そして、このままズルズルと付き合っていては、元の木阿弥になることもわかりきっている。

 僕は伝票を持って、そのまま立ち上がった。

「今日の用事はそれだけですね。それでは失礼します」

 有無を言わせない。

 小谷さんも状況の不利を悟ったのか、再び両手を上げて見せた。

 ……どうやら諦めるつもりはないらしい。

 身内を大切にする以上の理由があるようにも思えたが……それは僕の知ったことではない。

 とにかく僕は引き受けない。


 そう結論は出ているのだから。


 いぶきさんにもそれは伝わったと思うのだが……何かおかしいな。

 何か怒っているとか、悲しんでいるとか、そんな表情なのだろうと思っていたが……

(笑ってる、よな?)

 ――その表情が、何とも不可解だ。

 それに今は見逃してやると言わんばかりに、ベイクドチーズケーキをフォークで切り崩す様子も何だか不気味だ。

 けれどここで方針転換するわけにも行かない。

 結局のところ、僕はさっさと会計を済ませて、その場を後にすることにした。

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