第3話 大阪駅へ
そこから、動きがあったのは一週間後のことだった。
曜日までは覚えてないけど、いわゆる“平日”だったことは間違いない。
この時“再会”した相手は、いったいどういう「立場」を持っている人なのか――自分自身の事は高い棚の上に載せておいて――訝しんだのは覚えている。
向かった場所は、いつものJR大阪駅の「
そして、待ち合わせして会おうとしている相手もいつもの人だ。
碧心社の
父が生きている頃からお世話になっていて、碧心社が在阪の出版社である事も手伝ってか、随分気遣ってくれる。
そんなわけで日頃何かとお世話になっている人だし、一言にまとめてしまえば小谷さんは“恩人”ということになるのだろう。
だからこそ、いつもと違うペースで会いたいと言われても、無下に断るわけにはいかなかった。
それに、小谷さんからの連絡を受けたのが母さんだったことも大きい。
最近になって、ようやく笑顔が見られるようになってきたのだ。
そんな母さんに、
「よろしく、お礼を伝えてね」
と言われれば、これはどうしようも無いわけである。
そんなわけで、まず僕はしっかりと髭をあたった。
何故かいつもと違って、こざっぱりとした恰好で来てくれ、というリクエストがあったからだ。
だから、よれよれのTシャツ一枚なんて事もせずに、一応ジャケットらしきものを引っ張り出すことにする。下はいつものチノパンだったけれど。
……最近太ってきた、と自覚した上で敢えてそれも無視する。
身だしなみにリクエストが発生した理由は、どこか高そうな店にでも連れて行ってくれるのか? とも思ったが、待ち合わせの時刻は午後二時だ。
ご飯が目的だとすると、ちょっと半端な時間。それに、
(……そもそも男二人で、そういう店に行ってもなぁ)
という疑問がついて回る。
そんなわけで、昼過ぎには阪急バスに乗り込んでいた。
実際、桃山台までは歩いて行ける――のだが、誤算があるとするなら、待ち合わせに指定された時間帯をまったく考えていなかったことだ。
午後二時待ち合わせだから、昼食済ませてから出れば丁度良いな、と思っていたけれど住んでいるマンションから桃山台まではしっかりと登り坂だ。気温が一番高くなる頃合いに、ジャケットを羽織った状態で登りたくは無い。
そんなわけで、すぐさま日和った僕はバスを利用することにしたわけだ。
実はバスを利用しても、かかる時間が徒歩とあまり変わらなかったりする。だから予定を変更しないで済むのも有り難い……と考えておこう。
時間に少し遅れてやって来たバスでは座ることが出来なかったので、つり革に半分ほど体重を預けながら、車窓を流れる夏の街並みを眺める。
確かに緑色に美しさを感じたが……それよりも、ガラス越しでもわかる日差しの強さにげんなりしてしまった。
それでもクーラーの効いた車内から、美しさだけを切り取って眺めているこの状態は、ある意味ではかなり贅沢だ。
そして桃山台駅前の渋滞に時間をとられて、やはり徒歩と大差ない時間で駅に到着。
もっとも贅沢な時間を過ごせたことで、身体にも
(バスで正解)
と、心の中で呟いておいて駅のホームに向かうべく、階段を下へと上へと。
あとは電車に乗るだけで、御堂筋線梅田駅着だ。
梅田からJR大阪駅へは……実のところ説明出来ない。
感覚で覚えているし、そもそも人間に可能だとも思えない――キタの経路を説明するなんて事は。
そんなわけで出来るだけ地上に出ないようにしてJRへと向かい「時空の広場」を目指した。
時刻を確認したいところだったが、それをグッと我慢する。
ひたすら「時空の広場」を目指して歩を進め、エスカレーターに身を任せる。
別に走ったり、エスカレーターの上を歩く必要は無いだろう……多分。
そして、目当ての……アレは何と言えば良いのかな?
時計塔――では大袈裟すぎるし、とにかくアナログ時計が掲げられた“何か”だ。
僕は、その姿形がどうしようも無く好き……なのだろう。
果たして「好き」という言葉が、適切なのかどうかもわからない。
ただ、僕がこの時計塔――そう呼ぶことにした――にどうしようも無く惹かれていて、こだわってしまう事は小谷さんも当然知っている。
だからこそ、小谷さんとの待ち合わせはいつも「時空の広場」だし、そういう待ち合わせ場所設定だと僕がキタに出て来てしまうのも見越されているというわけだ。
改めて時計塔の文字盤を確認。
大体、午後一時二〇分。
時刻を、この時計塔で確認するために我慢していた。
こうすると時計塔に鑑賞する以上の価値が発生するような気がして――そんな事を僕が考えるのもおこがましいんだけど――今回も無事成功。
待ち合わせ自体には、早く着きすぎた気もするが遅れるよりはずっとマシだ。
……そもそも僕は暇な身の上だし。
あとはベンチに腰掛けて、家の近所の古本屋で買ってきた本を開けば何も問題ない。
そう僕が考えた時に、後ろからこんな会話が聞こえてきた。
「……な? この時計塔の前に現れるだろ?」
「それは当たり前だと思うんだけど」
振り返るまでも無く、予言者めいた台詞を口にしていたのは小谷さんだろう。
声でわかるし滑舌にちょっと癖がある――悪い、というわけではないけれど。
しかし、もう一つ聞こえた声の主はわからない。聞いた覚えがない声だった。
小谷さんと親しいようだが……そんな事を考えながら振り返る。
僕の背後にいたのはライトグレーのポロシャツを着た小谷さん。
背も高く、細身。しっかりと手入れされた髭が薄く頬を覆っている。
……こういうのは無精髭とは言わないのだろうな。
そして、もう一人は――辛うじて記憶に引っかかっていた顔だった。
何しろ一週間前に、僕が「黒獅子」に連れていった女性なんだもの。
一体、どういう絡繰りでこの場にいるのか?
僕は思わずマジマジと彼女の顔を見つめてしまった。
そして、まったく見当もつかないまま時間だけが経過する。
時を刻む、時計塔の下で。
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