第108話

 結局サトコは、朝になるまで起きなかった。


 呑気に眠るサトコの寝顔に私の苛々は極限に達し、馬乗りになると「パシン」と彼女の頬を叩いた。


「い、痛たっっ」


 サトコが涙目で目を見開いた。


「アンタ寝過ぎ!朝になっちゃったじゃない!」


 起き抜け一番に私に怒鳴られ、サトコは目を白黒させた。まだ状況が理解出来ないみたい。


「え…?」


「もしケータの童貞喰われてたら、アンタ一生許さないから!」


 サトコは私の鬼の形相をどこか他人事のように眺めていたが、ゆっくりと何かを思い出したかのように瞳に光が宿っていった。


「そ、そうだ、ケータくん!」


「だから帰ってないって。何かあったら、アンタのせいだからね!」


 私はサトコに詰め寄ると、おつゆを撒き散らしながら彼女を責めた。そんな私の気迫に気圧されて、今が朝だと気付いたサトコの顔も蒼くなる。


「だ、大丈夫…のハズ。そんなコトになる前に、カリューが護ってくれる…ハズ」


 サトコが自分に言い聞かすように呟いた。


「こうなったからには、今更ジタバタしても仕方ありません。力を蓄えて、万全の体勢で乗り込みますよ!」


 ルーが階段から顔を覗かせて、「ニッ」と笑った。


「てことで、朝ご飯を食べましょう」


   ~~~


 ちょうど朝食を食べ終わった頃、ケータとベルさんが移動を開始したと、カリューからの連絡がサトコに入った。私たちは一目散に駆けつけた。


 そんな私たちの姿に気付いて、ベルさんが「クスクス」と笑う。その横に顔を伏せて直立するケータの姿もあった。


「あらら、アレだけ見せつけてやったのに…諦めが悪くて困っちゃうな」


「ベル…さん?」


 なんだかベルさんの雰囲気が昨日と違う。なんか変な感じ…


「このまま空間術士の勇者さんだけを穏便に連れ出したかったけど、仕方ないよね」


 言いながらベルさんの姿がグニャリと歪む。後に現れたのは、漆黒の髪を紅いリボンでツインテールに結んだ小学生くらいの女の子だった。肩の開いた黒と白のメイド服と黒ストッキングに身を包み、2メートルを超す大きな黒い鎌を携えていた。


「え…?」


 私は我が目を疑った。巨乳美人が突然幼女に変身したのだ。脳の理解が追いつかない。一体何が起こったの?


 ベルはポケットから紅い結晶を3個取り出すと、私たちの方に放り投げた。そのあと左手で何もない空間をスワイプすると、出現した端末の画面にベルが何やら操作した。


「ゆ、勇者…?」


 私は絶句した。間違いない、敵の勇者だ…


 ベルの投げた3個の紅い結晶の周りに光る魔法陣が描き出され、黒い影が集まりながら膨らんでいく。その影が弾けたとき、豚のような顔をした2メートルほどの緑色の巨体が姿を現した。


「新しい彼氏を紹介したげるから、ソイツらで我慢してよね」


 ベルが「アハハッ」と愉しそうに笑った。それから自分の背中をポンと叩くと、大きな黒い翼が「バサッ」と生えた。


「うわー、オークだー!」

「なんでこんな所に魔物がー!」


 街の人たちがオークの存在に気付き、パニックを起こし始める。


 領民の混乱のなか、ベルがケータを連れてスゥーと空中に浮かび上がった。


「待って、待ってよ!」


 ハッと我に返り、私は焦って声を張り上げた。


「待たないよーだ!」


 ベルはアカンベーをして、北に向けて飛び去った。


「嘘ウソ!ケータ!」


 空に向かって闇雲に叫ぶだけの私の腕を、サトコがグイッと掴んだ。


「カリュー、追って!」


「了解した」


 何処に潜んでいたのか、カリューが空に舞い上がりベルを追って飛び去った。


「ケータが、ケータが…」


「落ち着いて、ハルカ」


 私の腕を掴むサトコの手も、小刻みに震えている。それでも気丈に振る舞う彼女の態度に、私も「キュッ」と唇を噛みしめた。


「大丈夫、カリューが絶対見つけるから!」


 サトコの力強い眼差しに、私は「うん」と頷いた。

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