サイコロを振ったのは誰だ

園路雷夢

第1話

 明晰夢なのだろうか。意識は、はっきりしていながら夢の先を望む自分がいた。


 田舎の船着場に似合わない高級車から降り立つ私とあの人。私は車を駐車場へ停めねばならないと焦っている。満車、満車、満車、優しいおじさんが、あそこなら空車があると思うよと教えてくれるが、辿り着かない。

 その間に船は出航し、乗り遅れた私は船を見送っている。あの人の姿はもうない。車なんてほっとけばいいのに。そう、風のようにささやく声がした。

 

 美しいのだろうか、美しくないのだろうか。お金をかければ美しく見せる事ができるのであろう。何を言っても美しく見える事に間違いない。SNSの上で微笑む彼女を見ながら時計を確認する。もう、時間がない。どうして、どうして、私はここにいるのだろうか。逃げなくては。どこに?落ち着いて。落ち着いて。大丈夫。大丈夫。そう言い聞かせながら、早足で歩く。あの角を曲がれば。あの角を曲がれば、逃げ切れる。足音が急に増えた気がして振り向こうとした瞬間に後頭部に衝撃を感じながら気が遠くなった。


 その影は、周りをチラッと見渡すと、さっきまで歩いていた人間だった塊を無造作にスーツケースへ押し込むと、角に向かって歩き出した。

 角に停車していた黒いワンボックスカーのドアを開けスーツケースを押し込み、封筒を受け取ると何も言わず立ち去った。

男が立ち去るのと同じようにワンボックスカーもゆっくり発進して5分程走ると駐車場に入り停車した。停めた車の横の赤い古い軽自動車にスーツケースを積み替え、駐車場を出た。

 封筒を受け取った男も、近くのバス停からバスに乗り、5つ先の停留所で降りると、公園のトイレで着替えて一回り小さくなった姿で、公園の別の出口から出た。

タクシーを呼び止めるとゆっくり乗り込み、地方の方言で駅名を告げた。駅のトイレで再度着替えて、さっぱりした軽装になった姿は10代の大学生のようだ。すでに、町の一部と化した彼は地下鉄に乗って去って行った。

 

 「あ、ちょっと待ってね。時間だわ。」

美恵は、カバンからスマホを取り出して30秒ほど指を動かした。私は、冷めたコーヒーカップから立ち上るアラビカ豆の香りを感じながら、コーヒーに口をつけたふりをしながら、美恵の様子をじっくり観察した。

「ふう。終わった。お待たせ。これ、必ずしなくちゃいけないの。」

勿体ぶった言い方は変わらない。2ヶ月ぶりだろうか。事務所に出勤している私とは違い、派遣社員の美恵は在宅勤務をしている。何を必ずしなくちゃいけないのかわからないけど、相変わらず面倒くさい話し方だ。

「そう。」

私のそっけない言い方が気に入らないのだろう。身を乗り出した美恵は、そこそこ手入れされたネイルを見せびらかすように、

「忙しくてお手入れができないのよ。」

と、ニヤリと笑う。何が忙しいんだろう。お金がなくて手入れできないんでしょう。という言葉を飲み込んで聞いてあげる。

「何が忙しいの?」

嬉しそうに美恵は答え始める。

「あのね、これ、SNSで知り合った人に聞いたんだけどね。仮想通貨って知ってる?」

「仮想通貨?聞いた事はあるけど。」

「私ね、マイニングしてるの」

「マイニング?」

「そう。それ。作ってるのよ。仮想通貨を。」

少し難しい事を話すわよ。という感じで、したり顔の美恵の話を聞きながら、私は、億り人というマスコミが騒いでいた誰かの事を思い出していた。


 「こんにちは。」

すっかり変わってしまった街並みを眺めながら、久しぶりの地元の風を楽しんでいた私は、思わぬ声に驚いて振り返った。

「あ、久しぶり。あの、小松さん?」

「そうよ。久しぶり。やっぱり秋田さんだった。なんとなく見覚えがあったの。変わってないなあ。元気?」

「ええ。元気よ。今日は、仕事でここまで来たので、ちょっと懐かしくて寄り道を。」

「そうなの。私も。久しぶりに日本に帰ったから懐かしくて、ほら、あの、裏のみっちゃん。あそこに行こうと思って。」

「あら、一本裏だったかしら。私、この通りかと思ってたわ。」

2人で笑い合った。何年ぶりだろう。大人になると、親しくない人と笑い合うなんて、なかなかない。そして、2人は同じ目的地へ行こうとしている事がわかった事で更に笑いは深まったのだ。

「部活の帰りによく寄ったわ。」

「そうそう。私は運動部じゃないから、あなたちより早めの時間に行っててね。」

「そうそう。秋田さん達来たわ。場所変わってあげましょ。みたいなね。」

「狭いから。太ったら隙間に挟まっちゃうのよ。ちょっといつもより椅子さげてね、あら、あんた太った?ってのが定番。」

2人は学生の頃のように声をあげて笑い合った。あ、あの角だ。

 みっちゃんは、昔と同じ所に、同じように建っていた。のれんもそのまま色褪せて、みっちゃんの前には、おばちゃんの育てているネギ。

「いらっしゃいませ。」

「おばちゃん、懐かしい人連れてきたよ。」

秋田さんが弾む声で言う。

「こんにちは。おばちゃん、覚えてる?」

「ありゃー。覚えとるよ。あれよ、あれ。頭のいい子でぇ。小松ちゃんじゃったよねぇ。なんか偉い学校行ったよねぇ。いつも、ネギ一杯かけてくれと言うから、あれからここのネギかけたら、偉くなる言うて、秋田ちゃんにうちのネギは食べ尽くされたんよ。」

3人は懐かしい昔を思い出して、大笑いした。笑いすぎて、なんだか切ない昔の一コマ一コマに涙も出た。

「おばちゃん、そば肉玉一枚」

「うちは、ネギかけね。」

「はいはい。かしこまりました。」

 おばちゃんが鉄板でキャベツ炒める音を聞いていると、帰ったら宿題をしなければならないような気がしてくる。早く食べないと秋田さんがお腹を空かせてやってくる様な気がしてくる。みっちゃんに忘れ物を取りに帰った時の事を思い出した。弟の分なのか、夜ご飯と朝ごはんらしきものを待たされて、それを握りしめながら、何回も頭を下げながら帰る秋田さんの姿を見た事があるから。ふとした拍子に近所の噂話で、秋田さんは経済的な理由で、みっちゃんで、お皿洗いなどをして食事を食べていたんだと聞いた事もある。

「小松ちゃん、何しよるん?秋田ちゃんは、日本におらんのんじゃけどね、月に一回くらいはずっと顔を出してくれよるんよ。」

へぇ。そういえば、さっきも日本にいないと言っていたけど、帰る度にここに来てるのだろうか。私は、そう思いながら、

「私はね、今、大阪で仕事しよるんよ。」

「へぇー。大阪で。なんか偉い仕事しとるんじゃろうねぇ。」

「そんな事ないよ。外国から仕入れたものを日本で売るような仕事よ。単純な事の繰り返し。それより、秋田さん、日本で暮らしてないの?」

秋田さんの変わりにおばちゃんが答える。

「そうなんよ。今はどこだっけ?シンガポールにいるんだよね?」

「あ、今はね、ブルネイにいるのよ。ブルネイに家を買ったから。」

「ブルネイってどこね?知らんけど。あんた、いっつも私の知らん国に住んどるね。」

おばちゃんは、そう言って笑いながら、カレンダーにひらがなで、ぶるねいと書き込んだ。」

どこにおるか、分からんと心配じゃけーね。ずっと、こうやって書いとるんよ。そしたら、無事に帰って来れる気がしてね。広島弁でそう言った笑顔が引き戸から入ってきた人を見て曇った。

 引き戸を開けて入って来たのは、近所の不動産屋だった。

「書類おいとくよ。後は、サインすりゃいいだけじゃけ。よう考えんさいよ。」


 不動産屋が帰った後、秋田さんがおもむろに立つと封筒を取り上げて中身を読み出した。

「秋田さん、そんな、勝手に、、、。」

止める私の言葉なんて聞いていない。これが秋田さんの眼差しかと驚くほど鋭い眼差しで書類を読み終えると

「おばちゃん、ここ、立ち退きなの?」

一言。そう、聞いた。

おばちゃんは、肩を落として静かに言った。

「ここに新しくショッピングモール作るんだって。うちは、立ち退き料を借金とチャラにしてやるから出て行けと言われとる。ここの通りの店は、ショッピングモールに安う入れるし、準備金も結構貰えるんよ。思い出横丁言うて昔のまんまの雰囲気で商売できるんじゃと。じゃけ、喜んどる人もおる。でも、うちのお父さんが事故にあってねえ、働けんようになったけえ、家賃やら支払いがどうにもこうにもならんようになって、ほんまは出ていかにゃいけんのんよ。借金して払いやったんじゃけど、払っても払ってもへらんのんよ。そしたら、不動産屋が、それを払ってやるからこの店を譲れ言うてねぇ。あそこは嫁さんの実家が麺を作る会社しよるけえ、ショッピングモールに入りたいんじゃろうねえ。でも、出て行け言うて脅しとる訳じゃないし、家賃を待ってもらっとるのは私じゃし。前は行列も出来る位人気の店じゃいうて、雑誌にも出たけど、なんでか従業員も通勤の途中で事故にあったりしてねぇ、ここで働いたら事故にあういうて言われとるんじゃ。じゃけ、バイトもこんよねぇ。お父さんの怪我も障害者になるほどじゃないけど、少しの力仕事とできんでねえ。年金じゃ食べていかれんのんよ。」

おばちゃんはお好み焼きを何度もひっくり返しながら、放心したように一気に話した。


 「お父さんもねえ、気をつけて帰ってきよったはずなのに、いつもは車も通らんし、出てこん道から逆走してきた車にはねられて、跳ねた車は見つからんのんよ。」

 何と答えたらいいかわからずに、面倒くさい話に巻き込まれない様に、何を言うべきか言葉を選んでいた私の横で、秋田さんが口を開いた。


「おばちゃん、先月、私が寄った時にも何も言わんかったじゃない。」

「ああ、ごめんね。事故にあったのは2年前でね。ショッピングモールができるいう話が出た頃よ。」

「おばちゃん、この2年どうして教えてくれんかったん?」

秋田さんはさらに声を大きくして言う。

「ごめんねぇ。次に来てくれる時にはみっちゃんはないかもしれん。」

そこから、秋田さんは急に静かになり、周りのキャベツが少し焦げたお好み焼きを静かに食べ始め、半分くらい食べたところで、コテを置き、息を整えて一本の電話をかけ始めた。

「私です。ちょっとお話が。今からすぐ、お願いしたいんです。ええ。はい。場所は」

電話の相手にみっちゃんの場所を告げ、電話を切り、美しい顔に満面の笑みで、こう言った。

「おばちゃん、私がここを買うわ。」

おばちゃんと、私は、多分マンガのように口をぽかんと開けて秋田さんを見ていたに違いない。秋田さんは更にこう言った。


「おばちゃんの好きなように商売してちょうだい。」

しーんとするみさの中を、コテでお好み焼きを切っては口に運ぶ音だけが聞こえていた。


 5分ほど経ったであろうか。ガラガラと引き戸が開いて身なりの良い男性が入ってきた。

「失礼致します。」






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サイコロを振ったのは誰だ 園路雷夢 @ekinacea

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