第13話 秘剣ツチノコ
ケンレンの手練れ共は肩透かしを食らい、虎の将は敗北した。
薄暗い世界で、賞金のかけられた首は二つ。
まばゆい黄金の輝きは、
野営の翌日、ウドは先の宿場まで偵察に出た。
変事あれば戻るとのことだ。
アヤメをミラールに乗せてゆったり進んでいれば、何かあったとしても途中でウドと合流できる手筈だ。
暗い内に出立したウドに対して、リリーは水浴びの時に捕った魚と野草で朝食を作っていた。
師との修行の旅では、野営も食事作りも当たり前だった。
「おはようございます」
リリーよりも少し遅く目覚めて、川で身を清めていたアヤメが戻ってくる。
「おはよう。食事だ、自分でよそえ」
つんけんとしたリリーに、アヤメの対応も冷ややかだ。
鍋で煮られた魚と野草の汁をすくい、祈りを捧げた後に一口。
「……川魚の泥臭さと野草の青臭さ。適当に入れた塩加減には唸らせられるものがあります」
「嫌なら食べるな」
「アメントリル様は仰いました。もったいないことはダメ、と」
いくらなんでも意訳しすぎだろう。
「美味いものでないのは分かっている」
「贅沢は言いません」
リリーもしかめっ面で食べていることから、悪意で用意したものではなさそうだ。
「もしかして、料理ができない?」
「……仕方ないだろう。師匠も下手だった」
人や魔物は斬れるが、食べ物はどうしてか上手くいかない。
食べられるものは知っているが、煮るか焼くかしかない。魚醤が良いと聞いて試したことがあったが、どうやっても辛い汁になるので、今は塩だけを入れることにしている。
できるだけ、きっぱりと料理が出来ないと言って、平然とした様を装う。
「ふふ、あははは、あなたも、そんな顔をするのね」
「料理なぞ、できるヤツがすればよい」
「そう、その通りね。お昼は、わたくしが作りましょう」
「……好きにしろ」
不味い汁を二人で食べ尽くして、味はともかく腹はくちくなった。
アヤメは元気そうに見せていたが、焼印の傷が痛むのだろう。辛そうな顔が見え隠れする。無視しようとしたリリーだが、倒れられると困るのはこちらだ、という言い訳をしてアヤメをミラールに乗せて、道を進むことにした。
ミラールに文句は無いようだ。
なかなか人を乗せないくせに、こういう時は言う事を利く。
ゆっくりと街道を進む。
どこかの令嬢とその護衛に見えるだろう。リリーは女傭兵といったところか。しかし、大鹿のミラールは目立つ。
ミラールは威風堂々と歩む。
好奇や悪意ある視線にも平然としていた。
拍子抜けするほどあっさり、最初の宿場に着いた。
さして広くない通りに何軒も宿屋の並んだ、一夜の宿を求める旅の中継点だ。
ザビーネと出会った田舎町と宿場の混ざったものではなく、街道に出来た瘤のような一画である。
宿の女中が威勢よく客引きをしていたが、ウドの遣いだという小者が現れたので、それに着いていくことになった。
案内された宿は、ここらでは高級に入る部類である。
ウドは御隠居風の姿で、一番高級な部屋にいた。
「羽振りのいい旅になるな」
と、リリーはそこそこ寝心地のよさそうなベッドを見て言う。
学院に持ち込んでいた寝具と比べれば七段は落ちるが、こんな宿場では充分な代物だ。
「探ってみやしたが、厄介なことになってますよ」
「……、宿場を囲むような気配はなかったが」
リリーが言う通り、宿場に活気はあったが戦の気配はなかった。兵士に取り囲まれているとは思えない。
「教会とあの化物が、首飾りをつけやした」
首飾りとは、首にかかった賞金を意味する隠語だ。
音もなくウドに忍び寄ったアヤメが、その首に手を添えた。この女の魔技に対して、ウドは動じない。
「どこで、知りました?」
傷によりやつれているとはいえ、アヤメは細作よりの戦士だ。何をするか分からないという点で、ウドとどっこいの勝負ができる。
「昔馴染と連絡を取り合いましてね。御安心下さい、信用はできますよ」
アヤメはあっさりと手を離した。
「ごめんなさい」
「いえ、慎重すぎるのは結構なことでございますよ」
「少し、疲れました。先に、休みます」
ベッドに横になったアヤメは、息を殺して眠る。
そこにあるのに、気配は無い。眠る時も気配を殺せねば、一流の細作とは呼べない。
「……司祭で細作とは。いやになりますな」
と、ウドは漏らした。
ウドの過去は「細作」であったということだけしかリリーは知らない。しかし、そこに言うに言われぬ苦しみがあるのは分かる。
「こいつの傷、よくないな」
火傷は放置していいものではない。
傷口から毒が入れば、ひどく苦しむ。そのまま死ぬことも珍しくない。
「お嬢様、昔馴染の癒し屋を呼んでおります」
「呪い師か?」
「いえ、
「あの手のヤツらは嫌いだ。外に出ておく」
リリーはぶっきらぼうに言うと、木刀を持って外に出た。
やれやれとウドは肩をすくめた。
年長者が若者を諭すべきかと思ったが、ウドにとってそれは知らない行いだ。だから、人がよくやるように、肩をすくめるしかできなかった。
◆
帝都から続く商業路は全て監視されている。
領地を跨ぐ関所を越えるか、道なき道を往くか。
巡礼の道には石碑がある。
この宿場にもアメントリルの石碑があった。
風雨に晒されて元の形も判然としなくなったく道祖神の隣で、淡い光を放つ奇跡の石。
これこそがアメントリルの遺した石碑だ。
公用語とは全く異なる文字か紋様らしきものが掘りこまれていて、鈍い銀色の光を放っていた。
明らかな奇跡の痕跡だ。こういったクァ・キンの神具とも呼ばれる遺物の存在から、今をもってもアメントリルを魔女とする教会宗派も存在する。
「祈ります」
と、正式な作法は知らないので、とりあえず言葉にしたリリーは、石碑に頭を垂れた。
これで一つ目。
全て合わせて88もの石碑を巡らねばならない。
厄介だな、と息を漏らして宿場に戻ると、道で騒ぎが起きている。
楽器を演奏し、踊る道化がいた。
旅芸人の一座のようである。
色とりどりの衣装を着た芸人が通りを練り歩いていた。彼らの歩む先にはテントの設営が行われている。
「ああ、サーカスか」
リリーはサーカスが好きだ。
詩吟や茶といったものにはとんと面白みを感じない。
分かりやすく面白いサーカスは子供のころから大好きだ。それが縁で、師匠とも知り合えた。
師との修行の旅でも、立ち寄った街に来ていたサーカスに釘付けとなったリリーに、師も折れて一緒に見にいってくれた。その時、テントの中で果実水を飲んだのだが、いやに美味しく感じたものだ。
「あの時、お菓子は食べられなかったな」
サーカスというのは、見料だけではやっていけない。
そこそこ大きな旅芸人ともなれば、果実水のような子供だましの飲み物から、粗末な揚げ菓子を法外な値段で売りさばくのを収入としている。
体に悪いから食べるな、と師匠に言われたのも良い思い出だ。
思い出は、いつも哀しみと共にある。
子供たちが芸人の後を追う。
リリーもそれを追って歩いた。
サーカスのテントまでたどり着くと、最後の仕上げとばかりにテントが組み上げられたところだ。
これも芸の一種なのだろう。
目の前で、屋台骨が立ち上がって魔法のように出来上がる大きなテントというだけでも物珍しい。
子供たちが小銭と引き換えにチケットを買い、テントの中へ消えていく。
入り口でチケットを受け取る白塗りの道化に近寄ると、安っぽい白粉の匂いが鼻についた。
「大人はいくらだ?」
「今は子供向けの演目ですよ。夕暮れには大人向けの開園です」
夕暮れのサーカスは、艶めいた芸もあると聞く。それに、夜ともなれば芸人は春を売る。
「いいんだ、これで」
「左様ですか。では、銅貨四枚です」
銅貨を支払ってテントに入った。
蒸し暑いテントの中では、道化師が玉乗りを披露していた。
子供たちに混じって、リリーは長椅子に座る。
道化師はわざと玉乗りを失敗して、笑いを誘う。失敗したのに、今度はもっと難しいものに挑戦して、見事に成功させる。
子供たちの調子外れな万雷の拍手。
最初は大人らしく片頬を上げるように、皮肉げに笑おうとしていたリリーだが、すぐに子供たちと一緒に笑い、拍手をするようになった。
観客が疲れ始めた頃合いになると、売り子が冷たい果実水を持ってくる。
銅貨三枚で買う果実水は、柑橘の匂いがついたほんのりと甘い水だ。
温い水だ。侯爵家のものとは何もかもが違って、リリーには大して美味いものではない。
それでも、蒸し暑いテントの中、演目を食い入るように見つめている最中は甘露になる。
芸人はひっきりなしに次々と食い物を売り歩く。
古くなったパンを古い油で揚げて、少しだけ甘味をつけた菓子だ。これまた大したものではないのだが、リリーは買う。
子供たちがうらやましそうに見てくるので、一欠片ずつ配ってやった。
あとは、全部リリーが食べる。
貰い癖が子供につくと大変だ。だから、物欲しそうな視線は無視して思う存分見せつけて喰らう。
楽しい時間も終わり、子供たちが出ていくのに混じってリリーも外に出た。
良い時間だった。
一時は全てを忘れられるほどに。
「ウド兄さんのお仲間さんですね?」
リリーが腰の木刀に右手をかけて振り向けば、芸人の女がいる。
東方のタイクーンのような服を着て、目元に赤く
見やれば、足が異様に短い。
生まれつきの
「兄さんの
妙に艶のある女だ。
「そうか。宿は知っているな、病人はそこだ」
「……宿にはアタシら芸人は入れない決まりでござんす。連れてきては頂けやしませんか」
異常に足の短いミシャは、言ってから笑んだ。真っ赤な紅の塗られた唇から覗く舌は、とかげか蛇のように二つに裂けている。
亜人ではない。
縦に切り裂いた舌を繋がらないように治療すれば、こんな舌になる。
「大人向けの演目とは、お前みたいなのばかりなのか?」
十三歳の時、見たいと言ったら師は少し考えてから「まだ早い」と答えた。興味はないでもない。
「……まあ、だいたいは」
「なるほど」
ちらちらと見ていれば、このミシャという不具の女は、なんともいえない男好きのするものを持っている。胸が大きいだとかそういうものではない、惹きつけてしまう薄暗い色香があった。
巡礼の途中であることだし、こういう不純なものはどうかと。しかし、そういう営みというのはアメントリルも否定をしていなかったはずだ。
アヤメに聞いてみてもいいが、どうせあの女は説教も交えてくるに決まっている。
「こんな女に、お仲間が触れられるのが御嫌ですかい?」
「ああ、そういうんじゃない。巡礼の途中なんだが、見ていいものかと考えていてな」
はたと、虚を突かれたという驚いた顔になったミシャは、顔を歪ませてかんらかんらと笑う。
「ははは、いいじゃあございやせんか。アタシらの客に坊主など少なくもない」
「そうか。なら、いくらだ」
「見料は銀貨一枚でございます」
どうせ、敵に居場所は露見しているのだ。今来ないというなら、夜半だろう。それまでは命の洗濯と洒落こみたい。
そのような言い訳で、見て良し、そういうことになった。
◆
「お食事が届いてやすよ」
何やらいつになく気配の乱れているリリーに、ウドは普段と変わらぬ
「う、うむ。もらおう」
普段、食事時はいつになく真剣だというのに、今日のリリーは上の空。
ウドには、そんな主人の有様を見て見ぬふりをするという優しさがあった。
「あら、夕暮れのサーカスはよほど楽しかったご様子」
アヤメにその優しさは無い。
盛大にむせたリリーを、アヤメが笑う。
「治癒師のミシャとやらに会った。本業が済んだ後にな、連れていく手筈だ」
アヤメは何を言おうかと考えた。
リリーにしては良い話題の逸らし方である。食いついてもいいが、自身の傷の話にすり替えられてしまうとやりにくい。
「そうですか。お手数をおかけします」
「今更だ」
素っ気ない物言いに、アヤメは噛み付きたくなってしまう。
「人食い姫、足でまといなら先にお行きなさい。すぐに追いつき、いえ、追い越しましょう」
リリーは、じっとアヤメを見つめた。
なんでこんなにこの女が気に入らないのか、少しだけ分かった。互いに、よく似ている。鏡を見ている気になることがある。なにもかもが正反対なのに、何かがよく似ていた。それはとても、突き付けられると苛立つものだ。
「……お前が逆の立場でそうするか?」
「しますとも」
「じゃあ、やらない」
イヤなヤツだ。
アヤメはそうは思ったが口には出さなかった。
◆
夜半、夜の部の公演を終えたサーカスにアヤメを運んだ。
芸人たちは言葉少なに片付けをしていた。
体を拭く女や男。
見目麗しいが、やさぐれた影を背負う者たちである。
街に住めない連中だ。
人並を欲しているのに、自身の問題で放浪の中にしか生きられない者は多い。旅芸人というものは、そんな人々の寄り合いという一面もあった。
治癒師のミシャは、団員たちが寝泊まりするテントから少し距離をとった所に、大木の枝を支柱にして専用の天幕を作っていた。
「子供の時、こういうのに憧れなかったか?」
大木の枝にロープをかけて、上手く天幕を作っている。リリーの師匠もこういうものが上手かった。
師匠は一本のロープで簡単なものを作っていたが、こちらは何本もロープを複雑に組み合わせることで、立派な仮住まいになるように作られている。
「いえ、全く」
アヤメの対応は素っ気ない。
「あら、いらっしゃい」
その会話に気づいたものか、天幕からミシャが現れた。
金糸銀糸で編まれたタイクーンのような衣装から、白装束に着替えて髪も結い直していた。さらに、口元と頭に白い布を巻いている。
「ウドの兄さんは?」
アヤメを伴っているのはリリーだけだ。ウドはいない。
「あいつからは、油断しないと、そう伝えるよう言付かっている」
「ハハ、兄さんらしいや。さてと、まずはそこの敷物の上で服を脱いでおくんなさい」
アヤメは服を脱いで、指定された場所に立つ。
その身に隙は無い。
焼き印の痛々しい傷はあれど、
「それをされちまうと、治療できやしないんでさ。術を解いて頂けませんかね?」
ミシャの問いに、アヤメはちらりとリリーを一瞥してから頷いた。
魔力、だろうか。リリーには今一つ感知できない何がしかの力が動いた。
「ほお」
リリーが声を漏らす。
アヤメの肉体が変じた。
大小の傷痕、そして、力強くしなやかな筋肉。
剣術使いともまた違った、
特に目を引いたのが、鍛錬の積み重ねにより、角が取れて丸くなった両手の拳だ。異様なまでに危険な気配がある。
「幻術の類か?」
「女の細作に伝わる身隠しの邪術です」
「見事だ」
また、アヤメの予想とは違った声がかかる。
リリーという女が嫌いだ。こんなことを平然と言ってくれる。そして、少しだけ喜んでいる自分もまた、好きになれない。
「呪いの鉄で焼かれたね。解呪だなんだってえのは領分じゃないけど、やってみようじゃないか」
「いえ、解呪は結構。それはアメントリル様の試練です。傷だけで結構」
天幕にアヤメは通された。
リリーは、外で待つということになっている。
◆
旅の治癒師は、村々で必要とされながらも疎まれる存在だ。
正教会からは邪術とされ、亜人たちからは禿鷹の悪魔の信徒として迫害される。
白装束の治癒師は、人体を切り裂いて治療を行い。傷を縫った後は『時戻し』の邪術を使う。
アヤメもこの治療を受けるのは初めてのことだ。
焼き印の傷痕を綺麗に洗ったあと、ミシャは銀の匙で触れて痛む箇所を確かめた。
「応急処置がよかったのが幸いしましたな。毒は入っておりません。さて、それでは時戻しの秘術といきましょう。ささ、そちらの寝台に」
寝台といっても、板切れだ。しかし、手足を縛るための枷がついている。
「痛みますゆえ、暴れるのを防ぎます。御嫌なら、秘術はナシということで」
逡巡のあと、アヤメは寝台に寝そべる。
ミシャによって手枷、足枷、そして、舌を噛まぬようにと猿轡までかまされた。
不意に、この女が男のように襲ってきたらどうしようか、などという
「禿鷹の魔女に祈りを捧げます。ギ・ティ・レン」
邪術の詠唱と共に、魔力と呼ばれる力がミシャの手に集まる。
神官の使う癒しの祈りとは根本的に違う再生の邪術だ。
焼印に激しい痛み。
焼かれるような、傷口に針を刺し込まれるような。
常人ならば気を失いかねない痛みにも、アヤメは全身に力を入れるだけで耐えられる。
痛みなど、ただ痛いだけ。
痛いのは嫌だけど、いつからか変わった。
ただ痛いだけで、それだけ。
死ぬほどの痛みというが、死んでいないのだから、それはただ痛いだけ。
こんなもの、惨めさや恨みと比べれば、ただの身体の反応でしかない。だから、どれだけ痛くともアヤメは耐えられる。
アヤメが生きるために造り上げた理屈だ。
どれほどの時間が経ったか。痛みの後は痒みが襲った。
さすがに、これには呻く。
ラファリアから伝え聞く地獄は、どれほどの痛みだろうか。死ぬのを繰り返すのだから、きっとこんなものではない。だからこそ、この苦痛は、愛する人に近づくための試練だ。
アヤメはそんなな理由を捻りだして、耐え難い苦痛を受け入れて笑う。
「素晴らしい。教会の作りだした怪物なだけはありますな。御覧なさい、時戻しならぬ時進みの術でございますよ」
焼印はの傷は、今や古傷のよう。
時間が進んだかのように、傷は完治していた。
「さて、アヤメ様。そのまま休んでいて下さいな。兄さんから受けた仕事はお仕舞でござんす。それでは、本業に戻らせて頂きます」
遠く、剣戟の音が聞こえた。
アヤメが動く前に、ミシャの合図で黒装束の者たちが三人、天幕の天井から降りてくる。そして、毛ほどの油断もなくアヤメを囲む。
「しばらくは動かないでおくんなまし。月影衆のお仕事にございます」
◆
リリーが外で待っていると、びゅうと風が吹いた。
不穏な気配の風だ。
夏の草いきれと、人の汗の匂い。
「何者か」
手には
彼らは言葉もなく鎖鎌を振り回し始めた。
リリーは木刀を抜き、気を落ち着かせるために少しだけ目を閉じた。
厄介な相手だ。
細作は間合いの外からの一方的な戦いを好む。そして、一人に対して少なくとも五人。
目を閉じて、闇の中に、星がある。
「シリッドの鎖術遣いか」
ぽつりと呟いた言葉に、反応があった。
「我らが名をしるか」
この声は、チケットを売っていた芸人だ。
「師から聞いた」
「何者か」
「カリ=ラと呼ばれていたのは知っている。名前ではないがな」
「ぬう、カリ=ラの化身の弟子か。不足なし、絡め取りの陣じゃ。生かさずともよい」
ぶうん、と鎖が風を斬る音。
リリーは駆けた。
迫る何かを勘だけで避ける。
耳元を鎖が掠めるが意に介さない。
師との修行に、礫討ちと呼ぶものがあった。飛来する礫を目隠しして避ける。剣は使ってもよい。
あれほど痛い修行はなかった。いや、あったか。全てに痛みを伴った。
走り抜けて、一人目の頭を木刀で打ち据えた。頭蓋骨を砕いた手応え。
背後から迫る鎖を転がって回避するが、そこに追撃がくる。木刀で打ちかえすのは悪手だ。絡みついた鎖に木刀を奪われてしまうのは目に見えている。
三つ、四つとかわし、五つ目は木刀で受けた。絡みつくと同時に鎖の方向に投げる。そのまま走り、使い手の喉に岩人から買った短剣を刺し込んだ。
倒れ伏す間際、相手が腰につけていた曲刀を奪うと、再度の連撃を避けるため転がり、跳ねる。
これではどちらが芸人か分からない。
敵の気配が一つ消える。
「ウドか」
鎖鎌の遣い手の首が落ちた。同じ細作にその気配を気取らせず、早業で首を落とす。やはり、ウドも尋常ではない。
「月影衆、裏切るか。信義と誓いを破るか」
ウドの氷のような声。どこから聞こえたか、リリーにすら判然としない。
「蛇蝎のウドよ、貴様から受けた依頼は治癒のみ」
「月影よ、お前らとはやりとうなかったぜ」
リリーが鎖鎌の遣い手を曲刀で斬り伏せる背後に、ウドがいた。音もなく放たれていた横凪ぎの剣の一撃を、短刀で止めている。
「助かった」
「お嬢様はアヤメ殿を」
「応」
リリーがミシャの天幕へ走りこむ寸前、入口を貫いて矢が放たれた。
「石弓かッ」
すんでのところで転がり、それをかわす。少し遅ければ、頭を射抜かれて死んでいただろう。
石弓には連続で撃てないという欠点がある。
天幕に向かって走り込むより先に、ミシャが地べたを這いずるようにして外に出てきた。
自らの身長ほどもある曲刀を手に、地べたに這いつくばって、ずりずりと這いよってくる姿はひどく不気味で不吉だ。
異様な足の短さから走れないのは分かっていた。しかし、この姿はあまりにも異常。
這いつくばっている女に対して、リリーの本能とでも呼ぶべきものが警鐘を鳴らしている。
「流石は蛇蝎の兄さんに人食い姫。
「その体で何をする?」
「ヒヒヒ、滅多にやらん演目でござんす。秘剣ツチノコ、冥土の土産に
蛇のように体をしならせたミシャがニヤリと笑むと同時に、土煙が舞い上がった。
「目くらましか」
次の瞬間、リリーは上段から放たれた振り下ろしを気配だけで受け止めた。
不具の身体から放たれたとは信じられぬほどの鋭い一撃だ。しかも、その一撃はリリーの頭の上から振り下ろされている。
「流石は人食い姫、一の太刀で仕留められぬとは」
「自慢の芸なんだろう、楽しませてみせよ」
「くふふふ、なれば二の太刀じゃ」
土煙が晴れない。
土煙だけではない。濃い霧のような煙幕が焚かれている。
剣を弾いた時、重いが妙な感触だった。飛び跳ねて斬りつけたところまでは分かる。しかし、踏ん張りの効かない所から如何してあれだけの斬撃を放てるのか。
使い慣れぬ曲刀でどれだけやれるか、リリーは少し弱気になる。
不利な状況だ。いや、戦いとは元来、有利な状況から一方的に行うものだ。虎の将のようなやり方が間違っている。
「冥土の土産といったな。なぜ、ウドを裏切る」
声を出してくれれば、この絡繰りの一端が分かるやもしれない。しかし、先ほども口を利いた所を見るに、言葉や音では探れぬ技か。
「兄さんから受けたのは治癒師としてのお仕事でござんす。今は殺し屋としての領分。アヤメ様には手出ししておりませんえ」
「誰に雇われた」
慣れない曲刀ではミシャの斬撃についていけない。だが、得物はこれしかない。今は会話で時間を稼ぐとして、木刀を煙幕で煙る視界の中から捜し出すのは不可能だ。
「なに、人食い姫様のお首が金貨一万枚に変わるとのこと。闇の中では大層な評判となっております。ほほほ、我ら月影衆がそのお首、貰い受けまする」
「ふふ、一万枚の金貨か。年端もいかぬ女の首に、よくも掛けたものよ」
一万枚。
途方もない額に、リリーの唇に自然と笑みが浮いた。
考えるまでもない。命など、吹けば飛ぶ。
歩いていれば、雷神に打たれることもある。そんなものに、金貨一万枚。国の買えそうな額をかけるとは。
なんとも、風流な話ではないか。
曲刀を捨てて、無手でリリーは構えた。
「礼を言うぞ、野槌のミシャ。どうやら、私は自分の命に価値があるなどと、勘違いをしていた」
剣に生きるとは、命を投げ出すことに他ならない。
リリーから焦りが消えた。
「龍を目覚めさせるとは、ぬかったわ」
空気が震える。
土を這いずる音。そして、飛び上がる音。
いや、下か。
異常な速度で這い回り、間合いの外に逃げる気配を感じとれた。
「蛇のごとき動きだな、野槌のミシャよ」
と、リリーは問いかける。秘技の一端を探るには、時間を稼ぐしかない。
「空を飛ぶ龍には、這いずる者の気持ちは分かりますまい」
なぜ、律儀に言葉を返す。
「龍などに見えるか、このわたしが」
「お貴族様は、虫ケラのこっちからすりゃあ龍か神でござんすよ。ほほほ、姫様、虫ケラとて毒を持つこともありますえ」
ミシャの言葉の通りに、毒液が飛んできた。
「目に入れば目が潰れ、肌に当たれば腐り落ちますぞ」
毒液をよけながら、集中する。
ミシャの楽しげな甲高い声。
耳をすませろ。
這いずりまわる音、甲高い声。何かがおかしい。いや、何かを隠している。
「ほほほほほほ、参りますぞぉっ」
聞こえる。
木のしなる音。そして、ロープのきしみ。
「見えた」
異様な速さと変幻自在の太刀筋。
天幕を形作っていたロープの一本に、ミシャは掴まっていた。
垂れるロープにしがみつき、自らの肉体を振り子として遠心力により剣を振り抜く。
振り子となれば、その体躯からは信じられない力で斬りかかり、煙幕に紛れて地を這い足首を狙う。
これこそが、秘剣ツチノコであった。
最初の一撃以外は、地面を這いずり廻っていると見せかけるための攻撃である。
「シャアァァッ」
裂帛の気合と共に一撃を繰り出したミシャ。
カラクリが分かり、リリーはミシャを見つけることができた。
リリーは、秘剣ツチノコ、その技の真の姿を知る。
恐るべき業であると、リリーは感嘆した。
両手でロープを握り、振り子となる。そして、不具の足で握り締めた曲刀で斬りかかる。
最初の一撃を受け止めた時、足で振った剣だとは思えないほどの精緻さがあった。
ミシャとリリーが交差して、鈍い音が鳴った。
リリーの拳がミシャの胸板を砕く音だ。そして、ロープから手を離したミシャは大地に投げ出された。
リリーが残身を解くと、煙幕が晴れるところだった。
ウドを見やれば、両手に持った短刀で頭領らしき男の息の根を止める所である。
リリーは倒れ伏すミシャに近寄った。
無論、止めを刺すためである。
「槌の子の秘剣が破られるなんてぇね」
「見事な技だったよ」
「ひ、ひひ、息吹の剣士に、外道の業を誉めて頂けるなんて、嬉しいじゃあござんせんか」
「介錯はいるか?」
手加減などできる戦いではない。息吹をのせて、未熟ながら全霊の力を込めて放った拳の一撃は、ミシャの胸骨を粉砕させ、内臓にも損傷を与えていた。
虫の息だ。もう助かるまい。
「そいつはあっしに任せておくんなせい」
「ウドの兄さん……。う、嬉しいな、誉められて、兄さんに逝かせてもらえるなんて」
ウドには迷いが無かった。
楽に死なせるためだというのに、刃物は使わない。
ミシャの首に手を回して折ろうというのだ。
ウドが首に手をかけようとしたその瞬間、瀕死のミシャは跳ねた。
「まだ動けるか」
と、リリーは驚きを声に出していた。
リリーに向けて喉に仕掛けた毒液を吐こうとして、それを予期していたウドに捕まり、瞬時の早業でその首をへし折られる。
「細作に言葉は不要ですぜ」
目を見開いて死んだミシャに、リリーは教会式で祈る。
「凄まじいものよな」
「細作とはこういうものでございます。この度の不手際は」
「ウド、水臭いぞ。地獄の旅ではないか、三人きりでつまらぬことを言うな」
「……へい」
リリーとウドは小さく笑い合ってから、アヤメのいるミシャの天幕に入った。
「あら、遅かったですわね」
アヤメの傍で、黒装束の細作が三人事切れている。
どうやったか知らないが、アヤメはアヤメで立ち回っていたということだ。
「傷は良いのか?」
「少し休めば動き回れるほどには、回復しました」
「騒ぎになる前に行くか」
「リリー様、お礼を言います。この度の借りは、いずれ返します」
「お前には貸したままが気持ちよさそうだ」
「せっかく礼を言ったというのに、気に入らないわね」
宿に戻り、夜の明けきらぬ内に宿場を出た。
巡礼の石碑、次なる目的地は古代から続く城塞都市ヴェーダである。
次はいかなる敵が待ち受けるのか、一寸先も闇に包まれた
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