第9話 宴の仕度

 困っていても時間は過ぎる。


 学院でリリーは何やら考え事をしているように見られている。

 相変わらず学業には身が入らない。令嬢同士での挨拶くらいはするが、話しかけてくるのはシャルロッテやフーゴたちである。他は、遠巻きに見ているというのが正しいのか。


 皇帝陛下の孫に当たるディードリンテ様とは、十二歳のころに最後にあってそれっきりだ。


 剣の修行で家を出るまでは、年に五回は会っていた。

 ディートリンデ様の足を持って振り回した時は、ひどく怒られた。お喜びであったのは確かだが、あまりに楽しそうなので回し過ぎたのだ。

 あの当時、ディートリンデ様は七つ。今年で十二歳になられる。

 サリヴァン侯爵家としては何やら宝飾品の類を贈り、叔父上は人形を贈るそうだ。無骨な叔父上のことだ。「女の子には人形」とでも安直に考えたのだろう。


 青い髪に紫色の瞳のディートリンデ様に、何かしてやりたい。かといって、足を持って振り回す訳にもいくまい。

 何か贈るとして何がいいだろう。


 授業を聞き流して、頭の中で12歳のリリーが欲しかったものを思い出す。それは、師匠のような剣捌きと、疲れない体だった。侯爵家令嬢であるため、他は何もかもが一流のものが勝手に揃っていた。


 何も思いつかないので、いったんこの考えは後回しにする。

 生誕祭はディートリンデを祝い、その下につくとしてラファリア第三皇子との婚約を宣言する。子を産む時期はもう少し先がいい。

 先の休日に急いで採寸をしたのだが、こう、何かしっくり来ない。

 リリーとて女子である。

 ドレス自体に強いこだわりはなくとも、できるだけ自分に合ったものを選びたいとは思っている。


「先生、体調が優れないので早退します」


「ど、どうぞ」


 シャルロッテに見つかると、サボらせてくれない。なので、リリーは早足で学院を出た。

 帝都商業区へは乗合馬車で向かうことにした。




 制服姿で商業区をそぞろ歩き、宝石商や人形の店を見てみるが、これといったものが無い。

 歩いていると、背後に気配が二つ。

 悪意は感じない。

 わざと分からせているなら厄介だが、そうではないだろう。


「御嬢さん、何か良いものをお探しかい?」


 振り向くと、無精髭を生やした二十歳くらいの若者がいた。服装は商人風だが、腕の筋肉からすると傭兵か冒険者が生業だろう。


「さっきから追いかけていたのは、そこもとか?」


 鋭い声である。

 青年は怯んだ顔を一瞬だけ見せて、それから笑みを浮かべてみせた。


「そ、そんな怖い声を出すもんじゃないよ。御嬢さんが掘り出し物を探してると思ってね、声をかけさせてもらったんだ」


「……ほぉ、傭兵風情が商人の真似事か」


「え、えらいのに声かけちまったな、俺」


 男は茶色い髪の毛を掻きむしって言う。どこか芝居がかった所作だ。


「で、何を売っているんだお前は?」


「あ、ああ。滅多に無い掘り出し物さ。マフの地下墳墓要塞からの、な」


 リリーは小さく笑みを浮かべた。

 マフの地下要塞と言えば、大森林近くにある古代の遺跡だ。天のエルフが、聖女アメントリルの時代に築いていたという代物である。過去、幾人もの冒険者が宝を探しに行った場所だ。


「与太話に過ぎるな」


「本当のことなんだがな。見ていってくれよ」


「よかろう」


「ありがたい。どこかの姫様なんだろう? 俺はシャザムだ」


 異国の名前だ。だが、見た目には帝国の西側の人々に顔付きは似ている。


「私は」


「いや、名前はいい。お貴族様のツテはいらんよ」


「正直者だな。表には出せない品か」


「いや、金がいる。仲介を入れて三割取られるのは困るんだ」


 他にも何かあるが、聞くな、ということだろう。


「小娘なら騙せると思ったか?」


「いや、そうじゃない。あんた、本当にやりにくいな。言っても信じないからこう言ってるんだ」


 相手の技量は分からない。さて、どうするべきか。

 不意に、視線を感じて振り向く。

 見れば、商人風の小男が煙草を煙管で呑んでいた。


「……よかろう。着いていこうじゃないか」


 リリーは奇妙な巡り合わせに興味が湧いた。

 どうにも、今日は朝から風狂な心持だ。

 シャザムが案内したのは、小料理屋の二階だった。商談や密談、さらに密会によく使われる類の店である。

 そこにあったのは、濃密な気配である。

 リリーをして部屋に入るまで気づかなかった。

 まるで、大森林の奥深くにいるような、森の濃密な気配である。


「あんたに見てほしいのは、この宝石な」


 シャザムが言い終わる前に、足払いを仕掛けて床に組み敷いた。首に組み技を仕掛けて、背後から耳元で囁く。


「これはエルフゆかりの何かだろう。何を持ってきた。返答しだいによっては、生かして帰してやる」


「ま、まて、違う」


「何が違う? エルフは金が必要でもこんなものは売らんぞ。それとも、略奪か?」


「聞いてくれよッ」


「どこのエルフを襲った? 正直に言えよ」


 シャザムは違うと繰り返した。

 首の骨を折るべく手に力を入れた時、耳元にふわりと気配がある。


『待って、シャザムを殺さないで』


妖精ミラ・バティールがどうしてここに」


 それは30センチほどの、虫の羽を持った女人であった。宙を飛んで、リリーの耳元で声を発している。鮮やかな桃色の髪は、どうしてか毒花を思わせる。

 妖精とは字の如く、妖しき精である。

 大森林の奥深くや、深山幽谷に住むというが、その性は悪しき者であるとされている。古い言い伝えで、英雄が武具を妖精から贈るなどという話もあるが、おとぎ話以外となると、人とは相容れぬ生き物だ。


「違う。こいつのためなんだ」


 シャザムは憎々しげにそう言った。

 リリーは首に回していた腕を解いた。幾分か迷ったのは、悪しき妖精の言葉に耳を傾けるべきか逡巡したせいだ。


「仔細を聞こう」


「ああ、耳触りのいい都合のいい話と、胸糞の悪い本当の話、どちらがいい?」


 立ち上がりざまに腹を蹴り上げると、シャザムは口元の薄笑いを消した。



◆◆


 ことの起こりは二年も前だ。

 俺は冒険者の中じゃ、渡りの部類でね。

 道案内やら何やらでメシを喰ってるのさ。ああ、マフの大墳墓はそこそこ道は知ってるし、いつも通りの仕事だったんだよ。

 組合の紹介じゃなけりゃあな。

 どこぞの騎士が身分を隠して来たって感じだったのさ。

 お宝探して借金を返したいって貴族はたまにいるから気にもしなかったんだが、奴らの向かったのは最深部さ。俺だってコレでメシを喰ってんだから、道は知ってるよ。だけどな、俺は一人だったらなんとか歩けるってだけで、奥深くの宝の持ち帰り方なんてのは知らない。

 俺は、これ以上は危険だって言ったんだがな。

 あいつらに脅されてなんとか下まで降りた。一度もいったことがない所まで死人を出さずにいけたのは奇跡だったね。

 宝は見つけたんだがね、突っ込んで罠にひっかかったのさ。

 ああ、俺もな、本当にあんなもんがいるなんて思いもよらなかった。

 罠っていうか、あれは封印みたいなものらしいんだ。

 玉座に据え付けられていた宝珠を騎士さんは取り出したのさ。すると、出てきたのは邪妖精を従えた化物だよ。

 俺は一目散に逃げたんだけど、ああ、すぐに見つかって何をされたか分からない内に、気を失ったんだ。

 よくそれですんだって? 俺も今ここで生きてるのが信じられない。

 目が覚めたら、妖精たちに囲まれててな、あの化物を殺すために協力しなくちゃいけなくなった。

 ははは、逃げ出したいけどな、妖精に呪いをかけられちまった。

 帝都のどこかにいる邪妖精と化物を見つけ出して、封印なりなんなりをしないと、俺は自由になれないって話なのさ。


◆◆


「面白い話だが、その妖精に騙されているということではないのか?」


 リリーが問うと、シャザムは一際大きく笑った。

 そして、シャツのボタンを外して、胸元を開く。


「……なんだ、それは」


「こいつらの呪いだよ」


 胸には大穴が空いていた。どのようなことがあればそうなるのか、ぽっかりと穴が開いていて、その中で蓮に似た花が咲いている。人を魅了する妖しい花だ。リリーは息を整えて、それの発する妖気に抵抗した。


「妖精から離れたら、俺はこの花に命を吸い取られちまう」


「なるほど、奇怪な話だ。それで、どうしてわたしを誘いこんだ?」


「お姫様の生誕祭に潜り込むのに、貴族さんが必要だったんだ。アンタを特別に狙った訳じゃない」


 食い詰めた騎士が地下迷宮に挑み、魔物に魅了された。だが、魔物というのは人を悪意のままに喰らうものだ。

 騎士が辻斬りにでもなっているとしたら分かる。そうでないということは、単純なことではなくなっていると見るべきだ。


「どれほどの面倒だ?」


「城にバケモノの力が集まってるって、妖精が言ってる。何かやらかす気なんだろうよ。色々とツテもあって調べたが、キナ臭いのは間違いない」


 シャザムは飄々とした態度を崩さない。

 命がかかっているというのに、奇妙な男だ。


「話してみよ」


「ジーン・バニアス準子爵とかって木端騎士なんだが、皇帝陛下のお孫様の誕生日プレゼントを探してたって話だ」


「その階級では物を贈るなど許されんぞ」


「まあ聞きなよ。うつけと噂の第三皇子の子飼いだったそうだ。帝位を取るなら、生誕祭でみんな揃った時に動くだろうよ。そん時なら、妖精の敵も相手にできる」


 リリーは何か言おうとしたが、言葉にならなかった。

 ラファリアは大器の男かも知れない。しかし、今の彼に野心は無いはずだ。


「アホが、死ぬ気か」


「死んでいるようなもんさ」


 妖精に生かされているだけの男か。

 沈黙を守る妖精を見れば、何が面白いのかリリーの髪をいじって遊んでいる。人の命などなんとも思っていない妖精らしい無邪気さだ。


「で、妖精殿、そこもとに、逃げ出した怪物とやらを封ずる術はあるのか?」


『ようせいじゃない。クリオ・ファトムっていう名前だよ』


 その体躯から発しているにしては大きすぎる声だ。生命の理に反している。


「ではクリオ・ファトム、改めて聞く。それらを封印できるのか」


『できるよ。でも、カリ=ラの娘、あなたにも手伝って欲しいな』


 見た目は愛らしいが、その性は妖である。

 無邪気さもまた、擬態に過ぎない。


「……叔父上にまた叱られてしまうな。シャザム、身なりを整えろ。冒険者としての正装で、暮れ六つまでにサリヴァン家の帝都屋敷にまで来い。無論、その妖精、クリオ・ファトムもだ」


「サリヴァン家って、あんたもしや」


「人食い姫だ。その妖精は気づいていたぞ」


 シャザムは言葉をなくした。

 リリーはこの男を憐れに思った。

 死人にすらなれず、妖精に命をどころか運命まで握られてしまっている。

 この全て、偶然にしては出来過ぎていた。



◆◆



 リリーがシャザムとの邂逅を果たしていた時のことだ。

 東離宮と呼ばれる第三皇子に与えられた、城の一画である。


 亡き兄の遺した姪のディートリンデに対する愛情は、ラファリアに欠片ほどはあった。


「ジーン、凄いじゃないか。こんなものを用意するなんて」


 片膝を付いて畏まるジーン・バニアス。

 前の時間では、剣の腕と野心。そして、狡猾さを買って配下に加えていた騎士だ。

 ラファリアの自室へ運び込まれた鳥かごの中には、見目麗しい銀色の妖精がいる。小首をかしげてラファリアを見つめるその姿は、幻想的で美しい。


「はい、地下迷宮の奥深くで見つけたのです」


「妖精とは、人の言葉を介すと聞いていたが」


「どうやら、その妖精は妖精の言葉しか喋ることができないようです」


「見事だ。褒美をつかわそう。……ジーン、よく俺に仕えた。金に困っているのは知っている。これだけあれば、どうにでもなるだろう」


 褒美としても多すぎる金子きんすは用意していた。下らぬ夢で惑わした詫びという意味もある。


「ラファリア様、私は、あなたに夢を見たのです。少年のころから、力を蓄えていたあなたに」


「……もう、良いのだ。かようなものを持ってきたお前の忠は、嬉しく思う。しかし、俺は、理外の存在で姪を惑わそうとは思っておらん」


 ラファリアの目には見えている。

 地獄の瘴気と似た風を纏う邪妖精の存在が、見えている。


「あなた様は、二年前にお変わりになられた。我らのような者を集め、力を蓄えていたあなた様は変わってしまわれた」


 外人と亜人部隊に教会の実働部隊。さらには、ジーンのような野心ある者たち。彼らにとって、ラファリアは太陽だった。

 身を焼くほどの輝きで、己の野心を照らしてくれる太陽であった。

 うつけとなったラファリアに、ある者は失望して去り、ある者は深謀遠慮があると未だ心酔している。


「ジーン、お前、何をした?」


「あなた様に戻って頂きたいがために、力をお持ちしたのです」


 大墳墓の奥深くに封じられていた存在と共に、闇の勢力を作り上げた。

 ラファリアの自室に瘴気が満ちた。

 青白い美形の吸血鬼。

 影が形を持ったかのような男。

 灰色肌の鬼人。

 リリーの持つ魔剣に似た剣を持つ赤毛の男。


『皇子よ、冷や飯は辛かろう。この妾が帝位につけてやるでな』


 慈しむような女の声で、ジーンの影から現れた怪物は言った。

 真っ赤なドレスを着た、髑髏の貴婦人である。


「……くそ、俺が甘かったか」


 ラファリアは、椅子にくずれるように座り込んで、傍らの煙管を取った。

 されこうべの貴婦人は、骨の指先に炎を灯して、火種をつけてくれる。

 以前よりも悪いことになった。

 帝位簒奪どころの話ではない。

 リリー、すまん。

 と、心の中で詫びたラファリアは、どうするかを考え始めた。

 絶望は、諦めた時に訪れる。

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