LGBTに配慮した人骨サラダボール(夕喰に昏い百合を添えて7品目)

広河長綺

LGBTに配慮した人骨サラダボール

私は、魔法が使える女の子だ。空も飛べるし、手からビームも飛ばせる。

そしてこれからどんどん、強い魔法を使うようになっていく。


自分にそう言い聞かせ、私は杖を大きく振り上げ走り出した。

「竜よ、私が相手してあげる!」

目の前には黒くて大きな竜の顔がある、とイメージする。

恐怖を押し殺すような感じで、何もない空中を睨みつける。


想像が、勢いに乗ってきた。ここまでくると、もう嘘は必要ない。映画の台本をおもいださなくても、私の口から自然と主人公のセリフが溢れてくる。

「竜よ、私の神聖な魔法を受けてみろぉ」

私は杖を大きく振りかぶって、声を張り上げる。


あぁキャラクターに身を任せるのって、なんて気持ちいいんだろう。

ああ、私は、今、魔女になっている!!

演技ではなく憑依されているような感覚にゾクゾクしていると、横から声をかけられた。


「――あの、もしもし、ジュリアさん、決め台詞の手前までで演技やめてもらっていいですよ」


顔をあげると、白髪の老人が私の顔の前に立ち、もう止めていいよと手振りで合図を送っていた。


演技に夢中になっていて忘れていた、自分のおかれた状況を思い出す。

ここは新作ハリウッド映画、『魔女ユリアの冒険』の主人公の女優を決めるオーディションの会場だ。

監督は優しそうな白髪の老人で、「いやー、ジュリアさんの演技は素晴らしかったね」と笑って褒めてくれていた。どうやら、私の演技は気に入ってくれたらしい。


しかし、監督は、「でもね、ジュリアさん。大変申し訳ないんだけど」と前置きして、「君って、何かマイノリティ属性持ってる?」と聞いてきた。


「私は16分の1アジア人の血が入っています。そしてレズです。妻もいます。それから反差別運動にだって参加して…」

私は慌てて、暗記してきたアピールポイントをまくしたてた。



アジア人の方は本当だが、レズの方は用意してきた嘘だ。

しかし、そんな嘘をついてもなお、監督の顔は険しいまま変わらない。

私の必死の訴えに反して、会場の空気はどんどん冷たくなっていく。


そして私の長々としたアピールが途切れたタイミングで、監督は口を開き、

「知っての通り、現在2060年頃のハリウッドはポリコレがかなり激しい。人種のサラダボウルと呼ばれ様々なバックグラウンドの人が暮らす現代アメリカでは、マイノリティへの配慮が何よりも求められる。映画のキャストは基本全員マイノリティじゃなきゃだめで、マイノリティであればあるほど良いんだ」

と言った。

「君の演技は素晴らしい。でも今求められるのは、演技よりマイノリティなんだ。アジア系のレズなんて、たくさんいる。君はポリコレの観点から見て、不十分だよ」


監督の理不尽な指摘に「ごめんなさい。でもどうしても役が欲しいんです」と、私はとりあえず頭を下げた。自分でも何に対して謝っているのかわからないが。


「本当にジュリアさんの演技は素晴らしいから、僕の他の監督作品で、女優の募集があったら連絡するよ。だから、今回は採用しないということで」


「ありがとうございました」、と監督に感謝しながらも、私は二度と連絡など来ないことを悟っている。


「また別の機会に出演をオファーするよ」というのは、私を慰めるための嘘で、別の機会はいつまでたっても来ない。マイノリティじゃないことを理由に落とされ続けて学んだことだ。





オーディション会場から外に出ると、思ったより暗くなっていた。


肩をおとして、家路を歩く。

バスから降りて、20分くらい歩いたところにある、ぼろアパート。

ハリウッドスターは絶対住んでないと思わされる、赤さびがついた階段をあがる。


落胆したせいか、足が重い。

203号室のドアのまえにきて、鍵を鞄から出そうとしたら、ドアがあいた。


「お帰りなさい―!お疲れ様、ジュリア」

1人の女の子が、飼い主に駆け寄る子犬のように、たったったっと、一直線に私の胸に向かってきた。

鮮やかな金髪のツインテールがなびく。


私の妻のアンナだ。23歳には見えないほどの童顔なので、ツインテールがよく似合う。私の顔をみるだけで、満面の笑みになるレズの女の子。

そもそもなぜ、レズじゃない私に妻がいるのか。


もちろん、マイノリティのためだ。


今日のオーディションもそうだったように、今のハリウッドはどこもマイノリティを何より重視する。

だから、少しでもマイノリティになるために、私はレズのアンナと偽装結婚した。アンナも「ジュリアの才能を認めさせるためだよ」と許してくれた。

ただ、アンナは私のことを本気で好きなので、アンナの無邪気な笑顔を見るたびに、私は自身の心の汚さを自覚する。

純粋な恋心を道具にするズルさを、意識せずにはいられない。


罪悪感に胸を痛めながら、アンナに続いて家に入る。


3LDKの質素な部屋。だけど、整理整頓が行き届いていて、安くておしゃれなインテリアもあり、とても快適だ。そしてなぜこんなに快適なのかといえば、これもアンナの愛のおかげと言えた。

アンナが一生懸命家事をしてくれなければ、今日のように帰りが深夜になることも多い私の家は、ごみであふれていただろう。


助けられてばかりだな、と思いながら部屋を見ていると、昨日までなかった奇妙な物体がリビングのテーブルの上にあることに気づいた。

私は「これ何」とアンナに質問しながら、頭の中で感謝の言葉を準備する。

何か凄そうなものを準備してくれたことに「ありがとう」と言わなければ。

私は家事の便利グッズかなと思っていたのだが、その予想は外れた。


アンナがニコニコしながらスイッチを押すと、筒の先っぽから、ごぉぉぉという音とともに、白っぽい炎が出たのだ。

「ほら、酸素バーナー。すごい炎でしょ」アンナはフンと胸を張る。「3000℃もあるらしいよ」

「へぇ、すごいね。でもなんでこんなものを買ったの?」

「高温の炎が見えるから、魔法の演技をするときに役立つかなって」

「なるほど、ファンタジー系の映画では演技した後で、CGで後から魔法エフェクトが足されるからね」

アンナは、はにかんだ。「うん、炎の魔法とかをイメージしやすくなればいいなって」


私は驚いた。アンナがこんなことまで、私のために色々考えてくれているなんて。

その事実に胸がいっぱいになった。


無言でいる私に、「あのね」とアンナは声をかけてきた。

「ん?なに、アンナ」

「ジュリアの才能は本物だから。演技で女優を選ばない、ハリウッドがおかしいんだよ」

そのアンナの言葉を聞いて私は胸が苦しくなった。

アンナは私から本物のレズの愛情が返ってくることはないとわかっていても、私を支えて、今みたいに励ましてくれる。

それなのに私は、このまま何もしないのか?


「本当に、本当にありがとう」私は深く頭を下げた後に、大きく息を吸って、それからアンナに提案した。「ねぇ、アンナ、今日は一緒のベッドで寝ない?」


もちろん、私はレズではない。

でも、これほど尽くしてくれるアンナに何かお返しがしたい。例え形だけ同じ布団に入るような、レズカップルの真似だとしても。


しかし、その私の提案を聞いた途端、アンナは心底不快そうに顔を歪めた。

「異性愛者のジュリアとカップルとして一緒に住めるだけで、私にとってはご褒美だからね。だから私は利用されてもかまわないの。何か恩返しをしないとみたいな、卑屈なこと言わないでよ。あと、今日はもう寝るから。明日の早朝のオーディションも頑張ってね」

怒りが滲んだ言葉をまくしたてると、夕食を食卓に置き、アンナはさっさと、自分の部屋に引っ込んでしまった。


いつも通り励ます言葉はかけてくれたが、とても苦しそうに聞こえた。


1人食卓に座った私は、アンナの指摘を噛みしめる。

私はわざとでないとはいえ、アンナを傷つけてしまった。アンナは私に寄り添ってくれるのに。

自己嫌悪と後悔で顔が熱くなる。

考えてみると、確かに、今の私は卑屈かもしれない。言い換えると、昔の私はもっと傍若無人だった。

いつか成功すると、根拠のない確信をしていた。

だから、こんな偽装結婚をしようと考えたのだ。


オーディションに落ち続けて、どんどん弱気になってきたのかもしれない。

落ち込んで、気が弱くなった私をアンナは励ましてきてくれた。

でも、かつての強引な私をアンナは好きになってくれたのではなかったか?


私は、意を決して、食卓を離れてアンナの部屋のドアの前に立った。


どう言えばアンナは機嫌を直してくれるだろうかと迷いながら「さっきのは、ナシで。ちょっと弱気すぎた。私はハリウッドスターになる女なのだから、謝罪の意味をこめて抱かせるのは間違ってた。正しくは、レズの演技のために抱かせてやってもいい、だ」

と、ドアの向こうまで聞こえるようにはっきりと言った。


「ふふっ」アンナの少しうれしそうな笑い声が、ドアの向こうから返ってきた。「いつもの調子が戻ってるね。よかった」

「ありがとう。お休み」

「お休みなさい」とアンナ。

やれやれ。

仲直りできたことに、ほっと一息ついて、私は食卓に戻った。




夕食を食べ終わると風呂に入って、自分のベッドに入る。

寝る前に、スマホで今日来たメールを見返した。


〈申し訳ありませんが、あなたはマイノリティーではないので、書類審査で不合格とします。明日早朝のオーディションには来なくて結構です〉と書かれたメールがある。


私はこのメールを、家に帰る前に読んでいた。

だけどついに、寝るまで報告できなかった。


だって、アンナの期待に満ちた顔に向かって、言えるはずがない。

マイノリティじゃない奴は、演技をアピールすることすらできないなんて。

マイノリティじゃないという生まれで差別され、門前払いされたなんて。


だけど、ハリウッドのポリコレは、どんどん厳しくなる。これからは、こういう不採用も増えていくのだろう。そうなれば、昨日のように監督の前でゴネる機会すらない。私には、なんのチャンスも訪れない。


やってられるか。

ポーチからMDMA(合成麻薬)の錠剤を取り出して、数個を口に放り込む。

頭がぼーっとして、そのおかげで、苛立ちが収まってくる。


(MDMAは食べてもいいが、自暴自棄になっちゃだめだ)と自分に言い聞かせた。

何かできることはないかと考えて、本棚からアジアの文化を紹介した本を開いて読みはじめた。

一応私にもアジア人というマイノリティ属性がある。それを最大限アピールするためにも、アジアの文化を勉強しなければ。


しばらく読んでいると、〈骨噛み〉というページが目に入ってきた。


『骨噛みとは、日本の一部で行われる風習で、火葬した親族の骨を食べるというものです。亡くなった人の魂を取り込むという意味合いがあると考えられています。現在では日本のほとんどの地域で廃れています』


文化レベルが低いアジアらしい、気持ち悪い風習だ。しかし、そういう気持ち悪さをアピールしたほうが、マイノリティ感がでる。

私はそのページに付箋を貼って、他のアジア文化も学ぼうと考えて…




気が付くと朝だった。


どうやら、寝落ちしていたらしい。

椅子に座ったままの状態だし、アジア文化本をみるとよだれがついていた。

本に突っ伏して寝ていたようだった。


頭が少し痛む。麻薬の二日酔いだろう。まだ寝ていたい。

しかし、アンナに「早朝に家を出て、オーディションに行ってくる」と言った手前、家をでないといけない。

本当のことを言った方がよかったかな、と後悔しながら、私はモゾモゾと布団から這い出る。

家を出たところですることないから、どっかで時間をつぶさないと。

昨日の自分の不正直さに、うんざりとした気分になりかけたところで、スマホが鳴った。


「ああ、ジュリア?久しぶりね。あんまり連絡よこさないものだから心配したのよ。あなたマイノリティでもないのに、ハリウッド女優を目指してるそうじゃない。そろそろ無謀な夢を追うのはやめにしてね」

通話ボタン押すと、スマホからお節介でウザい言葉が大量に飛んでくる。


久しぶりに聞く叔母の声。こんなのだから、私は親族と距離をとってきたのだ。なのに、今日は急に連絡してきてどうしたのだろう。

「親族の集まりにはでないって言ったよね」

「うん、ジュリアちゃんがそういうスタンスなのは知ってたから、今まで連絡してこなかったんだけどさ、最後の最後にはちょこっと顔見せてもいいんじゃないかなって」

「だから、何に」

「あなたの祖母の葬式よ。今からこっちにくれば、火葬にはまにあわなくても、骨壺入れには参加できると思うよ」


叔母の言葉に、私の口は硬直した。

今、なんて言った?

慌ててPCをたちあげて、メールの履歴を確認する。

一昨日、祖母の死亡と葬式の連絡について連絡が届いていた。

オーディションのことで頭がいっぱいで、メールとか全部無視していたのを思い出す。


驚きのあまり喋れないでいる私の耳に、「ねぇ、どうするの?来たくないっていうのなら、それでもいいんだけどさ」と言う叔母の声をスマホが伝えていた。





火葬場はバスを乗り継いで、1時間ほどの場所にあった。

白くて、おしゃれで、清潔感がある1階建ての広い建物。病院に似ている。

思ったよりきれいで驚いた。

私はこういうところにいったことないので、もっとおどろおどろしい物を想像していた。

そして、その建物の入り口に小太りの中年女性が立っていた。


「ああ、ジュリア来たのねー」

その中年女性が、火葬場の入口で、こっちこっちと手招きしていた。ピョンピョンとジャンプするので、その度に大きな腹部がたぷたぷ揺れている。

久しぶりに会うので忘れていたが、この人が叔母さんだった。


私は、「はやくはやく」と急かす叔母さんに手を引かれて、火葬場の中に連れ込まれた。


「なにこの女の子?親戚にこんな人いたっけ」

「ほら、あれだよ。ハリウッド女優を目指しているニート」


私を見て、ひそひそと喋りながら好奇の視線を向けてくる親戚たちの真ん中に、祖母の死体がある。

火葬をはじめてみた私には、ショッキングだった。

死体というより、残骸といった方がいい気がしたから。


火葬なので当たり前だが、ふっくらした体型だったのに全部燃えて灰と骨しかない。

あんなに溌剌とした人だったのに、燃やしたらこれだけしか残らないなんて、しっくりこない。

周囲の親戚の所作を真似てトングのようなモノで骨をつついてみるが、カラカラと乾いた音が鳴るだけで、違和感は増した。

今はこんな姿だけど、死ぬときおばあちゃんはどんな表情で死んだのだろう?今の私の姿をみたらどんな顔するだろう?

そんなことを考えると目頭が自然と熱くなって、涙がにじむ。骨を骨壺にいれる手が止まる。


そのときふと、昨日読んだアジア文化の説明を思い出す。


――死んだ人の骨を食べることで、その人の魂を取り込めると信じられています。


なら、この骨を食べると、おばあちゃんのような元気な人間になれるのでは。

そもそも、おばあちゃんはアジア人ハーフ、私よりマイノリティじゃないか。

なら、おばあちゃんの骨を食べれば、マイノリティになれるかもしれない。

試してみる価値はある。


一欠片を口にしたとたん、独特の苦みが口の中に広がって吐きそうになった。それでも我慢して飲み込む。

すると、お腹の中が暖かくなった。


もしかしてこれがマイノリティーの魂なのか。

そう思った時、スマホがヴンと鳴った。

見ると、昨日の監督からのメールだった。


〈昨日はありがとうございました。ジュリアさん、昨日言っていたオファーなのですが、今日別の映画のオーディションを受けてもらってもよろしいでしょうか〉


ありがたいことに、あの監督の場合は社交辞令じゃなかったのだ。

もちろん行かせていただきます、と返事して走って火葬場から飛び出した。

親戚たちの好奇の視線を背中に浴びたが、今は気にならない。

幸運が回ってきている。

これも、骨噛みのおかげかもしれなかった。




現場についてすぐに、「いきなりの依頼ですいません。こちらが台本です。見ながらでいいので演技してもらっていいですか?」と、監督から台本を手渡された。

「ありがとうございます」と言いながら台本を受け取り読み始める。

しかし、なぜか、台本に書かれたストーリーにイライラした。

今までは、どんな物語にも入って行けたのに。

なんで今日に限って、自分は冷静にストーリーを見れないのだろう?


「もしもし、ジュリアさん?」

自分の感情に戸惑っていると、監督が心配そうに声をかけてきた。

その声にすら、「この人がアジア人差別の物語作った人か」という気持ちが湧いて、無性に苛立ちが募る。


「あ」私は耐えきれず、手を挙げた。「監督、ちょっといいですか」

「はい」

気が付くと、「私はアジア系移民の子孫なのですが、この作品のこのアジア系キャラが物語序盤で敵に負ける描写が、アジアに失礼だと思うのですが」と、言ってしまっていた。


「え、その、あのー」

監督が驚きのあまり、オロオロと言葉にならない声を発している。

オーディション受けに来た人がキレるなんて非常識すぎるのだから、当然だろう。

それでも、私の言葉は止まらない。


「最終的に勝つのですから、物語序盤で一度敗北させる描写は必要ないでしょう。キャラクターの成長を表現したいのでしょうが、そんなことよりアジア人の気持ちが大事ですよね」


勝手に口が動く感じだった。マイノリティの魂が、私の口を借りて主張している。

遺骨とともに私の体内に入ってきたマイノリティが「私に配慮しろ!」と叫ぶ。

「私はアジアの血は薄いかもしれません。でもアイデンティティは確かにアジアにあるのです。この作品は、そんな私の心を傷つけました。もう、役はいらないです。帰ります」

私は、一方的にまくしたてて、監督に背を向け、歩き始めた。


「まって、下さい。」

すがるような監督の声に、振り返る。「何か」

「どうか、私たちと一緒に物語を考えながら、映画の主人公を演じていただけないでしょうか!あなたのようなマイノリティの意見を聞きたいのです」

「…わかりました。やってみましょう」

私は渋々と言った感じで頷いた。

こうして、私は一言もセリフを読むことなくオーディションに受かったのだった。




もう葬式は終わっていたので自宅方面行きのバスに乗り、時間がたち段々と冷静になって、怒りが収まると嬉しくなってきた。

久しぶりに役を勝ち取れた。

「こんなのでいいのか」という拍子抜けした感覚と、何がダメなのかわかった爽快感。


そうだ、私の心にマイノリティが足りなかったのが良くなかったのだ。何がダメなのかわかって、「骨噛み」という改善方法もわかった。

これからは、オーディションに勝っていけるだろう。

帰り道の間ずっと、ニヤニヤが止められなかった。




「やったね」

家に帰ると、興奮した声で、ピョンピョン跳ねてアンナが喜んでいた。

「よく、合格ってわかったね。まだ連絡してないのに」

「そりゃ、わかるよ。玄関に近づく足音が軽快なリズムだったから」

そう言って誇らしげに笑ったアンナは、心の底から私の成功を喜んでくれていた。

私はそんなアンナに「ありがとう」と言った。

「何です、急に」

「足音で私の気持ちがわかるくらい、私のことが好きなんだなって」

「もー。いつも大好きってずっと言ってるでしょ。晩御飯、持ってくるね」

耳まで赤くなるくらい赤面して、アンナがキッチンに走っていく。


そのピュアな反応で、この子の愛情は本物だと確信する。

深いレズの愛。強いマイノリティーの魂。


――欲しい。


私は、アンナのエプロンの襟の部分を背後から掴んだ。

「え、」

アンナが、戸惑った声を上げる。


そのまま仰向けに床に転がった。この期に及んでも、アンナは私にネガティブな感情を抱いていない。その目にはただ、戸惑いと驚きだけがあった。怒りも恐怖もない。

私のことが心の底から好きだからだろう。


罪悪感が芽生えそうになったので、私はアンナの「私は利用されてもいいの」という昨日の言葉を思い出した。

そうだ。

私の成功のためなら、利用されてもいいとアンナが言ったのだ。だから、これでいい。


視線を下におろすと、仰向けに転がったアンナと目が合った。

なんで、と質問でもしようとしたのだろうか。口がパクパクと動く。


私の成功した姿を見せてあげたかったなぁ。

とても残念。


私は鞄の中からMDMAを取り出すと、10錠ぐらい大量に口に押し込んだ。

アンナの瞳が虚ろになる。

これで、体の感覚がほとんどなくなっただろう。

私は動かなくなったアンナの顔を、優しく撫でた。

それから私はバーナーを取り出して、アンナの左手の指に向けた。そして、スイッチを入れる。


暴風のような音がバーナーから響いた。

超高温の炎が、アンナの肉と皮膚を溶かしていく。

思ったより香ばしい、きつめの焼き肉のにおいが部屋に充満した。


そして最終的にアンナの指の骨がむき出しになったので、食べた。

とても苦いのに、食べるとなぜか幸せな感覚がする。

少しだけ、おばあちゃんの骨より甘いような気もする。


アンナの骨を食べていくと、愛おしいアンナの優しく美しい魂が、私の体に同化していくのを感じて幸せな気分になった。


他のマイノリティの骨はどんな味がするのだろう。

もっといろいろなマイノリティの魂を取り込みたくなってきた。

外でもっとほかのマイノリティを狩るために、私は包丁を手に取った。


私は、今やマイノリティな女の子だ。アジア人だし、レズの心も持っている。

そしてこれからどんどん、マイノリティの心を持つようになっていく。

自分にそう言い聞かせ、私は包丁を大きく振り上げ家から飛び出した。

「マイノリティさん、今から私が食べてあげる!」と叫びながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

LGBTに配慮した人骨サラダボール(夕喰に昏い百合を添えて7品目) 広河長綺 @hirokawanagaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ