ベストスコア
@qoot
第1話
「往復便でお願いします」
左手を軽く入口の方に向けて店員に言う。やっとぼくの順番が回って来た。カゴ一杯のまとめ買いで領収書を要求する主婦。パンパンに膨らんだ小さい財布から小銭を一枚一枚数えるお爺ちゃん。慣れないスマホの画面を太い中指でタッチし、何かのクーポンを探すがなかなか見つからない初老のサラリーマン。
(待ってる間に探しとけば良いのに・・)
時間の掛かる客が続いたので、レジ待ちの列が長くなり、店全体が何となくイライラしている。そこへ宅配便のぼくだ。この流れだとさすがに負い目を感じる。
後ろに並んでいるヒョウ柄嬢から、“チッ”と小さく聞こえた(ような気がした)。キャディバッグはコピー機の前に置いてあるので、見た目では分からなかったのだろうか。
「伝票はご記入済みですか?」
「いいえ、まだです」
今度は明らかに苛立った舌打ちが聞こえた。
「ではこちらに。プレイ日とクラブ本数も必ず記入してください」
普段なら宅配便の客はレジ台の隅へと誘導し、別の店員が応対する。今はこの店員一人だ。それでもベテランなら空いているスペースで伝票を書かせ、その間に次の客をさばく。
「書き終えたらお声がけください」
これがこの店のマニュアルだ(のはずだ)。
この店員は新人なのか機転をきかすこともなく、何も言わない。
「隣で書くので、次の人を先にしてあげてください」とぼくの方から申し出た。
「あっはい。そうでした。すみません。お次にお並びの方どうぞ」
ヒョウ柄嬢は特に礼を言うでもなく、ぼくの方を見ることもない。投げるようにストッキングと一万円札をレジ台に置くと、煙草の番号をだるそうに告げる。
「タバコ、69」
「はい」と煙草を取りに行き「69番ですね」と確認する。
「69番じゃねえよ。ロク・キュウっつったんだよ。6と9だよ!」
「・・すみません」
納得いかない顔のまま、店員は改めて煙草を取りに行く。一桁台は輸入タバコだ。
「お待たせしました。6番と9番ですね」
「急いでんだから早くしろよ、ったくぅ」
そんな言い方をしなくても良いのに。自分も後ろの客を待たせていることに気付いていない。
「ここで履くから」
袋は要らないということか。トイレで履き替えるようだ。商品とおつりを受け取り、カンカンカンとヒールを鳴らして後ろを通り過ぎる。ちょうどタイミング良く「書けました」とレジ前に歩み寄るが、ぼくをブロックするかのように金髪を逆立てた若者がレジ台にペットボトルを“ドンッ”と置く。ぼくが先のはずだが、店員は金髪とぼくを交互に見て、ペットボトルをピッとスキャンする。
「こちらのお客様の次にお伺いします」
金髪に媚びることにしたようだ。ぼくが店員でもおそらくそうする。
〈急いでるわけではない〉と自分に言い聞かせ、少し離れて待つ。
金髪もぼくには何も言わず、むしろ〈要領悪いオッサン〉とでも言いたげなニヤケ顔ですれ違う。
〈見た目ほどオッサンじゃないぞ!〉と自分の空想に反論しつつ、書き上げた伝票を店員に手渡す。
「大変お待たせしました」と申し訳なさげに丁寧な口調で伝票を受け取る。ひとつひとつ確認しながらレジに打ち込んでいたが「お客様」と不審げな目をこちらに向ける。
「プレイ日はあさってですか?」
「ええ、あさっての土曜日ですよ。プレイ日の2日前に出せばいいんでしょう?」
「今日の集荷は終わりましたので、明日の集荷になります。あさってには間に合わないですね」
「はい?」
〈しまった!集荷時間のことをすっかり忘れてた!〉
「土曜日の朝一とか着きませんかね?スタートは9時過ぎなので」
「無理ですねぇ。プレイ日の前日に到着するようお出し頂くのがルールですから」
〈この店員、ちょっと笑ったなぁ?〉
〈っていうか、まさかバッグを担いで電車で・・〉
〈最悪だぁー!〉
「念のため問い合わせしてもらえませんか?もう一度、集荷に来てもらうとか」
「つい先日も同じようなことがあって問い合わせしましたけど、この時間では無理ということでしたので」
「念のため問い合わせを・・」
「オイッ!早くしろよ!」
手拭いを頭に巻いた鳶職人が目を剥いて怒っている。中華弁当に酎ハイのロング缶1本が今日の晩飯のようだ。
「 部長!おはようございます!」
「やあ、おはよう。今日は同じ組だね。よろしく頼むよ」
「こちらこそよろしくお願いします。8時40分から朝礼をやりますので、いつもの通り、ひとことご挨拶をお願いします」
「そうかい。じゃあ簡単にね」
と言いながら、前日から内容を考えているようで、これが毎回笑える。
「まだ30分ほどあるから、ドライビングレンジで最終調整するかな」
「5分前に放送してもらいますので」
「うん、了解」
結局あのあと、家までまたバッグを担いで帰った。シューズやタオル、着替えも入れていたので、かなり重い。
コンペ当日は、キャディーバッグとボストンバッグを持って駅まで約10分を歩き、エスカレーターではモタモタとステップに乗り、そしてホームの端まで歩いた。平日に較べれば空いているが、出来るだけ迷惑にならないよう、最後尾に乗車した。2回の乗り換えがキツイ。汗がにじみ出る。
やっとのことでコースの最寄駅に到着、改札で他の電車組と落ち合い、ロータリーで待っていたクラブバスに乗り込んだ。
「なんだ、前日練習でもしたか?」
「いえ、実は・・」とコンビニでの顛末を多少脚色して話し、そこそこ盛り上がっている内に、クラブハウスに到着した。
車で乗り合わせ組は、渋滞を避けるために早目に出発している。既に着いているはずで、レストランで朝食を摂ったり、ビールを飲んだり(もちろん運転手以外)、練習をしたりとめいめいにコンペ前を楽しんでいることだろう。
フロントで全員がチェックイン済かを確認するのも幹事であるぼくの仕事だ。テーブルを借りてコンペ毎に受付を設けるのが一般的だが、「それでは幹事が早く来ないといけないから」と部長の発案で免除されている。車組が運んでくれたトロフィーや賞品は、既にパーティールームに運び込まれているだろう。
〈念のため確認しておいた方が良いな〉
《・・・コンペにご参加の皆様、8時40分になりましたら、練習グリーン脇にご集合ください。繰り返します。・・・》
「おはようございます!」
「おはようございます」
「本日は早朝よりお集まりいただきありがとうございます。第15回の東京営業部コンペを開始します。まずはじめに、部長よりご挨拶をいただきます」
「改めまして、皆さんおはようございます」
「おはようございます!」
「予報では雨でしたが、皆さんの日頃の行いが良く、絶好のゴルフ日和となりました。・・・・ですが、今日一日ケガのないよう楽しく過ごしましょう」
さすがに年間3回のコンペで毎回の挨拶だと、ネタ切れのようで特に笑いもなく終わった。
「部長、ありがとうございました。ルール説明の前に初参加の方をご紹介します。大阪支社から我が東京営業部販売二課長として先月着任されました・・・」
朝礼が終わり、全員がパター練習をしてスタートを待っている。幹事の仕事は表彰式までは何もないので、自分のゴルフに集中しよう。コンペとはいえ遊びのゴルフなのだから楽しめば良い。実際、ゴルフは楽しい。学生時代の仲間ともたまにラウンドするが、バカを言いながらワイワイ楽しいプレイだ。でもスコアには拘りたいのだ。なぜなら・・・
「まだ100は切れないのかい?」
スタート前に必ず誰かが同じ質問をしてくる。100ちょうどは何度かあるが、なかなか100が切れない。
「はい。今日も願掛けで貴重品ロッカーは99番です。それに昨日テレビでお笑いのナインティナインを見たんですよ。縁起良くないですか?99。今日こそ行けるかもです」
「ははは、それは楽しみだね。期待してるよ」
本当に今日は調子が良い。運にも恵まれている。スタートホールこそドライバーがチョロして50ヤードしか飛ばず、おまけにスリーパットでトリプルボギーだった。しかしその後の2番、3番は持ち直してボギー。続く4番のショートホールは1オンして、2パットの見事パーだ!ここは毎回大叩きする苦手のショートホールである。今回も6番アイアンで打ったティーショットは案の定大きく右に飛び出した。
「ヤバイ!また池だ!」
この池は白杭だ。あぁーOBかと座り込みかけたその時、“カキーン”と甲高い音が。木に当たってほぼ直角に方向転換したボールは、手前のラフでワンバウンドした後グリーン上を転がりピン側3メートルで止まった。
「ナイスラッキーショット!」
「あのルートで攻めるとはさすがだねぇ」
同伴競技者から皮肉混じりの歓声があがる。
「いやいや。命拾いしました」
「さあ、連続パーを期待してるよ」
その気になっちゃいけない。パーを取りに行ってはいけない。ボギーが理想だ。ダボでも良しだ。
5番は距離の短いロングホール、いわゆるサービスホールになっている。過去に一度だけ長いバーティーパット外しのパーを取ったこともある。
「ナイスショット!」
ぼくのボールは少しラフに入ったが、まずまず。他の3人は本当の意味での“ナイスショット!”で、ゆうに50ヤード以上先のフェアウェイど真ん中でボール3つが縦に並んでいる。
100を切るためには、ハーフ49以下が必要で、ボギー5つにダボ4つで49の計算になる。実際にはトリプルやダブルパーもあるから計算通りには行かない。ただしさっきのようなラッキーのパーもある。
今日は出だしのチョロとショートホールのプッシュアウト以外、特にミスはない。もちろん常に80台前半、たまに70台で回るような部長から見れば、ナイスショットなど一つもない。100切りレベルでは、とにかく番手の距離の70%も飛べばミスではないのだ。ドライバーなら150ヤード、7番アイアンなら100ヤードくらいか。
2打地点からピンまではまだ280ヤードはある。スプーンで出来るだけグリーン近くまで運ぶか。6番アイアンなら2回で乗るぞ。いや、ボギーゴルフならピッチング3回で良いのでは?もちろん番手通りに飛べば、だが。
あれこれ悩んだ末、得意の7番アイアンで軽く打ったつもりが大ダフリ。フェアウェイには出たが、60ヤードくらいしか飛ばなかった。
最もドライバーが飛んだ部長は、エッヂまで約200ヤード。250ヤードのビッグドライブだ。こんなゴルフならさぞかし楽しいことだろう。未知の世界だ。
まだカラーだが、ぼくは何とか4打でここまで来た。部長はツーオンでピンまで一番近い。3人は思い思いにラインを読んでいる。ぼくも読んだフリをしているが、全く分からない。誰かが先に打ってくれれば、ボールの転がり具合で何となく想像がつくのだが。分からなければ強めに真っ直ぐが鉄則だ。「えいっ」とばかりにヒットしたら「強い!」「出ちゃうよ!」の大合唱。「当たれ!」と叫んだ瞬間、“ガシャン‼︎”と真正面からピンに当たり、カップから10センチのところに止まった。
「若いって良いねぇ」の声に苦笑いしながら、「お先です」とタップイン。
〈よし、ボギーだ!〉
「お疲れ様でした」「飯だ!飯だ!」「ビールが俺を待ってるぜぇ!」と騒がしい。前半が終わって、休憩は40分。少し慌ただしいが、時間を持て余すよりマシだ。
結局、47で回れた。なんとハーフベストだ。部長は38と絶好調。あとの2人は揃って45とまずまずか。
(早くスコアの話がしたい)
窓際のテーブルに座り、それぞれ食事と飲み物をオーダーする。
「じゃあ前半のスコアを確認しておこうか。私から言うよ。4、4、5・・・・で38だな」
「部長、絶好調ですね。連続優勝も確実ですよ」
「アイアンは良くないけど、アプローチに助けられたね。 次は?」
「では、私が。5、5、5・・・で45です。あのOBからのトリプルがもったいなかったなぁ」
「私はですね、5、6、5・・・で同じく45ですかね。何とか90は叩かないようにしないと」
最後はぼくの番だ。
「よろしいですか?7、5、5、3・・・でトータル47です」
さりげなく言ったつもりだったが、顔がにやけて声が少し上擦っているようで恥ずかしい。
「おいおい、凄いじゃないか。もっと素直に喜びなさいよ」
「これ、君のベストスコアか?」
「はい。おかげさまでハーフベストです」
「珍しくジンジャエールなんて頼むから変だなと思ったら、そういうことか」
「おう、ドリンクが来たぞ。お姉さん。こっちの3人が中ジョッキで、このハーフベストの男前がジンジャエールね」
「まぁ、おめでとうございます。ジンジャエールどうぞ。後半も頑張って下さいね」
「ありがとう」
派手に乾杯をした後、それぞれのホール解説が始まる。人の話はつまらないが、自分の話しは聞いて欲しくて仕方ない。もっとも、一緒にラウンドしていたのだから、「そうでしたね」くらいの相槌しか打てないのだが・・・
後ろの組も次々に上がってくる。その度にスコアカードを見せ合いながら、あちこちで熱い解説が始まる。
「あと少しでホールインワンだったんだよ」「2連続OBと思ったら最初のボールがセーフでよ、何とそのホールはパーだよ」
「2オン4パットのダボだよまったく〜」「そんなのまだ良いじゃない。俺なんか・・・」
とにかく賑やかだ。
「じゃあそろそろ行こうか」
トイレに寄って行けば、ちょうど良い時間だ。
〈よし!後半もこの調子で頑張るぞ!〉
「インが52で100切りだな」
部長が横に並んで話しかけてくる。
「はい。でもあまり気にせず、いつものボギーゴルフを心掛けます」
「それそれ。ベストスコアが出たら、幹事の慰労を兼ねて、ご馳走するよ」
「ありがとうございます!頑張ります!」
このコースはインの方が難しいと言われている。ティーショットが大きな谷越えのミドルホールや池に囲まれたアイランドグリーンのショートホールが名物だ。距離も長い。
それでもなんとか大きなトラブルもなく、ボギーとダボが半々のプレイだ。悪くない。
そしてコースハンデ「1」の難ホール、17番のティーイングエリアに来た。400ヤード超で打ち上げの狭いパー4。おまけにアゲインストの風が高い木の枝をユサユサと揺らしている。17番でスコアを崩すプレイヤーは多い。
オナーの部長はドライバーではなく、5Wでティーショットを打つ。
「この風だとどうせ2オンは無理だから、安全にね」と解説してくれた。ちゃんとフェアウェイを捉えているから作戦成功だ。続く2人もスプーンで打つが、右と左のラフに曲げてしまった。どちらもラフは浅く、作戦失敗と言うほどのミスではない。
100切りゴルファーには、“スプーンなら安全”などという感覚も技術もない。ティーアップして打ち慣れたドライバーの方が安心感があるのだ。
更に強くなる風の中、やや打ち急いでしまったボールは左に飛び出たあと、大きく右にスライスした。強風にも流されて、右の小さなバンカーに捕まってしまった。直線距離では120ヤードほどしか飛んでいない。
〈そうか。今日のスコアが悪くないのは、一度もバンカーに入ってないからだ!〉
とにかくバンカーが苦手なのだ。大叩きの原因がバンカーであることが多い。
「あんな所にバンカーなんかあったっけ?」
上級者なら全く関係ないバンカーだ。かつてこのホールがパー5であった頃の名残だろうか?ゴルフ中継でたまにそんな解説を聞く。
「でもバンカーがなければ完全にOBだからね。ラッキーだよ」
上級者ならではの励ましがありがたい。
〈うわぁ、最悪・・〉
打ち込んだバンカーに来てみると、ぼくのボールは変な窪みの中にある。先日の大雨で水が流れた跡のようだ。その後誰も入れていないのか、足跡やレーキで均した形跡もない。ただでさえ苦手なバンカーなのに・・・
〈とにかく出すことだけに集中しよう〉
長いミドル。少しでも距離を稼ぎたいところだが、まずは脱出だ。ピッチングを手にする。後ろで見ている3人のヒソヒソ話が聞こえるが、内容までは入って来ない。手順を思い出して、一つ一つ確認する。
〈グリップを短く持って、よし!〉
〈ヘッドアップするんじゃないぞ〉
〈ハーフスイングでいいんだからな〉
上手く打てたと思う。綺麗な弧を描いてボールが飛び出して行く。
「上手い!」
「ナイスショット!」
“バサっ⁈”
「あっ〜勿体ない!」
大きく張り出した枝にボールは当たり、少しの間の後、真下のラフにポトリと落ちた。下ばかり見ていて、上をよく見ていなかった。
「なに、あのライからなら出ただけでも良かったじゃないか。ナイスショットだよ」
とにかく励まし上手の上司である。
3打目は少しダフったがフェアウェイの平らなところで止まった。4打目はユーティリティ3番でトップしたが距離は稼げた。アプローチは上手くバンカーを越えて、なんとか5オン。距離は残ったがどうにか2パットでカップイン出来た。後半初めてのトリプルボギーとなった。
「ドンマイ、ドンマイ」
「まだまだ。大丈夫だよ」
「ここまでのスコアだと最終ホールは何打で上がれば良いんだ?えーと」
「18番がダボで52です。それでトータル99になります」
「今日のゴルフなら楽勝じゃないか」
「絶対ボギーでと言われたらキツイかもしれないけど、ダボでOKならいつも通りにやればいいんだから」
その18番は左ドッグレッグのロングホール。飛ぶ人なら、左斜面に立つ一本松のやや左を狙えば、ショートカット出来て2オン可能である。ただし、高さも必要だし、左に行き過ぎると林の中だ。OBではないが、木が密集していて簡単には出せない。OBの方がマシかも知れない。
風は左からのフォローだが、さほど強くは感じない。
「よし!チャレンジしよう!」
部長は自らに気合を注入すると、左方向にドライバーのヘッドを向けて打ち出しラインを確認する。ティーを心持ち高めにセットし、2回、3回と素振りをしてから、大きく息を吐き出してアドレスする。背中から力みは全く感じられない。息も出来ず、部長から目が離せない。
ゆったりとしたスイングからは想像も出来ない金属音とともに、ドンピシャの弾道でボールがぶっ飛んで行く。
言葉にならない歓声と「よし」という満足気な声を残して、ボールは林を掠めてもなお上昇を続け、やがて視界から消えた。
部長のスーパーショットに触発され、続く2人もショートカットを試みるが、力が入り過ぎて左に大きく引っ掛けてしまった。
100切りゴルファーのぼくにチャレンジは不要。手堅く正面のフェアウェイを狙ってまずまずのショットであった。
〈よし。第一関門突破だ〉
「それが正解だわな」
「あぁ後悔先に立たずってかぁ」
皆んなから離れて、2打目地点に来た。まだまだ距離はたっぷりある。グリーンの先には派手な造りのクラブハウスが見えている。
迷わずユーティリティ3番を構える。今日は比較的当たっているし、ミスしてもトップなら17番のように距離も出る。ダフっても芝の上を滑ってくれるので、チョロにもなりにくいだろう。
安心して打てたからだろう、会心のショットであった。それでも部長のティーショットより少し手前だ。林からの2人は共に1打では出せず、合流した時には5打も費やしていた。
3打目もユーティリティに託そう。2打目のような当たりがもう一度出れば、グリーン手前の花道まで行ける。いや上手く転がれば3オンも可能だ。右手前に大きく口を開けたバンカーが見える。アゴも高いので、絶対に入れてはいけない、最後のトラップだ。
〈ここは左を狙おう〉
グリーンの左は刈り込まれたラフなので、ボールが浮いてアプローチは優しい。但し、左に行き過ぎるとOBが浅いので要注意だ。
慎重にアドレスし、力まないようスッと肩の力を抜いてからテイクバックを始動する。そしてトップからダウンに切り返す刹那、脳を過ぎったのは、プレイヤー本人にはほとんど自覚のない程の“左に行き過ぎはOB”であった。この無意識の意識が、スイング軌道に影響するのである。ゴルフがメンタルのスポーツと言われる所以である。
下半身主導でしっかり振り抜けば、クラブフェースはアドレスの状態に戻り、狙った方向に打てる。ところが“左に行き過ぎはOB”という無意識が、下半身の動きを小さくしてしまい、手で合わせるようなスイングにしてしまった。
いくぶんアウトサイドから入ったヘッドはインパクト前にフェースが返ってしまい、ボールは“何で⁈”という程、大きく左に飛び出した。
「うわぁ〜、そっちはダメェ〜!」
こんな時のショットは、またよく飛ぶ。
“バサバサッ”
無情な音がして、ボールが影に吸い込まれた。
〈なぜここで、なぜここで、なぜ・・〉
「うーん、今のは残念だがOBだなぁ」
「・・完全にOBです。暫定球を打ちます」
「新ルールでは打ち直しでも良いし、OBゾーンに入った辺りから打っても良いんだぞ」
「3打目がOBだから、ここから5打目か向こうから6打目かの選択だな」
〈打ち直しがナイスショットの保証はない。でもあそこからだとまだかなり距離がある。難しいアプローチになるだろう〉
「すいません。ここから打ち直しでやらせてください」
「もちろん。君が決めることだ」
〈次で乗せて2パットでダボだ。まだ可能性はある〉
こういう時の楽観論は、良い方に転ばないことが多い。それでも慎重に方向を確認し、素振りで心を落ち着かせる。
〈打ち急ぎはダメだ。ヘッドアップするな〉
大きく深呼吸し、クラブヘッドで一度“トンッ”と地面を叩いた後、アドレスに入る。
テイクバック、トップ。ここまでの記憶はある。切り返し。この辺りから記憶は曖昧だ。ダウンスイング、インパクト。全く記憶がない。
気がついた時には、飛んで行くボールを目で追いかけている。打ち出しは良かったが、途中から左に曲がり出した。さらに曲がる。さきほどではないが、OBゾーンに向かっている。
「早く落ちろ!」
「バンカーに入れ!」
ラフで小さく2回バウンドした後、縦長のバンカーを転がって横切り、小さなマウンドを駆け上ってボールは消えた。
「オッケー。あの勢いならボールは止まっているよ」
「もう一度暫定球を打たなくて良いですか?」
「大丈夫、大丈夫。セーフだよ」
「後ろの組は遅れているみたいだ。ゆっくり行こう」
3人がそれぞれショットし、見事全員がナイスオンであった。
ぼくだけカートには乗らず、やはり気になるので走ってボールを探しに来た。小さなマウンドの天辺に立ち、左右に見える白いOB杭を見えないラインで結ぶ。OBゾーンまでの距離はあまりない。3〜4メートルといったところか。見渡しながらマウンドを降りかけようとした時、ボールを見つけた。
〈あった!セーフだ!〉
長さ1メートル程の枝が、横たわっていて、その葉っぱに半分隠れるようにボールが止まっている。枝の切り口がまだ綺麗なのは、つい最近折れたものだろう。
(先日の雨風の時か、あるいは誰かが打ち込んで折れたか・・〉
いずれにしろ、枝は動かせるしスイングするのにも問題なさそうだ。慎重に上を見る。グリーン方向を邪魔する枝はない。
「どうだ、大丈夫だったろ?」
「はい。ここです。セーフでした」カートの後部席から部長が声をかけて来た。
「それは良かった。ラッキーだったね」
「アプローチを寄せて1パットならまだダボで上がれるぞ」
かなり厳しい状況だ。簡単に寄せられるアプローチではない。グリーンエッジまでは約40ヤード、そこからピンまで30ヤードはある。エッジから距離がある分、いわゆる“足を使ったアプローチ”が出来る。転がすことが出来るのである。
「まずはグリーンに乗せることが大事だ。しっかり打って行こう」
「俺たちは皆んな乗せたから、向こうで待ってるよ。ゆっくりで良いぞ」
「パターは持ってるからな」
「ありがとうございます」
〈見られてない方が緊張しなくて良いな〉
100ヤード以内はピッチングだ。アプローチウェッジも入っているが、ほとんど使ったことがない。何度も素振りを繰り返し、イメージを膨らませる。100切りのことはもう頭にはなかった。
「せっかくの100切りチャンスだったけど、次回に持ち越しですかね」
「まあ、何が起こるか分からないのがゴルフですけど、あそこから2打はプロでも難しいですよ。良くて1オン2パットか」
「大きなお椀を伏せたようなグリーンだからね。1オンしても手前なら登って下りの長いパットが残る。下り傾斜に落とせば、止まらずにグリーンからこぼれてしまう。絶妙な距離感が求められるんだよ」
「方向が悪ければ、あのバンカーに入りますからね。それにしても、なかなか打たないですね」
「一度アドレスした後、またしゃがみ込んでライを確認していたみたいだな」
「おっ、打つぞ」
フワッと高く上がったボールは、キラキラと西陽を浴びて、お椀グリーンの唯一平らな頂上付近に着地。トロトロと惰性で転がり、下り斜面からは少しスピードを上げてピンに向かう。
「これ完璧じゃないですか?」
「ピンに向かってますよ!」
「入れ!入れ!」
しかしボールはほんの一筋外れ、カップの右を掠めた後、1.5メートルほど転がって止まった。
3人の実力者が満面の笑みで迎えてくれた。
「ナイスアプローチだ!」
「いつからあんなアプローチが打てるようになったんだ?」
「微妙な距離が残ったけど、登りのパットだからしっかり打てば入るよ」
「ありがとうございます。でも偶然、まぐれ、たまたま、ですね」
「それも実力だ」
今日最後のパットだからか、皆んな念入りにラインを読み、丁寧にボールを拭いている。
3人は難しい下りのパットが残っている。一番遠くから最初に打った部長は、3パットだがそれでもパーでホールアウト。さすがだ。
林の中で苦戦した2人は、共に2パットとしたが、トリプルボギーと大崩れだ。
「さあ今日最後のパットだ。気持ち良く入れてくれよ」
「はい」
〈登りの真っ直ぐだ。ショートしないよう、しっかりヒットしよう〉
余計なことは考えず、アドレスしたらサッと打つ。綺麗に転がったボールは、ピンに“ガシャッ!”と勢い良く当たり、見事カップインした。
「ナイスパット!」
「6年1組!見事なダボだ」
「おめでとう!」
「おい、遂にやったなぁ」
「いえ、7オン1パットのトリプルボギーです。47と53で、また100でした」
爽やかに笑ったつもりだが、ぼくの頬は引き攣っていたかも知れない。
「いやいや。3打目がOBだったろ?打ち直しの5打目が左のラフだ。そこからのアプローチが6打目で1パットだから7。ダボでいいんだよ」
「それが、実はですね・・」
カートに乗った3人を見送り、ゆっくりとボールの後ろに立つ。風になびくピンが見える。意識的に大きなスイングをしてみたが、邪魔する木はない。上方向も確認済みだ。肝心のライだが・・
〈これはソールが出来ないな〉
辺り一面には、枯葉と小さな枝が敷き詰められている。微妙なバランスでボールが止まっているように見える。
少しボールから離れたところで、ソールを浮かせてスイングしてみる。
(これくらいかな?〉
振り幅をイメージして何度も素振りを繰り返す。
〈よしッ!こんなもんだろう〉
もう一度ボールの後ろに立ち、ラインのイメージを描く。ゆっくりと左側に回り込み、慎重にソールを浮かせてアドレスしようとするのだが、ヘッドが揺れて定まらない。
〈ダメだ。落ち着け〉
アドレスを解き、もう一度素振りをする。素振りだと不思議とヘッドは揺れず、スムーズに手も動く。
〈余計なことは考えるな〉
手順通り後ろから左に回り、2度グリーン方向を見てから、クラブヘッドをボールの後ろに浮かせて構える。やはり揺れは止まらない。少し強くグリップを握りしめた時、思いも寄らずヘッドが動きボールに当たってしまった。
〈まずい!〉
ほんの1センチほど動いたか。動揺する頭でルールを思い出す。
〈なんだった?思い出せ〉
『アドレスでクラブがボールに当たり、ボールが動いた場合は、1打罰でボールを元の位置に戻してプレーする』
〈そうだ。間違いない〉
プレイヤーに有利にならないよう、記憶を頼りにボールを元の位置に戻す。
〈これで良し〉
再度、いつもの手順でアドレスする。不思議と動揺も緊張もない。ヘッドも揺れていない。自然に身体が動き出し、“スパッ”と心地良い音がしてボールが飛んで行く。枯葉が2枚、膝の高さまで舞い上がり、ひらひらと落ちて行く。
ボールの行方は気にならなかった。
「・・と言う訳です。打ち直しでなければ、あんなアプローチは打てなかったでしょうね」
「いや、それぐらいはペナルティなしでいいんじゃないか?これはプロのトーナメントではないんだから」
「そうだよ。あっ、ゴメン!でみんなそのままやって・・」
「待て待て。ルール通りにやろうとする君の姿勢は立派だよ。ルールを無視すればスポーツは競技として成り立たないんだよ。一方で俺たちのはゴルフは娯楽であることも確かだ。コースに出始めの頃、空振りしたら先輩から“練習練習、次が本番”て見逃してもらったことがあったと思う。みんなそうやって楽しくゴルフを覚えて行くんだ」
部長の目は優しい。皆んな笑顔でうなづいている。
「どうだろう。同伴競技者了解のもと、ペナルティなしとしないか?」
「ありがとうございます。部長の仰ることはよく分かります。でも、やっぱりルール通りでお願いします。融通のきかないやつですみません。あの、もし今日でなければ、皆さんのお言葉に甘えていたと思います。でも今日は私のベストスコアがかかっています。ペナルティなしにしたら、それは本当のベストスコアではないと言うか、誰かにベルトスコアを聞かれて99と言うのに気がひけるというか、いつまでもトゲのように心のどこかに残って、また別の場面で・・」
「分かった、分かった。よく分かったよ。君のフェアプレイ精神を尊重しよう。ベストスコアは次回にお預けだ」
「ありがとうございます。本当にすみません。でもなんか、すっきりしました」
「おっ、ようやく次の組もグリーンまで来たぞ。さあ、アテストしてスコアカードを提出しよう」
「お疲れ様でした。ただいまより表彰式を始めます」
1ドリンクとお菓子のみの簡単なパーティーである。最下位から順番に発表し、その都度、歓声が上がり、野次が飛び交う。
優勝は、76で回った部長であった。ぶっちぎりのベスグロである。これで3連続優勝となった。
ぼくの100切りはならなかったが、ハンデに恵まれて5位入賞。缶ビール6本パックとボール1ダースをゲットした。
「それではこれで第15回の東京営業部コンペを終わります。次回優勝を目指して、皆さん練習に励んでください。
車を運転の方は、事故のないよう安全運転でお帰りください。クラブバスは15分後に出発です。遅れないようにお願いします。
皆さん、お疲れ様でした!ありがとうございました!」
「お疲れ様!」
「幹事ご苦労さん!」
「麻雀する人、あと1人いないかぁー」
月曜日の朝は普段より早めに出社した。コンペの簡単な報告書を参加者にメールしなければならない。
「おはよう。早いね」
「あっ、部長。おはようございます」
毎週月曜日は8時半から、部長以上による幹部連絡会だ。部長席の前に立ち、プリントアウトしたばかりの報告書を示す。
「土曜日はありがとうございました。そらから、優勝おめでとうございます」
「やあ、ありがとう。幹事ご苦労さんだったね。ところで、明日の夜は空いてないかい?」
ざっと目を通した報告書を頷きながらこちらに返し、いたずらっぽい目で問いかけて来る。
「はい、空いてますが・・」
「じゃあ、何かご馳走しよう。寿司か?それとも焼肉が良いかな」
「でもベストスコアではなかったですが・・」
「いや、ベストスコアよりもっと良いものを見せてもらったよ。目を覚まさせてもらったお礼ってとこかな。遠慮するな」
(本当に最高の上司だな。よーし、思い切り甘えよう)
「はい!焼肉をたらふく食べさせてください!」
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