第29話 忍びよる影④

 次の日、もと子はいつものように病院の更衣室でナース服に着替えていた。次々と看護師達が着替え終え、同じ並びのロッカーの前に誰もいなくなった。ふと後ろに気配を感じた。振り返ると漆田が腕を組んで立っていた。

「アンタ、リュウの住所教えなさいよ。」

「プライバシーは教えられません。」

目を合わさず、着替えを済ますとロッカーに鍵をかけた。出て行こうとすると、漆田はもと子の進路を塞ぐようにロッカーに腕を伸ばした。

「アンタみたいなショボい女は釣り合わないって言ってんの。」

「いい加減にして下さい。パワハラで上に言いますよ。もちろんリュウさんにも。」

もと子を蔑む漆田のまなざしをもと子は真っ向から受けた。フン、と言うと漆田は腕を下ろした。

「これで終わると思ったら大間違いだから。」

漆田は更衣室を出て行くもと子に捨て台詞を投げかけた。


 引き継ぎが終わり、更衣室に行こうとしたところでもと子は看護師長の中村に声をかけられた。

「棚橋さん、ちょっといい?帰りにお茶でもどう?話したいことがあるんだけど。」


もと子は中村と駅前の喫茶店に入った。

コーヒーを頼み、ウェイトレスが下がるともと子は口を開いた。

「あの、師長。ご用件はなんでしょうか?」

「あのね、棚橋さんが水商売の遊び人に騙されてるって耳に挟んでね。プライベートなことなのにゴメンね。私も病院の奨学金もらってた人はちゃんと契約期限まで働いてもらえるよう面倒みることになってるもんだから心配になってね。」

中村は困ったような顔をした。

「私の彼は税理士の卵なんです。今は週末だけ前の職場のクラブで働いています。彼は真面目ですごくいい人で私は今までいっぱい助けてもらってきたんです。」

「そ、そうなの。でも、何人もの女の人に囲まれて楽しそうな写真を見せてもらったんだけど。あなたの知らないところでかなりの遊び人なんじゃない?」

中村の疑いが晴れないのに、もと子はウンザリして大きなため息をついた。

「写真見せたの漆田さんですね?あの人、私の彼のファンなので、私なんかが彼女なのが許せないみたいです。」

「そういう部分もあるかもしれないけど、彼女は本当にあなたのこと心配してたよ。」

もと子の説明を聞いても中村は疑いの目でジッと見ている。

「私は棚橋さんには真面目な人が良いと思うよ。」

「何言っても信じてもらえないですね。川端君も彼のことを知ってるので、聞いてみて下さい。」

もと子は失礼しますとお辞儀をするとサッサと喫茶店を後にした。

中村の姿が見えなくなるまで歩くと、リュウと川端に事の次第をラインで説明した。まもなくリュウから川端と連絡を取るから心配するなと返信が入った。


 もと子からラインが入った時、リュウは久々にピンクに来ていた。カウンターに座り、ママに瀬戸の家に招かれた時の話をしていた。もと子のラインに心配するなと返信した後、すかさずママに相談した。

「ママ、さっき話したもとちゃんの先輩、漆田のやつ、早速してきたわ。」

なあに?と尋ねるママにリュウはもと子からのラインの文面を見せた。

「なにこれ?リュウが水商売してるから、もと子を騙してるってもと子の上司を焚き付けてんの?やな奴!」

「やっぱり、もとちゃんの上司に会って話した方がええやんな?」

「ま、そらそうなんだけど、アンタが話したってこの場だけ猫かぶってんじゃないかって思われてお終いよ。」

だからさ、…ママはリュウに小声で囁いた。

「へえ、そんなもんなん?わかったやってみる。もとちゃんの同期の男の子にも協力してもらうわ。」


 川端はリュウに頼まれて看護師長の中村をピンクに連れて行くことになった。

「川端君、私、クラブだっけ?あんなとこ苦手なのよ。困ったな、困ったな。」

看護師長の中村は腕を取り、引っ張って行く川端に及び腰になっていた。

「クラブじゃないですよ。リュウさんがよく行くスナックですよ。僕も連れてってもらったことあるんですよ。オネエのママさんがいて、楽しいですよ。」

「す、スナックなの?」

「そこでリュウさんと待ち合わせです。」

おっかなびっくりの中村を引っ張って川端はピンクの前にようやく着いた。

「こんにちは、リュウさん居ます?」

「お待ちかねよ〜。」

川端がドアを開けて店内を覗き込むとママがタバコをくゆらし、その後ろでエプロン姿に丸メガネをかけたリュウが手を振った。

「リュウさん、ママさん、お久しぶりです。」

「川端ちゃん、いらっしゃい。」

「川端君、ありがとう。で、こちらがもとちゃんの上司さん?」

「はい、看護師長の中村さんです。」

「あ、中村です。」

中村がローズピンクの花柄のワンピースを着た大柄なオネエのママとカウンターの中からエプロンで手を拭き拭き出てきた大柄な青年に軽く頭を下げた。

「いつも、もとちゃんがお世話になっています。俺、もとちゃんと付き合ってます須崎です。

今日は仕事帰りのお疲れのところ、寄ってもらってすみません。」

目の前の男は深々と頭を下げた。

「中村さん、お腹ぺこぺこでしょ?さ、早くこっち座って。」

ママはカウンターの奥の席をすすめた。中村と川端が並んでスツールに腰掛けると、リュウはサッと目の前におしぼりと唐揚げを出してきた。

「あ!これもしかして、リュウさんの自慢の唐揚げですか?」

「おう、そやで。川端君、よう覚えてたなあ。いっぱい食べてや。」

「自慢の唐揚げ?」

「俺が作りました。どうぞ食べて下さい。他のもんも出していきますから、これ食べて待っててください。」

早速、唐揚げにかぶりつく川端に人懐っこい笑顔で答えた目の前の青年は漆田から見せられた写真の男と同じとは思えない。中村は首を傾げながら唐揚げを頬張った。

「…あら?美味しい!」

「お口に合ったなら嬉しいっす。」

小松菜の煮浸しと冷奴を出しながら青年は顔を綻ばせた。モゴモゴしながら中村はスマホを取り出し、漆田からもらった写真を見せた。

「これ、お兄さんかな?なんか同じ人に見えないんだけど。」

写真をチラリとみると青年は丸メガネを外して

中村に正面を向いた。

「どうですか?写真と同じになりました?」

「あら、同じ人だわ。でも、話に聞いたのと全然違うんだけど…」

中村は困惑した表情を見せた。リュウ、川端とママは顔を見合わせて苦笑いした。するといきなり入り口のドアが開いた。

「ゴメンね、遅なったわ。」

ドアから梶原のおばちゃんが飛び込んできた。

「おばちゃん、待ってたで。ここ、座ってや。」

リュウがカウンター越しに手招きした。

梶原のおばちゃんはカウンター席に既に座っている川端と中村に気がつくと、2人に笑顔で声をかけた。

「こんばんは。梶原と言います。」

おばちゃんは名刺を2人に渡した。

「ん?民生委員されてるんですか?」

「ええ。」

おばちゃんはチラリとリュウと目を合わし、リュウはおばちゃんにうなずいた。

「私、リュウちゃんとはこの子が子供の時から知り合いなんですよ。そやからね、この子のことはよう知ってますねん。もと子ちゃんに悪さするかもって心配されて、リュウちゃんのこと聞きに来られたって聞きましてね、この子、見た目が派手やから誤解されやすいんですわ。でね、飛んできましてん。」

おばちゃんは笑顔を見せながらもしっかりと中村の顔を見据えた。

「あの、聞いてもいいですか?子供の時から民生委員さんにお世話になってるってどういうことですか?」

中村は民生委員とつぶやくと姿勢を正し、おばちゃんの目を見て尋ねてきた。

「この子は親がフラフラしてましてね、なんかあってはウチが乗り込んでたんですよ。で結局、高校3年の時にお母さんが家を出てしもて、それで進学を諦めて働いて、この子が弟を大学出したんですわ。」

「え?リュウさん、そんな苦労してたんですか?知らなかった。」

川端はショックを受けて、頬張りかけた唐揚げを皿の上に戻した。

「そやからね、毎日のご飯もそうですけど、弟のお弁当、高校卒業するまでこの子が作ってましてん。」

おばちゃんは席に着くと並べられた料理を見て目を細めた。

「ここに並んでるのは全部、この子の手料理ですわ。うちが入院した時も、ようダンナに差し入れしてくれてましてん。ダンナが弁当に詰めてうちの見舞いしながら病室で食べてましたわ。」

「須崎さんが家族や親しい人のために作ってきた手料理なんですね。味が染みてホンマ、美味しい。」

中村は箸で摘んだ小芋の煮っ転がしを頬張るとしみじみと言った。

「これも見て下さい。」

川端はパンツのポケットからスマホを取り出すと中村の前に写真を見せてきた。

「かわいいお弁当ね。キャラ弁っていうの?ウインナーのタコさん、このうずら卵はヒヨコ?」

「わかります?良かった!」

リュウは真面目な顔をしていた時は強面だったのが、目尻を下げ、まるで子供のような無邪気な顔で微笑んだ。

「こういうお弁当、学生時代の棚橋さんのためにリュウさんが毎日作ってたんですよ。」

「そうなんですよ。リュウは明け方仕事が終わって家に帰ったら寝ないでお弁当作ってたんですよ。でも、このお弁当のおかげでもと子は友達できたんですよ。ね、リュウ?」

「そうみたいです。ママがキャラ弁作ったら、もとちゃんに友達できるんじゃないかってアイデアくれたんすよ。」

「ママさんのアイデアだったんですか!ホント、このお弁当がカワイイからみんな集まってきて、僕も棚橋さんと友達になったんですよ。」

リュウは川端とママに微笑み、そして中村に微笑んだ。

「…そうだったんですか。須崎さん、棚橋さんのこと大切にしてくれたんですね。」

「俺の仕事が夜の仕事だから中村さんが心配されるのは無理ないです。でも、俺、この仕事で弟を学校やって、独立させました。だから近々、税理士事務所に移りますが、俺はこの仕事に誇りを持ってます。ご心配おかけしますが俺たちの事、温かく見守ってもらえませんか?」

リュウが頭を下げた。すると

「私からもお願いします。」

次々に梶原のおばちゃん、ママ、川端も頭を下げた。

「皆さん、頭、上げて下さい。私こそ大きなお世話でごめんなさい。微力ながら私もお二人を応援させてくださいね。もう、民生委員さんが人物の太鼓判押しはるんやもん、須崎さんは信頼できる人ってようわかりました。」

中村はハッキリと4人に告げた。

「ありがとうございます。俺、もとちゃんを絶対に泣かさへんので安心して下さい。」

「そうよ、頑張んなさいよ。」

ママがリュウの肩を音を立てて叩いた。

「皆さん、ありがとうございます。よろしくお願いします。」

リュウは叩かれた肩をさすりながら、もう一度みんなに深々とお辞儀をした。

「じゃあ、せっかくだから乾杯しましょ。楽しく飲みましょ。」

ママがそれぞれにグラスを渡し、ビールを注いだ。梶原のおばちゃんの発声で乾杯。

「もと子ちゃんとリュウちゃんに乾杯!」

お互いにグラスをカチカチと音を立てて合わせ、グッとグラスを傾けた。

「リュウ、アンタがなんかおつまみ作って。」

リュウがリズミカルに包丁でキャベツを刻む。残りの4人は楽しく話を始めた。

「はい、お待ち!」

出された皿をみんなが見ると、そこにはレタスの上の刻みキャベツのサラダのうえにタコさんウインナーとうずら卵のヒヨコ。

「あらー!」

中村は相好を崩した。

「中村さんに受けて嬉しいっす。」

リュウが中村に負けないほどの笑顔で応えた。


 4人は小一時間ほど楽しい時間を過ごした。ふと中村が腕時計を見た。

「あら、もうそろそろお暇しなきゃ。今日はありがとうございました。」

「ホント、僕もそろそろ帰ります。」

中村に続いて川端も立ち上がった。中村が財布を取り出すとリュウが手で抑える真似をした。

「今夜は俺が皆さんをご馳走させていただきます。とっても楽しいひとときでした。ありがとうございました。」

「え?でも…」

中村が困ったようにリュウを見返した。

「中村さん、いいのよ。中村さんがもと子とリュウの交際を応援するって言ってくれたのが、リュウはすごーく嬉しいんだから。素直に奢られてやって下さいな。」

ね?とママが振り返るとリュウはウンウンと笑った。

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうかしら。ご馳走様でした。」

中村はペコリと頭を下げた。その後ろで川端が中村に見えないようにガッツポーズを取った。

「お気をつけてお帰りください。中村さんに俺らの事を心配して相談した人にもよろしく伝えてください。」

「もちろんそうします。お騒がせしてごめんなさいね。」

手を振って中村と川端が帰りかけた。

「うちもやっぱり帰るわ。ダメ押ししてくるな。」

梶原のおばちゃんはリュウにウインクすると、待って!と中村、川端の後を追いかけた。

フウと大きく息を吐いたリュウは今度はママに向かって頭を下げた。

「ママ、ホンマにありがとう。ママのアドバイスのおかげや。」

「アンタみたいに見た目がチャラいのんは何言ってもなかなか信用してもらえないからね。梶原のおばちゃんの民生委員って肩書きをぶつけたんよ。まあ、予想以上にうまくいって良かった。リュウの料理も効いたしね。」

ママはドアを閉めた

「リュウも疲れたやろ、一杯やろ。それに早よもと子に結果教えたり。」

リュウはパンツの後ろからスマホを取り出した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る