第26話 忍びよる影①
忍びよる影
リュウと付き合い出して半年。もと子は本日の勤めを終え、駅に向かって歩いていた。
「待って、棚橋さん。一緒に帰ろう。」
呼ばれて振り返ると、同期の川端が黒の細身のパンツに白いジャケットをはためかせて走って来た。川端は丸顔に人懐っこい笑みを浮かべてもと子の隣に並んだ。
「お疲れ、川端君。」
「うん、お疲れ。」
同期の二人は今日の仕事の話からたわいのない話で盛り上がった。ふと話が途切れた。前を向いていた川端が、そういえばともと子に切り出した。
「棚橋さんさあ、最近彼氏できたでしょ?」
突然の指摘にもと子はドキリとした。
「最近、急に女っぽくなったから、実はちょっと噂になってるよ。」
「え、そんなことないよ。」
と言いつつももと子は顔が熱くなっていくのを押さえられなかった。
「分かりやす。もう顔、赤いで。」
川端は面白そうにもと子の肩をつついた。
もう吐いてまえ!嬉しそうな川端に囃し立てられてとうとうもと子は話してしまった。
「川端君、内緒やよ。実は最近、初めて彼氏ができてん。」
「やっぱり。で、どんな人なん?」
「すごく優しくて、めちゃめちゃステキ。」
「なんやそれ!めっちゃノロケてるやん。何してる人なん?サラリーマン?」
「会社勤めじゃないねん。夜の仕事っていうか、クラブの店員さん。」
真面目が服を着て歩いているようなもと子からクラブの人が彼氏と聞き、川端は少し心配になってきた。
「へ、へえ。どこの店?」
「ええとね、キップスっていうお店。KIPPSって書くよ。」
「キップス!有名やん。俺、時々行くよ。彼氏の写メある?見たいなあ。男前なんやろ?見せて!」
わざとはしゃいだ振りをして川端は恥ずかしがるもと子から写メを出させた。もと子と顔を寄せて仲良く写メに写る男を見て、川端は驚いた。
「ゲ!これ、リュウさんやん!」
「知り合い?」
キョトンとした顔でもと子は尋ねた。
「棚橋さん、知らんの?リュウさん、めっちゃカッコいいし、あの辺りではすごい人気あって有名人なんやで。」
「え?そうなの?私、店には来ないよう言われてて、よく知らんねん。」
もと子は不安そうな顔をした。
「え、そうなん?店でリュウさんはね,,,」
驚いた川端は店でのリュウがいかにカッコよく、常にまわりにゴージャスな美女達が取り巻いていることや歴代の彼女が取り巻きゴージャス美女のメンバーということを説明しようとした。が、しかし、その美女達ともと子の落差を考えると思わず言葉に詰まってしまった。
「あー、どうやって知り合ったん?なれ初めは?」
テンションの上がった川端に、少し戸惑いながらもと子は口を開いた。バイト先で助けてもらった出合いから新しいバイトを紹介してもらったり、付きまとってきたストーカーから助けてもらったこと、家事の出来ないもと子に家事を教えてくれたりと沢山世話になっていることを簡単に語った。そして、時々料理を教えてもらってることを話した。
「はあ、リュウさんの手料理食べてんの。うらやましい。」
川端は心底うらやましそうな顔をした。
「よかったらリュウさんが作ってくれたお弁当の写メ見てみる?」
川端は顔中からワクワクを溢れさせて、何度も大きくうなずいた。もと子はそんな川端の様子に嬉しくなって何枚も写メを見せた。
「これって卒業前、棚橋さんのキャラ弁すごいってクラスのみんなが騒いでたやつやん。リュウさんの作やったんや!スゴいなリュウさんはこんなんもできるんや。」
川端はため息をついた。遠くを見るような目をしてうっとりした川端はスゴイ、スゴイと繰り返した。
リュウの話をしているうちに二人は駅に着いた。
「もとちゃーん!」
名前を呼ばれて声のした方向をキョロキョロと探すと、改札の前に伊達眼鏡をかけた
リュウが片手を上げていた。
「あ、あ、リュウさんだ!生リュウさんだ!なんで?なんで?」
川端がアワアワと焦って上擦った声を上げながらもと子とリュウの顔を交互に何度も見た。
「もとちゃん、同僚の人?」
もと子はリュウの横に回るとうなずいた。
「同期で同じ職場の川端君。」
「そうなんや。いつももとちゃんがお世話になってます。」
リュウがニッコリ微笑みながら頭を下げた。
「あ、あ、こちらこそお世話になってます。」
川端はロボットのような動きで、ぎこちなく挨拶を返した。
「あのね、川端君、リュウさんのお店によく行くんだって。リュウさんの作ってくれたお弁当の写メ見せたら、スゴイ、スゴイって誉めてくれたんです。」
「僕、リュウさんのファンです。リュウさん、あんなにカッコいいのに腕っぷしも強いし、料理も上手なんですね。」
目をキラキラさせてうっとりとリュウを見ている川端にリュウは苦笑いし、傍らのもと子に提案した。
「もとちゃん、よかったら今日は川端君と三人でこの辺りのお店でご飯食べへんか?俺、川端君からもとちゃんの仕事ぶりとか聞きたいわ。」
「なんか恥ずかしい。でも、川端くん、よかったら一緒にご飯しない?」
「行く!行く!行く!」
川端はガクガクと頭を上下にふった。リュウはもと子と川端の間に立ち、二人にそれぞれに声をかけた。
「ん、じゃあ行こうか。何食べる?どこのお店行く?」
リュウに任せるということになり、近くのチェーン店の居酒屋に入ることになった。仕切られた沢山の小部屋の一つ、畳のある部屋に三人は通された。テーブルの壁側にもと子、その隣にリュウが座り、リュウの向かいに川端が座った。それぞれに配られたおしぼりで手を拭きながらリュウと川端が生ビール、もと子はウーロン茶を頼んだ。
「何食べる?仕事帰りの二人はお腹ペコペコやろ?食べたいもの頼み。」
リュウは二人に鳥の唐揚げやピザ等、食べたいものを選ばせてオーダーした。
「んー、じゃあ自己紹介しよか。俺は須崎龍太郎です。ご存じ、キップスに勤めています。」
「あ、僕は棚橋さんの同期で川端健人です。外科の病棟で看護師しています。」
「川端くん、女の人が多いところで頑張ってるんやな。偉いなあ。」
リュウに誉められて川端は照れくさそうに頭をかいた。
「いやもう、毎日怒られてばかりで日々勉強不足を痛感です。」
「そんなことないよ。川端くんはいつも教えてくれたり、フォローしてくれるもん。」
もと子の言葉に川端は苦笑いをした。
「いや、フォローになってないことも多いんです。てか、リュウさんってお料理、上手なんですね。さっき、棚橋さんにお弁当の写真を見せてもらいました。」
「わー、もとちゃん、見せたんか?めっちゃ恥ずかしいやん。」
運ばれて来た唐揚げとサラダを取り皿に取り分けたものを川端の前に箸と共に置いて、リュウは思わず苦笑いをした。キップスでは常連さん以外には、近寄り難いほど怖い雰囲気のあるリュウが、笑うとその端正な顔が子供のようなかわいい笑顔になった。川端はその笑顔にドキリとした。暴れる客をあっという間にスマートに押さえるほど腕っぷしが強いのに、目の前の客にはさりげなく気配りして相手を楽しませる。キップスではゴージャスな取り巻き達に囲まれて、自分のような普通の客は声をかけづらく遠目に羨望の眼差しを送るだけである。さすがにファンがたくさんいるだけのことがある。リュウさん、尊敬します。川端は小さくため息をついた。
「普段は自炊されてるんですか?」
「うん、弟と2人で住んでたから飯は全部俺がしてたで。」
「うわー本当ですか。スゴイな。僕、料理も少しはできるようになりたいんですけど、こんな僕でもできる料理ありますか?」
「あるある。要はへこたれへんヤル気やから。」
リュウはサラダをはじめ、何品か簡単な料理を教えてくれた。
これを皮切りに川端とリュウ、もと子は料理を始め、家事のコツなど身の回りのいろいろな話でおしゃべりが弾んだ。
「リュウさんってお店ではあんなにカッコいいじゃないですか。どんなプライベートなんだろうって思ってたんですよ。家で自炊して家事してるってイメージと違いますね。びっくりしましたよ。」
「そう?家ではタバコも酒もやれへんよ。服もプチプラだし、地味に暮らしてるで。弟の学費の借金もあるから贅沢は出来へんねん。」
マグロの刺身に箸をつけながら、冷酒をチビチビと口にした。リュウと話をしていて、素の姿と店の姿とのギャップに川端は驚いた。もと子の手前、元カノ達のゴージャス美女やら取り巻きの羽振りの良さそうな人たちの話は控えたものの本当にもと子は彼女なのか?それとも遊ばれているのか?川端は首をかしげた。専門学校時代、親が居ないもと子は生活費を稼ぐためにバイトに明け暮れ、節約にいそしんでいた。そのためクラスメートと必要以上に関わることもなかった。いつも暗い顔をして、着古した服装で素っぴんのもと子はクラスの中では浮いた存在であった。それが少しずつ笑顔を見せるようになり、卒業前はかわいい弁当がきっかけに周りと話すようになり、今では友達も何人かできた様子。隣のリュウを笑顔で見つめ、幸せそうにしているもと子がもし遊ばれているなら川端は、それはアカンやろと思った。
テーブルの上の料理もほとんど食べた頃、
もと子が男二人に声をかけた。
「ごめんなさい、トイレ行ってきます。」
もと子がトイレへと向かって行った。二人はその後ろ姿を見届けた。
「,,,川端くん、何か言いたいことあるんちゃう?」
ビールの入ったグラスを静かにテーブルに置いたリュウは目を細めて川端の目をじっと見てきた。リュウが腕っぷしが強いことを知っている川端は、リュウの眼差しに大いにビビったが、そこを悟られないように見つめ返した。
「あ、わかりますか。は、始めに言っときます。僕は棚橋さんの友人として聞きます。キップスで聞いたリュウさんの彼女さん達はみんなすごいリッチで美人でおしゃれで近寄りがたい程じゃないですか。棚橋さんみたいに普通の子じゃない。棚橋さんは遊びですか?もしそうなら棚橋さんはすごく苦労してるんです。も、弄ばないで下さい。」
川端の必死な様子にリュウは、大きくため息をした。
「そやな、キップスの俺を知ってたらそう思うわな。」
リュウは先程の鋭い目付きと違って柔らかく川端を見た。
「俺、二股はかけたことないねん。今までの彼女達、みんないい人ばっかりやってんけど、やっぱり金銭感覚が違いすぎて長続きせえへんねんわ。俺、ヒモになる気ないからなあ。」
ビールをくっとあおると川端から目をはずしてもと子の行った方向を見た。
「でもな、もとちゃんは違う。俺ら、似たような境遇やろ?この間まで妹みたいに思ってたぐらいやから、もとちゃんといるとホッとするねん。楽やねん。素のままの自分でおれる。」
「じゃ、じゃあ、ちゃんと彼女なんですね。良かった!安心しました。」
川端はふう、と大きく息を吐くと肩の力が抜けた。
「もとちゃんの心配してくれてありがとう。もとちゃんはいい友達持ってんねんな。嬉しいわ。」
リュウは、川端のグラスにビールを注いだが、ふと何かを思い付いたように微笑みかけた。
「そうや、川端くん、俺とLINE交換してくれる?またなんかあったらもとちゃんの様子聞かせて。店のイベントの案内も知らせるわ。」
「いいですよってか、嬉しいな。リュウさんとLINEって。棚橋さん情報、任せて下さい。」
川端は嬉しそうに鞄からスマホを出した。LINEの交換をしながら、ふと川端は、気がついた。
「そういえば同じ職場の先輩でリュウさんのスゴイファンらしい人がいるんですよ。その人、意地悪できついんですよね。」
「そんな人、いてるの?」
「う~ん、棚橋さんはその事を知らないですよね。ということはリュウさんと付き合ってることは職場では隠した方が良くないですか?付き合ってるってわかったら意地悪してきそうなタイプなんですよね。」
「そんな奴おるんや!川端くん、ナイスや。今日、会えてホンマに良かったわ。」
「僕、棚橋さんに言っときましょうか?棚橋さん、俺が聞いたらすぐリュウさんのこと教えてくれました。棚橋さん、最近急に可愛くなったって他の人も言ってたから、そのうち誰か、彼氏できた?って聞いてくると思うんですよね。」
「そうなんや。川端くん、悪いけど頼むわ。」
リュウは片手を立てて拝むようにした。
川端は右手を上げ、敬礼をした。
「あれ、川端くん、お巡りさんみたい。」
リュウと川端が振り向くと、もと子が椅子に座ろうとしていた。
「スゴイ混んでた。遅くなってごめんね。なんの話してたん?」
「あのさ、リュウさんと話してたんだけど、棚橋さんがリュウさんと付き合ってること、職場では言わない方がいいよ。」
「え、そうなん?なんで?」
もと子は訳がわからないと首をひねった。
「漆田さんはリュウさんの大ファンやねん。キップスにもよく来てる。今まではリュウさんと仲良しのお客さん達の輪によう入らんかったから、リュウさんも漆田さんを知らなかったんや。」
漆田の名前を聞くと、もと子は焼きおにぎりを頬張ろうとして固まった。
「漆田さんが。」
「アイツが知ったらなんかやりそうやろ?」
「うん、絶対しそう。わかった、リュウさんのことは川端君だけね。」
もと子は川端とリュウを交互に見て、うなずいた。
「川端くん、ありがとうな。またもとちゃん、助けたってくれ。この通りや。」
リュウは川端に頭を下げた。その姿を見て、慌ててもと子も頭を下げた。
「わかりました。」
あの人気者のリュウがもと子のために頭を下げるのを見て、川端は、リュウが真剣にもと子のことを考えているのだと知った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます