第20話 伯父さん現る②
チラチラとこちらを見ていた店員が一段落した様子を見て、ようやくオーダーを取りにやって来た。津田はホットコーヒー2つ頼むとおもむろに棚橋に頭を下げた。
「遅くなりましたけど、今日は遅刻してすんませんでした。」
「あ、いや、いえいえ。来られるなんて知りませんでしたから。もと子ちゃん、もう帰ってもろてもエエやろ?」
棚橋はもと子の顔を覗き込み、うっとうしそうな目付きをして、津田とリュウを帰らせるよう促した。焦って口を開きかけたもと子が何かを言う前に、フフフと笑った津田が口を開いた。
「それが、そうはいきませんのや。もと子のお婆ちゃんの後見人で相続担当もしている弁護士さんから頼まれてましてね、お婆ちゃんが残したお金をもと子に受け取りに来るよう伝えて欲しいと。」
「…!」
もと子は驚きのあまり口を両手で押さえた。
「何をエエ加減な事を!」
棚橋は顔を真っ赤にして怒鳴った。そしてもと子に顔を向けると必死に呼びかけた。
「こんなチンピラみたいな奴の言うこと、信じたらアカン!俺はもと子ちゃんの伯父さんやで!」
棚橋は津田に向き直ると目をつり上げて声を張り上げた。
「俺がもと子に声をかけたんは先週や!たかだか一週間でそんなん調べられるわけないやろが、このぺてん師野郎!」
「あー、そこが違うねんな。俺が棚橋さんの話を聞いたのは昨年の年末なんですよ。うちの助手、もと子さんの友達でね、もと子さんから伯父さんの話を聞いて心配になった助手が俺に相談したって事ですわ。で、棚橋さんはなんで相続放棄させたかったんです?」
津田は罵るでもなく、ただ淡々と棚橋に尋ねた。津田が数ヶ月も前から調べていたと聞き、棚橋は少し身構えた。しかし怒るそぶりを見せないチャラそうな津田に嘲ったような笑いを見せた。
「ふん、俺は婆さんを介護するにあたってものすごい手間も金も使ったから、もと子にせめてその一部だけでも助けてもらいたいと思っただけや。」
「それなら、そう言ったらよろしいやん。で、どれぐらいもと子に出してもらおうと思ってたんです?」
「取り合えず、300万やな。」
「でも、普通、身寄りのない学生がそんな大金持ってるとは思いませんよね。」
津田はコーヒーを一口飲んだ。
「私ね、以前もと子さんが白木代議士の甥っ子にストーカーされてた件で、もと子さんの代理人をしてたんですわ。あ、そういえば先日、白木代議士の関係者から連絡ありましてね、もと子さんの慰謝料を聞きに来た人がおったって。これが聞きに来た人の写メですわ。これ、お宅やんね?」
津田はスマホの写真をテーブルの真ん中に置いた。そこに写る男は棚橋その人。棚橋はみるみる顔を青ざめさせた。
「なんで、もと子の慰謝料と同額をたかろうと思ったんかなあ?すぐ怪しまれますやんか?ああ、そういえば後見人や施設の人にも聞いたけど、もと子の婆さんは一人で施設決めて入所して、死ぬまで誰も身内は会いに来なかったと聞きましたで。でも一回だけ息子が会いに来たそうや。婆さんが倒れた時に婆さんの金は自分が預かると言ってきた息子がおったと後見人もスタッフも怒ってたわ。なんや、全然介護してへんやん。」
津田はからかうように棚橋に突っ込んだ。
「み、身内なんやから母親の大事な介護資金を他人に使い込みされたらって心配になるやろが!」
ほお、津田は嬉しそうににこやかに相槌をうった。
「俺らが来たから、棚橋さんはもと子の相続分の500万と、もと子の持ってる慰謝料300万の計800万を取り損ねたわけや。残念やったね。」
「うるさいわい。」
棚橋は心底悔しそうに津田を睨んだ。
「話は変わりますけど、もと子も社会人になったんでね、そろそろ自分で両親の供養したいらしいんですわ。どこに骨を預けてますのん?教えてもらえませんか?棚橋家の菩提寺に無いのは確認済みですねん。」
棚橋はプイッと横を向いた。
「そんなもん、あるわけないやろ。」
伯父の返事にもと子は驚き、前のめりになった。
「ど、どういう事ですか?伯父さん、私が小学生だったからお葬式もしてくれて、お骨も預かってくれてるんじゃなかったんですか?そう言ってましたよね?」
棚橋はもと子に向き直り、片方の唇の端を歪めて意地の悪そうな顔をした。
「あほくさ。そんな金のかかること、なんでせなアカンねん。骨は焼ききったから無い。お前が管理せんでエエようにしたったんやろが。感謝せえよ!」
「,,,,パパ、ママ」
もと子は呆然とした。その瞳からみるみる涙が溢れ、ポタリポタリとテーブルに小さな水たまりがいくつも出来た。
「と言うことは葬儀もしてへんということですね。じゃあ、葬儀代としてもと子さんから預かったお金は棚橋さんが自分の為に使ってしもたってことですね。」
泣きじゃくるもと子の隣で淡々と津田は聞いた。そして津田の問いに棚橋は薄ら笑いを浮かべながら答えた。
「どうせ嘘ついても調べはついてるんやろ?はした金の保険金は息子の学費と借金の返済に使ったわ。」
「留年4年目の息子さんの学費やね。滞納して督促来てたね。で、その残りは借金の一部の返済にまわしたんやな。ん、調べ通りやな。」
「は!あのお金のおかげで息子はどうにか卒業出来たんや。あんたのおかげや。ハハハ!」
両手で顔をおおって泣いているもと子に棚橋はヤケクソ気味に笑った。
津田はウンウンと頷くと、もと子の頭を軽くはたいた。
「お前、いつまで泣いとんねん!泣いてる場合やないやろが!」
ひゃっ!もと子は訳が解らずリュウに助けを求めた。ところがリュウも怖いほど真面目な顔をしてもと子の顔を見ている。
「もとちゃん、津田さんの言う通りや。泣いてる場合ちゃうで。やるべき事があるやろ。」
「え?」
もと子はもう一度津田を見た。津田はいつもと違う真面目な顔をしてもと子を見つめた。
「あのな、お前の名前なんて弁護士ならすぐ調べられるのに、お前、何も書いてない真っ白な紙に伯父さんに名前を書かされてたやろ?あれは白紙委任状って言うてな、伯父さんは余白を利用して自分の好きなように、この場合なら、お前が遺産の相続放棄した上に介護費用として伯父さんに300万を支払うという契約書にお前が署名したような契約書を作ろうとしてたんや。」
「,,,ひどい!名前を書くってそういうことだったんですか?」
もと子は大粒の涙をこぼして、棚橋に問いかけた。
「ふん!のんびりしてるお前が悪いんや。お前の母親がちゃんと親が決めた相手と結婚して金を引き出してたら、俺もこんな貧乏せんで済んだんや。俺がお前にたかって何が悪い!全部お前らのせいやろが!一生かけて償え!」
「ええ加減にせえや。」
あまりの言い草にリュウがテーブルの上にあったペンを掴むと両手でへし折った。
顔面蒼白になったもと子に津田は静かに低い声で、語りかけた。
「お前が今するべき事はなんや?唯一つや。もと子、こいつと戦うことやろ!」
もと子は涙でぐじゃぐじゃになった顔の口元を押さえたまま目を真ん丸にして津田を見た。
「今、コイツと戦えへんかったら、またコイツら家族でお前にたかりにくるで。」
しゃくり上げながらもと子は聞いた。
「で、でも、どうしたらいいの?」
「簡単や。俺を代理人にして伯父さんを訴えますと言え。」
もと子はわかりました、とうなずき、ヒクッヒクッとしゃくり上げながら棚橋の目を正面からひたと見すえた。
「わ、私、棚橋もと子は津田さんを代理人にして伯父さん、あなたを訴えます!」
「何を訴えるねん?相続放棄や介護費用の事は未遂やないか。保険金も時効やがな、アホめ。」
リュウがペンをへし折るのを見て、少し怯えていた棚橋はもと子と津田を嘲るように笑った。そんな棚橋の顔を見て、津田はポケットから取り出したボイスレコーダーをチラリと見せた。そしてニヤリと人の悪い笑顔を見せた。
「あ、それね。刑事罰の時効ね。損害賠償の時効はまだいけるんよ。それと、あんたら夫婦だけやのうて学費に保険金使った、オタクの息子もわかってたやろ。訴えるんでそのつもりで。」
「な、なんでや?息子は関係ないやろ!」
「あらら、妹の子にはえげつないこと平気でするのに、我が子は可愛いってか?そういや、バカ息子、会社の上司の娘と縁談進んでるらしいね。」
津田の言葉に棚橋は悔しげにひと睨みすると、慌ててもと子にすがりついた。
「もと子ちゃん、伯父さんが言い過ぎた。ごめんな。数少ない親戚同士やろ?これからはちゃんとする。今回だけ見逃してくれへんかな。」
もと子は自分の腕を掴んだ棚橋の手を思い切り払い除けた。
「もう、うんざりです!私にお願いする前に両親の骨を返してください!」
もと子は泣き腫らし、目を赤く充血させて伯父を睨みつけた。
「ということなんで、書類が揃ったらまた連絡させてもらいます。」
津田はお尻でごりごりともと子を椅子から押し出すとニッコリ笑って会釈した。
津田は自分の白いクラウンの運転をリュウにさせ、自分ともと子は並んで後ろに座った。泣き疲れたもと子はすぐにコクリ、コクリと舟を漕ぎ出した。津田にもたれそうになる度に、ハッとして、ごめんなさい、と背筋を伸ばすがまたすぐコクリ、コクリと体が揺れてしまう。何度目かの、ごめんなさいの声の後、津田はおもむろにもと子の肩を抱いて引き寄せた。
「めんどくさいやっちゃな。サッサともたれて寝ろ。」
初めこそ、驚いて焦りをみせていたもののすぐもと子は津田にもたれて眠ってしまった。リュウは口をへの字に曲げたままバックミラー越しに後部座席をチラチラ見ていた。
「津田さん、もとちゃんに触らんとって下さいよ。いやらしい目で見んといて下さい。」
「お前は前向いて安全運転しとけ。そんなことより、いつになったらもと子に応えたるねん?」
「何言ってんですが?もとちゃんは俺なんかよりずっといい男を捕まえられる子ですよ。」
リュウの言葉に津田は大きくため息をついた。
「あのな、もと子はこんだけ金の苦労してるのに、俺が金で苦労させへんから俺の女になれって言っても断る奴やで。ずっと前からお前しか見てへんねんで。」
ハンドルを滑らかにまわして、交差点をゆっくりカーブしながらリュウは答えた。
「ないない。俺の事は兄ちゃんのように思ってるだけですよ。もとちゃんは真面目ないい子です。それだけですよ。」
つれないリュウの返事を聞き、津田は小さくため息をついた。
「はあ、もと子、お前の王子様は優しいのか冷たいのかわからんわ。お前も報われへん奴やのう。リュウに懲りたらいつでも俺んとこ来い。結婚は無理やけど、子供出来たらいつでも認知はしたるで。」
津田は肩にまわした腕の指先に触れるもと子の髪をクルクルとまわして指に絡めた。
「お前、今日はもう上がりや。もと子、今日はキャパオーバーでフラフラやから、しばらくお前んちで寝かしてやれ。晩飯も食わして、家まで送ってやれ。」
リュウは頬を緩め、うなずいた。
「わかりました。ありがとうございます。ところで、津田さん、今日の件、もとちゃんを助けたって下さい。」
「わかっとる。任せとけ。2度ともと子に会いたくないようにしたるから。」
津田はクウクウとすっかり安心した顔をして寝息を立てているもと子の涙の跡を人差し指で辿った。そしてもと子の頭を優しく撫でると、狡猾な笑みを一瞬浮かべて窓の外を見た。
棚橋と対決して3か月も経った頃、病院からの帰り道、スマホが震えた。津田からのラインが入った。
「前回の口座に入金しとく。」
もと子は近くのよく行くコンビニに立ち寄った。残高照会をすると相続した遺産と使い込みされた保険金に加えて、50万もの大金が入金されていた。驚いたもと子はコンビニを出ると、駐車場の隅に駆け込み、慌てて津田に電話をかけた。
「もしもし、津田さんですか?もと子です。」
「おう。口座、確認したか?」
「はい。お忙しいのに本当にありがとうございました。」
もと子はスマホを持ちながら、深々と頭を下げた。
「あの、質問して良いですか?慰謝料なんでしょうか、大金が入ってました。ここから津田さんに相談料をお支払いすればいいんですね?」
「アホ。なんでそんな面倒臭いことを俺がするねん。これはお前の取り分。俺の取り分は俺の口座や。」
「津田さんの相談料はちゃんともらえてますか?」
「それは心配いらん。ただ働きはせえへん主義やから。」
「じゃあここからリュウさんにお支払いすればいいんですね。」
「ボケ。リュウの当日の手当は給料に加算されてる。でも、そういやあの日の晩飯はアイツの持ち出しやな。その分、お前がご馳走したれ。」
津田はまだ事務所にいるのか、電話の後ろでカタカタとキーボードを打つ音がした。
「わかりました。津田さん、お忙しいのに本当にありがとうございました。津田さんにもお礼させて下さいね。また連絡させて下さい。」
「アホ、しょうもないこと気にすんな。俺はまだ仕事あるねん。子供はさっさと寝ろ。」
もと子は静かにスマホを切るとしっかり胸に抱いた。夜空には上弦の月が明るく光っていた。
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