第17話 家なき子④
国試が済んでからは、リュウへのお礼にもと子がご飯の用意をするようになった。今日もバイト帰りにスーパーで買い物をした。その帰り、バッグの中のスマホが鳴った。
「もしもし、もと子か?俺や、津田や。国試お疲れさん。」
「あ、津田さん!ご無沙汰してます。お元気ですか?おかげさまで国試無事終わりました。」「そら良かった。あんな国試も終わった事やし、お疲れさん会や。久しぶり飯でも食うか?」
「え、いいんですか?」
「当たり前やろ。前回お前に食わし損ねたフレンチ、今度こそ食わしたるわ。」
「ということは、リュウさん無しなんですか?うーん…」
「ボケナス。俺がお前みたいな小娘になんかすると思ってんのか。そこまで不自由してへんわ。」
津田は面白そうに声を上げて笑った。
「あんな、ワンピースぐらい着てこいよ。靴もスニーカーはアカンで。」
「ええ!?ワンピースなんか無いです。」
もと子は困ってしまった。
「お前、しゃあないやっちゃな。予約の前に買いに行こ。国試合格の前祝いや。荷物は少なくしろ。間違うてもリュックはやめてや。」
その日、もと子は津田から誘いを受けた事をリュウに相談した。
「津田さん、諦めてへんかったんやな。」
うーんと唸るとリュウは腕を組んだ。心細げにリュウを見るもと子に気がつくと困った顔をして笑った。
「津田さんとご飯行く日な、店を休むのは無理やねん。んー、まずな、お酒はご飯前のシャンパンだけにしとき。あとは水や。ご飯食べ終わったらすぐ帰りや。まあ、無理強いはせえへんと思うけど、もし変なことを言い出したらな、こう言いや。,,,」
そして津田と別れたら連絡入れるようもと子に約束させた。
当日、津田はディナーの前にもと子を知り合いのブティックに連れていった。
オーナーの女性はもと子を見ると、淡いピンクやブルーの膝下丈のドレスを数着持ってきた。もと子は全てに袖を通した。柔らかなシフォン、滑らかな生地がもと子の体を覆う。初めての感覚にもと子はうっとりした。津田やオーナーに見てもらい、淡いピンクのパフスリーブが可愛いドレスに決まった。そのドレスはもと子を可憐に見せ、津田も思わず顔を綻ばせた。
「津田さん、ありがとうございます!」
もと子は顔を赤らめて満面の笑みを浮かべた。着替えようとするもと子を津田が止めた。
「もと子、着替えたらアカンやろ。ドレスに合う靴もいるやろ?アクセサリーもあった方がええやろ?」
「でも、ドレスだけでもすごく高いのに…」
「アホウ、卒業式にも来ていけ。そしたら元取れるやろが。」
二人のやり取りを微笑ましく見ていたオーナーに津田は目で合図をした。オーナーはもと子の足のサイズを聞くと店の奥からドレスに合いそうな靴とパールのネックレスを持ってきた。
「このドレスならピンクのパンプスでもいいけど、他の服にも合わせやすいのは黒いほうやね。このパールはイミテーションだから使い終わったあとのお手入れは簡単よ。」
もと子はピンクと黒のパンプスの両方を履いてみた。
「んー黒の方がしまって見えるな。バッグを黒にしたらバッチリちゃうか?」
「バッグ…」
「わかった!乗りかかった船や!バッグも持ってきて!」
津田に一式を買ってもらったもと子は嬉しいものの高価な買い物に複雑な顔をした。
「困った顔、すんな。オーナー、頭もかわいくしたって。これはサービスでな。」
オーナーは多額の買い物をしてくれた津田に苦笑いをすると、モチロンですと応えた。もと子は店の奥にある化粧室で化粧とセットをしてもらった。化粧室から出てきたもと子を見ると、津田はスマホでその姿を撮影した。
「馬子にも衣装やのう。オーナー、べっぴんにしてくれてありがとうな。ほな行こうか。」
津田は左肘を軽く曲げ、もと子が腕を組むよう促した。慌てて津田と腕を組むと津田は満足気にもと子を見た。
ディナーのレストランはホテルの中にあった。津田が言ったように客は皆、ドレスアップしている。シャンパンで乾杯をした後、津田はソムリエを呼び、料理に合うワインをオーダーした。
すると、もと子はすかさずソムリエに言った。
「あの、お酒は好きじゃないので、わたしはお水下さい。」
「なんや、それ!お前、ホンマに子供やな。まあ、ボチボチ俺が酒の味、教えたるわ。」
少し驚いた顔をしたものの津田は無理強いすることもなく、ご機嫌で一人ワインを楽しんでいた。そしてもと子が今まで食べたことのない料理が次々に出てきた。
「もと子、ナイフとフォークは外側から使うんやで。」
もと子が困る前に津田は薄く笑うと小声で声をかけてくれた。ドキドキしながらもと子は使いなれないナイフとフォークに格闘しながら食べた。
「ホンマ、お前、一生懸命に食べてるな。味わってるか?」
津田はククッと笑った。
「お、美味しいです。」
恥ずかしそうに上目使いでもと子は応えた。デザートになり、ようやく力が抜けた。もと子の食べる様子を楽しそうに見ていた津田はコーヒーを啜りながらさりげなくもと子を見た。
「お前、今、リュウの所に居候してるんやろ?」
もと子はケーキを頬張り、大きくうなずいた。
「なあ、リュウの所から俺のマンションうつらへんか?たまにしか使わんマンションあるねん。」
「え、でも私、国試に合格したら4月から就職先の病院の寮に入るんで、すぐうつりますよ。」
もと子は不思議そうな顔をした。
「あのなあ、つまりやな、俺の女になれへんかって言うことや。」
ケーキを頬張り、もごもごしていたもと子は固まってしまった。
「看護師なんて大変やんか。俺の女になってのんびり暮らせよ。旨いもん食って、エエ服着て俺が会いに来るのを待つだけでエエねんで。おいしいやろ?」
「それって結婚しようって事ですか?」
「あー、結婚は無理やねん。俺は結婚はせえへんから。子供出来たら認知はしたってもエエけど。」
サラリと話す津田をマジマジと見つめると、もと子は最後のケーキを飲み込んだ。そしてケーキを平らげた皿にフォークを置き、深呼吸を一つした。
「お気持ちだけ頂戴します」
もと子はニッコリと微笑んだ。津田は驚いて目をむいた。
「は?お前がそんなこと言うなんて。あ、リュウに教わったんか?」
はああ、津田は大きなため息をついた。ガックリとうなだれる津田にもと子は丁寧に挨拶をした。
「ご馳走様でした。さすが津田さん、すごく美味しかったです。」
食事を終え、会計をした津田はもと子の腕を掴むと、未練がましくもう一軒行こうとしつこく誘った。すると津田の手を優しく自分の腕から離し、もと子は津田に微笑んだ。
「津田さんにはいっぱいお世話になりました。国試に合格したら、いの一番にお知らせしますね。」
津田の右手の小指に強引に自分の小指を絡ませてもと子は指切りで約束した。
「おやすみなさい!」
小首をかしげて手を振るとクルリと向きを変えてもと子は足早に去っていった。津田は次第に小さくなっていくその背中に言葉を投げた。
「リュウにふられたらいつでも来いよ!待っとるで!」
もと子の姿が見えなくなると津田は頭を掻き、ぼやいた。
「もと子のやつ、いつの間にこんなに賢こくなりよった…?」
合格通知が到着する日、もと子は一人、部屋でまんじりともせず待っていた。夕方、郵便配達員から待ちに待った合格通知を受けとると、もと子は震える手で封筒を開けた。
腰を抜かしてもと子は床に座り込んでしまった。この日、リュウは早めに帰宅させてもらった。ドアを開けるともと子が床に座り込んで通知を胸に抱えている。リュウはおずおずと聞いた。
「もとちゃん、聞いてええか?どやった?」
もと子は沈黙。そして少し上気した顔でリュウを見あげた。
「,,,う、受かりました!」
「ホンマか!見せてみ。」
目を潤ませたもと子から通知を受けとるとリュウも食い入るように見た。
「う、受かった。受かった!やったな!やったな!」
リュウも興奮してもと子の手を取るとハグし、もと子の頭をワシワシと撫でた。
「もとちゃん、よう頑張ったなあ。今夜は俺、仕事やからアカンけど、明日の昼はお祝いや。なんでも食わしたるで、遠慮せんとなんでも言いや。」
満面の笑みでリュウはもと子の顔をのぞきこんだ。
「ホントに?じゃあリュウさんの唐揚げ。」
もと子の返答にリュウは転げそうになった。
「もとちゃん、遠慮すんなって言うたばっかりやろ。」
「だから唐揚げ!唐揚げー!」
もと子は唐揚げを譲らず、とうとうリュウも根負けした。
「やったあ、唐揚げだあ!」
もと子は小躍りして喜んだ。
「まるで子供やなあ。かわいい奴。」
リュウは苦笑いをした。
次の日の昼、少し早めに起きたリュウは手早く料理をした。テーブルには山盛りの唐揚げ、シーフードがたくさん入ったいつもより豪華なサラダ、オムライス、ピザが所狭しと並んだ。もと子は目を輝かせた。
「もとちゃん、おめでとう!乾杯!」
二人はウーロン茶で乾杯をした。ひとくち口をつけるともと子はグラスを置いた。
「リュウさん、本当にありがとうございます。全部リュウさんのお、おかげです。」
言葉の最後は涙声になっていた。
「違うで、もとちゃんの頑張りやで。ホンマによう頑張った。さあ、食べや。」
リュウは微笑みながら声をかけるともと子もニッコリとして大きくうなずき、両手をあわせた。
「いただきます!」
早速もと子は唐揚げにかぶりついた。リュウも食べ始めた。
「美味しいです!やっぱりリュウさんの唐揚げはジューシーで生姜がバッチリ効いて最高です!」
唐揚げを頬張り、口の周りを油でベトベトにしながら、もと子はお箸を握った右手の親指を立てた。
「もとちゃん、気に入ってくれてよかったわ。唐揚げ以外も食べや。」
はい、と応えると思い出したようにサラダ、オムライス、ピザを皿に取り分け、モリモリ食べ始めた。もと子が目を輝かせて食べる様子にリュウは目を細めた。
ご飯が終わり、デザートのケーキがテーブルに並べられた。一気に食べたもと子はようやく落ち着いて、唐揚げの油でベトベトになった手を洗い、満足気にお腹を撫でている。リュウはカバンに手を入れると白地にキラキラしたラメが散りばめられた紙にピンクのリボンでラッピングされた小さな箱を取り出した。
「もとちゃん、気持ちだけやけどお祝いや。」
「え、ホントに!ありがとうございます。うわあ、開けていいですか?」
もと子は渡された小さな箱のリボンを丁寧にほどき、包装の紙を破かないよう剥がした。箱の蓋を開けるとそこには銀色のボディーに金のラインで縁取りされた華奢な時計が。箱から取り出すともと子は、声にならない小さなため息をついてうっとりと見つめた。
「貸してみ。」
リュウは時計を預かると、もと子の左手を取り、その細い手首につけてやった。
「思うた通り、似合うやん。安いもんでゴメンな。良かったらプライベートで使って。」
ブレスレットタイプの時計はもと子の手首で揺れている。何度も手首を返し、時計が光を受けてキラキラ光るのもと子は見惚れていた。
「リュウさん、素敵です。この時計、私の宝物にしますね。」
時計の文字盤の上を指で撫でると満面の笑みを浮かべた。
「もとちゃん、今までずっと我慢して頑張ってきたやろ、仕事に慣れたら同じ年頃の女の子みたいにオシャレや遊んだりして楽しみや。」
「オシャレ…あ、でも奨学金返さないといけないから当分無理ですね。」
「ボチボチ、楽しみや。もとちゃんの人生これからやで。」
なんだか困った顔をしたもと子にリュウは笑いかけた。
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