第15話 家なき子②
リュウの家から通うようになり、分担する家事はあるもののリュウは毎朝、もと子に弁当とオヤツを持たせ、勉強しやすいように環境を整えていった。
リュウの家にもと子が移って一週間経ったある日、リュウは早めのクリスマスを今カノのサナと過ごすことになった。サナの行きつけの高級レストランで待ち合わせることになった。リュウはサナにプレゼントされたイタリア製のダークブラウンのスーツを身につけていた。オーダーメイドのスーツは程よくリュウの体に張り付き、均整の取れたしなやかなシルエットをあらわし、本人は気がついていないが隠しきれない男の色気を醸し出していた。時計もネクタイも全てこの日のためにサナが事前にコーディネートしてリュウにプレゼントしていた物を着けていた。リュウの周りのテーブルの女達は皆チラチラとリュウを見ている。自分の向かいに座る男の咳払いも気にせず、見てしまう女もいる。
どう、いい男でしょう。アタシの男なのよ。
後から店に着いたサナはリュウのこの姿を見るとこぼれんばかりの笑みを浮かべた。
「ごめん。待った?」
ワインレッドのドレスを翻すと形の良いふくらはぎから膝上までチラリとのぞく。黒いピンヒールが足首の細さを、肩先から流れるように落ちるドレープがサナの肩をより華奢に見せていた。華やかで美しい女とそれにつりあう美しい男。客の男たちも現れたサナをチラチラと見ていた。
二人はサナが選んだシャンパンでまずは乾杯。大きな瞳に意思の強さを感じさせるツンと通った鼻筋。しかし柔らかい微笑みにカールした髪がサナを優しげに見せていた。
「プロジェクトが終わって、やっと時間取れるようになったわ。私と会えるの嬉しい?」
「聞くまでもないやん。」
リュウの瞳に絡めるようにサナがまなざしを送る。リュウはフフと笑うとグラスに口を付けた。久しぶりのデートにサナは喜びを隠せず、運ばれた料理を味わうのもそこそこに目の前で微笑むリュウにたくさん語りかけた。リュウはニコニコと相づちを打つのに忙しい。サラダが運ばれた頃、サナは次の休みに温泉に行こうと言い出した。
「ねえ、どこの温泉がいい?アタシ、蟹が食べたいから加賀はどう?城崎もいいやんね。」
「ああ、ごめんサナさん。俺、しばらく忙しくて会われへん。だから温泉、3月でもいい?」
「なんでそんなに忙しいの?イベントの時は忙しいけど、それ以外はリュウの仕事、そんなに忙しいわけないやん。」
温泉の話が流れてサナはむくれてしまった。
「実は最近、看護師の試験を受ける知り合いの女の子を3月いっぱいまで預かることになってな、この子の国試を完璧にフォローしてやりたいから国試が終わるまでは他の予定を入れたくないねん。」
話を聞いたサナは目を見開いた。
「はあ?リュウ、アンタ何言ってんの!女と一緒に住むって。」
「住むって言うより試験が終わるまで泊まるだけやん。妹みたいなもんやで。サナさんみたいな大人の女ちゃうで。」
「二十歳も過ぎて何が妹よ。勝手に家借りて住めばいいじゃない。親は何やってんのよ。無責任やん!」
「その子、身寄りが無いねん。国試まであとわずかやのに住んでた寮が火事にあって住むところがなくなってしもたんや。」
どんどんサナの機嫌が悪くなってきたと思ったら、ふと表情が緩められた。
「ねえ、部屋からその子を追い出せへんのやったら、その子をリュウの部屋に住まわせて、リュウがアタシのマンションに来ればいいじゃない。いい機会だから店も辞めてうちの会社に来なさいよ。いずれアタシ、社長になるからその時は役員待遇にしたげる。いい話でしょ?」
「ありがとうサナさん。でも住むところだけじゃなくて、体調管理もしてやりたい。絶対合格させてやりたいねん。」
リュウはサナに訴えた。しかしサナはリュウの目をジロリと見た。
「なんでそこまでしてやんなきゃなんないの。おかしいやん。」
みるみるサナのまなじりがつりあがり、テーブルの上の拳がワナワナと震えている。
「もし今回の国試に落ちたら、看護師の仕事につかれへんやろ。安い給料の仕事しながら次の国試に向けて勉強せなあかんようなる。そうなったら奨学金やらの借金返済が出来へんようなるかもしれん。」
「バカバカしい!そんなの自己責任やん。キャバ嬢でもなんでもやればいいやん。リュウには全然関係ないやん。」
ぐっと睨み付けてくるサナの勢いにリュウは引き気味になって来た。
「キャバ嬢で足らないなら体でもなんでも売ったらええやん。」
「…サナさん。サナさんからそんな言葉、聞きたなかった,,,」
リュウは驚いて目を丸くした。
「なによ、アタシが悪いの?始めにわけわかんないこと言ってきたのアンタやん。今までなんでも言うこと、聞いてくれてたのになんで今回は聞いてくれないのよ。」
「サナさんの気分悪くしてごめん。今までのサナさんのお願いは聞けたけど、でも今回は違う。俺も似たようなもんやから、あの子がどれだけ頑張ってきたのかわかるねん。」
「昔の事なんて忘れなさいよ。アタシが忘れさせてあげるわよ。」
「はあ、簡単に言うなよ。」
リュウはサナの言葉にため息をつき、サナから視線を外した。
サナはきつくナプキンを握りしめていたが、思い詰めたように下を向いた。
「なによ、貧乏人のくせに。アンタが着てるこのスーツだって靴だって、時計だって全部アタシのプレゼントやん。なのに、このアタシに口答えして、どんだけ生意気なん。アンタなんか、ヒモみたいなもんやんか。」
サナは立ち上がり、自分のグラスを手にすると赤ワインをリュウの頭からかけた。
リュウは目を見開き、息を呑んだ。店内の全員が息を呑み、空気が凍った。周りの人全員の注目の中、リュウは一つため息をついた後、膝のナプキンで顔を拭き、続いてワインの滴る前髪を拭いた。そしてサナを見つめ、静かに話した。
「…俺がねだった事は一度も無いで。俺の為にサナさんが品物を選んでくれたことが俺は嬉しかったんや。だから喜んで身につけさせてもらってるねん。俺はヒモじゃないし、誰かのヒモにはならん…」
リュウの言葉が終わるか終わらないかのうちにサナは震える声で言い切った。
「ア、アンタなんかもう終わりや。」
来たときと同じようにワンピースの裾をひるがえし、ピンヒールで床を叩きつけるようにしてレストランを出て行った。
店中の客とスタッフが固唾を飲んで二人を見ていた。サナが出て行くとすぐ、スタッフがタオルを手にリュウの元へやって来た。
「お客様、お使いください。よろしければ奥にお出でください。席も改めますので。」
「申し訳ないけど食事はもういいです。でもタオルは貸してもらえますか?」
「もちろんです。こちらへ。」
店の奥に案内され、滴るワインの雫を借りたタオルで拭き、ついでに顔も洗わせてもらった。ワインがぷんぷんするジャケットはビニール袋に入れてから、紙袋に入れてもらった。その紙袋を持ち、コートを羽織ると店長が申し訳なさそうに小声で囁いた。
「お客様、お会計をお願い出来ますでしょうか?」
店長は金額のメモを見せた。10万を超えていた。リュウは目をむいた。
「お世話になりました。」
リュウは分割にしてもらい、カードで支払いを済まして外に出た。頭から匂う赤ワインに閉口しながら、時おり吹き付ける強い風が顔をなぶるのが気持ちよく、歩いているうちに気持ちも少しおさまってきた。
もとちゃんに心配かけたら、アカン。
帰り道、思い出すとムカムカする気持ちをおさめるため何度も深呼吸を繰り返した。部屋の前に到着。リュウは大きく深呼吸をした。
「ただいま。」
ドアを開けると、もと子の笑顔が迎えた。
「お帰んなさい、リュウさん。」
もと子はキッチンのテーブルの上に問題集とノートを広げて勉強をしていた。が、リュウの姿を見て驚いて立ち上がった。
「リュウさん、あれ、どうしたんですか?その赤いの血?」
もと子はリュウのもとに駆け寄った。
「ああ、これ、赤ワイン。喧嘩してな、赤ワインぶっかけられた。」
「喧嘩ですか?どこか痛いとこ、ないですか?」
もと子は真剣な目をして、リュウの体の前後を丹念にチエックし始めた。
「さすが、もとちゃん。看護師の卵やな。スイッチ入ってんな。」
リュウは苦笑いをした。
「これは、大丈夫やで。彼女とちょっと喧嘩して、赤ワインかけられただけやから心配いらんよ。」
「彼女さんと?赤ワインかけられた?もしかしてリュウさん、彼女さん、殴っちゃいました?」
もと子は心配そうな顔をした。
「ないない。やっぱり女を殴ったらマズイやろ。切れそうなったけど我慢したで。」
「良かった!リュウさん、よく我慢できましたね。エライです!」
もと子はホッとするとニッコリと笑った。
「ご褒美にアイスあげますね。ストロベリーと抹茶どっちがいいですか?」
「マジか?もとちゃんのオヤツやろ?悪いなあ。でも晩飯食い損ねたからなあ、ストロベリーもろてもええ?」
「もちろんですよ。晩御飯食べてないんですか?よかったらリュウさんがシャワーしてる間に冷蔵庫にあるもので用意しましょうか?」
「ホンマか?うわ、嬉しいな。なんか残ってる?」
もと子は冷蔵庫を開けてみた。
「うーん、鮭ありますよ。焼きますか?」
「うん、頼むわ。鮭しかなかったら、お茶漬けでもエエで。」
「了解です。」
もと子の元気な返事を聞くと、リュウはシャワーを浴びに行った。
「あー、さっぱりしたわ。」
黒のスエットの上下を着たリュウが風呂場からバスタオルで頭を拭き拭き出てきた。
「エエ匂いやな。」
リュウが鼻を鳴らしながら見ると、テーブルの上には焼きたての焼き鮭、キャベツとニンジンのコールスローサラダ、鶏そぼろたっぷりの茄子の煮浸し、豆腐とワカメの湯気のたつ味噌汁が並んでいた。
「んーうまそう!」
早速もと子の向かいの椅子に腰かけ、両手を合わせた。
「いただきまーす!」
「リュウさん、私もお味噌汁もらっていいですか?」
「当たり前やん。もとちゃんが作ってくれてんで。ご飯なんて一緒に食べたらもっとおいしなるやん。そや、ついでに棚から麩取って。味噌汁に入れよ。」
もと子はニッコリすると棚から麩を取り、リュウと自分の味噌汁に入れた。リュウは待ちきれず、おかずに箸をつけた。
焼き鮭は脂がのっており、いい感じの塩加減。これだけでご飯、一膳はいけそうだった。コールスローはさっぱりとして次のおかずへの口直しにちょうどいい。
「あれ?この茄子のんはもとちゃん、作ったん?」
「はい。スマホ見てたら出てきたので食べたくなってしまって、つい作ってしまいました。どうですか?」
もと子は心配そうにじっとリュウを見てきた。リュウはそぼろを茄子の上に乗せると一口食べた。
「お、旨いで。腕上げたんちゃうか。」
「本当に?やったあ。師匠に誉められた!」
もと子は右手の親指を立て、エヘンと声を立てた。リュウはその姿に吹き出した。
「もとちゃん、旨いけど、一品でどや顔されてもなあ。」
「何言ってんですか。私のレベルなら一品でも大したもんですよ。」
「もとちゃん、おもろいな。」
二人は顔を見合わせて笑った。リュウはもと子に学校の話や勉強の進みぐあいを尋ねた。
「リュウさんの手づくりお弁当、可愛いって好評なんですよ。おかげでお昼を一緒に食べる友達ができました。」
今まで友達の居なかったもと子に友達ができたという。
「いつものタコさんウインナーはもちろん可愛いんですけど、この間のうずら卵に海苔の目とタクアンのクチバシ、頭にキュウリ乗せたカッパは特に受けましたよ。」
「頭にキュウリ?あれ、鳥のはずやで。」
「ホントに?カッパじゃなかったんですか。写メ見てくださいよ。」
写メにはうずら卵の鳥の頭にキュウリのお皿がしっかりのっており、普通にカッパに見える。
「ホンマ、カッパなっとる。サラダのキュウリが。俺、天才やな。」
もと子の見せたうずら卵カッパの写メを見て、もと子もリュウもお腹をかかえて大笑いをした。
「そういえば、リュウさんがホテルに迎えに来て下さったじゃないですか、あの時のリュウさんを見て、リュウさんは何者?って話題になってるんですよ。」
「あれな、ホンマはいつももとちゃんと会うような格好で迎えに行くつもりやってんで。急にボディーガードしろって社長の用事が入って、ごめんな。」
「全然大丈夫ですよ。どういうところに居るのかって初め先生にも心配されたんですけど、リュウさんのお弁当のおかげで、ダンナさんはともかく幼稚園の子供のいるお家で、お弁当まで作ってくれる優しいお家にお世話になってるってみんな信じてます。」
「なんや俺、結婚もまだしてないのに幼稚園の子持ちになってんのか!」
思わぬ展開にリュウは吹き出した。
楽しく話をしている間に夕食は終わった。リュウが食器を流しで洗っている間にもと子がコーヒーを用意した。テーブルをきれいにして、それぞれのコーヒーとストロベリーアイスはリュウの前に、抹茶アイスはもと子の前に置いた。二人はもう一度いただきますと両手を合わせ、食べ始めた。
「虎さんの本棚って会計とか簿記とか税金関係の法律の本が沢山並んでますね。法学部?経済学部?」
「あれな、俺の本。」
「リュウさんの?リュウさん、何か資格目指しているんですか?」
もと子は小首を傾げて不思議そうにリュウを見た。
「俺、税理士試験受けとったんや。今月でやっと全科目取れたんや。」
「うわ、スゴいじゃないですか?おめでとうございます。」
やったあ!とばかりにもと子は万歳をした。
「でも、なんで税理士なんですか?」
「アハハ、俺の雰囲気ちゃうやろ?俺な、商業高校やねんな。就職に強いから簿記の資格取るのん頑張ったんや。それで卒業までにどうにか日商簿記一級取ってんな。就職してから時々店の経理も手伝ってて、その関係で店がお世話になってる税理士さんと知り合いになってんな。その税理士さんが日商簿記一級持ってるなら税理士取ったらって話を社長にしたんや。そしたら社長がその気になってな、入社してから10年以内に税理士取れって言われてたんや。」
空になったアイスのカップ2つを下げて、リュウはコーヒーのお代わりをそれぞれに注いだ。
「スゴい。高校からずっと今まで頑張ってきたんですね。高校の時も大変だったと思うけど、働きながら資格取るって本当に大変でしたよね。本当にお疲れさまでした。」
もと子はしみじみ言うと頭を下げた。
「いやあ、ありがとうございます。」
思わずリュウもふざけて頭を下げた。頭をあげてもと子を見ると、もと子は項垂れている。リュウが怪訝な顔をしていると、ポツリともと子が呟いた。
「私、リュウさんがそんなに頑張ってるの全然知らなくて、お忙しいのに今までたくさん、甘えちゃって本当にごめんなさい。」
「あほか!何ゆうとんねんな。俺がみたくてもとちゃんの面倒みたんやで。勉強ばっかりしてたら息つまるやん。もとちゃん、エエ息抜きさせてくれてんで。」
リュウはワシワシともと子の頭を撫でた。もと子は俯いたままうなずいた。
「リュウさん、ありがとうございます。あの、リュウさんのお祝いしたいんですけど、ご飯ご馳走させて下さい。いつが良いですか?」
もと子の言葉にリュウは思わず顔を綻ばせた。
「ありがとうな。でもな、来年、週末は店やけど、平日はさっき話した税理士さんの事務所に行く事になるからその準備あるし、年末にかけて店が忙しなるから、もとちゃんの気持ちだけもろとくな。もとちゃん、俺の事は気にせんでエエで。次はもとちゃんの番や。頑張れよ。」
もと子は唇を尖らせ、残念そうな顔をしてうなずいた。
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