第14話 家なき子①
家なき子
虎太郎は無事卒業し、東京へと旅立って行った。リュウは虎太郎を見送り、ホッとしたと同時に一抹の寂しさを感じていた。しかし、それもしばらくの間だけで、就職当初から手伝っていたキップスの経理の仕事が今年に入ってますます増え、日々の忙しさに気が紛れていた。また卒業まであと一年、夢に向かって頑張るもと子を応援することで虎太郎のいない寂しさを埋めていた。
もと子も最終学年になり、バイトをする時間もないほど忙しく勉強に、実習にと勤んでいた。リュウの家で行っていた料理教室も、今年は実習と勉強で疲れているもと子のためにリュウが元気の出るご飯を作って食べさせている場になっていた。毎回リュウが持たせるおかずのお裾分けとおまけのお菓子がもと子のもう一つの楽しみになっていた。
師走に入り、学校生活最後の定期試験が終わった。定期試験向けの勉強から国試向けの勉強再開である。しかし、さすがに今夜は自分へのこ褒美にスイーツを買い、ちょっとほっこりしようともと子は寮の近くのコンビニに立ち寄った。おにぎり弁当とクッキーをカゴに入れ、冷たいスイーツのコーナーにまわった。生クリームたっぷりのプリン?シンプルにチーズケーキ?今日は疲れたからゼリーではあっさりし過ぎて物足りなくなるかも?どれにしようか悩んでいるとコンビニの表をカンカンと大きい音を立てて何台もの消防車が通りがかった。もと子が表を見ると、消防車は寮の方向に走っていく。通行人が何人も消防車の後をついて歩いていく。レジを済ませるとコンビニを出たもと子は寮のある方向を見た。するとやじ馬の人だかりが出来ていた。通行人達が指を指した方向を何気なく見てみると、なんと寮の隣のビルが真っ黒になり、消防車が何台も止まっていた。
「…え?」
もと子は思わず寮の方へ走り出した。
火災は無事鎮火したものの寮も半分煤で真っ黒。寮は古く耐震性も無いため、もと子の学年が卒業したら建て替え工事に入る予定になっていた。そんな寮なので初めから入寮する人数も少なく、もと子の下の学年は工事が完了するまで寮生をとらないことにしていた。そのため、寮生はもと子を入れて3人。寮はどうなるのか?もし住めないなら今夜からどうする?もと子はあまりのことに呆然としていた。
「棚橋さん!」
不意に呼ばれて振り返ると寮母さんと先に帰ってきていた寮生達がいた。
「これで全員やね。今、学生課と連絡取れました。とりあえずあなた方は近くのビジネスホテルに一週間部屋を取ったから、すぐ使うものを部屋から取ってそちらに移ってね。15分後にここにまた集まって。移動します。」
何を持ってきたらいいの?
寮母さんの指示に寮生は誰も動けなかった。
「はい!はい!時間ないよ。持ってくるのはまず、お金とか健康保険証とかの貴重品、着替えも要るよね。勉強するのに本もいるでしょ?水濡れで読めなくなった本は学校から貸し出すから後で申請して。スマホの充電器も忘れんといてよ。」
寮母さんに追い立てられ、ノロノロと寮生達はそれぞれの部屋へ向かった。
幸いなことに床は一部濡れていたものの、もと子の部屋の多くない荷物は全て無事であった。
ボストンバックに当座の着替えと国試の勉強道具を入れ、斜めがけの大きめのバッグに貴重品とスマホの充電器、貯金通帳とハンコ、保険証を入れた。空いた手にコンビニで買った食べ物を持ち、階下の集合場所に行った。寮生が全員集まると寮母さんと学生課の職員を先頭に寮の近くのビジネスホテルに向かった。エントランスで学生課の職員は寮生各自にルームキーを渡し、利用法の説明をざっくりした。
「大事な事を言います。よく聞いてね。ここは今日から一週間学校が借りています。寮は今回の火災により、建て替え工事を早めることになりましたので、申し訳ないですが、この一週間の間に次に移る先をを決めて下さい。」
この言葉に寮生の間からどよめきが起きた。
「いきなりそんなこと言われても困ります。今日、最後の試験が終わったばかりなんです。せめて、卒業までここに住めるようにしてください!」
「そうしてあげたいのはやまやまなの。でも耐震工事でお金がかかるから、ごめんなさいね。余裕がないの。」
職員は申し訳無さそうに深々と頭を下げた。
「そんなあ,,,」
寮生達は顔を見合わせ、一様に困惑した。
「みんなの気持ちはわかる。でもできないものはどうしようもない。取り合えず部屋に入りなさい。私ももう一度学校に掛け合ってみるから。」
寮母さんに促されて寮生達は各自の部屋にともかく入った。ビジネスホテルの部屋はベッドと小さなテーブルと椅子、備え付けの小さな冷蔵庫があるだけ。まともに勉強なんてできそうにない。しかもこんな小さな冷蔵庫ではスーパーの特売で買ったお惣菜など全然入らない。毎回コンビニ弁当だけではお金がかかりすぎる。早く落ち着いて勉強できる部屋を見つけないと国試に差し支える。でもどうしたら?もと子は混乱した頭を抱えた。
学校が終わる時間には疲れはてて不動産屋を訪ねる気持ちにもなれず、家賃、間取りをのせた店先の広告をながめるしか打つ手が見つからなかった。気がつくと火事からもう4日。学校に行くと同じ寮生のクラスメートの1人から初めて声をかけられた。
「棚橋さん、新しい部屋、見つかった?」
「あ、いえ、まだです。」
「大丈夫?寮母さんが棚橋さんだけまだ報告がないから心配されてるみたい。」
「部屋、見つかったんですか?」
「私は親戚の家にお世話になるよ。もう1人の子も従姉妹のアパートに行くって。」
「…私だけですか。」
「決まったら寮母さんに連絡してね。」
もと子はうろんな目をしてうなずき、クラスメートの後ろ姿を見送った。
授業が終わり、ホテルへの帰り道をとぼとぼと歩いていると、スマホが鳴った。スマホの画面を見るとリュウからの電話。そういえば明後日、リュウの家に行く約束をしていた事を思い出した。うつろな目をしたもと子は力なくスマホをバッグから取りだし、耳にあてた。休憩時間にスタッフルームからかけているのか、バックに小さくノリのいい音楽が流れている。
「もしもし、もとちゃん、試験お疲れさん。明後日、なに食べたい?」
リュウの声が聞こえ、もと子はしゃくり上げるのを堪えきれなくなった。
「う、う、,,,リュウさん、ど、どうしよう。助けて,,,」
「なんや!どうしたんや?何があった?」
もと子の涙声を聞き、リュウは何事かと思わず大きな声で聞き返した。もと子はしゃくり上げながらスマホを握り締めた。
「も、も、もうすぐ住むところが無くなるんです。」
「はあ?ちょっと待て、どういうこと?」
「う、う、寮が焼けて、明後日の朝には学校が借りてくれたホテルを、で、出ないといけなくて、す、住むところが無くなるんです。」
「そうか。行くとこ無くて泣いてんねんな。わかった。安心しろ、もとちゃん。俺んとこ来い。虎の部屋が空いてるから、とりあえずそこに住んだらエエから。梶原のおばちゃん、顔広いから聞いてみるし。」
「,,,い、い、いいの?ほんと?」
「当たり前やろ!俺は仕事でおらんけど、なんなら今から行くか?」
「りゅ、リュウさん、ありがとうございます,,,あ、明後日の夜までホテルに泊まれるので今は大丈夫です。」
「そうか。明後日、車借りて迎えに行くから、荷物まとめとき。俺も片付けしとくわ。」
「は、はい!」
「迎えの時間とか場所とかまた連絡する。なんかあったらLINEしてな。もう泣かんときや。」
じゃあ、と言うとリュウからの電話が切れた。もと子はスマホを胸に当てて握り締めた。大きく息を吐くと、洗濯を繰り返したせいで色の薄くなったハンカチで涙をふいた。
約束の日は土曜。ボストンバッグを足元に置き、教科書やノートでパンパンに膨らませたリュックを着古したジーンズの膝の上に乗せたもと子がホテルのロビーの隅に置かれた椅子に腰かけていた。
11時過ぎ、グレーのジャケットに白いシャツ、黒い細身のパンツに身を包み、サングラスをかけたリュウがロビーに現れた。フロントにいたホテルの人も客もチラチラと見ている。いつものリュウの部屋で見る気楽な姿と違い、もと子はその姿にドキリとした。
「もとちゃんお待たせ。社長の仕事が一件入ってしもて、遅れてごめんな。チェックアウトはしたんか?」
「あ、はい。済ませました。今日はお迎えありがとうございます。」
「なに、水くさいこと言うてんの。そんなん、ええ、ええ。車をこっちに回してくるわ。ちょっと待っててな。」
リュウはもと子のリュックと床に置かれたボストンバッグを持つとホテルの玄関前、車寄せに置いた。間もなくリュウが鈍く輝くシルバーのベンツをもと子の前に停めた。車から降りるとリュウはさっさともと子の荷物をトランクに入れた。そして後部座席のドアを開けた。
「お嬢さん、どうぞ。」
ありがとうございます、ドキドキしながら頭を下げた。おそるおそる乗り込み、黒皮のシートに腰を下ろした。
「え、あの、スゴイ車ですね。外車ですか?」
「ああ、これな?瀬戸さんにもとちゃんが大変なことになったから迎えに行く話をしたら、車を貸してくれたんや。もとちゃん、えらい目にあったんやから、エエ車で迎えに行ったれって。シート、タクシーとはエライちゃうやろ?」
後部座席に一人小さくなって座っているもと子は軽く頭を下げた。
「そうなんですか。社長さんまで。本当に有り難うございます。」
もと子は胸が熱くなった。
ベンツは寮に立ち寄り、教科書や参考書を詰め込んだ段ボールと残りの荷物をトランクに乗せ、リュウのアパートへ向かった。
「もとちゃんは虎の部屋、使ってな。こたつで勉強になるけどエエか?本棚もできるだけ開けたから本、入れときや。あんな、梶原のおばちゃん、体壊して今入院してるらしくて相談出来んかったんや。そやから卒業までうちに居りや。」
ルームミラー越しにリュウが微笑んだ。
「え、え?卒業までいていいんですか?」
「当たり前やん。国試前にまた部屋探すの大変やんか。落ち着いて勉強でけへんやん。俺はもとちゃんの応援団長やで。」
「あ、ありがとうございます。」
もと子は目頭が熱くなり、こぼれた涙を袖で拭った。
「こら、こら、泣くな。お昼、何食べたい?」
ルームミラー越しのリュウの目が笑っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます