第3話 生活力向上計画①
生活力向上計画
1週間後、出勤前の腹ごしらえにリュウは宝来軒に立ち寄った。
「こんにちは。」
ガラガラと戸を開けると、いらっしゃい、同時に店の中から複数の声がした。夜の営業が始まって間がないのに、店は6割がた客が入っている。
リュウがキョロキョロと席を探す風にしていると、奥の4人がけの席を片付けているもと子が笑顔で小さく手を振っていた。
「お客さん、ここ片付きますよ。」
もと子に呼ばれて、台拭きの拭いた跡が残るその席に座った。
「どう調子は?少しは慣れた?」
「はい、おかげさまで。良くしてもらってます。」
カウンターから渡されたコップとおしぼりをリュウの前に置いた。
「そりゃ良かった。何しようかな?」
「当店のオススメは宝来ラーメンです。餃子のセットが一番人気です。」
「オオッ!そんなことまで言えるようになったんや。これから仕事やから、餃子は今度にするわ。もとちゃんのオススメの宝来ラーメンお願いします。」
「わかりました。宝来ラーメンですね。」
もと子はクルリと踵を返すと、宝来一丁、とカウンターの中に向かって声をかけた。
程なくして、もと子がラーメンを持って来た。
澄んだ鶏ガラメインのスープにチャーシューと卵、ネギがたっぷり載った塩ラーメン。
「そうそう、これこれ!懐かしいわ。」
リュウはもと子からラーメンを受け取った。ラーメンをテーブルに置くと、その横にゆで卵とチャーシューが数枚載った皿が置かれた。
「ん?これは別のお客さんのちゃうか?俺、頼んでないで。」
「コーヒーの代わりです。前にコーヒーご馳走しますと言っておきながら、なかなかチャンスがなかったので。今はコーヒーよりこっちがいいかなって。」
「なんや、そんなん気にしてたんか?ええのに。でもせっかくやから、もとちゃんスペシャル頂くな。ご馳走様です。」
リュウが姿勢を正して頭を下げるのを見て、もと子は嬉しそうに、どういたしましてと答えた。
「ああ、そうや。ピンクのママが気にしてた。もとちゃん、バイトどうなってるかって。近々、また晩飯食おう。ママんとこ一緒に報告に行こう。」
「ピンクに出前に行った健さんからママさんが心配して下さってるとは聞いてました。リュウさん、ママさんの所に連れて行ってくれますか?」
「もちろんやん。またラインで都合教えてな。」
満面の笑みを見せて頷くと、ごゆっくり、と言葉を残してもと子は入ってきた新しい客を席に案内して行った。
リュウともと子の休みが合った日、久しぶりに二人で会うことになった。駅の改札の前で待ち合わせた。早めに待ち合わせにやって来たもと子は改札口に近づくリュウを見つけると大きく手を振った。リュウはもと子の顔をじっと見ると顔を綻ばせた。
「おお〜、寒くなって来たなあ。でももとちゃん、顔色良くなって来たなあ。良かった、良かった。」
「おかげさまで、賄いも美味しくて、ちゃんと食べてます。実習でもフラフラすることは無くなりました。」
「なんや、やっぱりしんどかったんやな。まあ、元気になって良かったわ。で、何食べよっか?何食べたい?」
「リュウさんは何が食べたいですか?私、昨日バイト代頂いたので今度こそご馳走します。」もと子は背中に背負ったリュック越しに笑顔で振り向いた。リュウはジャケットのポケットに手を突っ込み、もと子の申し出に破顔した。
「もとちゃん、ありがとうな。でも今日は俺にご馳走させてよ。まだ一ヶ月も働いてないねんから、そのバイト代は自分の為に置いとき。」
「え〜それはダメです。リュウさんにご馳走したいです。こんなにお世話になってるんですもん。やっと少しですけど、お金も出来ましたもん。」
もと子は唇を尖らせて言い張った。大切なお金だからお礼は出世払いでいい、今回はおごるとリュウが宥めてもすかしても、意見を変えないもと子に折れて、ならばと2人は駅の外れにある安い定食屋に入った。
「もとちゃんも結構ガンコだねえ。ま、定食の方が栄養バランス取れてるからいいか。」
「そう言えばそうですね。タンパク質も野菜も取れますもんね。」
リュウは焼き鯖定食、もと子は酢豚定食を頼んだ。焼き魚は焼く時の匂いが部屋に残るのが困るので、大好きなのになかなか家で食べられないからとリュウは嬉しそうに話した。焼き鯖定食の鯖は皿からはみ出るほど大きな鯖で、ジュウジュウと皮から脂を滴らせていた。リュウはオオッ!と小さく声を上げた。
「見本よりデカいなあ、ラッキーや。」
親指を立てて、嬉しそうな顔をもと子に見せた。リュウはパリパリの皮やその裂け目から見えている脂ののった身に醤油を垂らすと、鯖の身を骨からキレイに外して、添えられた大根おろしをのせて、次々と口に運んだ。鯖は見た目以上に脂がのっており、少しかけた醤油がまた風味を増していた。
「たまらんわ。もとちゃん、この鯖、めっちゃ美味い。ゴチになります。」
「リュウさん、本当に美味しそうに食べますね。喜んでもらえて嬉しいです。鯖だけでも追加出来るか聞いてみますね。」
今まで見たことのない嬉しそうなリュウの表情に,もと子もつい顔が綻んだ。焼き鯖の追加を頼んだ。
「もとちゃん、ごめんな。でも、ホンマに美味い。ゴチになるわ。」
「リュウさんの好きな焼き鯖があって良かった。焼き魚は家ではダメとおっしゃってましたけど、家でご飯作ることが結構あるんですか?」
甘酸っぱいあんをまとった酢豚の隣にあったパイナップルをもと子はつまみ上げ、口にいれた。
「そんなん当たり前やん。この給料で俺と弟の男二人が腹一杯食おうと思ったら外食では無理。それに外食ばかりやったら、野菜足らんやろ。」
「リュウさん、えらいなあ。私なんか賄い以外は全部スーパーやコンビニのお弁当ですよ。」
大きな酢豚の塊をどう攻めようかと考えながら箸で酢豚をつついて、リュウの言葉を待った。が、リュウから何も返事が無い。ふと、もと子が顔を上げるとリュウがなんとも言えない表情で見ていた。顔に、それはアカンやろ、と。
「…あの、なんでしょう?なんかマズかったですか?」
もと子の声が焦っていた。
「もとちゃんの部屋には冷蔵庫ついて無いの?冷凍出来ひんの?」
「大きくはないですけど、フリーザー付きの冷蔵庫がついてますよ。でも、お茶とかペットボトルぐらいしか入ってないです。料理はしないので殆ど空っぽですね。」
「あのな、一人暮らしだと確かに自炊の方が金かかったりするし、外食やスーパーの惣菜の方が安くつくこともあるよ。でもな、バランス取れたご飯食べるようにせんとアカン。健康でないと体力仕事やろ?しんどくなるで。それに将来、結婚した時に料理出来ませんでは、いい所に嫁に行かれへんで。」
「やだなあ、私まだ二十歳ですよ。結婚なんて。」
不思議そうな顔をしていたもと子は吹き出しそうになった口元を押さえた。でも、リュウは全然笑ってない。
「もとちゃん、ご飯も全然作れないんやったら、他の家事、出来てるか?ボタン取れたのとか、ちゃんと直せてる?節約しようと思ったら自分でいろいろでけへんとアカン。大事なことやで。」
リュウは真っ直ぐな目でもと子を見つめた。
もと子は思わず、脱いだコートのボタンがとれかけているのを思いだし、袖口を隠した。なんと返事を言えば良いのか困ってしまい、思わず下を向いて頭をかいた。
もと子の困る様子を見て、ふとリュウが口元を緩めた。
「いきなりこんなん言われても困るわな。とりあえず今度の休み、俺んちにおいで。俺が作ったご飯食わしたる。ついでに繕い物も持っておいで。」
家においでと言われて、もと子は少し不安げな顔をした。
「嫌やなあ、襲いませんから。安心して。俺にも選ぶ権利有るでえ。」
リュウがおどけて、立てた人差し指をもと子の目の前で振った。
もう、ヒドイ!と、口を尖らせたものの、本当に繕い物まで持って行っていいのか、自分はリュウになんと思われているのか、もと子は心配になってきた。
「あの、いいんですか?すみません。」
「かまへん、鯖のお礼と思ってや。」
はい、もと子は小さく頷いた。
少々気まずい雰囲気のまま、食べ終わった2人はピンクのママに会うために店の外に出た。外は完全に日が暮れていた。もう冬が近いことを思わせるように冷たい風が2人の顔を撫でていった。マフラーを巻いたリュウはもと子が首に何も巻いてないのに気がついた。
「寒いなあ。もとちゃん、マフラーしといた方がエエんちゃう?」
「大丈夫ですよ。平気平気!」
唇の色がなくなってきているもと子はコートの襟を立てて一番上までボタンをとめると強がって見せた。
アカン、アカン、と言うと、遠慮するもと子に自分のマフラーを巻いてやり、リュウはタオルを自分の首に巻いた。
「ごめんなさい。リュウさんのマフラー取っちゃって。タオルではリュウさんが寒いですね。」
「こういう場合は、ごめんなさいじゃなくて、ありがとうでエエんやで。もとちゃんが風邪ひいたら実習でけへんやん。アカンやろ。俺はタオルでエエねん。ちょうどタオルを持ってて良かったわ。」
「でも、なんでタオルを持ってるんですか?毎日持ってるの?」
「ああ、タオルは護身術の道場の帰りやから持ってるねん。」
リュウは微笑んだ。
もと子は小さくうなずいて、温かいマフラーに首を埋めた。
ピンクまでは歩いて10分ほど。二人は並んで歩いたが、風が吹く度にリュウはもと子の前にまわった。
「風が吹いてきた!もとちゃん、隠れろ~」
もと子はリュウに壁になってもらい、その後ろに隠れて風をやり過ごした。ふざけながら前後になって歩いていたが、もと子はリュウが護身術を何故、習っているのかと思った。格闘技が好きなのかな?鼻歌を歌いながら風が吹く度に、隠れろ~と言って、自分の前で風避けになってくれるリュウを眺めた。
「リュウさん、護身術は趣味なんですか?」
「趣味っていうか、体動かすのは嫌いちゃうねんけどさ、仕事柄、酔っぱいやら色恋沙汰で暴れる客がおるからね。落ち着いてもらわんとアカンやろ。それで必要なんや。」
「危ない仕事なんですね。」
「そんなことないねんで。殆どは普通のお客さん相手なんや。」
「そうなんだ。良かった。」
もと子は心配そうな顔にホッとした笑みを見せた。
「心配してくれるんや、ありがとう。」
リュウはおどけてお辞儀をした。その姿に、もと子もおどけてドレスを広げてお辞儀をする真似をした。そんなお互いの姿に二人は顔を見合わせて笑った。
そうこうしているうちにスナック「ピンク」の前に着いた。ドアをあけると豊かな栗色の髪を鮮やかな赤いバレッタで留め、バレッタの色と合わせた深紅のドレスをまとった彫りの深い顔立ちのママが振り向いた。背の高いアメリカの女優のようなママは二人を認めると大輪の赤いバラを思わせる笑顔を見せた。
「あらあ、いらっしゃい。もと子、会いたかったわよ。リュウ、なんでもっと早く連れてきてくれなかったのよ。アタシ、心配してたのよ。」
「ママさん、ご報告が遅くなってごめんなさい。私もすごくすごく会いたかったです。」
「もと子、なんてカワイイ事言うの!」
カウンターから出てきたママはもと子をしっかり抱き締めた。ママはママだけど、男である。太い腕に厚い胸板でムギュと抱き締められ、もと子は息が詰まって、目を白黒させた。
「ママ、男になってるって!もとちゃん、息でけへん。腕、緩めて!緩めて!」
「あら、アンタ大丈夫?」
やっと緩めてもらった腕の中からすり抜けて、もと子はゲホゲホと咳き込んだ。ママは、すり抜けたもと子の背中をさすりながら、カウンターの奥の席に二人を座らせた。
「もう、もと子ったらカワイイんだから。つい本気で抱きしめちゃったじゃない。宝来軒でいじめられてない?いじめられてたら、ちゃんと言うのよ。アタシが健ちゃん、シバくから。」
「いじめるなんてとんでもないです。とっても良くしてもらってます。あ、これ、ママさんへのお礼です。」
ママに抱きしめられてまだ顔を赤くしたもと子はピンクのリボンのついたクッキーの袋をカバンから取り出すとママに渡した。ピンクのママにお礼に行くと言うと、宝来軒の女将さんは、ママは甘いものが好きだと教えてくれたのだ。そして今日の行きがけにこれまた宝来軒の女将さんが教えてくれた美味しいと評判の駅前のお店で買ったクッキーを手土産に選んだのである。
「あらあ、ここのクッキー美味しいのよ。女将さんから教えてもらったんでしょ?さすがね。でもさ、本当によかったわ。あそこは大将も女将さんもいい人なんだけど、ほら人間って相性があるじゃない。だから心配だったのよ。」
「もとちゃんの顔見て安心したやろ?俺も何回か店のぞきに行ったけど、この間なんかオススメ料理まで言ってくれるんやで。」
「あらあ、本当に馴染んでんのね。だったら、もと子、大将にチャーハンの作り方教えてもらいなさいよ。あそこのチャーハン、実はなかなかのものなのよ。コツを教えてもらってアタシに食べさせて。」
「だって。どうするもとちゃん?大恩あるママからリクエストやで。」
組んでいた脚を組み替えて、リュウはいたずらっぽい目をしてもと子の肘をツンツンと人差し指でついた。
「あの、お料理は苦手なので、もうちょっと易しいのでお願いします。」
「あら、アンタ料理出来ないの?だったらリュウ、アンタ教えてやんなさいよ。」
「でも、リュウさん、お忙しいし。ご迷惑です。」
「もとちゃん、何言ってんの。今度ウチにごはん食べにおいでって言ったのは、その時に簡単な料理教えてあげるつもりだっんやけど。」
「へ?」
「もと子、教えてもらいなさいよ。リュウは弟の虎にお弁当やご飯を作って面倒見てきたのよ。リュウならちゃんと教えてくれるわよ。」
リュウだけでなくママにまで言われて、仕方なくもと子はリュウに料理や家事を教えてもらうことになった。実際、料理は高校の家庭科以来やっていない。もと子の部屋の流しにはカップ麺を作るためのお湯を沸かす小鍋しかなかった。包丁やまな板はない。食べるものといえばお弁当やパンにお菓子ぐらい。自分でもちょっとマズイかなと思ってはいたものの、いざ習うとなると気が重い。もと子はこの展開にどうなることやらと楽しそうにおしゃべりしているリュウとママを見ながら、小さくため息をついた。
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