ナインボール

鷹山トシキ

第1話 Assignment  

 蒲生銀次がもうぎんじは1955年に栃木県宇都宮市に生まれた。

 銀次が生まれた年の出来事。

 ■電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビが「三種の神器」と呼ばれる

 ■日本初の「トランジスタラジオ」を発売

 ■少年の自殺相次ぐ

 ■成人向映画、指定始まる

 ■広辞苑初版発行

 ■後楽園遊園地がオープン(日本初の本格的ジェットコースター)

 ■1円硬貨発行、50円硬貨発行


 1975年4月、銀次は宇都宮にある東武警察署に配属された。 

「トランジスタ世代か?トランってあだ名はどうだ?」

 円形脱毛症の郡司元太ぐんじげんたって巡査部長が言った。刑事部屋はタバコの煙で充満していた。

 

 4月1日

  東洋工業、CI導入。同時に現在の「mazda」マーク使用開始(Cl導入当時の各販売車種はフロントグリルの右肩に新エンブレムが取り付けられた。1997年から「M」マークと併用される)。高級車「ロードペーサー」を発売。

「高級車かぁ、いつか乗ってみてぇなぁ」

 刑事部屋で郡司は鼻をほじりながら言った。

 ☎ジリリリーン!

 課長の権藤残助ごんどうざんすけが受話器を取った。

「はい、東武署……何!?」


 殺人現場は、釜川かまがわの辺りにある、飲食店や縄のれんやバーの集った狭い路地だ。

 先に現場に来ていた響涼真ひびきりょうまという30代の刑事が鑑識係と一緒になって、辺りをかぎまわっていた。

 被害者は日向蔵之介ひゅうがくらのすけというチンピラだった。目撃者は広瀬檸檬ひろせれもんという日向の恋人だ。

「クラちゃんを殺したのは蘭丸です」

 檸檬の説明によれば、中島蘭丸なかじまらんまるは日向のチンピラ仲間で、拳銃を探しており、日向を射殺したそうだ。

「蘭丸は『フューチャー』ってバーの常連で、香菜かなって子と熱い中だったそうだ」と、響。

 後ろから郡司がやって来た。

「ゲンさん、何か分かりましたか?」と、銀次。

「暴力団関係に当たってみたが、あのあたりの銃の密売は組織が握っている」

「組織の連中は蘭丸を消しにかかるかも知れませんね」と、響が言った。


 電信柱の陰からハンチング帽の男が銀次たちの様子をうかがっていた。男は電話ボックスに入るとダイヤルを回した。

《どうした?》

「東武署の奴ら、また動き出したようですぜ」

《それはマズいな?蘭丸が俺たちのことをくっちゃべるかも知れん》

 ハンチング帽の正体は私立探偵の神保瑞太郎じんぼずいたろうだ。

 

 4月3日

  マツモトキヨシが株式会社に改組。


 オリオン通り……マリファナ常用者である私立探偵の神保瑞太郎じんぼずいたろうのもとに突然、元恋人の恵美めぐみが姿を現す。恵美は自分がいまは不動産業界の大物、善波造助ぜんばぞうすけの愛人であり、善波が妻とその愛人の企みに巻き込まれるのではないかと告げる。調査を始めた神保の事務所にバズーカ砲が撃ち込まれた。


 4月4日

 マイクロソフト設立。

 恵美は黒焦げになった神保の死体を思い出して吐き気を覚えた。


 4月5日

  NHKホールで「ザ・ピーナッツ さよなら公演」を開催。ザ・ピーナッツはこの日に引退。銀次は特に『恋のフーガ』が好きだ。


『秘密戦隊ゴレンジャー』(東映 - NET系)が放送開始(『スーパー戦隊シリーズ』スタート)。シリーズは44作目を迎えた2020年現在も放送中。

 兄、金一きんいち息子鉄也てつやは、カレーが大好きなキレンジャーが好きらしい。


 23歳の桜井剛志さくらいつよしは、かつて若気のいたりで起こした車泥棒の前科がネックとなり、どこにも就職できずにいた。


 そしてこの日、彼は不満のはけ口として、また負債で苦しむ弱者のためにと銀行強盗を計画、実行する。計画は成功したが、心ならずも恋人の内村富美加うちむらふみかを巻き込んでしまう。最初は彼の行動を非難する富美加だったが、次第に理解を示し、進んで協力するまでになる。

 こうして、2人は各地を転々としながら銀行強盗を行う。2人は一躍英雄に祭り上げられるが、ある日、富美加が動転して殺人を犯してしまったことで、歯車が狂い始める。


 4月6日

 クイズ番組『パネルクイズ アタック25』(朝日放送・NET系)放送開始。児玉清( - 2011年4月10日)、浦川泰幸(2011年4月17日 - 2015年3月29日)、谷原章介(2015年4月4日 - )の司会で、2019年現在も放送中。


  第47回選抜高校野球大会は高知高校が原貢監督・辰徳三塁手の親子を擁する神奈川・東海大相模高校を破り同校のみならず高知県勢としてもセンバツ初優勝。

 

 宇都宮のチャイナタウンではマフィアの抗争が激しくなっており、東武署にエリートを集めて担当に当たらせていた。その中でやり手として名高い内村孝之うちむらたかゆきは正義感を持ちながらもマフィアと繋がりを持ってなれ合いの関係となっていた。そんな中、東武署の慣例を破って鯉淵隆太こいぶちりゅうたがこの部署を志願し、内村が指導役となった。鯉淵は当初は正義感に燃える刑事だったが、チャイニーズ・マフィアのワンに父親の入院費や借金を肩代わりして貰った為に、彼も王と抜き差しならぬ関係となってしまう。鯉淵と一夜を共にした2人の女性が隠しマイクを見付けた事から彼が潜入捜査官である事がばれてしまい、内村が撃たれて最後の時間となった時に鯉淵は自ら潜入捜査官である事を告げる。


 4月13日

 ロックバンド、キャロルが解散。

「君はファンキーモンキーベイベー♪」と銀次は鼻歌を歌いながら食器を洗っていた。

 銀次には鈴木純すずきじゅんっていう彼女がいた。銀次は高校時代、野球をやっており純はマネージャーだった。純の作る梅おにぎりは格別に美味かった。

 ポジションは投手、一塁手、外野手(中堅手)。

。走攻守でずば抜けており、打率も6割を超えていた。しかし、ライバルの反町孝之そりまちたかゆきにはノーヒットに仕留められてしまった。2年夏で控え外野手としてベンチ入りする。さらに、尊敬する先輩、滝川秀明たきがわひであきが夏の甲子園で一イニング12失点を喫する姿を見て、甲子園とのレベルの差を知り努力をしても無駄だと思い、野球をやめた。

 その後は不良部員たちとつるんで自堕落な高校生活を過ごすが、純から『こんなことしてる蒲生なんて大嫌い』と泣かれて改心する。

 2年の冬に自宅近くの商店に強盗が現れて、銀次は1人で、しかもステゴロで3人を倒した。かけつけた郡司に『君は刑事に向いてる』と言われたことをきっかけにして刑事を志すようになった。


 銀次は無残な死体を思い出して気持ち悪くなった。3日前の明け方、新聞紙にくるまれた胴体だけの女性の遺体が釜川に浮かんでいるのを発見した。

 

 4月15日

  ローソン(当時:ダイエーローソン)設立。

 日光市に住む肉屋の主人の米津慶彦よねづよしひこは、美人妻の由里子ゆりことある刑事の浮気を知る。 激怒した米津は妻を殺害、バラバラにし死体を埋めるため男体山へ向かう。 しかし、途中で死体の手首だけ落としてしまう。

 男体山は日光市街地からいろは坂を登った、中禅寺湖の北岸に位置する。関東地方有数の高山であり、成層火山らしい円錐形の大きな山体は関東一円からよく望まれる。古くから山岳信仰の対象として知られ、山頂には日光二荒山神社の奥宮が置かれている。また、一等三角点「男体山」(標高 2484.15m)が設置されている。

 男体山は、日光表連山の女峰山、大真名子山、小真名子山等と並び、日光連山を代表する山であり、周辺の観光地の中禅寺湖、戦場ヶ原や奥日光のランドマーク的存在である。

 山名は、東北側の山続きの女峰山との対で付けられたものと考えられる。男女一対の山には、他地域にも多くの例があるが、男体山と女峰山は、その間に大真名子山、小真名子山という二つの「愛子」を抱え、男体山の北には太郎山を擁し、火山一家を成しているところが特徴的である。

 男体山の初登頂は782年(天応2年)に僧勝道上人によって成し遂げられた。この登山については僧空海の記した『性霊集』に詳細が述べられている。この時期の初登頂記録としては最も実証性があるものといわれる。


 勝道は、「われもし山頂にいたらざれば、菩提にいたらず」、つまり山頂に達することが自分の悟りを開くと考え、前人未到の男体山への登頂を志した。また、釈迦が雪山で苦行をしたという前例から、あえて残雪期の登山を選んだ。勝道の登頂初挑戦は767年(神護景雲元年)4月上旬であったが、嵐にあって撤退を余儀なくされた。2回目は781年(天応元年)4月上旬、またしても悪天候により失敗した。そして翌年にその宿願を果たしたがまた失敗した。


 植田孟縉の著書『日光山志』には、男体山や女体山の高峰から鉄製の銚子状のものが飛来する「飛銚子」(とびちょうし)と呼ばれる怪異が述べられている。山の修行者がよく見かけたといわれ、山鬼が玩具にしていた物ともいう。


 冬、栃木県平地部に吹く冷たい乾燥した北風を男体山若しくはその別称である二荒山の文字を取り「二荒おろし」あるいは「男体おろし」と呼ぶが、江戸時代末期に編纂された橘守部家集に「下毛(しもつけ)や 二荒嶺(ふたらね)おろし 小夜更けて 月影すごき 那須の篠原」とあるのが記録上の初出である。


 明治時代に新政府によって書かれた下野國誌には、『黒髮山(クロカミヤマ) 都賀郡、日光山の奧にあり、當國第一の高山にて、遙に武藏、下總、常陸等の國々よりもみゆるなり、世俗は男體山とも呼なり』とあり、男体山が当時から栃木県内第一の山で、現在の埼玉県、東京都、茨城県からも見えたと認識されていたことが分かる。


 1877年、山頂にある日光二荒山神社奥宮に、結城市(茨城県)のとある人から鉄の剣(長さ約3.5m、幅15cm)が奉納された。


 1975年(昭和50年)、勝道上人の初登頂から1200年を記念して、山頂の日光二荒山神社奥宮に高さ約2mの御影石から成る石鳥居が建立された。

 

 夜、宇都宮駅近くにある居酒屋で銀次の歓迎会が開かれた。🏮銀次以外は郡司、権藤、響の3人で他の人間は仕事で来れなかった。

 あまり人付き合いが得意でない響は本を読んでいた。アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』だ。乾杯をして、世間話をする。

「そういや、蒲生の親父さんは何の仕事をしているんだ?」

 枝豆を口に放り込み、権藤が言った。

「農家をやってます」

「ほう」

「もともとは役所で働いていたんですが、辞めて別荘を買って、その庭を畑にしたんです」

「肥料とか大変なんだろ?」

「石灰窒素や過リン酸石灰などの分量を判断するのが大変そうです」

 郡司は慢性アルコール依存症で、アンタビュースというクスリを服用していた。アルコールは体内で代謝されてアセトアルデヒドになり、さらに酸化されて酢酸、その先には二酸化炭素と水になって体外に排出されるのだが、アンタビュースはアセトアルデヒドの酸化を司る酵素の働きを邪魔してしまう。体内にアセトアルデヒドがたくさんたまり、中毒症状が現れて郡司は苦しみ出した。

「助け……て……きゅっ、救急車」

 郡司は大事には至らなかった。

 不倫した罰が当たったのだろうか?郡司は静まり返った病室で由里子との幸せな日々を思い出していた。


 4月17日

  イギリスのロックバンド、クイーンが初来日。羽田空港に女子中高生のファンが多数押し寄せる。

 銀次もクイーンの大ファンだった。

 クイーンの母体となったのは、ブライアン・メイとロジャー・テイラーが在籍していたバンド「スマイル」であった。1969年9月、スマイルがシングル『Earth』(B面は「Step On Me」)をリリース。これはまったく成功せず、ボーカル兼ベースのティム・スタッフェルが脱退。その後任として、加入したのがスタッフェルの同級生でバンドとも知り合いだったフレディ・マーキュリーであった。

 1970年7月12日、この日のライブから「クイーン」と名乗り始める。

 1971年2月、入れ替わりを繰り返していたベーシストがオーディションでジョン・ディーコンに固定。クイーンの英公式サイトでは、4人が揃ったこの1971年を正式なバンド結成の年としている。

 1973年7月13日、アルバム『戦慄の王女』で本国デビュー。先行シングルとして『炎のロックンロール』が1週間前の7月6日に封切られた。日本での発売は1974年。

 1974年3月、2作目のアルバム『クイーン II』を発表。イギリスのメディアの評価はいっこうに変わらなかったが、シングル曲「輝ける7つの海」のヒットもあり、アルバムは全英5位まで上がるヒット作になった。このアルバムをきっかけに本格的なブレイクにつながるようになる。

 1974年、3作目のアルバム『シアー・ハート・アタック』を発表。先行シングル『キラー・クイーン』が全英2位、全米8位のヒットとし、後にマーキュリーは作曲者としてアイヴァー・ノヴェロ賞を受賞。また同年、ディープ・パープル、モット・ザ・フープルの前座として初の全米ツアーを行うが、メイが肝炎にかかってしまいツアーの途中でクイーンは降板を余儀なくされる。

 1975年2月、カンサス、スティクスらの前座として再び全米ツアーを開始する。ツアーは各地で大盛況を得て、『キラー・クイーン』は全米12位まで上昇する。しかしツアーの途中、今度はマーキュリーが喉を痛めてしまう。マーキュリーはしばらく安静状態を強いられたが、その後、回復してツアーを無事終了させる。


 銀次は宇都宮郊外にある風間かざま病院の一室で目を覚ます。彼にはここ数日間の記憶がなく、そして世界が地獄と化す幻影に悩まされていた。院長である風間邦彦かざまくにひこは頭部への銃撃による怪我が原因で彼が記憶喪失に陥っているのだと告げる。そこに突然、女殺し屋の木塚きづかナナが現れる。風間は銀次の逃亡を手助けし、2人は東武署近くの銀次のアパートへ逃げ込む。


 2人は銀次の所持品の中に髑髏の描かれたタロットカードを見つけた。

「こいつを持っていると呪われる」

 そのタロットカードは沖田恭兵おきたきょうへいのモノだった。彼は大富豪でもある遺伝学者で、その主張は「過激な方策を以ってしない限り地球の人口爆発に歯止めをかける事はできない」と言うものであったが、武装した政府部隊に追われ自殺により命を絶った。銀次と風間は、タロットカードが大量殺戮を可能とするウィルスを発生したのではと考える。その間にも彼らはアパートを嗅ぎつけたナナと郡司の両方に追われ再び逃亡を余儀なくされる。


 18日の夜、銀次は日光にある沖田邸に忍び込み、折れることのない刀『炎龍えんりゅう』を見つけた。


 ナナは彼女の雇い主であるランドール・コネリーに状況を報告する。彼は民間の危機管理会社『ナポレオン』の代表取締役であり、沖田はの顧客であった。一方、2人を追うのは厚生労働省の隠密部隊であり、彼らは富樫重光とがししげみつの指揮の元、沖田の開発したウィルスの拡散を防ごうとしていた。沖田はウィルスに関するビデオメッセージをランドールに託しており、指定した日時にこれを全世界に公開するよう依頼していた。ところが、当初の計画に狂いが生じたため、指定の日時まで中身を見てはならないという沖田との契約に反してビデオを見たところ、その内容に衝撃を受けたランドールは、一転して富樫に協力を申し出て、ともにウィルスの拡散を阻止しようとする。

 

 19日の昼過ぎ、銀次と風間は丸の内にて厚生労働省の一員であると称する吉高菫よしたかすみれから接触を受け、富樫は裏切り者であり、彼女は自らの利益の為にウィルスを追っているのだと聞かされる。3人はしばし協力するが、やがて銀次は菫こそが自らの利益の為にウィルスを追っているということを見抜き、再び2人での逃亡が始まる。


 20日未明、銀次はウィルスが茨城県水戸市の廃墟にある事を突き止める。それを知った風間は、吉高菫が沖田のかつての恋人であり、菫がウィルスを拡散させる決意である事を明らかにし、あまりの恐怖感から銀次の元から逃走する。

 一方銀次は再び菫によって捕らわれの身となり、水戸市内の廃墟で食事抜きの生活を強いられるが富樫によって助けられる。

 さらに、風間はランドールの組織に誘拐されベンゾジアゼピンを投与され、記憶を失ったのであった。病院で銀次が殺し屋に命を狙われたのは、銀次が風間に都合良く動くよう仕向けるために計画された茶番劇だったのである。


 ウィルスの入ったビニール袋は霞が関の地下貯水池に設置されていた。銀次、ランドール、そして富樫らが厚生労働省の部隊と共にウィルスの捜索と回収に急ぐ一方、風間と彼の同胞は、銀次たちにウィルスを回収されてしまう前に、遠隔操作式の爆弾によって設置場所を爆破することで、ウィルスを拡散させることを計画していた。

 富樫がついにウィルスの入ったビニール袋を発見し、ケースに格納したのと時を同じくして、国会議事堂前駅でランドールは風間の同胞と、風間は銀次と対峙していた。

 銀次は炎龍で、風間の撃つコルトガバメントの弾を弾き飛ばした。ランドールは負傷を追いながら応戦するも、風間の同胞にナイフで刺された場所が致命傷となり死亡。

 銀次の説得も聞き入れず、爆弾の遠隔操作ボタンを押す風間であったが、あらかじめ周辺の電波が遮断されていたため失敗に終わる。そこで、風間は貯水池の中へ飛び込み、銀次の目の前で自らの命を投げ打って直接爆弾を爆発させた。しかし、ケースが爆発の衝撃に耐えたため、ケース内で袋が破裂したのみで、ウィルスが外に漏れ出るまでには至らず、風間は無駄死にに終わる。

 これで一件落着かと思われたところ、生き残っていた同胞の1人が最後の力を振り絞ってケースを開けようとするも、これも失敗に終わり、ついにウィルスの拡散は阻止された。ウィルスは富樫に接収され、銀次は宇都宮へと戻った。


 4月21日

 日本テレビ系「月曜スター劇場」枠にて、宇津井健主演のテレビドラマ『たんぽぽ』(第2シリーズ)が放送開始( - 11月3日。全29回)。

 仲間を庇って刑務所に服役していた一ノ瀬龍平いちのせりゅうへいは、この日ついに出所する。彼は今度こそ、自分を女手一つで育ててくれた母親を悲しませないために、まっとうな人生を歩むことを誓う。そのために彼は叔父が経営する会社で働くことにするのだが、そこには悪友である藤島浩市ふじしまこういちの姿もあった。

 

 ある日、藤島と共に仕事の入札現場へと向かう龍平だったが、彼がそこで目にしたのは汚職や談合といった数々の不正の巣窟だった。しかも龍平は藤島に利用され、彼が犯した殺人の容疑をなすりつけられてしまう。これにより逃亡生活を強いられた龍平は叔父を頼るも、叔父は自らの保身のために彼を始末しようとするのだった。


 信じていた数々の人間に裏切られた龍平は、裏切り者たちへの復讐を誓う。そこで彼はライバル会社の重役に近づき、叔父の会社の不正を聴聞会で白日の下に晒そうと計画する。龍平は自らが裏切り者となることで、身の潔白を証明しようというのだった。


 4月22日

  近江兄弟社が日本国内向けに製造販売していたメンソレータムの製造販売権をロート製薬が取得。

 この日、宇都宮を流れる田川で頭部が、その翌日には両腕が発見された。

 発見された頭部からモンタージュ写真が作成されると、被害者と思われる警察官の男性が捜査線上に浮上。そして、しばらく前に行方不明となっていた栃木県警の清野菜名子せいのななこ警部補(28歳)と分かった。


 4月29日 - 女優菊容子殺害事件。

 2歳の時に富士フイルムのモデル、6歳の頃から少女雑誌『少女クラブ』(講談社)の表紙モデルで芸能キャリアをスタート。1959年の映画『城ヶ島の雨』で子役デビュー。中学に進学した時に一時芸能活動を止めるが、中学3年生の秋にNHK主催の新人オーディションで2位合格となり、後に女優業に転向する。この時、本名の菊池洋子ではさんずいが並ぶため「水に流れる」という意味で縁起が悪いという意見があり、菊 容子の芸名に決まる。

 6歳の時から若柳流の舞踊を習い、15歳でその名取となった。

 1968年、竜雷太主演『でっかい青春』第26話より、女生徒・丸山しぐれ役でレギュラー出演。当時の紹介記事では「この番組に出演したおかげでクラスメイトがたくさんできた感じです。学生生活の楽しさをドラマで味わいたい」と述べている。1971年、朝日放送(当時TBS系)で放映したドラマ『好き! すき!! 魔女先生』のヒロイン・月ひかる役を務め、その他ドラマ・映画・舞台を中心に活躍した。『魔女先生』の原作者である石ノ森章太郎とはそれ以前より面識があった。1972年より、NHKのクイズ番組『連想ゲーム』の回答者としてレギュラー出演。

 1975年4月29日午前3時頃、交際していた俳優(当時23歳)に、東京都新宿区の自宅マンションで、電話機のコードで首を絞められて殺害された。24歳没。深夜のうちに電話で父親に「9時に起こして」と依頼していたモーニングコールに応答がなかった事から事件が発覚した。加害者は別れ話のもつれから犯行に及び、自殺未遂後に逮捕され、裁判で懲役7年が言い渡された。

 

 福島県会津若松市にある小さなレストランのオーナーである和住貞夫わずみさだおは、中学教師の妻・絵里えりと高校生の息子・良純よしずみ、幼い娘の淳子あつことともに穏やかな日々を送っていた。


 そんなある日、貞夫の店が拳銃を持った強盗、米津慶彦と安西要次あんざいようじに襲われるが、貞夫は驚くべき身のこなしで2人を撃退する。店の客や従業員の危機を救った貞夫は一夜にして地元のヒーローとなり、新聞やTVで報道される。


 それから数日後、左耳がない片岡竹雄かたおかたけおが、手下2人とレストランに現われ、過去を知っているような口調で貞夫に親しげに話しかける。片岡は、貞夫の本名は緒方一生おがたいっせいで、福島マフィアのボス、緒方顕おがたけんの弟だと主張する。貞夫はそれは完全な人違いでありマフィアとは面識がないと否定するが、片岡はそれを受け入れず執拗に一家につきまとう。


 神経質になる貞夫のイラつきを感じ取った家族はぎくしゃくし始める。そんなある日、息子の良純は自分に絡み続けていた不良たちに衝動的に暴力をふるい停学となる。貞夫は息子に「暴力で事を解決するな」と言うが、息子はレストランでの事件を言い返し家を出て行く。


 片岡らは息子を捕らえ、貞夫に自分を一生と認め福島市に同行するよう脅す。その時、貞夫は緒方一生に豹変し、手下2人を素手で簡単に殺すが傷を負い片岡にナイフで殺されかける。しかし、その背後から息子は片岡を撃ち、貞夫を助ける。


 運び込まれた病院で、貞夫は妻に過去は緒方一生であった事と、しかし過去を捨て貞夫として生き直してきた事を告白するが受け入れられず、妻や息子らとの関係は破綻する。


 そして5月10日の夜、兄の顕からの電話を受けた貞夫は一生となり、全てに決着をつけるべく遠路福島に向かう。顕は一生を殺して示しをつけようとするが、逆に一生は顕らをマシンガンで皆殺しにする。一生としての過去を清算し、困憊しきって家に帰った貞夫を息子や娘は父として受け入れる。そして妻は伏せた顔をあげ、夫を見た。

「これからもよろしく」



 権藤残助の娘、あずさは、父が自分に全く無関心なため、自分を愛しているのかどうか確かめようと、狂言誘拐を思いつく。

 梓は2000万を要求する電話をかけた後、家の車のトランクに隠れるが、そうとは知らない車泥棒の一式右京いっしきうきょうが車を盗み出してしまう。右京はトランクに梓が入っているのを見つけて動揺する。

「メチャクチャ美人じゃん」


 一方、権藤は部下の響涼真に梓の捜索を依頼する。響は早い段階から今回の事件が梓の芝居だと気付いており、また梓が右京と一緒にいることもすぐに突き止める。


 2020年

 東京都新宿区高田馬場。だんは母親の桃香ももかと一緒に暮らしていたが、桃香は息子そっちのけで恋人の赤城拓哉あかぎたくやに熱を上げていた。弾はSNSを愛用しており、フォロワーを増やすために色々投稿していたが、なかなか注目が集まらなかった。

 4月のある夜、弾はコンビニでおにぎりを万引しようとしたガキに背負い投げをかけて制圧した。近くにいた人々がその様子を録画してSNSに投稿した。その結果、弾のアカウントのフォロワー数は一夜にして200人も増加した。


 弾は引っ越してきたばかりの老人、蒲生と知り合いになり、徐々に親しくなっていった。パーティーの席で、蒲生は「俺は強盗の罪でムショにいた。息子と同居しているのは好きでそうしているからじゃない。あんなゲーマーと一緒に住みたいバカはいないだろうよ。仮釈放の条件だから仕方なくそうしているだけだ」と弾に明かした。母親にうんざりしていた弾はその言葉に共感し、芸能界に入って大物になりたいという夢を蒲生に語った。


 ある日、弾は貯金がなくなっていることに気が付き、怒って桃香の部屋に駆け込んだ。弾が「あんたが盗んだんだろ!?」と赤城を糾弾したところ、逆上した赤城に突き飛ばされてしまった。「今度あったらぶっ殺してやる」と言い放った後、弾は蒲生の家に向かった。

 ところが、そこでも一悶着が起きていた。蒲生が酒に酔った息子から暴力を受けていたのである。弾は何とかして止めようとしたが、またしても突き飛ばされてしまった。その様子を見ていた蒲生は怒り狂い、息子を階段から突き飛ばした。

 息子の正体は中国の怪物、刑天けいてんが憑依したものだった。

『山海経』に拠れば、帝(恐らくは黄帝)と中原から遠く離れた西南方に位置する常羊じょうようの山近くで神の座(恐らくは天帝の座])を掛けて争い、敗れて首級を常羊山に埋められるが、なおも両乳を目に臍を口に変え、干(かん。盾)と戚(せき。斧)とを手にして闘志剥き出しの舞を続けたという。なお、後漢の高誘こうゆうは『淮南子』墬形訓に注して、天神が手を断った後に天帝が首を断ったとするが、手を断たれたなら干戚を手にする事も出来ないのでこれは誤伝であろうと考えられている。


 刑天の首が埋められた常羊山は神農(炎帝)の生地との説があり、また炎帝神農氏の命で「扶犂ふりの楽」という曲と「豊年ほうねんの詠」という詩から成る「下謀かぼう」を作ったと伝えられる事から刑天は神農の臣下であって、一方で常羊山の北方には数箇国を隔てるものの黄帝の末裔の住む軒轅けんえんの国があったというので、刑天の闘争は炎帝と黄帝との闘争の余波であり、常羊山から軒轅国に至る一帯で行われたものであったと考えられている。


 コロナの影響でクビを切られたファミレスのバイト、アキラとカツヤは手元に金が全くなく渋谷のコンビニに強盗に入った。偶然居合わせた、蒲生銀次はアッパーカットをアキラに食らわせた。

 カツヤが背後からバタフライナイフで襲いかかったが、何の痛みも感じなかった。トイレから出た弾がライダーキックをカツヤに見舞った。

 

 蒲生銀次はある事件で命を落として冥界に旅立ったが、そのときに仙人から言われた。

「2025年に世界は流行病で滅びる。各時代に散らばった9つの玉を集めて持ってくれば不老不死の体をそなたにやろう」

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