愛されたかっただけなのに

海星

悪夢は続くどこまでも

 夕方から降り出した雨はまだ降り止む気配がない。それどころか勢いを増すばかり。もうすぐ夏になろうかという時期だとしても開いた窓から入り込む風雨は冷たく、彼女の細い体に叩きつけながら体温を奪っていく。


 唇は紫色になり、鳥肌が立っている。だが、それは寒さからだけではないのかもしれない。彼女が虚ろな視線を向ける先は部屋の外にある夜の海。室内の薄明かりでは照らしきれない漆黒の闇だ。


 そして彼女は吸い寄せられるように窓枠に足を掛ける。淑女にあるまじき姿かもしれないが、彼女はそうするしかない、そう思い込んでいた。


 すると扉の外でばたばたと石造りの廊下を駆ける音がした。その音は近づいてきて、やがて扉を勢いよく開く音と共に彼女の前で止まる。


「……っ、無事、だったか!」


 息急き切って走ってきたのは壮年の男性だ。肩で息をしながらも、心配する言葉を彼女にかける。途端に彼女は信じられないものを見るような視線を男性に向けた。


 それも無理はない。彼女の記憶にある限りでは、父親であるこの男性に心配をされた覚えなど一切なかった。


 ああ、それでも自分は愛されていたのかもしれない。そんな歓喜が彼女の心を駆け巡る。こんな時だというのに、彼女の心は明るい希望が少しずつ差し込むのを感じていた。


「お、とう、さま……あの子が、おち、た、の……」


 そして彼女は懸命に声を絞り出す。誰が、どこから、そこまで詳しく説明するだけの考えが、この時の彼女にはなかった。ただ震える指を必死に伸ばして窓の外を差す。


「ああ。私も、落ちる人影を見た……だから急いで来たんだ。お前がその窓から落ちたんじゃないかと……無事でよかった」

「……心配、して、くれたの……?」


 彼女がか細い声で尋ねると、彼女の父である男性は近づきながら笑顔で頷く。


「当たり前だろう。お前は私の大切な娘だ」

「お父様……」


 彼女は感激のあまり涙ぐむ。だが、次の言葉に目を見開いた。


「そうだろう、?」


 心に差し込んでいた明るい希望は、一気に絶望へと塗り替えられた。希望と絶望は表裏一体なのかもしれない。彼女はぼんやりと考える。


 これが彼女の悪夢の始まりだったのか。いや、悪夢は前からずっと続いていたのかもしれない。そしてこれからも続くのだと彼女は察した。


 覚悟を決めた彼女は貼り付けた笑みを浮かべる。


「……ええ、お父様」

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