ディストピア・オブ・メアリー・スー

@edogin

第1話ボーイ・オブ・メアリー・スー

ふふふ……


 沢山の物語をここに。

 甘ったるい妄想をここに。

 意地悪な悲劇をここに。

 どうしようもない嘲笑をここに。

 生み出す苦痛をここに。


 五つの罪業が揃う時、罪人たちは丘へと歩む。

 天使たちに祝福され、血を小瓶に入れて歩む。


 かくて至れよ、絶対なる書。




◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 

 遠い遠い宇宙の果て。人類の及ぶ最後の区域。

 そこに一つの星がある。青い星の兄弟星のように似通った星。

 その表面には夥しい数の人工物が密度まばらに並んでいた。ビルやタワー、或いは遺跡や高速道路。何気ない日常を切り取ったかのようにその星の表面は人類の文明があったのだ。


 しかし、耳を澄ましても音はしない。命の音も、滅亡の轟音も。ただそれはレプリカのように宇宙の上に置かれているだけなのか。


 ズームアップして、もっと詳らかに覗いてみよう。

 極東の小さな島の、そのまた小さく静寂に包まれた、冬の朝のような街のど真ん中。人の喧騒は矢張り見えず、ついさっきまでそこに誰かいたかのような痕跡が幾つも残っている。くしゃくしゃに踏みつぶされたシケモクが一つ。まだ煙が糸のように出ていた。


 その煙から車道の方にズレると14歳くらいの男児が死体のように転がっていた。顔つきは日本人らしいが、それ以上に目立った外傷は外から見る限りではないように見える。

 緑のくすんだシャツは皺だらけではあるものの何者かに襲われたわけではなさそうだ。そもそもこの町には人の気配がないので、事件などまだ起こりようもないだろうが。


 瞼によって閉ざされた少年の双眸は悪夢にうなされているのか、はたまたもうすぐ起きそうなのか僅かに痙攣を起こしている。


 命の駆動音が鳴るように少年の瞳が開かれる。その瞳は黒く深い色だったが所々に光の当たり具合が変わるとエメラルドのような緑を若干帯びているようにも見えた。


 覚醒した少年が何の気なしに寝返りを打つと既に真上に昇った太陽の光が目を劈いた。

 それを喰らって寝ぼけ眼ではもういられず、少年はやっと意識を使いだす。


 ――頭がぼやける思考がまとまらない。

 ――頭痛が激しい。背中も痛い……いったいどうして?


 コンクリートの上に臥していた少年はゆっくりとその細い腕を使って起き上がった。

 立ち上がって服を適当に手で払う。そしてそのまま寝起きから覚めるように大きく腕を上げて伸びをした。


「今……何か夢を見ていたような……ここは?」


 ぼんやりとした頭の中、何の夢を見ていたかと思い出そうとするが、追えば追うほどどんどんとその夢の輪郭はぼやけ、最終的に夢を見ていたことすら半分忘れてしまった。


 夢のことでぼやける頭を使ったのもつかの間、少年は自分の知らない景色が視界に入ったことにやっと驚いた。少年の臥していた場所は見慣ないビル群に囲まれた道路の真っただ中だった。


「熱中症で倒れちゃったのかな」


 うわ言のように言ったもののその前のことなんて、少年は全く覚えていない。あるいは夢と共に忘れてしまったか。

 

 何かないか? どうして自分はここにいるのか?


 電柱などを見てみれば広告で日本語が書かれている。

 日本では間違いなさそうだ、と少年は思ったがその程度の漠然とした位置情報で安心を得られるほど少年は能天気ではなかった。

 手持無沙汰に少年は見慣れたような見慣れてないような現代的な建物群を見つつ、ふらふらと彷徨った。


……誰か、誰かいませんか!」


 寂しさと不安をだんだんと感じ始めて、少年は町に尋ねたが誰も返答を寄越さず静寂だけが走った。返答を待つ。しかし、ビルの間に反響して木霊のように声は広がるが、鳩の一羽も飛び立つことはなかった。


「本当に……誰もいない」


 少年は肩を落として露骨にしょんぼりとした。

 手持ち無沙汰に見知らぬ世界の景色をじっくりと観察しながら、重くなった足取りを進める。


 ディスプレイとボタンの灯りが消えた年季の入った自動販売機を見つけ、おもむろに近寄る。

 あったかいだの、つめたいだの丸いひらがなの書かれたディスプレイの下に擦れて消えかけの住所表示を見つける。


氷坂ひさか町、2丁目……ってどこ。何県なんだろう」


 氷坂町。その名に聞き覚えはなく余計に四苦八苦してしまう。自分の居場所は『氷坂町』であるらしいが、果たして『氷坂町』がどこなのか?


 悩ましく思いながら、少年は自動販売機の前から立ち退こうとした。その時だった。


「……痛ッ!」


 少年は苦痛を感じて、しゃがみ込む。

 咄嗟に側頭部を抑えるも痛みの元凶をそこに感じ取ることができなかった。


 いきなり立ち眩みがしたかと思えば少年の頭に鋭い痛みが走ったのだ。目を見開くと空間に砂嵐のエフェクトのようなものが見える。それが視界全体に薄く広がっていき少年の視界を狭めていく。


 痛みも激しくなり、呻き声を上げるが、それはまだ序章に過ぎなかった。

 代わりにもっと悍ましい変調を少年は感じることとなる。


(アー、アー! ワンツー、マイクテス。マイクテス! 聞こえておりますでしょうかぁ?)


 混乱真っただ中の少年を置いてけぼりにするように脳内に不思議な声が響いてきた。大都会のように見える辺りを見回しても人はおらず、声の正体を掴むことはできなかった。


 女の人の声……?


 ただ高い声音からそう判断するしかなかったが、それ以外は全く謎だ。


(まぁ、拾ってなくても今度の一発であっと驚かせてあげましょう! とりゃあ!)


 そんな女性の腑抜けた掛け声と共に視界が完全に暗転する。

 自動販売機や路上駐輪されていた自転車、葉を散らす街路樹が一気に視界から消え、奥行きものない暗黒に飛ばされたことに恐怖で身体がこわばる。


 え?ど、どうなって――


 少年がそう思いかけた瞬間、視界は恐怖から解放するように晴れ渡る青空を映し出していた。


 雲がかなり近く見える寒そうなまでに青い空。

 自由を象徴する青とうねる入道雲が人の想像では再現の難しいリアルさを物語る。


 風景画と評していいほどにリアルなソレのど真ん中を破壊する人影が1つ存在した。


 女王のように傲慢に。そこに存在するだけで一気に現実性を全て否定せんとする彼女が待ち構えていた。


 視界のど真ん中に一人の長髪のセーラー服を着て、その頭に不釣り合いな黒のシルクハットを乗せた女性が——浮いていた。


「君は……誰、なの?」


 少年と彼女の視線が結びつく。

 少年の背筋には氷のような冷たさが、彼女の顔には灼熱の笑顔が浮かび上がった。


「ハロー皆さん。上空634mからお初に御目にかかります。立てば童話、座れば小説、歩く姿は有害指定図書。どうも、今回のゲームの主催者のクイーンです。気軽にクイーンちゃんって呼んでくださいね」


「皆、さん……? ってここは!?」


 クイーンと名乗った女性は空に浮いたまま、まるでカメラに向かうタレントのように手を振った。少年の言葉なんて雑踏に紛れる虫の羽音程に届いていないと思わせるような、自己主張の塊みたいなスピーチだった。


 いきなり現れた現実味を無視した空飛ぶ彼女に困惑せざるを得なかったが、少年はそれよりも恐ろしい事態に腰を抜かしていた。


 彼女が言ったように少年の足元に634m分の高さが足場なしに存在した。


「な、な、なんで、僕空の上に!?」


 空を飛ぶ鳥のように、或いはいつかのイカロスが見たような景色を見た少年は理解が追い付かず口と目を同じくらいかっ開くしかなかった。


 数秒経ってやっと理解が追い付くと、心臓をバクバクと鳴らして呼吸を荒げた。

 脳から漏れ出るアドレナリンがどんどんとその飽和量を増やしていく。

 見たこともない景色、不運にも少年は下方向を見てしまい、レゴブロックのように小さな建物群を見てそれが事実だということを認識した。


「今、皆さんは『なんか空飛んでる!?』みたいに驚いていることでしょうけど、これは私が皆さんの視界に干渉して見せている映像なので、リアルの皆さんはちゃんと地に足ついてますよ。まぁ、私に掛かれば映像通りの場所に皆さんを出現させることも簡単なんですけどね! ふふ!」


 まるで人の心を手に取って弄ぶようにクイーンは悪戯に言った。

 但しそれもまた少年個人に向けられたものではなく、見えない大勢の聴衆に対するビデオメッセージのような齟齬を孕んでいた。


 いやいや、常識的に考えれば視界に干渉するなど荒唐無稽すぎる。昨今急速に進化してきたVRなるものでもこんなすり替えはできないだろう。

 それともあれかだろうか。どこぞのスパイ映画よろしくコンタクトレンズに極小カメラが付いており、それが映像でも見せているというのか。


 怯える少年がそこまで思考を巡らせられたわけではないが、事実は小説より奇なりという言葉だけは知っていた。


 それが根拠になりえたか。否。だが、クイーンの言葉に納得する以外に何もない。


 こんな状況でなければもっとまともな答えを導き出しただろうが、突拍子もないことが立て続けに起こるものでいちいち疑う余力はなかった。精神力はすでにかなりすり減っていた。


「さてさて、私は時間にうるさいので手早くルール説明をさせていただきましょうか。皆さんは私の主催するゲームの参加者に選ばれました。パンパカパーン! おめでとうございます!」


 クイーンはにやりと女狐のように不気味に笑って、まるでゲームでもする子供のように嬉々としてこう告げた。


「本ゲームは参加者である皆さんに10万ポイントを稼いでもらうゲームとなっています! 単純なルールでしょ? 皆さん集めるの得意そうな顔してますもんね、顔なんて見えないですけど。あ、なんか参加しないとか拒否権とか、そういうめんどくさいクレームは受け付けていません! ここに消費者庁はないので!」


「おほん! それではどうやってこのゲームにおいて皆さんに10万ポイントを稼いでもらうかと言いますと――」



「――殺し合いです!」



 可憐な少女のように、人を狂わすギリシャの女神のように、あるいはどちらとも違う全てを飲み込む虚ろの怪物を思わせる瞳と表情でクイーンは凍るような言葉を吐いた。


「…………は?」


 理解できない少年。


 漏れ出る言葉は自身の無力な手指の間を抜けて虚しく幻想の一枚下にあるコンクリートに散った。



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