ぼく 3
ツンと冷えた晴天の冬の昼。
彼女が眠るこの盛土を見つめる。この中には、ぼくと彼女の思い出が埋まっている。たくさんの嬉しいことがあった。彼女が提出した『源氏物語』のレポートも、彼女が遺した歯ブラシや化粧道具も、彼女と行った美術館や博物館の半券なんかも。
それは一年前のこと。彼女はこの公園で死んだ。
カキフライを揚げて、どうしてもレモンサワーが飲みたくなったぼくは、近くのコンビニに缶チューハイを買いに出かけた帰り道だった。彼女が仕事から帰ってきたら喜ぶだろうなと思ってレジ袋にはレモンサワーが二缶入っていた。ぼくがレジ袋を落とした衝撃で、あの時あの場で缶を開けたら泡まみれになったことだろう。
ぼくはまさにここで彼女が若い女とキスしているところを見てしまったのだ。ぼくが人生で初めて直面した大きな悲しみだった。
彼女は愛してもいないのにぼくと五年間も一緒にいたのだろうか。もしくは五年間をかけてぼくのことを好きになろうと必死だったのかもしれない。どのような発想もぼくの疑問を解決することはなく、ただ闇雲に心を傷つけるだけだった。
心が痛む、それ以外は至って平穏な気持ちだった。アパートに戻ってぼくは酒も飲まずに、ぬるいカキフライを口に入れた。食べ終わった食器を持って、そのままキッチンで洗い流す。炊き上がった白米は、保温状態のまま炊飯ジャーの中でぼくを待ち続けていた。カキフライを揚げた油をどくどくとそのままシンクに流し捨て、フライパンをごしごしとたわしで洗う。
そして40Lのゴミ袋を二枚に重ねて、部屋にある彼女の持ち物を全てその中に入れた。彼女との思い出が纏わりついた品物もその中に投げこむ。
アパートの共有ゴミ捨て場に向かい、「燃えるゴミ」と書かれた一画に捨てようとしてやめた。夜に燃えるゴミを捨てると、管理人の田所さんに怒られるからというわけではない。これは「遺品整理」なのだと気がついた。そうだ、彼女は死んだのだ。
彼女は厳密にはこの世のどこかで生きているだろうが、ぼくが好きだった彼女はあのタイミングで死んでしまった。
大学の教室でぼくに向かってきさくに話しかけてくれた彼女。アパートで熱心に語りかけてくれた彼女。カキフライを一口で頬張る彼女。その笑顔が全て、彼女が異性としての好意をぼくに向けていなかっただけに、より強く発揮された偽りの愛情だったのではないかと思うとぼくは悲しみに身を震わした。彼女は一瞬でさえもぼくを愛していなかったというのか。
そうしてぼくは彼女がキスをしていた公園に、小さくて深い穴を堀り、ゴミ袋を逆さまにして彼女の遺品を放り込んだ。そしてこんもりと盛土をしてあげた。本当は火葬にしてあげたかったけど、欧米流に土葬でごめんね、と。
盛土から目を離し、深く息を吸い込む。一年も経つと自然と心も馴染み、彼女の死からぼくは立ち直りつつあった。昼の公園はまばらな人を抱えて、のんびりと時間が進む。
一人だけ、ベンチで泣いている女子高校生がいることに気がついた。この辺りの高校には疎くて、どこの学校だかもわからない。もうテストの時期だから学校は終業しているのだろうか。この公園で涙を流すのは、ぼくだけじゃないんだと思うとなんだか嬉しかった。彼女にもなにか悲しいことがあったのだろう。
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