ドーナツ

りゅう

ぼく 1

 嬉しいことがあって、悲しいことがあった。

 当たり前のことだけど、ぼくらは嬉しいことばかりを期待して女の子と交際したり、結婚したり、セックスをしたりする。だけど悲しいことだって当然訪れるのだ。

 彼女がぼくに声をかけてきたのは、大学二年生の冬のこと。

「ねえ、あなたのレポート私にくれない?」

 『源氏物語』を原語で通読するというその講義は、ハードさゆえに学生からは敬遠され、秋にもなると数人しか出席していなかった。この日は最後の授業ということもあり、何人かの学生が単位取得のために顔を出していたが、五千字のレポート提出があるらしいと分かり、彼らの多くは授業の開始を待たずに、そのまま帰路についた。

「私、四年生なんだけどこの授業で卒業がかかってるのよ」

 彼女の悪びれもしない態度に驚きはしたが、単位に焦りもないし、大したレポートでもなかったので渡してしまった。

 二ヶ月後、どこで住所を調べたのか、彼女はぼくの住むアパートにやってきた。

 なんと『源氏物語』の単位を落としてしまったらしい。理由は単純で、彼女はぼくから譲り受けたレポートの名前を訂正することもなく提出したのだった。つまりぼくのレポートを代理で提出したに過ぎなかった。ぼくは大学から届いた自分の成績通知書を引っ張り出した。『源氏物語』の講義はAプラスだった。

 結局彼女は内定していた小さな出版社に就職し、卒業を果たすことはなかった。それでもなぜだかぼくのアパートに入り浸っては、むかつく上司や鼻につく同僚、営業先の本屋に関する文句を言い連ねた。

 そして彼女が死ぬまでの五年間、ぼくらは深く愛し合った。

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