エルフ病と呼ばれた少女と始める二度目の恋のやり方

@nama96

プロローグ 六十回目の記念写真(1)

「・・・・・・また、空を見ていたのですか?」


落ち着きを伴った声が背後からかけられた。


声の主は聞かなくても分かる。


何十年と、それも産まれた時からの付き合いだ。私が彼の声を聞き間違えるはずはない。


私は振り向きもせずに、ザシザシと芝生を踏みしめる音がだんだんこちらへと近づいてくるのを聞きながら、


「えぇ、何度見ても安心するから。空だけは何年経とうとも私の記憶する光景と変わらない」


青く澄んだ空へと手を伸ばす。 伸ばした腕は、手はまるで少女のように若々しく弱々しい。


それなのにまるで声だけは、その佇まいはまるで数十年の時を経た老女のように落ち着き払った、実に貫禄のある見事なものだ。


アンバランスで異質な存在である彼女ーーーーー少女へと近づいてきたのは落ち着いた声相応の風貌をした男性であった。


彼は紳士然とした初老の男性であり、品の良い落ち着いた色合いのツートンカラーのスーツを着用していた。


彼は穏和そうな笑みを称えて、ほんの少し白く染まった短く整えられた髪を風に靡かせながら、一向に空を見上げるのを止めない少女を窘めるように口を開く。


「姉さん、空は逃げないけど、時間は有限ではないから。それに今回は写真屋を呼んであるから早く準備しないといけないし」


「・・・・・・そうだったわね。何故か知らないけど、綾音と百合音が今年は特別だからと言ってわざわざ写真屋を呼んだのよね」


「知らないとは言わせないよ。というか姉さんが知らないわけないだろう。何せ今回の主役は他ならぬ姉さんだからね」


「・・・・・・どうしても、出席しないといけないかしら? 」


ため息混じりに少女は呟く。表情は窺えないものの声のトーンからして嫌そうなのは分かった。


子供の我が儘じゃないのだから、と男性は肩を竦めて、


「駄目だよ。大丈夫、今日来てくれている写真屋は海音くんだからね。姉さんも知っているだろう?」


「海音? ナズナ叔母さまの?」


聞き覚えのある名前を耳にした途端、先ほどまで全身から発していた嫌そうな雰囲気が雲散し、少女はようやく空を見上げるのを止めて男性へと振り向いた。


振り向いたときの動作に合わせて腰まで伸びた銀色の髪が、髪に色に合わせた淡い水色のシックなワンピースの裾がフンワリと浮かぶ。


雪の様に白い肌が春の日差しに当てられて、キラキラとした目映いばかりの輝きを放つ。


人形のように均整の取れた肢体に、まるで神が己の分身を作ったかのようなパーツをあしらったかのように見目麗しい顏が、男性の両の眼に飛び込んできた。


プックリとした小粒な唇、すらりとした鼻梁、フサフサとした睫が被さった大粒の灰色の瞳。その全てが美しい。


芸術品のように美しい少女は、気だるげな様子で己の髪を掻き上げつつ、自身のことを姉と呼ぶ男性の元へと歩み寄る。


「勇一郎。案内してちょうだい」


「・・・・・・行く気になったの?姉さん」


「えぇ、海音ならば話は別だもの」


そう、海音ならば。


血を分けた親戚ならば、それが大好きな叔母の孫ならば尚更だ。


そう、もうそんな年になったのね。


最後に会ったのは彼が高校生の時か。早いものでもう十五年の月日が流れており、紅顔の青少年も立派な大人になっていた。


写真を撮るのが好きだった海音に相応しい職業だ。彼は立派に趣味を仕事にしている稀有な人間であると少女は感心していた。


「今日はナズナ叔母様は?」


「残念ながら来ていないよ。何でもここ最近体の調子が今一つだそうだ」


あの健康が服を着て歩いているようなはつらつ然とした叔母様が、ともの悲しくなった。


でも無理はない。彼女ももう八十を越えているのだ。気持ちは若く元気でも身体の方は老いには勝てず、少しづつ衰弱していくのは自然の摂理だ。


「あのお方も年だもの。不思議ではないけど・・・・・・」


「ーーーーーー姉さん寂しい?」


勇一郎と呼ばれた男性はどこか浮かない表情で口を閉ざした少女の肩に手を置き、ポンポンと励ますように軽く叩く。


そんな彼のシワが寄った手に小さく細い手を伸ばし、そっと壊れ物を触るかのように握りしめるとぎこちない笑みを浮かべてみせた。


「大丈夫よ、覚悟はしてるから」


「・・・・・・姉さん」


本当は無理しているくせに。彼女は笑ってみせる。いかにも自分は平気であるという風に装って。


少女は勇一郎の手を今一度強く握ると、何事もなかったかのように握っていた手を離して彼に背を向けて歩き出す。


それでもその歩みは遅々としていて、時折こちらへと振り返り、先導するようにと視線だけで促す。


勇一郎はモヤッとした何とも言えないむず痒い気持ちを胸の奥にしまいこみ、みんなが待つ広場まで彼女を案内するべく歩みを再開させた。





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