『シュジュギア -帝都神韻機鋼譚-』

 鵺火やび総十郎そうじゅうろうは主人公である。

 人は誰しも己が人生の主役である、という意味においては、自覚している。


 美しい、青年であった。

 しなやかな四肢を深い紺碧の学生服で包み、冬期制式マントを羽織ってゐる。

 切れ長の双眸は、淡く優し気に細められており、愁いを帯びた色香を漂わせる。

 すっと通った鼻梁の下で、薄い唇がゆるやかな弧を描いてゐた。

 微笑んでいる、というわけではない。しかし、後になって彼の顔を思い出そうとすると、どういうわけか穏やかに微笑んでいるさまが脳裏によみがえる。

 ふつう、美しい人間というものは、冷たい印象を意図せず振りまいてしまうものだが――彼に限っては例外であった。人の警戒心をそれとなく緩めてしまう、どこか柔らかい印象を宿した青年であった。

 こゝが帝都の往来であれば、道行く婦女子らが彼の美貌を前に思わず胸を高鳴らせ、しかるのちにほっと息をついて微笑みとゝもに会釈をして去ってゆくさまがひっきりなしに繰り広げられたことであろう。

 しかしこゝは〈黄昏熾示録盟約団〉の大儀式によって現世に顕現した〈無限城塞〉の天守であり、当然ならが通行人など一人たりとて存在しようはずもなかった。


 ――そこは、ひとつの宇宙であった。


 尋常な人間であれば畏れを抱くほどの広大な空間。床や壁は磨き抜かれた黒曜石で形作られており、天井は遥かな闇に包まれて見ることができない。

 墨汁の湖面に立つかのごとく、青年は佇んでゐる。床には上下さかしまの像が映ってゐた。

 青年の目の先には、一か所だけぽつねんと、何かゞそびえ立ってゐる。

 異教の祭壇のようにも、巨大な風琴鍵盤パヰプオルガンのようにも見える、奇妙な構造物。

 それは、醜悪にして荘厳なる玉座であった。

 全方位に棘とも甲殻ともつかぬものが伸びてゐる。異形の昆虫があぎとを開いたかのような生物的な意匠。

 その中央に、一つの怪異が座す。

 白銀の深淵を湛えた右眼は、目の前の青年にいかなる興味も持たぬかのように、軍刀サアベルのごとき透徹した眼差しを浴びせるに任せてゐた。

 黄金の渾沌が渦巻く左眼は、余人には計り知れぬ感情を含んだ笑みの形に歪められ、極限の熱量をもって青年を傲然と見下ろしてゐた。

 鮮血色の髪が艶やかにうねり、足元にまで垂れさがる。

 異相の、男。

 片肘で杖をつき、だらしなく、深々と、玉座に背を預けてゐる。

 青年が、受け入れ寄り添う美であるとするならば、座する男は服従と畏怖を強いる美であった。

 鬼気とも、凶気ともつかぬものが絶大な圧力を持って青年に吹き付け、跪けと言外に強要する。

 されど――青年はそれを夏の涼風のごとく受け流す。悠然と、不遜ですらあるさまで、玉座の御前に足を進めた。

 金銀妖眼が刃物のように細められ、完璧な造形の口元が吊り上がった。

 男は口を開く。


「――ようこそ。我が〈無限城塞〉へ。歓迎しよう。」


 低く、深く、澄んだ声であった。

 その声には愛があった。己が掌でもがく愛玩動物に向けるたぐいの愛が。

 青年は応えた。


「痛み入る。招かれざる身での唐突な訪問については謝罪させてもらおう。のっぴきならぬ火急の用というものがあるゆえに。」


 やゝ苦笑交じりの返答だった。


「火急の用とな。ふむ。伺おうか。」


 鷹揚に、怪異の男は促す。

 青年は、おもむろに目を閉ざし、一息吸い――そして見開いた瞬間、その黒瞳からは柔らかい印象が消えてゐた。


「――御首級みしるし、頂戴つかまつる。」


 夜の風鳴りのごとく、その声は周囲に拡がり、溶けていった。

 くつ/\と、怪異の嗤いが漏れる。


「なるほどなるほど。下で暴れておる者らは貴公をこゝまでたどり着かせるための囮か。」

「さよう。小生ひとりで御身ら〈黄昏熾示録盟約団〉全員を相手するのはさすがに荷が勝ちすぎるゆえに。」


 〈無限城塞〉の下層――より現世に近い領域では、現在〈黄昏熾示録盟約団〉の最高評議会を構成する魔人らと、宮内省挺身抜刀隊の精兵五十名が、極限の死闘を繰り広げてゐた。その先頭では、かの〈魔奏怪盗〉までもが青年の作戦に協力し、絶技を振るってゐる。

 彼らに対して借りを作るのは、青年としては極力避けたかったのであるが、もはや是非もなし。

 帝都上空に物質化した〈無限城塞〉の脅威は、誇張抜きで神州全域を消滅させかねぬほどのものだ。

 一刻の猶予もない。


「なぜこのような恐ろしい破壊を成すのか――などと無意味な問答で時間を空費する気はない。即座にそっ首叩き落させてもらおう。」


 青年は滑らかに伸びた白い指先で、腰に帯びる得物の鯉口を切った。

 絶大な威と美を秘めた哄笑が轟き渡る。怪異の王は愉快でたまらぬ様子である。


「時間がないのは理解するが、いささか拙速に過ぎたな。ただひとりで私を討伐しようなどと。?」


 見透かすようなその問いに、青年は応えた。


「――小生、ロリコンなれば。」


「……なに?」

「帝都に住まう愛おしく麗しき君らの笑顔を護るため、死力を尽くす所存である。」

「言葉の意味はよくわからぬが、下らんな。超越者がそのような些事に心乱されるようでは、可能性の空費という他ないぞ。」


 怪異の王は、気だるげに指をクン、と振り上げた。


 瞬間、玉座を囲むように、六つの巨剣が浮上する。

 まるで、そこが水面だったとでも言うように、黒曜石の床から生え、上昇し、空中に静止したのだ。

 巨人の王が振るうために鍛え上げられたがごときその黒き刀身には、オベリスクじみて無数の秘文字と死文字が刻まれ、ぼんやりと発光してゐる。

 これこそが怪異の王の意思において駆動する星気じょうき兵装。ただひとつですら万軍を葬り去る、破壊と殺戮の申し子らである。

 青年は、優し気だった両眼を鋭絶に細め、刀を一気に引き抜く。

 同時に、鞘の機構と接触して、刀身が細かく震え始めた。あたかも音叉のごとく、殷々とした音色が大気を満たす。

 それは、万象を切断するための音色である。万物の分子振動と共振し、何の抵抗もなく斬り込むための。


 ――されど、我が撃刀たちかきは斬魔ののりなれば。


 優美な指先が、刀身を爪弾くと、音色が変化した。

 万魔を浄滅せる音階へと。

 神韻へと。

 怪異の口の端が愉悦に吊り上がり、禍々しき色彩を帯びた星気が空間を歪ませながら立ち昇った。


「〈黄昏熾示録盟約団〉統括首領ヰンペレヰタア、位階〈8=3マジスタリ・テンプリ〉、リュングヴィ・ガリギュラヰザア。――若き客人よ、最高の歓待をいたそう。」

「〈神韻探偵〉鵺火総十郎。一手奏楽たてまつる。」


 腰を落とし、両眼を隠すように刀を構える。

 間もなく激発する究極の魔戦の予感に、大気が鳴動した。


 ●


 ――それから、三ヶ月が経過した。


 皇紀二千五百八十年、五月三日。


 ――〈黄昏熾示録盟約団〉との死闘の記憶は、いまだ総十郎の脳裏に焼き付いてゐる。


 帝都の霊的要衝が次々と破壊され、大和臣民らの足元を巡る大星脈だいじょうみゃくが制御を失い暴走、あわや神州は白き熱の奔流に呑まれ、この世から消滅の憂き目に遭わんとした未曽有の大災厄。

 この事態を収めるにあたって、さしもの鵺火総十郎も単独ではことを成せなかったであろう。かの〈魔奏怪盗〉やゲハイムニスナハト教授などの宿敵たちと手を組まざるを得なかった点は、総十郎の胸中にもいさゝか複雑なものを残していった。

 とはいえ破壊された帝都は急速に復興をつゞけ、人々の顔にも徐々に安堵の笑顔が灯り始めてゐた。


 萃星気すいじょうきの混じった風が、窓からゆる/\と吹き込んできてゐる。

 かすかに甘いような、さわやかな風味を持つ薫風を肺いっぱいに吸い込み、総十郎は眉目を柔らかく細めた。

 彼は現在、革張りのソファに腰かけてゐた。

 そして胸元に抱いた嬰児みどりごをあやしてゐる。


「おゝ、麗しの君よ。なぜ貴女の瞳はそんなにも美しいのか。その小さな口はそんなにも愛らしいのか。艶やかな頬はこんなにも触れたくなるのか。もはや神秘的ですらある。」


 あぶ、あぶ、と笑う赤子に、蕩けるような微笑みを向け、優しくゆすってゐる。

 小さな五指が伸びてきて、総十郎の鋭角的な頬をぺた/\と触ってゆく。


「あっ、飛んだ。」


 瞬間、甲高い声がした。

 ひら/\と舞い飛んできた式紙を、総十郎は白く長い指でつまみ取る。

 見ると、擬人式神を憑かせるためのしゅが、子供特有の拙い筆跡ながらも、生真面目に書き込まれてゐた。


「ふむ、巧く書けておる。」


 総十郎はしきりにうなずく。


「もう、窓は閉めてくれよ総ちゃん。散らかしたらまた祀ねえちゃんに怒られるぞ。」


 坊主頭の少年が、筆を片手に頬を膨らませてゐる。

 その隣では、五歳くらいの幼子が、鼻歌を囀りながら総十郎と兄の似顔絵を描いてゐた。


「あゝ、すまない。では……そうだな、この式神を起動して、閉めさせてみるといゝ。この精度なら動くはずだ。」

「エッ、ほんと? 貸して貸して!」


 目を輝かせて式紙を受け取ると、しゃちほこばって咳払いひとつ。

 そして彼は口を開いた。


「きひづかみのかむみたま、えゝと、いづのみたまをさきわえたまえ!」


 たど/\しい詠唱。しかし効力は発揮された。

 式紙が一瞬、朧な光を宿したかと思えた瞬間、ふわりと浮き上がる。

 そしてひとりでに紙が折られてゆき、ほどなくずんぐりした人型の折り紙となって卓子テヱブルの上に降り立った。


「わあ、あんちゃんすげえ!」


 横で落書きをしていた幼子が歓声を上げる。

 本来、式神使役の術式は、五行祭壇を用意するなど色々と面倒な手続きが必要になってくるのだが、産業革命によって世界に萃星気が満ちるようになって以降、人と神秘の距離はぐっと近くなってゐた。


「ようし、あの窓を閉めてこい!」


 少年が鼻息も荒く命ずると、式神はぺこりと一礼。卓子テヱブルを軽やかに駆ける。

 そのまま跳躍。ひとっ跳びに窓枠に取り付くと、細長い三角形でしかない両腕を使って引きにかかる。

 が、あまりに非力だった。引き窓はわずかも動かない。


「あっ。」


 吹き込んできた風に飛ばされて、こちらに舞い戻ってきてしまった。

 総十郎は優美な指を伸ばして式神に触れると、またひとりでに折られていた紙が開いてゆき、平面に戻った。


「ちぇっ、失敗だ。」

「否ゝ、初めてでこれだけ動かせるのは上等である。」

「そ、そうかな。」

「あとはたゆまず練習を重ねれば、もっと強力な式神も使えるようになるであろう。」

「えへゝ……」


 といったところで鵺火探偵事務所の玄関が、派手な音を立てゝ開かれる。


「総ちゃん総ちゃん! すごい火光獣ひねずみつかまえたんよ! 見て見て!」

「おや/\、意外に早かったな。」


 すぐ隣で午睡ひるねしていた双子の姉弟が、目をこすりながら起き上がり始めるのを尻目に、総十郎は玄関に向かう。

 おかっぱ頭の童女が、虫篭片手に元気よく駆けてきた。

 籠の中には、白く発光する小さな鼠が落ち着きなく内部を走り回ってゐる。


「ほう。」


 総十郎は感嘆した。


「見事な光度である。こゝまでのものは小生も初めて見るぞ。」

「へっへん! すごいでしょ!」


 火光獣は、産業革命以前ならば、特別な霊的素養のある人間にしか見えぬ怪異の一種であったが、今となってはたゞの珍しい小動物と言って良い。

 普通は燃え盛るような色彩の光を放つが、この個体は特別生命力が強いようだ。


「わぁ、たまちゃんすげえ!」


 さきほど似顔絵を描いていた幼児が、総十郎の隣ではしゃいでゐる。


「どこでつかまえたの?」

「うむ、小生もそれは気になる。」


 星気によって認識可能となった幻想種の動植物は、総十郎にとっては個人的な研究テヱマのひとつであった。


「内緒なんよ。あそこはウチだけの場所なんよ」

「えええ、けち!」

「うゝむ、そこをなんとか……」

「だめ/\! こゝだけのはなしなんてないんよ!」


 虫篭を抱きすくめると、童女は二人の横を通り過ぎて鵺火探偵事務所に入ってゆく。

 苦笑しながら後を追って踵を返すと、腕の中の赤子がむずがりはじめた。

 やがて控えめな泣き声が漂い始める。


「おや/\、麗しの君は相変わらず泣き声が奥ゆかしいな。もっと思い切り声を出して良いのだぞ?」


 優しく目を細めて、総十郎は囁きかける。


「おしめかな? おしめこうかんかな?」

「いや、この様子だとお腹がすいたのであろう。ミルクの用意をせねば。」

「ぼくもてつだう!」


 二人で台所の星気冷蔵箱に向かうのであった。


 ことほど左様に、鵺火探偵事務所は探偵事務所というより託児所、あるいは近所の子供たちのたまり場として八面六臂の活躍をする平常運転に戻ってゐったのであった。


 ●


 みんなで火光獣の観察日記をつけて夏休みの宿題を凌ごうという話になり、総十郎が幻想生物の基本的な生態と飼育方法を簡単にレクチヤアしていると、再び事務所の玄関が派手な音を立てて開かれた。


「くぉら総十郎! 今月の家賃はどうしたぁ!」


 娘の声が轟き渡り、どす/\という足音が廊下を近づいてくる。


「む。これはいかん。総員、衝撃に備えるべし。」


 りょうかい、と口々に答える子供たち。その幼い顔ゝには苦笑めいたものが浮かんでゐる。

 ほどなく、応接間の扉が大きな音を立てて開かれ、矢絣柄の小袖に紫の袴姿の娘が現れた。

 年の頃は十代半ば。艶やかな黒髪が肩まで流れ、頂には大きなリボンが乗ってゐる。

 美しく澄んだ瞳がまん丸に見開かれ、総十郎を真正面から睨み付けた。

 ものすごい眼力である。並みの男ならのけぞってしまうことだろう。


「やあ、まつりくん。今日はまた一段と美しいな。君があと十五年若ければ小生としても愛の言葉を囁くにやぶさかではなかったろう。」

「それでご機嫌を取ってるつもりか! 相変わらず頭おかしいわね総十郎!」

「それほどでもない。」


 褒めてはいない。

 祀はため息を一つつくと、細い腰に手を当てて応接間を見渡す。


「もう、まあた遊んでるし。お金の工面はできてるわけ?」

「まあ待ちたまえ祀くん。世の万象には流れと波というものがあり、巡り合わせによっては不本意な結果を招くこともあるが、これはもちろん誰が悪いというわけでもなく、我々はお互いに寛容な心で許しあわねばならないと思うのだよ。」

「つまり今月も滞納すると。」

「否ゝ、そう結論を急いてはいけない。払わないとは言ってゐないのだ。ただ、あんな災厄が収まったばかりなのだ。つねひごろ小生に依頼をもたらすために事件を起こしてくれる心ある犯罪者諸兄も、しばらくは鳴りを潜めるつもりなのであろう。復興のためにまる一丸となってゐる帝都臣民の邪魔になってはならないと身を慎む彼らの奥ゆかしい心意気に小生はいたく感銘を受けた。彼らに倣ってこの鵺火総十郎もしばらくは開店休業状態に服するつもりであおごふっ。」


 素早く伸びてきた親指と人差し指が、総十郎の両頬をつまんだ。


「ほが/\。」


 口が閉じられない総十郎。


「そんなことだろうと思ってお客さんを連れてきてあげたわ。」

「ほが?」


 祀は手を放すと、廊下に出て行った。

 ぽかんと見送る総十郎と子供たち。

 ほどなく戻ってきた祀は、二人の人物を引き連れてゐた。


「さあ、どうぞお掛けください。すぐに珈琲コオヒヰをお持ちしますね。」


 総十郎に対してとは比較にならぬほど丁寧な口調で、祀は二人に声をかけた。

 しかし、それに頷いて腰を下ろしたのは、片方の人物だけであった。


「あの、できれば……」


 その人物は、やゝ困惑したような眼差しで子供たちを一瞥する。


「あゝ、なるほど。」


 すぐに祀は察して、子供たちのそばに歩み寄る。


「ほら、あんたたち。うちで西瓜が冷えてるから来なさい。」

「まじで!」

「わあ、まつりねえちゃんだいすき!」

「うん、素直でよろしい。」


 祀はふんぞり返って頷くと、子供たちを引き連れてがや/\と事務所から出て行った。

 去り際、「しっかり稼げよ。」と言わんばかりの鋭い一瞥を残して。


 ●


 ――ふむ。


 総十郎は、目の前に座る小柄な人物と、その傍らに控える長身の人物を軽く観察する。

 燃え盛るような紅い髪が、ゆるく波打ってゐる。

 白いレヱスがふんだんにあしらわれたドレスを纏い、ちょこんと揃えられた両足の先を美しいヱナメルのパンプスで覆ってゐた。

 ぎゅっと握られた両手が膝の上で凝っており、彼女の緊張を物語ってゐる。

 異人の、幼き令嬢であった。

 そのそばには、濃紺のドレスにフリルのついたピナフォアとカチュウシャを身に着けた長身の女中メイドが、人形めいた無表情のままで立ってゐる。

 思わず背筋を伸ばしてしまうような、峻険な美貌を持つ二人であった。

 しかし総十郎は、そんな二人の緊張を柔らかく包み込むように微笑んだ。


「ようこそ、鵺火探偵事務所へ。貴女のような麗しい方を迎えることができて光栄だ。小生は所長にして唯一の従業員である鵺火総十郎と申す。お名前を伺ってもよろしいだろうか。」


 令嬢は、息を呑んだ。

 そして全身の緊張を軽くほぐすように軽く肩を動かすと、意を決して口を開いた。


「わ、わたくしは、故あって家名や素性を明かすことができません。ピナハ、とだけお呼びください。」

「了解したピナハ嬢。して、いかなる依頼であろうか?」

「それは……」


 胸元でこぶしを握り締め、目に力を込めて口を開いた。


「人を、探してゐます。」

「ふむ。」

「わたくしの、父を殺めた者です。」

「なんと、無体なことをする者もいたものであるな。」


 総十郎は目を閉じてひとつうなずくと、重々しく言った。


「相分かった。その依頼、引き受けよう。この鵺火総十郎、必ずやお父上の仇を目の前に引っ立てゝくると約束しよう。」

「いゝえ、その必要はありません。」


 その声色は、一段低いものだった。


。」


 瞬間、女中メイドの右腕が三倍以上に伸長し、剣呑な輝きとともに振り下ろされた。

 轟音。革張りのソファが真っ二つに両断され、中の綿が飛散する。


「さて……」


 軽やかに着地した総十郎は、すたすたと台所に向かう。


「詳しい話を伺う前に、茶を入れて来よう。」

「っ!」


 ピナハは柳眉を逆立てた。両手を秘文字めいた形に組み合わせ、魔術印を切る。


雷石を投じ死に至らしめよAbreq ad habra!」


 すると女中メイドの左腕が花開くように展開。星気を雷撃に変換する魔術紋様が刻まれた銃身が現れ、激しい明滅光とともに光弾が連射された。

 分隊規模の戦力なら真正面から粉砕できるであろう壮絶な制圧火力。

 だが――総十郎の手にはすでに刀が握られてゐた。

 抜く手も見せぬ抜刀瞬撃が大気を細切れに裁断し、無数の軌跡が大輪の花のごとく空間に灼き付いてゐる。

 雷撃弾はことごとく斬り消され、本来持っていた破壊力を発揮せぬまゝ終わった。


「おや/\、珈琲コオヒヰの方がお好みだったかな?」


 悪戯げに笑いながら、総十郎は刀を収める。


「〈黄昏熾示録盟約団〉聖別神官ハヰヱレヰア、位階〈4=7フィロソフィアス〉、ピナハ・ガリギュラヰザア。今こそ我が創造者にして我が父、リュングヴィ・ガリギュラヰザアの報仇を成させてもらう!」


 あくまで戦意を崩さない令嬢。炯と睨み付けてくるその瞳は、緊張と覚悟でかすかに揺れてゐる。

 総十郎はひとつ息をつくと、笑顔を引っ込めた。


「うむ。なるほどな。確かに小生は三か月前にリュングヴィ・ガリギュラヰザア氏の首を間違いなく刎ねてゐる。貴女がその娘だというのなら、復讐する正当な権利があろうな。」

「そうだ! 父の無念、わ、わたしが雪ぐ! 刀を抜け!」

「それはお断り申し上げる。小生、ロリコンなれば、貴女のような美しい人に向ける刃など持ち合わせてはおらぬよ。」

「ろ……何ですって?」

「ロ、リ、コ、ン、である。ピナハ嬢のような愛らしく麗しい淑女を守り慈しむ真なる紳士への尊称である。」

「た、た、誑かすつもりか! 恥知らずめ!」


 怒りと羞恥で頬を紅潮させながら、ピナハは再び女中メイドへ攻撃を命じんと印を切った。

 が――


「え……」


 女中メイドは動かない。


「あゝ、貴女の頼りになる従者どのには、少し休んでいたゞいている。手荒なことはしてゐないので安心されよ。」


 見ると、星気駆動式戦闘人形の肩に擬人式神が止まって、首筋の星気回路に霊符を張り付けてゐた。


「阿明、祝良、巨乗、禺強。四海の大神、百鬼を退け、凶災を祓う。急々如律令。」


 涼やかな詠唱とともに霊符の文様が光り、女中メイドは機能停止。がくりとくずおれる。


「な……そんな……」


 愕然と目を見開くピナハ。


「さて。」


 そこへ歩み寄る総十郎。


「よ、寄るな!」


 戦闘能力を失ったピナハは、一歩下がる。

 その眼には怯えがあった。

 総十郎は応えず、無表情のまゝずん/\と近づいてゆく。

 ついにピナハを壁際まで追い詰め、そのそばにしゃがみ込んだ。

 二人の目線が等しくなる。

 ふと、寂しげな表情が総十郎の目元を通り過ぎていった。


「すまなかったな。」


 一言、そう言った。


「なにをいまさら……っ! 謝るくらいなら、どうして殺した!」

「お父君がこの国に生きるすべての者にとって重大な脅威であったからだ。このことに関して小生は微塵の悔いも抱いてはゐない。」

「……っ!」


 ピナハの顔が歪み、俯いた。

 リュングヴィ・ガリギュラヰザアの所業について、彼女自身納得してゐるわけではなかったのだろう。だが、古き良き貴族的倫理に生きる彼女は、家長たる者に全面的に従った。そしてリュングヴィの死を知るや、残された者の義務として復讐の道を選んだのだ。

 それが、魔導貴族ガリギュラヰザアの威名を頂く者たちの生き方であり、絆であったから。


「だが――それでも、すまなかった。お父君と敵対したことについて謝るつもりは毛頭ないが、しかし残された者にそこまでの苦悩を強いたことについては小生の片手落ちであったといえるだろう。我が撃刀たちかきは斬魔ののりなれば、その刃を人に向けるということの重みを小生は正しく認識できてゐなかったかもしれない。すまなかった。本当に。」

「う……うぅ……っ。」


 総十郎は幼き貴族の肩に手を置くと、真正面からその眼を見据えた。


「ピナハ嬢。正直に言ってほしい。?」


 びくり、と、ピナハの矮躯が震える。

 総十郎が何を言いたいかは明白であった。

 ぎゅっと目をつむり、湧き上がってゐるであろう恐怖に耐えてゐる。

 だが、やがて青き血脈の末裔すえとしての誇りが彼女を律したようだ。

 目を見開くと、そこには冷厳なる支配者としての眼光が――父と同じ光が、宿っていた。


「この身はすでに敗れた。敗者のさだめに従おう。父上もヴァルハラできっと褒めてくださるはずだ。さっさと連れてゆくがいゝ。」


 清澄な啖呵が、総十郎の胸を打った。

 どこか神聖な沈黙が降り積もる。毅然と胸を張る幼き姫君と、その御前に跪く騎士を描いた絵画のごとき荘厳な空気が二人を包み込んだ。

 総十郎の麗貌に、蒲公英たんぽぽのような笑みが咲いた。


「そうか……あゝ、そうか。」

「きゃっ! な、なにをする!」


 ピナハを胸の中に抱き寄せる。顔を赤らめてじたばたもがく幼女の紅い髪に顔をうずめ、馥郁たる香りに陶然と目を細めた。


「よろしい。その意志確かに受け取った。参るとしよう。」

「え?」


 と、そこへ威勢のいい娘の声が飛んできた。


「くぉら総十郎! さっきの物音はなんだぁ! 何か壊したら承知しないわよ!」


 どす/\と階段を上ってくる音。

 総十郎の顔が、さっと青ざめる。


「い、いかん。急ぐとしよう。」

「はわっ。」


 ピナハを抱き上げ、前腕の上へ座らせた。書斎机の上に置かれていた制帽を頭に乗せる。

 そして窓を引き開けると、萃星気すいじょうきの薫風舞う外へと、軽やかに跳躍していった。

 なお、崖に面した三階である。

 ピナハの悲鳴が、街に響き渡った。


 ●


 星気機関の発明と、それに伴う生産、物流、情報など多岐方面における技術的文化的大躍進を、産業革命と総称する。

 産業革命以前と以後では、世界の様相が文字通り天と地ほども違う。

 神州大和もまた例外ではない。


「やあ、今日も萃星気に煙る帝都が美しい。そうは思わないかねピナハ嬢。」


 返事は悲鳴ばかりであった。

 軽く肩をすくめ、落下がもたらす快い慣性に身を任せる。

 二人の眼前に、世界有数の星気機関化都市たる帝都銀座通りの威容が広がってゐた。

 瓦屋根の純和風高層建築が、天を摩するがごとく林立し、大小さまざまな絵看板が煌びやかに飾られてゐた。うち半分程度の屋上には空中神社が建立されてゐる。

 それらの合間を縫うように、半透明の大小さまざまな幻想生物や妖怪変化、小神格などが気ままに空を漂ってゐた。

 さらに遠方では、魚のヒレのようなスタビラヰザアをいくつも動かしながら航行する星気飛行船の巨躯が、大気に霞んでゐる。

 地表に目を向ければ、こんもりとした木々に交じって葉脈のごとく星気鉄道が走り回り、人と物を運び続けてゐた。

 やがて崖下の平屋の屋根に音もなく着地。その反動で再び天空に舞いあがる総十郎。


「こ、これは……!?」

「小生、神州の風神たる志那都比古神しなつひこのかみとマブダチなれば、起風のしゅは呼吸と同程度に習熟しておる。」

「ま、まぶ、え?」


 ――おっと、いかんな。


 総十郎は苦笑する。


「いや、すまない。この世界にはない言葉だったな。どうも身に染みついてしまっていかん。まぁ、あまり気にされぬことだ。」

「さっきからわけのわからぬことを……。」


 半眼で睨まれる。

 慣れた反応である。ロリコンやマブダチといった、皇紀二千五百八十年の世にはまだ誕生すらしてゐない言葉を総十郎が知ってゐることには理由があるのだが、それを正直に話しても誰にも信じてもらえそうにないので黙ってゐるのであった

 さておき今はピナハ嬢のことである。

 総十郎の腕の中で、身を縮こまらせている。こちらの制服の襟首をぎゅっと掴んでいるのがいじらしい。


「安心めされよ。決して離したりはしない。」

「ご、誤解を招くような言い方はやめろ! 今どこに向かってゐるのだ!」


 制帽を手で押さえながら、総十郎は涼やかに微笑む。


「無論、貴女のお父君のもとにお連れする。」

「だ、だから! どうしてこんなに移動する必要がある!」


 生真面目な様子に苦笑する。


「そんなに固くなることはない。勇気が必要なのは一瞬だけだ。」

「うぐぅっ。」


 さらに固くなる。目尻に涙が溜まっている。


「……この結末は、貴女自身が手繰り寄せたものだ。」


 目を閉ざし、噛みしめるように言う。


「貴女が義に篤く、真に誇り高い人で良かった。そしてさりげなく子供たちの避難を求める心優しき人で良かった。。」

「えゝい、少しはわかるように言わんかっ!」

「ふむ、着いたぞ。」

「え……?」


 街の片隅にひとつだけぽつねんと立っている苔むした古い鳥居を、総十郎は通過した。

 瞬間、空気の質が、明らかに変化した。

 世界を律する法が、別のものに置き換わった。

 

 帝都の喧噪も、高層建築も消え去り、ただ静謐で清浄な萃星気が、静止した世界を作り出してゐた。

 石畳の階段が、二人の前に出現してゐた。遥か上方まで伸びており、終わりが見えない。左右は紅葉した原生林が豊かに繁茂してゐる。

 聳え立つ朱い鳥居が、その情景の額縁のように屹立してゐた

 視界すべてが暖色系の色合いを帯びている。どこか暖かく、しかし切なくなるような郷愁が、濃密に溶け込んだ空間であった。

 ひら/\と、紅葉が舞い散ってゐる。今は春だというのに。

 黄昏の斜陽が、優しく厳かに地上を照らしてゐる。今は昼だというのに。


「ここは……!?」

「神州にはこのような大霊場が数多く現存してゐる。もっとも、ここを守護していた神格は、とある事情で幽世の存在となった。おかげでこの近所の星脈は荒廃し、妖怪、雑霊、魑魅魍魎らが無秩序に悪さをするようになってゐたものである。」

「だが、さっきの街は霊相的に安定してゐたぞ。その神格が戻ってきたのか?」

「否、彼はもはや現世こちらに戻ってくるつもりはあるまい。それゆえ、小生は代役を立てることにした。参詣するとしよう。」


 言って、総十郎はピナハを丁重に下ろし、颯爽と階段に向かい始める。


「待て/\! 登るのか!? こゝを!?」

「問題ない。すぐに着く。」


 総十郎が鳥居に近づくと、階段の光景がぐにゃりと歪み、神社の境内の様子が映し出された。

 否、映ってゐるのではない。まさにそこにあるのだ。長い長い階段の頂と底辺が、鳥居によって繋がってゐるのだ。

 総十郎はこともなげに鳥居をくぐり、境内に足を踏み入れた。


「さぁ、ピナハ嬢。こちらへ。」


 そして振り返り、微笑んで手を差し出す。

 ピナハはひとつ唾を飲み込むと、意を決したようにその手をとった。


 ●


 どのような重病人でもたちまち起き出してしまいそうな、生命活力に満たされた聖域であった。

 境内の森には、さまざまな幻想生物らがくる/\と舞い踊り、新たな主を讃えてゐる。それらの体は強い星気を帯びて光り輝き、外にいる同種とは比較にならぬほど強い生命力を持ってゐることが見て取れた。

 ほとんど水中にいるかのような萃星気の密度に、ピナハはこの神社の奥に鎮座する「代役」が、どれほど強大な存在であるかを感じ取る。


「まさか、この気配――」


 総十郎が頷く。


「小生は、“彼”とある約定を交わした。その御首級みしるしを頂戴する代わりに、〈神韻探偵〉たるこの身に対して無料で一度依頼をしても良いという。」

「む、無料……」


 微妙にみゝっちい約定であった。


「そして“彼”はひとつの依頼を小生にした。実に意外な内容であったが、約定は約定。そして今、ようやくその依頼は果たされた。」


 瞬間、場の圧迫感が跳ね上がった。ほとんど息苦しさすら覚えるほどだ。

 ピナハは跪きたくなる衝動に襲われる。膝ががく/\と震え、今にも力が抜けそうだ。

 懐かしい、この感じ。

 いるのだ。すぐそばに。ピナハがいつも畏怖と憧憬を感じていた存在が、そこに現れたのだ。


〈本当に、連れてきたのか。〉


 荘厳なる、その声。低く、深く、澄んだ声。やや呆れを含んだ、聞き覚えのある声。


「依頼であるからな。小生、学生と探偵の不安定な二足の草鞋なれば、信用第一をモットオにしておる。」

〈暇な男だな、貴公も。〉

「なに、こゝで日がな一日魑魅魍魎と戯れてゐるだけの御身ほどではないとも。」


 ピナハは唖然と、この気の抜けた会話を聞いていた。

 総十郎の視線の先には誰もいない。だが、強大な気配だけはある。

 幼くして位階〈4=7フィロソフィアス〉の魔術師となったピナハは、己が眼に〈霊視〉の術式をかけた。

 星気通信の周波数を合わせるように視覚の霊的感度を調節し――ついにその姿を捉えることに成功した。

 ピナハと同じ、紅い髪。剛毅つよく美しい顔容。金銀妖眼。威圧的な長身。そしてその全身から投射される、王者の気風。

 リュングヴィ・ガリギュラヰザア。

 生前と変わらぬ、雄々しく荘厳なその姿。

 だが、変わってゐる点もあった。

 何故かこの極東の島国の貴族装束――衣冠、というのだったか――を着こなしてゐること。

 そして、何故か、その首はすっぱりと断ち切られ、自分の顔を腕に抱えてゐること。


「ち、父上――!?」


 異様な姿に、声が裏返る。


〈あゝ、見えてゐるのか。〉


 抱えられた生首がこちらを見、鷹揚に口を開いた。

 腰のあたりに頭があるため、ピナハは生まれてはじめて父と対等の目線で顔を合わせることとなる。

 その顔には――何か、父には相応しからぬ表情が浮かんでゐた。

 困惑。果たしてどうしたものかと、言葉を探している様子。


「そ、その御姿は……?」

〈うむ、これか。〉


 困惑の色が深くなる。


〈まぁ、業腹な話であるが、そこな青瓢箪に刎ね落とされたのよ。まったく、数多の魔人どもから畏怖される統括首領ヰンペレヰタアたるこの身が、情けないことだ。我が生涯で最初の敗北だな。〉


 ピナハは唖然とする。欧州で父の敗北の報を聞いた時にはそんなことはあり得ぬと思い、この島国に渡った。そしてどうも父の死は事実らしいことが明らかになると、きっと卑劣な奸計に嵌められたのだと思い直し、鵺火総十郎への復讐を誓った。

 だが――当の本人が敗北を認めてしまってゐる。

 ピナハにとってこれは天地がひっくり返るにも等しい衝撃であった。何者よりも強く、誇り高く、至高の輝きをもって〈黄昏熾示録盟約団〉に君臨してきたリュングヴィという男には、まったくもって似つかわしくない態度である。

〈だが、ふん、私のこの魂も捨てたものではなかったらしい。斬首され、肉体のくびきから解き放たれたことがきっかけで、私は霊的に相転移し、神霊としての属性を帯びるに至った。〉

 人としての極限に至った英雄が、死後神格化される現象は、世界各地で普遍的に起こっている。それと同様のことが父にも起きたのだ。


〈だが――それ自体がこの青年の罠であったようだ。神州大和には『黄泉竃食ヨモツヘグヰ』なる儀式があってな、死者に食物を与えることで黄泉がえりを防ぐ呪術よ。相転移中の隙にこれを成されてしまい、私は現世に顕現することが不可能になってしまった。〉


 総十郎をじろりと睨む。

 肩をすくめ、小声で「早馳風の神、取り次ぎたまへ。」と死者の安息を嘆願する祝詞を唱える青年。


「では、今顕現できてゐるのは……?」

〈この場所よ。格の高い霊場は、黄泉平坂ヨモツヒラサカ――つまりはこの世とあの世の境界だな。そこと接続しうる。ゆえにこの神社の境内に限り、私は顕現し、力を振るうことができるのだ。〉

「そ、そう、でしたか……」


 あまりに信じがたい言葉の連続で、放心するピナハ。


〈まぁ、それはともかく――〉


 ずい、と父の生首が差し出される。

 思わずのけぞるピナハ。


〈よく来たな、不肖の娘よ。おおかた鵺火総十郎に復讐戦を挑んだはいゝが、まったく相手にならなかったばかりか手加減されて命永らえた揚句、連れられるまゝにこゝへ来たのであろう。〉

「うぐっ。も、もうしわけ……」

〈私はこの国に来るまで敗けたことがないので、敗北感の処理の仕方など教えられようはずもないが――何故、今、貴様は血涙を流し、唇を噛み千切るほど悔しがってゐないのだ? まさか、この父が破れた相手だから敗けるのも致し方なしなどと思ってゐるのではあるまいな?〉

「うぅぅっ……」

〈凡俗の思考だなそれは。ガリギュラヰザアの名折れである。恥を知れ。私は今でも腸が煮えくり返るほどに悔しい。今すぐにあのうらなり顔に我が剣を叩き込んでやりたいほどに。〉

「おゝ、恐ろしい話である。すぐにあの鳥居から逃げねばなるまい。」


 おどける総十郎。


〈あのような具合でな。私をこゝに封じ込めて以降、まったく勝負に応じようとせん。口惜しい限りだが、どうにもならぬ。〉

「当然である。小生にはもう命を懸けて御身と死合う理由がない。」

〈そこで、だ。〉


 さらにずい、とリュングヴィの生首が近づいてくる。さらにのけぞるピナハ。


〈ガリギュラヰザアの家長として命ず。不肖の娘よ、お前が鵺火総十郎を討ち取れ。何年かかっても構わん。この社から動けぬ父に代わり、ガリギュラヰザアの威信を取り戻せ。〉


 ピナハは一歩下がって居住まいを正し、スカアトの両端をつまんで一礼した。


「謹んで、拝命いたします。」

〈よろしい。では今後も一層、修練に励むこと。魔道の極みに至るのだ。〉

「は、はいっ。」

「ふむ、話がまとまったようで何より。」


 総十郎が父と娘の傍に立った。


「では、硬い話はそのあたりにして――リュングヴィどのよ、久方ぶりに娘と再会したのだ。なにかこう、あるであろう、父親としての態度と言うものが。」

〈何の話だ。〉

「御身の訃報に慌てて駆けつけてきた、たったひとりの娘御ではないか。慣れない異国で必死に御身を探したこの健気な姫君に対して、労いの言葉とともに頭を撫でてやるくらいのことはしてやっても良いのではないかな?」

「なっ、ばっばっばっばっ、」


 ピナハは頬に熱が集まるのを感じた。


「ピナハ嬢、貴女は父親から誉められたことはあるかな? 抱き上げられたり、頭を撫でられたことは?」

「そ、そのような柔弱なこと、我らはしないっ!」

「いかんぞ、それはいかん。特に理由はないがそれは駄目だ。ぜん/\なっておらん。魔導貴族が聞いて呆れるな。」

「愚弄するかっ!」

「おゝ、そうだ、ピナハ嬢の挑戦をいつでも受けると約束しよう。その代わり、リュングヴィどのには今この場でピナハ嬢に父親として然るべき態度を取ることを要求させてもらおう。もし聞いてもらえないのならば、小生へそを曲げてピナハ嬢の相手をしなくなるやもしれぬ。」

「な……っ!」


 強制されてしまった。

 思わず、想像する。あの長く逞しい腕に抱え上げられ、優しい声で誉めてもらえたら。

 そんなこと、望んだこともなかった。父は常に高みで輝くばかりの存在であり、目を向けてもらえるだけでも光栄だと思うしかなかったから。

 でも、もし、そうしてもらえるのなら。

 ピナハは両頬を押さえながら、恐る恐る父の方に視線を向けた。

 リュングヴィは、生首の眉間をもみほぐしてゐるところだった。深いため息をつく。どうでもいゝが、口と肺が繋がってゐないのにどうやって溜息など出してゐるのだろう。謎である。


〈不肖の娘よ。〉

「ひゃ、ひゃいっ!」


 思わず声が裏返る。

 父の腕が、ゆっくりとこちらに伸びてくる。


「駄目だ。撫でるだけでは済まさぬ。抱き上げよ。」

〈……注文の多い男だな。〉

「小生、愛の伝道師を自認するが故、妥協はせぬ。しかし……ふむ、首を抱えたままでは具合が悪いな。預かろう。」


 総十郎の腕が雲耀の速度で動き、リュングヴィの首級をかすめ取った。


〈き、貴様……〉

「ほれ、両腕が空いたぞ。早くいたせ。」


 ピナハの心臓は、もはや外に響かんばかりに高鳴ってゐた。

 潤んだ目で父を見上げようとして、しかし体と首のどっちを見れば良いのかという実にどうでもいゝ葛藤に見舞われる。

 やがて父の両腕がピナハの両脇に差し込まれた。

 びくりと緊張のあまり身を固くするピナハ。

 そのまま持ち上げられ、胸の前に抱え込まれる。


「よし、ピナハ嬢、胸板に頬を寄せるのだ。密着したまえ。」

「うぅっ。」


 羞恥と混乱で脳が煮立ってゐる。

 おず/\と頬を父の胸に寄せると、強壮なる星気の流れがうねる、男性として完璧な肉体造形が衣越しに伝わってきた。


「素晴らしい。ではリュングヴィどの、娘御の頭を撫でるのだ! 愛を込めて!」

〈まったく……〉


 神々しい星気の立ち上る手が伸びてきた。思わずピナハはぎゅっと目をつむる。

 そして、美しい肌触りが頭に触れ、柔らかい髪を梳りながら戯れていった。

 想像よりずっと優しい力加減に、ピナハの胸は切なくときめいた。

 恋など知らず、普通の子供なら小学校に入るか入らないかという年頃の令嬢は、ゆえに父への仄かな憧れを抱き、それは唐突に満たされた。

 閉ざした瞼の中で、じわりと幸福な涙が満ちるのを感じた。


「さぁ、そこで何か一言。」

〈文言は貴様が考えよ。〉

「駄目だ。御身自身の言葉でなければならぬ。」

〈……ええい。〉


 高い密度の気配が顔に近づいてくるのを感じ、ピナハは眼を開けた。熱い雫が零れる。

 すぐ目の前に父の顔があった。総十郎の掌に乗っかっている。


〈……何故泣く。〉

「え、あ、いえ、その……」

〈まあよい。あゝ、その、なんだ。〉


 父の困り顔を、初めて見た。

 まったく不遜なことに、少し可愛らしい、と思ってしまった。


〈お前のことは、軽く考えたことは一度もない。ガリギュラヰザアの家名を継ぐものでもあるしな。だが、まあ、考えてみればお前はまだまったくの子供であったな。そのことを鑑みれば、今までの接し方はやゝ適切ではなかったと認めるにやぶさかではない。〉

「は、はあ……」

〈それでだ。正直に言って私はこの身の上になってから暇で暇でしょうがない。ゆえに、これは特別だ。私自ら魔道の薫陶を垂れてやっても良い。そしてなにか成果が上がれば、〉


 再び、撫でられる。


「ひゃっ。」

〈こうしてまた撫でてやっても良い。〉

「ほ、本当ですかっ!?」

〈それくらいは言わんと後ろのいけ好かない男が納得せんであろう。〉

「やれ/\、今はそのあたりが限界であるか。まぁ、ぎり/\で及第点と言って良かろう。」

〈何様だまったく。〉

「ふゝ、リュングヴィどのはお疲れ様である。急に慣れぬことをさせてすまなかった。」


 そう言うと、ピナハの膝に首を置いた。


御首級みしるしはお返しする。」

〈ふん。〉


 頭をぞんざいに掴み取ると、ピナハは地面におろされた。


「あ……」


 夢のような時間は終わり、寂寥が胸に満ちる。


〈また来い。私は少々疲れた。〉


 そう言うと、父はこちらに背を向け、社の中へと歩み去って行った。

 ピナハは、胸の前で小さなこぶしを握りしめながら、それを見送った。

 父の姿が見えなくなるまで、じっと見つめてゐた。


 ●


 二人で霊場を抜け、現世に帰還したとき、総十郎はふと小腹がすくのを感じた。


「ピナハ嬢、〈霊視〉の使い過ぎで少々疲れたのではあるまいか? 糖分補給といこうではないか。」

「え。」

「良い欧風茶房カフヱテリアを知ってゐる。付き合ってくれたまえ。」

「……まぁ、構わんが。」


 ピナハに歩調を合わせながら、二人で歩き出す。

 狭い路地の両側から、こちらに迫り出すように軒が連なり、さまざまな商店がひしめき合う。

 近年の星気機関化の波に取り残されたかのように、昔ながらの面影を残す町並みが広がってゐる。

 道行く人々は大半が人間だが、中には半妖や式神の姿もあった。

 帝都の元城下町は、今日も今日とて雑然とした活気に満ちてゐるのだった。


「おう、総ちゃん。うちの坊主ども見なかったか?」

「あゝ、二人ともさっきまでうちにゐたとも。今頃は祀くんの家で西瓜をごちそうになってゐるであろう。」

「なんだそうなのか。まったくあいつら宿題もしねえで……。」

「まぁ総ちゃんや、こないだはありがとうねえ。おかげでお財布は戻ってきたわ。」

「それは良かった。これでお孫さんの誕生祝いは万全であるな。今後とも鵺火探偵事務所を御贔屓に。」

「総ちゃん助けてくれ! 土地の権利書がやくざ者にとられちまった!」

「よろしい。どこの組かな? 三日以内に戻ってくるよう取り計らおう。しかし三隅さんも良くない。危機意識が足りぬぞ。」

「にゃーおう。」

「うむ、巡回ごくろう。お互い大変であるな。奥方の調子はどうであろうか。」

「あっ、総ちゃんだ。なー、五日後の天気教えてくれよー。デエトの約束しちまったぜ。」

「相手は幸子くんかな? 日枝山王にでも嘆願しておこう。彼には貸しがあるから一日くらいは融通してくれよう。安心して爆発せよ。」


 人々と言葉を交わし、笑顔を交わす。


「……探偵と言うより便利屋だな。」


 ピナハ嬢が半眼で見上げてくる。


「まったくである。探偵とはもっとこう、怪盗と丁々発止の攻防を繰り広げたり狂科学者の非道な実験を阻止したり旧世界の邪神を再封印したりするもののはずである。」

「貴様の探偵観も色々とおかしい!」

「今では懐かしい思い出である。」


 総十郎は遠い目になる。神州大和は、実にさまざまな脅威に見舞われてきたものだ。

 しかもそれに加えて、総十郎はをも切り抜けなければならなかったのだが――素直に話したところで荒唐無稽な法螺話としか思われぬであろう。


「さて、着いたぞ。こゝのアヰスクリヰムパフェは帝都婦女子の間で中毒者が続出すると評判の絶品である。ぜひとも小生に奢らせていたゞきたい。」

「いや、私は紅茶でいゝのだが……。」

「待て。待っていただきたいピナハ嬢。これは小生にとって重要なことなのだ。どうかこの哀れな男を助けると思ってパフェを奢られていたゞきたい。どうか。なにとぞ。」

「ドゲザをするな! そのような極東の風習、私には通用せんわ! だいたいお金なら持ってゐる! ガリギュラヰザア家の財力を舐めるな。確実に貴様より持ってゐるぞ! むしろ奢ってくれるわ!」

「ご無体な! 小生、ロリコンなれば、幼女に甘味を奢って食すところを見守るために生きてゐると言っても過言ではないのである。」

「やはりそういう魂胆か。自らの下種な欲望を満たすために私をこんなところに連れ込むとは見下げ果てた男だ。罰として貴様には一番高いメニュウを奢ってくれる!」

「なんと無慈悲な……これがガリギュラヰザア……!」


 愕然とする総十郎。ピナハに腕を引っ張られ、生ける屍のごとき足取りで入店する。


 ――と、その瞬間。


 視界が、白く染まり始めた。欧風茶房カフヱのハイカラな内装が、光の中に没してゆくかのように薄れてゆく。

 即座に総十郎は、今何が起ころうとしているのかを悟った。

 思わず、苦笑する。


「やれやれ、人気者は大変であるな。」

「おい、どうした。さっさと座るぞ。」


 ピナハの声も、遠くなりつつある。

 せっかく出会えたこの凛々しくも愛らしい令嬢と、しばらく別れねばならないのは口惜しいが、助けを求められては応えぬわけにはいかない。


「なんでもない、ピナハ嬢。少し立ちくらみを起こしただけだ。」


 そんな言葉も、もはや光の奔流に飲み込まれて届いたかどうか定かではない。

 と思いを馳せながら、総十郎はゆっくりと眼を閉じた。


 ●


 空気の質感が、明らかに変わった。

 爽やかで暖かな萃星気の風味が消え、替わりに静謐で厳かな気配が体を包み込んでゐる。


 ――気温、やや低め。湿度、高め。萃星気、なし。ただしそれに代わる奇妙な力が働いておるようだ。


 眼を閉ざしながら、この世界の環境を受け止める。


 ……


 鵺火総十郎は紛れもなく神州大和で生を享けた、生粋の大和男児やまとおのこであるが、〈神韻探偵〉として活躍しだして以降、これまで三度ほど異世界に召喚されたことがあるのだ。

 三度が三度とも、文明、文化、環境、物理法則、世界構造、いずれもが奇妙奇天烈不可思議な世界であった。それぞれの世界の召喚者らが、それぞれ恐るべき危難に見舞われ、藁にもすがる思いで総十郎に助けを求めてきたのだ。そんなものに付き合う義理など本来まったくないのであるが――事情を聞いてしまえばどうしても情が移ってしまい、いかんと思いつゝも手を差し伸べてしまう総十郎なのであった。

 ロリコンやマブダチといった言葉も、それら異世界召喚の折に習い覚えたのである。

 そこでふと思い出す。


 ――そうだ、次に召喚されたら真っ先に言おうと思ってゐた台詞があるのだ。


 総十郎は涼やかに微笑み、ゆっくりと眼を開きながら言った。


「――問おう。貴殿が小生の召喚者マスタアか。」


 目の前には誰もいなかった。

 やや冷たい風が、制服をかすかに揺らしていった。


「……おや?」


 軽く首を傾げる。目の前に広がるのは、まるで太古の時を封じ込めたかのような、深い深い苔むした大森林であった。

 いったい、樹齢は何千年なのか。ひとつひとつの樹木が、帝都の高層建築よりもさらに雄大である。

 総十郎が立ってゐるのは、遥か過去に倒れたと思しき大樹の上であった。さまざまな菌類や宿り木が群生してゐる。

 人影は、どこにもない。動くものと言えば、樹々のあわいを飛び交う小さな発光体の群れのみであった。

 召喚者が近くにゐない、というのは、初めての事例である。


「ふうむ。」


 総十郎は首を逆に傾げて思案すると、ともかくこの世界を探索しようと歩み始めたのであった。




 システムメッセージ:主人公名鑑が更新されました。


◆銀◆主人公名鑑#3【鵺火やび総十郎そうじゅうろう】◆戦◆

 十八歳 男 戦闘能力評価:A+

 ロリコン。大正時代の書生。美形。コミュ力の化け物。

 スチームパンク大正浪漫ADVゲーム『シュジュギア ‐帝都神韻機鋼譚‐』の主人公。楽器と刀を組み合わせた全く新しい退魔兵装『三四式神韻軍刀』を振るい、怪盗とか秘密結社とかマッドサイエンティストとか軍部の陰謀とか旧世界の荒神とかと戦ってゆく。男すら見惚れるほどの超美形だが、ロリコン。生粋のロリコン。ロリコンの中のロリコン。幼女が甘いものを食うところをニヨニヨしながら眺めるのが三度のメシより好き。今日も今日とて幼女たちの笑顔のためにさまざまな厄介ごとを解決してゆく。ロリコンと言っても狭義のロリコンであるため、ペドフィリアを見かけると殲滅モードが発動し、地の果てまで追い詰めて殺す。


 所持補正


・『無敵系主人公』 自己完結系 影響度:S

 圧倒的な勝利を約束された主人公補正。総十郎の人生には数多の敵が現れるが、彼はそのすべてに対して涼しい顔で勝利する。あらゆる戦闘における勝率が常に百パーセントになる。負傷すらしない。


・『■■の■ちゃん』 因果干渉系 影響度:■

 ■■や■■、■■■など、■に■■の■■であり続けた総十郎の■き■。■■■■とはまた異なる■■■な■■。■■■■■わず、総十郎と■■を■ったキャラクターの■■■に■■な■■■■■がつく。■ですら彼に■■な■■■を■く■は■。■に■■■に■する■■は■■で、■■■■の■■は■■■で総十郎の■■になる。


・『■■の■■』 自己完結系 影響度:■

 ■■を■■できないさだめ。総十郎の■■は■■に■いものに■わる。彼自身、それをどこかで■している。

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