エピローグ

 病院に到着すると、テツにぃが待合室で待っていた。

「翔太は?」

「今診察中。こっちだよ」

 彼は廊下の一番奥の部屋に私を連れていった。

 消毒液の香る診察室の中に、顔を真っ赤にした翔太がベッドに寝かされていた。

 私は駆け寄るとすぐさま翔太の手をぎゅっと握った。小さな手は熱く、とても苦しそうだ。先生が私に声をかけた。

「こんにちは。お母さんですね」

「翔太は、大丈夫なんですか?」

「心配いりません。ただの風邪ですよ。お薬を出しますので、帰りに受け取って下さいね」

 私の中で張り詰めていた糸が切れた。視界が歪み、涙が溢れそうになる。

「お母さん。お兄さんから聞かせて頂きました。シングルマザーは大変ですが、こんな小さい子供に無理をさせちゃいけませんよ」

「はい……」

 先生の話を聞きながら、私は心の中で翔太に謝り続けた。

 その時、握っていた小さな手がピクンと動いた。

「――翔太?」

「……ママ」

 熱で潤んだ瞳がぼんやりと私を探す。

「翔太! ママ、ここにいるよ」

「……お仕事は?」

 喉が腫れているらしく、声は小さく、掠れている。

「悟くんたちがいるから大丈夫よ。心配しなくて良いの」

 私は汗で髪が張り付いたおでこを、優しくぬぐった。

「僕は、テツおじちゃんがいるから平気。お店はママがいないと大変でしょ?」

「翔太……」

「パパと約束したんだ。僕は、パパのぶんもママを守るんだ」

 テツにぃが、優しく私の肩に手を置いた。

 様子を見ていた先生は、小さく息を吐くと、そっと診察室を出て行った。



 テツにぃとは病院を出たところで別れた。

「一人で大丈夫か?」

「うん。今日は仕事お休みするから」

「わかった。何かあったらすぐに連絡するんだぞ」

 そう言って、仕事に戻っていった。


 Edenzに電話をすると、悟くんが出た。

「こちらは大丈夫ですよ。心配しないで下さい。翔太くんのそばにいてあげて下さい」

 声からは、心から心配してくれていることが伝わってきた。他のスタッフたちにもお礼を伝えると、私はありがたい気持ちで電話を切った。


 翔太を布団に寝かせると、卵とねぎがたっぷりのおかゆを作った。

 それから、冷蔵庫で冷やしておいたリンゴをすりおろす。

「――美味しい?」

「うん」

 一口ずつスプーンに掬って運んでやると、嬉しそうに甘えた顔をする。

(翔太のこんな顔見たの、いつぶりだったかしら……)

 いつしか私は翔太と過ごす時間よりも、仕事のほうを優先させていた。


 それは生きていくために必要なこと。

 

だけど、翔太はそれがわかっていたからこそ、わがままも甘えたいのも我慢していたのだ。

(私、本当は、それに「気づかないふり」をしていたんだわ)

 薬を飲んで眠った翔太の顔を見つめながら、私の心は罪悪感で疼いた。

(ごめんね。あなたは、私たちの宝物なのに)

 閉め切った遮光カーテンの向こうはぼんやりと明るい。

 部屋の中は温かく静かで、翔太の寝息だけが聞こえる。

 それはいつしか苦しげではなく、穏やかなものに変わっていた。


 それに気づいた頃、私も翔太の隣で、ゆっくりと眠りに落ちていった。

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