照らされる彼女の顔を誰も知らない

きばやし

第1話

放課後の一室。俺はそこで文庫本を読みふけっていた。

 金属バットが硬球を捉える音、金管楽器の調子が外れた音、ゴムボールをラケットではじく間抜けな音。そうした青春のアンサンブルに気を取られ、窓から空を一瞥する。

 春の暖かな日差しが陰るのにはもう少し時間がかかりそうだ。


「気持ち悪い」


 脳内でかっこよくモノローグを流していると、川越さんがバカにするようにつぶやいた。川越さんは手元のスマホをいじりながら、こちらに視線を送ることなく言う。


「『放課後に黄昏てる俺』みたいな雰囲気だしてるけど、女子テニス部をボケーっと見てるようにしか見えないから」


「ばっか!カッコつけてる男子高校生をイジるとか、ばか!泣いちゃうぞ⁉」


「どういう脅し?千と千尋の坊?」


 この辛辣なイマドキガールは川越さん。茶色にも見える赤髪をボブにそろえた美人だ。

 美人にイジられるのは嬉しいが、美人は3日で飽きるので4日目以降は少ししか嬉しくない。いや、少し嬉しいのかよ。

 女の子にイジられると喜んじゃうのはイケてない男の特徴です。


「はーあ、朝霞さん来ないーかなー。川越さんと二人だと罵倒されるわ、会話が続かないわで息苦しいよー」


「大宮が生き苦しいのは元からでしょ?」


「その言い方だと生きるのが苦手みたいになるんだけど。俺って人間失格なの?」


「すくなくとも合格はしてないでしょ。コミュニケーション下手くそだし。恥の多い人生だし」


 川越さんはそう言って鼻で笑う。

 美人なせいで意地悪さの中にもかわいらしさがちらつく。正直ずるいな。

 たしかに彼女のコミュニケーション能力は俺に比べはるかに高い。いわゆるクラスの1軍的な立ち位置だ。

 しかも、その中でも異質だ。だって俺としゃべれてるからね!って、俺はコミュニケーションリトマス試験紙かい!

 まぁ、女の子としゃべると頬とか耳が赤くなっちゃうから当たらずも遠からずか……。

 そんなくだらないことを考えていると、ドアのほうから軽快なノック音がした。

 「どぞー」と川越さんが気の抜けた返事をすると、部屋に入ってきたのはダウナーな雰囲気をまとった妙齢の女性だった。俺たちの顧問の久喜先生だ。


「失礼するよー」


 入ってきた女性は間延びする口調で挨拶する。明るめのパンツスタイルにロングカーデというビジネスライクながら朗らかなファッション。本人の雰囲気とちょっとずれているあたり余計ミステリアスだ。

 久喜先生は教卓に立ち、俺たちを一瞥すると、ニヤッとからかうような笑みを浮かべ話し始める。


「いやはや、二人が仲よさそうでなによりだよ。もしかして付き合っていたりするの?」


「突き合うって何をですか?弱みをですか?」


「先生、弱みを突かれてるのは俺だけっス。ここにいじめを告発したいと思います」


「棄却するよ。ところで朝霞は?」


 俺の決死の告発はすげなく無かったことにされてしまった。これが教育現場の闇ですね。


「今日は用事があるとかで来ないらしいですよ」


「うっそー。朝霞さん来ないとかチョベリバなんですけど。てか、俺聞いてないし」


「私に個チャで連絡来たからね」


 朝霞さんが俺に連絡をくれなかったことに少し傷つくが頑張って表情に出ないように努める。だって男の子だもん。

 涙を堪える俺をよそに久喜先生は教卓に両手をついて嘆息した。


「まぁ、大宮と川越だけでもいっかー」


 なにか厄介ごとを持ってきたのか?

 ていうか、この人がここに来るのって何かめんどうごとがあるときなんだよなー。その立ち位置は黒幕ですよ?

 めんどくさがる俺と対照的に川越さんは愛想よく尋ねる。


「なにか用事ごとですか?」


「いつものだよ。体験入部希望」


 そう言う久喜先生は不敵な笑みを浮かべる。

 めんどくさい。知らない人としゃべりたくないし。実際はほぼしゃべらないけど、その空間にいるのがしんどいよー。

 そんなわけでわずかばかりの抵抗をしてみる。


「いつも思うんですけど、それってホントに本人が希望してるんスか?」


「もちろん。押し問答の末、「少しだけなら……」という言質をちゃんととってるよー」


 ふぇぇ、悪い顔してるよぉ。それを希望してるとは言わないし、むしろ逃れられないと絶望したのだろう。

 ていうか……


「ホテルにむりやり誘い込むときのやり口みたいっスね」


 良い子はついてっちゃだめだよ!現代人らしくノーと言える若者になろう。ちなみに俺は先輩や上司、ポイントカードの提示にもちゃんとノーと言える人間です。

 ポイントカードを本当は持っているのに、勢いで持ってないって言っちゃうのなんなんだろうね。


「なんだ?大宮は女の子をそういう風に連れ込むのかい?」


「いえ、俺は紳士なので」


「大宮君、1ミリも知らない世界をさも知っているかのように語るのはやめようね」


 俺がキメ顔をしていると川越さんは優しく微笑んでそう言った。

 うるせーやい。


「じゃあ、そういうわけで。あまり彼女を待たせるのも悪いからそろそろ呼んでくるよー」

 

 そう言って先生は教室を出て行った。

 今、彼女って言ったなぁ。女の子相手に喋れる自信ないし、どうすっかなー。

 不必要な緊張感に湿る手をズボンで拭きつつ思案していると、川越さんがこちらをじろりと睨んだ。


「あんまり変なことしてお客さんの邪魔しないでね?」


「具体的には?」


 川越さんはあごに指を当て小首をかしげるという可愛いポーズで考えるそぶりを見せた。


「……目を合わせるとか?」


 俺は魔物かよ。まぁ、昨今は環境型セクハラにも気を付けなければいけないからね。

 しかし、ひどい言われようなので反撃の気持ちを込め俺は自信満々に答える。


「人と目を見ないで喋るのは得意だ」


「ばっかじゃない?」


 川越さんはふふっと嘲笑した。

 あー、はいはい。なるほど、なるほど。

 やっぱふつうに嬉しいものですね。

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