北へ【6】

 一行に加わったセラに、長身の剣士はタキス、壮年の弓使いはノズと名乗った。


 一方で彼らの主は名乗る意思を見せなかったので、セラは彼らに習って若様と呼ぶことにした。


 外の事情を何も知らないセラに、名ひとつで何かを憶測する術はない。それでも彼らはそれを隠したいと思っているのだろう。彼らの中に、まだ幾ばくかの警戒がみえる。


 セラは改めて彼らのことを観察することにした。


 タキスは危険が迫らない限りは寡黙な青年らしく、主とセラの間に立って静かに主に従っている。対するノズは主と意見を交わす立場にあるのだろう。短く切り揃えた顎髭を撫でながら、今後の旅路について主と議論を交わしていた。


 外界を知らないセラにとって、彼らが交わす会話は疑問と驚きの連続だ。何よりセラの興味をひいたのは彼らが手にした一枚の羊皮紙である。


 それが地図と言うものだと教えてくれたのは、意外にもタキスだった。


「国や村の位置が記録されています。地図と言うのですよ」


 議論を交わす若様とノズの間に広げられた地図には、斑に書き込まれた山や木々があり、流れるような文字で地名が記されている。


「ここがシューレ、そしてあそこがアルクトゥールスだよ」


 タキスの言葉にセラが地図に興味を示していると気づいたのだろう。地図上の点と点を指し若様が言う。点と点を結ぶ直線上には、たくさんの木々が描かれている。それがこの樹海なのだとセラは理解した。


「若様たちはどうやって樹海を抜けるの?」


 セラには流星にもらった人魚の涙があったが、彼らも同じものを所持しているのだろうか。


 この地図があったとしても、空が見えないこの樹海では、進むべき方角を確認するのは酷く難しいことのように思える。


「僕らにはこの羅針盤がある。石のある長針が赤く光り示す方角が北だ」


 若様がマントの下から取り出したのは、掌の大きさの宝飾品である。金の環の中央で二本の長い針が交差しており、その間を通る細い針が四方に散る星の光を表しているようだ。長い針の一辺の先端には赤い石の欠片が埋め込まれており、輪に細身の鎖を通すことで首から下げられる仕様になっている。


 針先の石は小さいけれど、人魚の涙に似ているとセラは思った。


「きれいだろ?」


 宝物を見せびらかすように、誇らしげに若様は言った。


「若様の羅針盤は特別ですからね」


 慣れた様子でタキスが返すと、ノズも同意を示す。


「そうですね。我らもこの羅針盤がなければ、この経路を選んでいないでしょう。まあ、少々予定外もございましたが」


 最後に一言付け足して、ノズはセラを見た。予定外とはセラの事だというのは明白である。セラはそこで押し黙った。本当はもう少し羅針盤や赤い石のことを尋ねたかったのだが、それができる雰囲気でもない。


 セラはその嫌味に対してどう返していいのかわからなかった。


「ノズ、大人げない」


 ぼそりっと呟いたのはタキスである。ノズはタキスを視線で牽制すると、主に弁明するため口を開いた。


「預かる命が増えたのです。その責任を考えれば、このくらいのお小言は許されるでしょう」


「それはセラをもう仲間と認めているってことでいいのかな」


「あなたとあなたの守りたいものを守るのが我らの役目ですから」


「素直じゃないなぁ」


 含みのある若様の言葉に、ノズは肩をすくめてため息をつく。


「……正直申しますと、肩透かしをくらった気分です。これだけなんにも知らないなら、我々のことを探ったり、何かを企んだりするのも無理でしょう。だったら警戒すべきは彼女自身ではなく、追っ手だけだということがわかってきたんですよ」


 それから、とノズはセラにも目を向けた。


「今さらですが、あなたにも怖い思いをさせてしまいました。その分、この先は我らがあなたを守りますから、安心なさい」


「ノズ、わたし何も知らずただ守られているだけは嫌よ」


 守るという言葉は、セラに皇帝を思い起こさせた。皇帝から与えられる仮初めの安穏を、村人は守られていると称していた。


 それを受け入れているのが嫌で嫌でたまらなかったはずなのに、自分一人ではまだ何ひとつ成せないのか。そんな葛藤がセラの中に生まれている。


 ノズの好意もわかっているので、セラはいたたまれずに、ごめんなさいとか細く付け足した。


「いや悪いのはこちらだ。シューレの民である君にノズの発言は失言だった」


 ノズは気の聞いた言葉が見つからなかったのだろう。困ったように眉を寄せた彼に代わり、若様は怒るでもなく優しく答えた。


「わたし、ノズが言いたいこともわかるの。わたしは外界を知らない。何が危険で何が安全かも。自らで身を守る情報すらもたないもの」


 自由を求める選択をした自分は、シューレの皆とは違う。一種驕りにも似た感情が自身の中にあったことに、セラはこの時初めて気がついた。


 けれど一歩外に出てしまえば、自分はあまりにも無知でちっぽけだ。


「お願い、わたしに身を守る術を教えて」


  足りないものを学ばなければならない。それは進むための一歩だ。そのために頭を下げるのは苦ではなかった。セラは深々と頭を下げた。





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