北へ【1】

 ぐずぐずしていては、ここにも追手がやってきてしまう。ぎゅっと唇を噛んで、セラは進む決心をした。


「自由に生きられる場所へ行くには、どの方角に進めばいいの?」


「北へ、アルクトゥールスへ」


 その問いに、流星は北を示す。


 崖と村とを隔てるように境界を接する森は、生活圏を逸れると薄暗い北の樹海へと繋がっている。セラにとって村の外はどこも未知の領域だが、薄暗く静粛に支配された森はセラの気持ちを揺さぶった。


「アルクトゥールス? それは何? あそこの森は一度入ったら出られないのよ」


「そうだね」


「だったら――」


 違う方角へ向かうべきではないのか、と口にしかけて、セラは流星の様子がおかしいことに気が付いた。


 流星の額には珠のような汗がにじんでいる。その漆黒の髪は艶を失い、額に張り付いていた。


「流星、大丈夫? すごい汗だわ」


「少し休めば大丈夫さ」


 流星は心なしか息苦しそうに、掠れた声を出した。先程までの飄々とした面持ちとは明らかに違う。原因は一つしか思い至らなかった。


「もしかして、私を連れて飛んだから?」


 他人を連れて飛べば、それだけ負荷が掛かる。そう考えれば、あの儀式の場所まで流星がセラを運ばなかったことにも説明がつく。


 流星はセラの言葉を否定しなかった。代わりに近くの木の幹に背を預けると、そこに腰を下してセラを見上げた。


「君はなにも気にする必要なんてないよ。俺がやりたくてやったことだ。責任は俺にある」


「だけど……」


「少し休めばよくなるさ。それより、君は一刻も早くここを離れるんだ」


「でもこんな状態の流星をおいてはいけないわ」


「それでも君は行かなくちゃならない。俺一人だったらどうとでもなる。彼らは俺には手出しができないけど、君に対しては違う」


 なぜそこまで自信が持てるのだろう。思えば、流星の姿を見た兵達の反応はどこかおかしかった。まるでそこに存在するはずがないモノを見てしまった時のような驚きがあった。


 セラの迷いを感じとったのだろう。流星はゆっくりとした動作で立ち上がり、セラの掌に小さな何かを握らせた。冷く、硬い感触が手を伝わる。


「俺は少し休んだらすぐに追いつくから。君は先を急ぐんだ。これを持って行けば、星が道を教えてくれる。樹海でも迷わないから安心して」


 掌のモノに視線を落とすと、それは深い青を纏った石だった。


「これは?」


「人魚の涙と呼ばれるものだ」


「人魚? 人魚って何? 星と関係があるの?」


「説明してあげたいところだけど、今は時間がない。使い方だけ説明しておくよ。人魚の涙は北の方角を向いてかざせば、最北の星に呼応して赤く輝く。木々に覆われて空が見えなくても、これをかざして赤く輝く方角へと進むんだ」


 セラは石を北の樹海へ向けてかざしてみた。流星の言葉通り、石は赤い光を帯びて輝き始めた。


「すごい。きれい」


「さあ、見惚れている暇はないよ。それを持って早く出発するんだ。北の樹海に入ってしまえば、兵も深追いはできないだろう。今日はできる限り北へ進んで、疲れたら木のうろの中で落ち葉を被って身を潜めるんだ。そうして俺が追い付くのを待ちなさい。いいね?」


 セラは流星に押されるまま背を向けた。そのまま数歩足を進めて振り返る。


「追いつくというあなたの言葉信じていいのよね」


「君が信じてくれる限り、君の思いは星まで届く。大丈夫さ。さあ、お行き」


 セラは今度こそ、北へ向けて走り出した。

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