命降る夜【2】
そんなセラの髪を兄はくしゃりと撫でる。
そうされるとセラは、もう言葉を口にできなくなった。すべてを否定してしまうには、この環境を受け入れてきた期間が長過ぎる。セラは村の大人達がこの環境のすべてを「仕方がない」の一言で済ませている姿しか見たことがない。だから皆が兄と同じなのではなく、兄が皆と同じになろうと努めているのだ。そうしなければ兄はきっと、死という恐怖に押しつぶされていただろう。兄が本当は臆病で、死を誰よりも恐れていることをセラは知っている。
「セラ?」
押し黙ってしまったことを訝しがって、兄はセラの名を呼んだ。
そこでセラは思考を止めた。先程まで胸の内で燻ぶっていた怒りは形をひそめ、代わりに姿を現したのは恐怖だった。十八歳である兄はもうすでに星詠みの仕事を初めてもよい年頃だ。この先星詠みの命令が下れば、兄はそれを受け入れ続けるだろう。そして迎える先にあるのはおそらく死だ。
兄まで居なくなってしまっては、セラは一人ぼっちになってしまう。
「……兄さん」
「なんだい、セラ」
「わたし、死ぬなら兄さんより先がいい」
セラの言葉に兄の表情が変わる。大きく目を見開いた後、兄の瞳に浮かんだのは悲しみだった。
「そんなこと言わないでくれよ」
兄の声は僅かに掠れている。セラはそっと目を閉じた後、父の顔、母の顔を順に思い浮かべ、そして最後に兄の顔を真正面から見詰めた。
「それでもわたしは、これ以上家族が死ぬところを見たくないの……」
セラの呟きは、葬列の鈴の音に混じって消えていく。兄はその言葉を拾うことなく、無言で再びセラの頭を撫でると、セラに背を向けた。セラには兄の思いがわからなかった。それでもセラは、背を向けたまま後ろ手に差し出された兄の手を取った。
「帰ろう」
手を通して伝わってくる体温がセラを少しだけ安心させた。
家に帰りついた後、セラは受け取った配給で夕食の準備を始めた。
シューレの村の家々は石と土で作られた簡素なものである。積み上げた石で壁をつくり、寒さを防ぐためにその上から土を塗り耐熱性を得ていた。さらには暖炉の熱が部屋に行き渡りやすいように部屋の間には壁がなく、寝室と台所を区切るのは、動物の毛を編んで作られた垂れ幕だけだ。
兄は早々に垂れ幕の向こうに姿を消したきり、セラの前に姿を現さない。セラはスープをかき混ぜる手を止め、垂れ幕へ視線をやった。垂れ幕の向こうからは衣が擦れる音がする。兄は何をしているのだろうか。
そう疑問に思い寝室へ足を向けかけたその時、木製のドアを叩く乾いた音が家の中に響いた。
「はい、今、開けます」
セラは閂をずらし、ドアを開けた。
そこに立っていたのは黒いマントに身を包んだ帝国兵だった。その身体は大柄でセラは恐る恐るその顔を見上げた。
「あの何のご用でしょうか?」
不安げにセラが呟くと、
「わたしはただの付き添いだ」
と彼はその身をずらした。すると彼の背後から、一人の小柄な老人が姿を現した。セラは彼女が誰であるかいたいほど知っていた。押し曲った背中に、木製の杖――シューレの民の月明かり色の髪は白髪交じりで、より淡い光を放っている。先程通りで目にした時のまま彼女は白い羽織を身につけている。
「
セラの呟きに彼女は木製の杖をとんっと打ち鳴らすことで肯定を示した。袖に付けられた鈴の音が室内に響く。その音を聞いてセラは嫌な予感がした。何より、先程通りで兄が自分に背を向けた行為がその不安を駆り立てた。
そんなセラの背後で、垂れ幕が擦れる気配がする。同時に兄の声が響いた。
「村長!」
「迎えに参ったぞ」
村長の視線はセラを通り越して、寝室から姿を現した兄へと向いていた。
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