第9話 元締めを怒らせる
連載戯曲『梅さん⑨元締めを怒らせる』
時 ある年の初春
所 水野家と、その周辺
人物 母(水野美智子 渚の母)
渚(卒業間近の短大生)
梅(貸衣裳屋、実は……)
福田ふく(梅の友人、実は……)水野美智子と二役可
暗転。
梅の鼻歌におでんの材料を切る音や仕込みの音が重なって明るくなる
渚: ……ねえ、梅さーん。
梅:(声) もうちょっと、待ってて……
渚: ……お料理しながらでも話しできるでしょう……いったい何があったのよォ、進一とォ?
えらく楽しそうに話したり、肩さわられたり、じゃが芋のお手玉とかしてニコニコしちゃったり、
そうかと思うと急に真剣な顔になっちゃって、幻だって言われたってスネちゃうよー。
梅:(声)もうすぐだからね、今仕上がるとこ。
渚: 最初の「もうすぐ」から二十分はたってるわよ、明治時代の人って気が長いんだからもう。
……でも、いい匂い……つまみ食いしちゃおっかな(小声で)
梅:(声) いけません、つまみ食いは。
渚: 聞こえてんだ……もう、早くしないとお母さん帰ってきちゃうよ。
上手から、襷をほどきながら梅あらわれる
梅: 大丈夫だよ、わたしたちの用件が済むまでは、お母さんは帰ってこないから。
渚: もう、びっくり、また幻? あ、ひょっとして……?!
梅: 今度は進一じゃないよ。
渚: なんだ……え、じゃ誰と!?
梅: 元締め。ちょっとこみいった話しをね。
渚: あたし、もう覚悟はできてる……でも、進一のこと、最後に聞かせてほしい。
梅: うん、わたしも……あんまり時間がないから、手短に言うわね。
渚: うん。
梅: 最初は頭を打ったのかと思った。次に……魂が誰かと入れちがったんじゃないかと疑った……
渚: 梅さんとあたしみたいに……?
梅: うん。ところが、進一は剪定される寸前だったんだ。
渚: ……?
梅: わたしの受持外だったからわからなかったけど、その剪定の直前にあの子は事故を起こしてしまった。
めったにないことだけど、〇・一パーセントの誤差。担当の剪定士が出向く一時間前。
ほんとうは、ほとんど即死に近い状態だった。あのバイクの壊れ方を見ればわかるでしょ?
渚: じゃ……
梅: あの子は進一のままよ。
渚: え……どういうことよ?
梅: 進一のままだけど、あの子の心の中には同居人がいる。間垣平四郎という守護霊みたいなお兄さんがね。
その平四郎が、自分の支配を受け入れることを条件に命をたすけた。だから無傷なの。
予定通り一時間後に来た剪定士は、もう手が出せなかった。
渚: それで、進一は?
梅: がんばってるわ、平四郎にしぼられながらね。
でも、がんばれるのは進一がもともとは素質のある子だから、目標を持てばがんばれる子。
あそこも、親がほったらかしでグレちゃった口なんだけどね……進一は、今でも渚のことが好きなんだよ。
渚: (恥じらってうつむく)
梅: ただ、今は修行中の身だから、平四郎が会うことを禁じている。
渚: 大事なときなのね、進一にとって今は……あたし、やっぱり……(ポロリと涙がこぼれる)
梅: 今の渚のままでいたい……だろ?
渚: うん……(とめどなく涙が流れ落ちる)
梅: 平四郎、渚のことも認めてた。顕微鏡レベルのひとのよさを……懐の広いというか、わからん男よ。
渚: ……(泣きながらも、梅の言葉を真剣にうけとめようとしている)
梅: 平四郎さん、人を剪定することには反対なの……ほら、この源七の盆栽。
大きな蕾たちの中に一つだけ小さい蕾が残してあるでしょう……ほら奥の方にちょこんと……。
わたしも平四郎さんに言われて初めて気づいたんだけど。
渚: ……ほんとだ、こんな目立たないところに……。
梅: 近くの蕾の障りになるかもしれないけれど、その蕾はわざと残した。
渚: どうして……
梅: 剪定者の勘。白い花たちの中で、それ一つだけが、ほんのり紅梅……うすい桃色になる可能性があるんだって。
蕾を支えている枝の流れ方や色つやまでみなきゃわからないことらしいけど、
咲くと意外に大ぶりで、梅の木全体に締まりが出ていい景色になるって。
……たとえ〇・一パーセントでも可能性があるのなら、そのままにしておいて、観察してみた方が良いって……。
その責任は僕がとるよって言ってた……この蕾は渚のことだよ。
渚: ……あたし……。
梅: 今のままだよ。
渚: ほんと?……ほんとにほんと?……うれしい、梅さーん!(梅に抱きつき、梅は母親のように渚を包むように抱き留める)
梅: よかったね、進一がもう少し安心できるようになったら、そう思えたら時々様子を見に来るってさ、
「チワー」って御用聞きを兼ねて。そして二人とも安心できるようになったら、そう思えたら……
進一の支配も解いて自由にしてやるって……元締めには叱られた。罰として、しばらくはこっちの世界には来られなくなる。
渚: ええ、せっかく……。
梅: やっぱり、わたしの娘にうまれたかった?
渚: その……友だちになれたのに……。
梅: ハハハ、ひいひい婆さんを友達にしちゃったんだ……さあ、そろそろ行かなくっちゃ!
渚: 今度いつ来るの?
梅: 百年くらい先。
渚: ひゃ、百年……!
梅: 元締め怒らしちゃったから。でも、あっという間よ百年なんて。
渚: じゃ……がんばって百二十歳まで生きる。
梅: その前に渚の方がこっちに来ちゃうよ。いいお婆ちゃんになっておいで……
渚: アハハ……そうだね。なんか嬉しいような悲しいような……一つ聞いていい?
梅: うん、あんまり時間はないけど。
渚: 平四郎さん……生きてたときに、その……かかわりのあった人?
(この会話の終わり頃、上手奥に目立たぬようにふくがあらわれている)
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